女神の横顔は、虐殺を語る
無機質な金属音。
コインが弾かれては、手元に戻る。日々、浮き沈みする太陽のように、金色の光を放ちながら回転している。
「フィーネ様」
雇い主である少女は、ぼんやりとコインを弾き続ける。
マニキュアで親指に描かれた顔が不気味で、言いようのない不安に襲われながらも、一執事である彼は主人に進言をした。
「アキラ・キリタニの心を手に入れるのは、難しいのではないでしょうか。貴女は邪魔者である彼女たちを片付けるのみならず、この状況下を利用して、彼の心まで手に入れようとしている。
さすがに、無謀なのでは?」
「……1938年、バラス・スキナー」
「え?」
女神の横顔が描かれた20フラン金貨……たった一枚で数万円はくだらないソレを、玩具にしている彼女は言った。
「オペラント学習の体系的研究を開始した心理学者よ。レバーを押せば餌が出てくるのを知ったマウスが、自発的にレバーの押し下げを行うように学ばせる『スキナー箱』という実験が有名」
「条件付けのようなものですか……子供のしつけのような……」
女神の横顔を思わせる微笑、フィーネ・アルムホルトは話を続ける。
「人間は報酬系に支配されているの。幸福感やエクスタシーを感じる行動に縛られていて、ピザとコーラをたらふく腹に詰め込み生活習慣病になって死ぬ。有益な刺激との接触を第一として行動し、それが破滅に至る道だとは気づかない」
アキラ・キリタニにしてやられ、まんまと人質を奪取されたにも関わらず、彼女は超然として知識を語っている。
その意味がわからない。わからないからこそ、彼は好奇心に惹かれて、彼女の横顔に導かれるのだ。
「Luring and Zugzwang……チェスはしないのね?」
聞き覚えのない言葉に首をひねると、フィーネは蠱惑的に目を細めた。
「チェス用語よ、よくパパとプレイしたわ。
段々と彼女が語りたい内容を理解してきて、大の男である筈の彼は、背筋に薄ら寒いものを覚え腕を擦った。
「わざと、人質を救出させたんですか? 最初から見越していて?」
フィーネ・アルムホルトは、コインを弾いた。
「Sadness and gladness succeed each other」
直感する――この
それどころか、アキラ・キリタニが、倉庫に立ち入ることを予想していたんじゃないのか? 仮初の勝利を与えるために、わざと、ダイビング機材をワンセット空けたままでいたのではないだろうか?
――だって、一択だもの
彼はフィーネの笑顔を思い出し、恐怖感で全身を支配される。目の前の小さな少女が、何倍にも膨れ上がったかのようにも思えた。
「
絶対に掌にコインが落ちると確信するように、フィーネ・アルムホルトは、お手手遊びを続けている。笑い続ける親指は、立ち上がる度に、笑声を上げているようだった。
「有用だと思っていたものが、破滅の担い手になる……そう、トロイアの木馬……起爆すれば、アキラくんはフィーのものになる……」
恐ろしさのあまり、彼は腰が引けていた。笑うという行為が、ココまで恐れを生じさせるものだとは思いもしなかった。
「助け出した者が、滅亡を運んでくるなんて思いもしない。アキラくんは、あの二人を救い上げるべきじゃなかった」
強く弾かれた金色のコインが――海原に消える。
その幻想的な軌跡を見送った後、フィーネは立ち上がり、太陽を背に愛らしい微笑を浮かべた。
「女は全員殺す」
返事ができず、彼は顔を強張らせる。
「アキラくんの心を手に入れた後、フィーの関与が疑われない程度にまで殺意を希釈させて、長い長い年月をかけて磨り潰すように殺す。アキラくんの愛情が一片の疑いの余地もなく、すべてフィーに注がれるように殺す。他の女に見向きができないようにドーパミンで脳みそを調教して、中脳の腹側被蓋野をフィーへの愛で満たしてから、女という概念ごと海馬から抹消して殺す」
風が吹いて、彼女の純黒のスカートが揺れた。あたかも、映画のワンシーンかのように、可愛らしい仕草で髪を掻き上げる。
「パパを奪ったあの女ごと、全員、ぶち殺してやる」
あまりに美しい、満面の笑顔――彼はなにも言えず、ただ震えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます