ハワイは、日本よりも19時間も遅れてる

 見慣れない連中が、フィーネ邸を歩き回っていた。


 執事連中や民間軍事会社PMCたちとは異なって、見慣れぬ男性諸君は全員、紳士服スーツを身に着けていた。俺には理解できないハワイ語を話しながら、花束やドレスを運んでいたり、料理の味見をして品評らしきことをしている。


「オー、アキラ! アキラァ!」


 手持ち無沙汰に階段に座り込んでいると、そのうちのひとりが、両手を広げながら近づいてくる。


「なぁぜ、主役がこんなところにいるんですかぁ? ほら、早く、こっちに来てくださぁい」


 少しだけ、発音に違和感を覚えたが、聞き取りやすい日本語で話しかけてくる。どうやら、ハワイ語を操るアロハ人らしい。


「おいおい、ふざけるなよ。このハワイ産アロハ人が。産地直送、ココナッツみたいな面しやがって。和の心ももたずに、俺に話しかけようなんざ、19時間遅いんだよ。

 時は金なりという金言を知らんのか、この灰色アロハシャツコーデ」

「このスーツ、アロハシャツじゃありませぇん。AUSTIN REEDでぇす。まぁまぁ、高いブランドスーツなんですよぉ?」

「うるせぇ!! 口答えすると、フィーネ呼ぶぞ!!」

「理不尽でぇす」


 シュークリームを食している俺の前で、スーツの男は困ったように眉をしかめる。


「どうしても、一緒に来てくれませぇんかぁ?」

「俺を誰だと思ってる? 全米が泣いても、泣かなかった男だぞ?」

「それ、ただの冷血漢クズでぇす」


 シュークリームを食べ終えて、俺は男のスーツで手を拭いた。


「諦めて、とっとと失せな。なにがあろうとも、俺は、一度決めたことは絶対に曲げないんでな。

 予知してやるよ……俺が、お前についていく確率は0%だ」

「ついてきてくれたら、一万円あげま――」

「おい!! 早く行こうぜ!? 日が暮れちまう!!」


 日本札をもらった俺は、笑顔で、男に道案内させる。この一万円で、新しいゲームソフト買うんだぁ。


 個室に案内された俺は、理知的な顔つきをしているスーツたちの手で、全身にメジャーを当てられる。異様なまでに理路整然とした動きで採寸され、数分足らずで解放された俺は、部屋の外でぽつんと立ち尽くし――歌声を聞いた。


「……どこからだ?」


 どこか、物哀しい、ささやくような旋律。


 人が頻繁に往来し騒がしい廊下、なぜか、その唄だけははっきりと聞こえた。耳朶じだをなぞるような、寂静を思わせる不思議な声。


 わずかに開いた扉の隙間、そこから漏れ出ている“哀しみ”。


 覗き込むと――そこには、フィーネがいた。


「Seine große, lange Flinte……Schießt auf dich den Schrot……Daß dich färbt die rote Tinte……Und dann bist du tot……」


 項垂うなだれているフィーネは、お父さん指に描かれた顔に、まるで懇願するかのようにささやき続けている。


「Liebes Füchslein laß dir raten……Sei doch nur kein Dieb……Nimm, du brauchst nicht Gänsebraten……Mit der Maus vorlieb……」


 全体重を椅子に預けて、魂をしっしたかのように座り込む彼女の目は、なにも見つめてはいない。


 たぶん、郷愁だ。


 思い出に縋り付く人間が、たまに見せる面影……彼女の横顔に、くっきりと、後悔の陰影が浮かび上がっていた。


「……入ってきたら?」


 いつから気づいていたのか、声をかけられる。


 扉をゆっくりと開いて、歩み寄ると、フィーネはふっと笑んで顔を上げる。


「どうしたの、ダーリン……こんなところで……ゆいが、ガラスの靴でも、届けに来てくれた……足のサイズが、合うのかしら……踵を切り落とすことにならないといいけど……」

「靴を履けなくても、俺が俺たる証明はできる」

「ダーリンなら……そう言うでしょうね……」


 力なく微笑んでいるフィーネは、また、視線をお父さん指に戻す。マニキュアで描かれた顔は、愛らしく、彼女に微笑みかけていた。


「童謡が好きなのか?」

「そうね……たぶん、そう……英語の童謡マザーグースも好きよ……パパが教えてくれた、ドイツの童謡も好き……ちがう……ちがうか……フィーが好きなのは……きっと……パパなのね……パパに好かれるために……好きになったのかも……」

「俺もひとつ、知ってるぞ。

 確か……Sugar and spice And all things ni――」

「やめて」


 はっきりと、フィーネは拒絶する。


「それだけは……やめて……」


 椅子を引きずってきて、フィーネの前に座り込む。


 ポケットから、納豆を取り出した俺は、丹念にかき混ぜる。混ぜながら、だらんと椅子に寝そべって、天井を見上げるフィーネを見つめる。


「どっか、行ってくれない……今は、フィーの前に、いなくていいから……フィーが『ダーリン』って呼んでる時は……『パパ』じゃなくていいよ……」

「それを決めるのはお前じゃない」


 毎度思うが、納豆のパックに入っているカラシの量はものの見事に適量だ。ベストな分量である。辛すぎないし、足らないわけでもない。そのまま食べても、十分に美味しいのは、計算され尽くしたカラシの量があってこ――


「なんで……どこにも、行かずに……人の前で、納豆のこと考えてるの……他所で、納豆のこと考えてくれない……」

「え? なんで、納豆のこと考えてるってわかったの?」


 前髪で顔の半分を隠したフィーネは、力なく、くすりと笑う。


「そういう顔……してる……」


 誰の顔が納豆顔ピーナッツだ、殺すぞ。


 ずるずる言いながら、納豆を食べていると、フィーネが俺を見つめてくる。


「ねぇ……フィーは……人に視える……?」

「…………」

「目を閉じるとね……手足が伸びていって……自分がバケモノになったみたいに思うの……みんなの、フィーを視る目が、暗闇に浮かび上がってきて……フィーを……バケモノに変えるの……フィーは、人なのに……おんなじ、人なのにね……まるで、バケモノみたいに……みんな、視るのよ……」


 ぽつぽつと、彼女は語る。


「フィーを人にしてくれるのは……パパだけなの……だから、フィーは、パパに愛されようと思ったのかな……機械的に計算して……パパの愛するフィーになろうとしたわたしは……人なの機械なの……英語の童謡マザーグースを好きなフィーは、本当にフィーなのかな……」


 己の指に描かれた顔を、日に当てて、彼女はおひさまの匂いを嗅いだ。


「誰も教えてくれない……ポアンカレ予想もナビエ–ストークス方程式もスペクトル理論も……理解したところで、教えてくれない……」


 祈りを捧げるように、彼女はささやく。


「フィーは……フィーが解けない……」


 納豆を食べ終えた俺は、立ち上がってパックをゴミ箱に捨てる。


「フィーネ」


 顔を上げた彼女に、俺は言った。


「俺たち、結婚しよう」


 フィーネは――目を、見開いた。

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