話✕話=解
俺が、最短で、
「渚の……過去」
「そっすね」
重苦しい沈黙。
手持ち無沙汰になった俺が、足元の小石を数えていると、ようやく返事が返ってくる。
「アキラくんは、渚にお兄さんがいたことは知ってたかな?」
「いえ、ハツノミミですが」
「仲の良い兄妹だったの。少なくとも、ひとりっ子だった私が、焦がれるくらいには」
雲谷先生の部屋にあった、男性の制服……その持ち主こそが、先生の兄であり、あの写真の中央に映っていた人物なのだろう。
「仲、良かったんですか?」
「……なんで?」
「顔、塗りつぶしてあったから」
沈黙。
先生の呼気が、一定の周波数となって俺の耳に伝わってくる。
「あの
『幸福な王子』の
「
「アキラくん」
「もう遅いですよ」
あくびをして、俺は階段の手すりに背を預ける。
「ちちんぷいぷい……貴女は、俺に、願い事を言った。今更、『渚を助けて欲しい』って言葉を
「なんで、そこまで」
らしくないなとは思いつつ、俺はため息を吐いてから答える。
「俺は、母親の料理を食べたことがない。朧げにしか憶えてない、あの優しい笑顔の
「…………」
「俺にとっての、おふくろの味ってのは――貴女そのものだ」
なにも答えず、先生の穏やかな黙秘が、暗中にたゆたっている。
静かに、穏やかに、星ひとつない夜空の下で。
「だから、借りを返しますよ。
材料費だけ払ってお別れってのは、母子の情ってヤツに反するでしょ」
「…………」
「先生、今日は、星が出ていないので」
俺は、ささやく。
「流れ星の代わりに……ひとつだけ、お願い事を聞いてくれませんか」
「もしもし」
『モモ』――電話帳に登録されているシンプルな記載名、ゆいの声音に反応して、スピーカーから懐かしい声が漏れる。
「そこに……いるのね、ゆいちゃん」
「HELLO、しばらくぶりね、ピーチちゃん」
「フィーネちゃんも」
喫茶店のテーブル越し、向かい合っているフィーネが、録音のためにボイスレコーダーを取り出し――ゆいは、その手を止めた。
首を振る。
フィーネは、嘆息を吐いて、なにもせずにボイスレコーダーを仕舞った。
「……なんで、この番号を?」
「渚に聞いたわ」
「渚くんにも、教えたつもりはありませんが」
「Nonsense……そんなの、どうでもいいでしょ。とっとと本題に入りましょうよ、電話越しにタイムカプセル開いて、たった三人、同窓会の真っ最中なんだから」
一秒、二秒、三秒、モモ先生は、唐突に本題に入った。
「このままだと、アキラくんは死ぬわ」
静寂――言葉を失ったゆいは、頭を回転させながら、親指の爪をじっと見つめる
「Could you tell me more specific?」
「似てるの」
「先生、迂遠的な言い回しはやめてください。わたしもフィーネも、覚悟は出来てます。言ってください」
数秒の溜めの後、彼女は、電話越しにささめく。
「渚のお兄さんに……私の大好きだった人に似てるの……だから、きっと、アキラくんは……死を選ぶ……」
口端でソーダを飲んでいるフィーネは、ストローを咥えたまま小首を傾げる。
「I have no idea.
ウンヤの兄が、アキラくんに似てる? Nonsense,Nonsense! あんな人間が、ふたりといるわけないでしょ? アレと酷似しているような人間が、地球上にふたりもいたら、フィーはココまで入れ込んでない」
「思考の方向性の話よ。
彼も――最期は、人間としての情を選んだ」
「……衣笠由羅の時と同じ?」
「アキラくんは、フィーネちゃんのことも最後には救った」
「だから、命を賭して、最期には誰かを救って死ぬ?
That’s funny」
覚えがある。
なんだかんだ言って、桐谷彰という人間は、合理性の塊で女性を操る手管に優れているが……最後の一線を超えていない。
合理性を追求すれば、悪事へと行き着く。
幸福性を追求すれば、不幸へと辿り着く。
人間性を追求すれば、情動へと縋り着く。
桐谷彰は、周囲にいる人間を、少なくとも不幸にはしていない。アレだけの狂人を周囲に
意識的にせよ、無意識的にせよ――それは、まごうことなき“異常”だった。
「だから、渚は、あそこまでアキラくんに入れ込んでるの。
彼の微かな善性を信じているからこそ、ずっと傍を歩いて、見届けようと思っている……兄の幻影を求めて」
「
アキラくんが、命懸けで、誰かを救うな――」
「渚が救わなかったら、アキラくんは頭から海に落ちて、フィーネちゃんと一緒に死んでたわよ」
なにも言えず、フィーネは、飲みきったクリームソーダの痕跡を見つめる。
「フィーたちに、どうしろって言うの?」
久しぶりに――あの子供みたいな、笑い声が、聞こえてきた。
「ふたりには、もう教えました」
電話が切れる。
ゆいとフィーネは、目線を合わせた。
「ごめんね、アキラくん」
俺の脇腹に、スタンガンを押し当てた水無月さんは――マリアの頸動脈に、刃を当てているフィーネに微笑みかける。
「愛情を示すのに――手段なんて、選んじゃダメなの」
「こんなんで」
裏口から、避難先の反対方向に誘導された俺は、不敵な笑みを浮かべて口端を曲げる。
「俺に、勝ったつもりですか……こう視えても、人心掌握術に
「ゆい、気をつけて。アキラくんは、追い詰められてからが強い」
「わかってる」
警戒した水無月さんは、周囲に目線を巡らせる。だが、そんなことをしても無駄だ。コレは、単なる、俺の
俺は、ゆっくりと両手を挙げて……起死回生の一手を打った。
「あれ? 水無月さん、もしかして、髪切りまし――」
「切ってない」
「フィーネ、お前、髪型、変え――」
「変えてない」
「こっちに、歩いて行けばいいですか? 荷物、もちます?」
俺は、水無月さんたちに先行して、両手を挙げたまま連行されていった。
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