使えるほうのヒモ

「人生とはままならないものだな、桐谷」


 結束バンドで手足を拘束された俺たちは、地域の工芸品みたいに、アホ面並べて閉じ込められていた。


 救世主かと思いきや、囚人としてジョイナスしに来た三十路みそじ……もしかしたら、牢獄フェチなのかもしれない(婚期が遠のく音)。


「笑ってる場合じゃないですよ、先生。唯一無二の脱出チャンスを不意にして、ラスベガスで勝てると思ってるんですか。俺のために三億ドルを手に入れると意気込んでいた、出稼ぎ労働者の風格はどこにいったんですか」

「せ、せんせ! なんとか、ならないんですか!? このまま、キリタニ・ノ・クズと一緒に心中なんて絶対にやですよ!」


 勝手に人の名前を、ブランド名っぽく改変するな。


「なんとか……なんとか、か……」


 雲谷先生の視線に促され、俺は、現状を冷静に省みる。


 後ろ手回しで拘束されているだけなので、立てないことはないのだが、両手を使えないのはほぼ間違いない。


 前側に手首を拘束されていれば、結束バンドごと腿に打ち付けて、外れたかもしれないが……水無月さんが、そこまで、初歩的なミスを犯したりはしない。


「マリア、素敵なミサンガだな」

「……え、なに? あれ? なにこれ?」


 手首を振ったマリアが、初めてその感覚に気づいたのか、困惑気味の声音を上げる。


 いつの間にか、マリアの手首についていたミサンガ。オレンジと白のヒモが編み込まれていて、かなり太めなせいか、洗濯紐のようにも視えた。


「お前、ミサンガなんて着けるタイプなの? 願っても、バストサイズは増えないよ?」

「いや、こんなミサンガなんて着けたことないわよ……あと、バストサイズについては、神なんかに願っても無駄だってとっくに知ってる……」


 この子、胸に虚無をぶら下げて生きてる……。


「パラシュートコードだ。軍用規格ミルスペックを満たしている高耐荷重のロープだな。550だから250kgまでの荷重に耐えられる」

「いつの間に仕込んだんですか、そんなもん」


 雲谷先生は、こちらを瞥見べっけんしてからつぶやく。


「水無月たちにボディチェックされるタイミングで、意識が外れた瞬間に、私からマリアの手首に移しておいた。あからさまに、注意力が私に傾いていたからな、意図外しミスディレクション魔法使いマジシャンの基本だ。

 水無月が狸寝入りしていたことは、脈拍を測った時にわかっていたしな」


 失神した水無月さんの安否を確かめてたのかと思ったら、最初から疑っていて、脈の変化を確かめてたのか。


「で、なにに使うんですかこんなヒモ」

「結束バンドの間に通せ。両方の端に足を入れられるくらいの輪を作って、自転車を漕ぐ要領で足を動かせば切れる筈だ」

「うっそだ~! そんなん、信じられ――切れたァアア!!」

「え!? 嘘っ!?」


 試しにマリアと背中合わせになり、自転車漕ぎを試してみると、案外あっさりと拘束バンドが千切れる。


 自由になったマリアは、両手を使って、同じように俺のパラコードを切断する。雲谷先生をいましめていたバンドも、直ぐに、ブチッと音を立てて切れた。


「うんやてんて~! しゅご~い!!」

「まぁ、初めから、捕まりに来てるからな」


 先生は、手首を撫で擦りながら応える。


 そして、当たり前のように、電子錠付きのドアに手を伸ばし――抵抗もなく開いた。


「マリア……お前、どうやって扉を開いたんだ……?」

「なんで、今のを視て、あたしの仕業だと思ったのか、逆に聞いてもいい?」

「魔法だよ」


 聞いてもないのに、答えた雲谷先生がウィンクをする。


「種も仕掛けもあるがな」

「いい歳して、敵地ではしゃいでんじゃねーぞ。生クリームが好きでいられるのも、あと数年だからな」

「あたしの声真似のクオリティ、異様に高いのやめてくれる!?」


 マリアの背に隠れて、幼き教師をいさめた俺は、数秒の折檻を受けてから解放される。俺が怪我しない程度に、激痛だけを与える手慣れた暴力には感動すら覚えた(皮肉)。


 改めて、水無月家を移動する。


 俺とマリアが、周囲を警戒しながら慎重に進む一方、繊細という言葉からかけ離れた先生は、免罪符ガサツを胸に大股で進行する。たぶん、普段から、ビル群を破壊しながら歩いているのだろう、背後から威風堂々が流れてきそうな雄大さであった。


「……誰もいない?」


 家の中は、静まり返っていた。


 確認のために、水無月コレクションに手を出して、消しゴムを引き千切ってみるものの反応ひとつない。本当に不在のようだ。犯人マリアの痕跡を残してから、俺は、コレクション部屋を出る。


「どういうことですか、コレ? 『初めから捕まりに来てる』って言ってましたが、最初から計画済みってことですか?」


 ジッポライターで手遊びをしながら、目を細めた先生は首肯する。


「あまりにも、楽に居場所を突き止められたからな。

 水無月からしてみても、今回、動き出すのはあまりにも早すぎる。せめて、フィーネの拠点を確立してから、私を足留めするための“選択肢”を増やした後に動く筈だ。なのに、急に、不自然にも思えるタイミングで動き出した。

 準備エンジンも温まってないのに、走り出したら、誰だって故障か“意図せぬ必然”を疑う」

「つまり、俺をさらったのはただの撒き餌で、雲谷先生を拘束して排除するのが“本命”だったってことですか?」

「そういうことだ。だから、『備えあれば憂いなし』を、辞書で引いてから来た。

 水無月家にある監禁部屋の詳細は、優秀なスパイのお陰で、こちらに筒抜けだったしな」

「優秀なスパイ……?」


 俺たちは、玄関扉を開いて――真っ黒なスーツを身にまとい、サングラスをかけて、壁に背を預けているクールな少女を目にする。


 彼女は、ゆっくりと、サングラスを外し――


「そこの、愛しのお兄ちゃん。

 妹タクシーは、未来永劫、天国から地獄まで無料だけど……乗ってく?」


 桐谷淑蓮いもうとが微笑んだ。

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