ナットウキナーゼ・フェアリーと条件のない取り引き

「……後はフィーネがどうでてくるかですね」

 

 サングラスを外した俺は、ため息を吐きながらつぶやく。

 

 フィーネの要求を呑めば一発アウトの状況、相手にカードを切らせないために、一方的に脅しをかけてはみたが……アイツは、あの程度で止まるような奸物かんぶつじゃない。

 

 脅迫内容さえ聞かなければ、脅迫は脅迫として意味をもたない。とはいえ、淑蓮すみれ由羅ゆらが連れ去られているのは事実。手をこまねいていては停滞するばかりで、現状を打破することは叶わない。

 

 覚悟を決めたらしいが、水無月みなつきさんの可動能力パフォーマンスは全盛期とは言い難い。


 さて、どうしたもんかな。


「驚いた、よね?」

 

 毒電波を浴びた掃除機みたいな音を出していた水無月さんは、俺とおそろのアロハシャツから目を背ける。


「わたしが……ボイスパーカッションまでたしなんでるなんて」

 

 アレをボイスパーカッションと言い切れる、お前のメンタリティに驚いたよ。


「アキラくんを手に入れたくて、いろいろな努力をしたの。万能な女の子になりたかったし、アキラくんを少しでも身近に感じたかった。ボイスパーカッションも男声も、それの一環」

 

 なーんで、愛情も努力も履き違えちゃうんですかね(疑問)。

 

 だが、ボイスパーカッションは論外としても、あの男声には正直驚愕した。引き出しの多さは利便性に繋がるし、こういう輩は食いっぱぐれることはない。ヒモ好感度、プラス10くらいはある。


「その男声、幼稚園の頃に習ったって言ってましたけど、誰からそんなもの教えてもらったんですか?」

 

 水無月さんはぴくりと身じろぎし、躊躇ためらいがちに口を開く。


「……モモ先生」

 

 瞬間――声が聞こえた。

 

 ――あの子たちのためよ

 

 優しくも切ない響き、どうしようもない郷愁を思わせる。母親を亡くしたばかりの俺を、可愛がってくれたあの声。

 

 ――アキラくん、あなたは

 

 そうだ、あの時、俺は。

 

 ――誰かに  して生きていきなさい

 

 そう、言われたんだ。


「……くん!?」

 

 気がつくと、汗だくになって、テーブルにしがみついていた。ヤンデレの前で弱みを見せるとはらしくもない、俺はうろんな記憶を打ち払う。


「すいません……ナットウキナーゼが足りなくて」

「そんな、納豆菌に中毒症状があるだなんて!? サブチリシンは、ただの消化酵素の一種じゃないの!?」

 

 必死の形相で階段を下りていった水無月さんは、納豆をかき混ぜながら戻ってきて、俺の顔面にパックごとソレを叩きつける。


「食べなきゃっ!!」

 

 純真無垢(物理)。


「食べてっ!! 食べるのよっ!! ナットウキナーゼを取り込んでっ!!」

 

 納豆で視界を塞がれた状態で、切羽詰まった叫声だけが聞こえてくる。無理矢理に口をこじ開けられて、ひたすらに納豆を流し込まれる。


「納豆を信じて!! 納豆を信じてっ!!」

 

 モモ先生……俺、元気だよ。今、ヤンデレに納豆を食わされてるよ。


 数分後、フォアグラの生産方法みたいになっていた俺を救ったのは、机上にあった無線機だった。


「ダーリン」

 

 フィーネの声が聞こえるや否や、俺を納豆まみれにしていた、納豆妖精水無月ナットウキナーゼ・フェアリーが動作を止める。


「取引がしたい」

 

 納豆を全て体内に取り込んでから、無線機を握った。


「悪いが、お前との取引に応じてやる義務も意味も見いだせない。こちらは楽しいお食事中だ、お前は敵だからナッパ(納豆パーティの略)には招いてやらない。お~け~?」

「条件なしで、あのふたりをダーリンに返すと言っても?」

 

 思わず――押し黙る。

 

 そんな返しを待っていたかのように、受話器からくすりと笑い声が聞こえた。


「だって、ダーリンに嫌われたら生きていけないもの。

 どんな立派な人間だろうと、なにかに縋らなければ、生きてはいけない。ソレは研究だったり愛欲だったり使命だったり虐殺だったり、高尚だったり低俗だったり……人によって、千差万別。フィーの場合は、“キリタニアキラ”だったりする」

 

 このタイミングで、人質を無償で解放する? なんのメリットがあって? 罠か? だとしたら、不用意にのるべきじゃ――


解放地点ポイントを教える。フィーは姿すら見せない。邪魔もしない。口すら出さない。もし、この契約事項を破ったら、アキラくんの前で腹を掻っ捌いてもいいよ」

 

 柔らかな吐息が伝わるような微笑が、線もなしに感じられた。


「切腹、って言うんでしょ? 日本における、旧式の責任の取り方」

 

 煙に巻くような語り口……フィーネがなにを狙っているかわからない。ただ、俺たちにとって条件が良すぎる。


「その口約束を守るという保証はあるの?」

 

 水無月さんが口を挟むと、露骨に声色が変わった。


「ハロー、お嬢様レディ。幾らチャンスを与えても、アキラくんから離れようとしないのね。まるで、アメリカセンダングサ……日本では『オナモミ』って言うんだっけ。

 オナモミの地方名、日本ではなんて言うのか知ってる?」

「いいから、質問に答えなさい」

「『破れば、ダーリンから嫌われる』。それ以上に、飾る言葉があるの?」

 

 沈黙を保ったまま、水無月さんは俺に無線機を返した。


「ヒモは、契約不履行を忘れない」

「To fight with one's own shadow……心に疑いがあるから、なんてこともないことすら信じられないのね。かわいそうなダーリン」

「ココはハワイだぞ、日本語を使えよ」

「『疑心暗鬼を生ず』。ダーリンのそういう理不尽なところも、フィーは大好きよ。頭の先から魂の底まで、愛で埋め尽くしてあげたい」

 

 熱っぽい声でそうささやいて、フィーネはポイントを指し示す。水無月さんは、手持ちの地図に印をつけて俺に頷く。


「……それじゃ、頑張ってね」

 

 怪しげな一言を添えられて、ブツリと繋がりが絶たれた。

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