話✕話=解

 俺が、最短で、攻略本モモせんせーを開いた夜。受話器越しに、先生は、中性的な声を漏らした。


「渚の……過去」

「そっすね」


 重苦しい沈黙。


 手持ち無沙汰になった俺が、足元の小石を数えていると、ようやく返事が返ってくる。


「アキラくんは、渚にお兄さんがいたことは知ってたかな?」

「いえ、ハツノミミですが」

「仲の良い兄妹だったの。少なくとも、ひとりっ子だった私が、焦がれるくらいには」


 雲谷先生の部屋にあった、男性の制服……その持ち主こそが、先生の兄であり、あの写真の中央に映っていた人物なのだろう。


「仲、良かったんですか?」

「……なんで?」

「顔、塗りつぶしてあったから」


 沈黙。


 先生の呼気が、一定の周波数となって俺の耳に伝わってくる。


「あの女性ひとって、矛盾の塊みたいな人間ですよね」


 『幸福な王子』のせた表紙を見つめながら、俺は、夜気が溜まった暗色に身をゆだねる。


沼男スワンプマンを自称して、感情がないフリをしながら、強烈でドス黒い情動を抱いてるんですから」

「アキラくん」

「もう遅いですよ」


 あくびをして、俺は階段の手すりに背を預ける。


「ちちんぷいぷい……貴女は、俺に、願い事を言った。今更、『渚を助けて欲しい』って言葉を反故ほごにしようたってそうはいかない。クーリングオフの期間は、十年以上前に、過ぎ去ってる」

「なんで、そこまで」


 らしくないなとは思いつつ、俺はため息を吐いてから答える。


「俺は、母親の料理を食べたことがない。朧げにしか憶えてない、あの優しい笑顔の女性ひとは、俺が離乳食を食う姿なんて視られなかった」

「…………」

「俺にとっての、おふくろの味ってのは――貴女そのものだ」


 なにも答えず、先生の穏やかな黙秘が、暗中にたゆたっている。


 静かに、穏やかに、星ひとつない夜空の下で。


「だから、借りを返しますよ。

 材料費だけ払ってお別れってのは、母子の情ってヤツに反するでしょ」

「…………」

「先生、今日は、星が出ていないので」


 俺は、ささやく。


「流れ星の代わりに……ひとつだけ、お願い事を聞いてくれませんか」




「もしもし」


 『モモ』――電話帳に登録されているシンプルな記載名、ゆいの声音に反応して、スピーカーから懐かしい声が漏れる。


「そこに……いるのね、ゆいちゃん」

「HELLO、しばらくぶりね、ピーチちゃん」

「フィーネちゃんも」


 喫茶店のテーブル越し、向かい合っているフィーネが、録音のためにボイスレコーダーを取り出し――ゆいは、その手を止めた。


 首を振る。


 フィーネは、嘆息を吐いて、なにもせずにボイスレコーダーを仕舞った。


「……なんで、この番号を?」

「渚に聞いたわ」

「渚くんにも、教えたつもりはありませんが」

「Nonsense……そんなの、どうでもいいでしょ。とっとと本題に入りましょうよ、電話越しにタイムカプセル開いて、たった三人、同窓会の真っ最中なんだから」


 一秒、二秒、三秒、モモ先生は、唐突に本題に入った。


「このままだと、アキラくんは死ぬわ」


 静寂――言葉を失ったゆいは、頭を回転させながら、親指の爪をじっと見つめる幼馴染フィーネを窺う。


「Could you tell me more specific?」

「似てるの」

「先生、迂遠的な言い回しはやめてください。わたしもフィーネも、覚悟は出来てます。言ってください」


 数秒の溜めの後、彼女は、電話越しにささめく。


「渚のお兄さんに……私の大好きだった人に似てるの……だから、きっと、アキラくんは……死を選ぶ……」


 口端でソーダを飲んでいるフィーネは、ストローを咥えたまま小首を傾げる。


「I have no idea.

 ウンヤの兄が、アキラくんに似てる? Nonsense,Nonsense! あんな人間が、ふたりといるわけないでしょ? アレと酷似しているような人間が、地球上にふたりもいたら、フィーはココまで入れ込んでない」

「思考の方向性の話よ。方向性ベクトルが同じ。彼みたいな性格タイプは、最期の最期で、人間としての情を選ぶ。

 彼も――最期は、人間としての情を選んだ」

「……衣笠由羅の時と同じ?」

「アキラくんは、フィーネちゃんのことも最後には救った」

「だから、命を賭して、最期には誰かを救って死ぬ? 日本人Japaneseって、ブラックジョークの才能ないの?

 That’s funny」


 覚えがある。


 なんだかんだ言って、桐谷彰という人間は、合理性の塊で女性を操る手管に優れているが……最後の一線を超えていない。


 合理性を追求すれば、悪事へと行き着く。

 幸福性を追求すれば、不幸へと辿り着く。

 人間性を追求すれば、情動へと縋り着く。


 桐谷彰は、周囲にいる人間を、少なくとも不幸にはしていない。アレだけの狂人を周囲にはべらせ、自由奔放に振る舞っているにも関わらず、誰ひとりとして脱落者を出してはいないのだ。


 意識的にせよ、無意識的にせよ――それは、まごうことなき“異常”だった。


「だから、渚は、あそこまでアキラくんに入れ込んでるの。

 彼の微かな善性を信じているからこそ、ずっと傍を歩いて、見届けようと思っている……兄の幻影を求めて」

有り得ないNonsense

 アキラくんが、命懸けで、誰かを救うな――」

「渚が救わなかったら、アキラくんは頭から海に落ちて、フィーネちゃんと一緒に死んでたわよ」


 なにも言えず、フィーネは、飲みきったクリームソーダの痕跡を見つめる。


「フィーたちに、どうしろって言うの?」


 久しぶりに――あの子供みたいな、笑い声が、聞こえてきた。


「ふたりには、もう教えました」


 電話が切れる。


 ゆいとフィーネは、目線を合わせた。




「ごめんね、アキラくん」


 俺の脇腹に、スタンガンを押し当てた水無月さんは――マリアの頸動脈に、刃を当てているフィーネに微笑みかける。


「愛情を示すのに――手段なんて、選んじゃダメなの」

「こんなんで」


 裏口から、避難先の反対方向に誘導された俺は、不敵な笑みを浮かべて口端を曲げる。


「俺に、勝ったつもりですか……こう視えても、人心掌握術にけているんでね……水無月さんたちのハートを捉えて操るのは、至極、簡単なんですよ……」

「ゆい、気をつけて。アキラくんは、追い詰められてからが強い」

「わかってる」


 警戒した水無月さんは、周囲に目線を巡らせる。だが、そんなことをしても無駄だ。コレは、単なる、俺の技術スキル。仕込みなんてない。


 俺は、ゆっくりと両手を挙げて……起死回生の一手を打った。


「あれ? 水無月さん、もしかして、髪切りまし――」

「切ってない」

「フィーネ、お前、髪型、変え――」

「変えてない」

「こっちに、歩いて行けばいいですか? 荷物、もちます?」


 俺は、水無月さんたちに先行して、両手を挙げたまま連行されていった。

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