語彙力のないヤンデレは、きっとすごく怒ってる

「これで終わりなのか!?」

 

 最後の日、あの人は、水中をたゆたっているようなとろんとした目つきで、自室で遊んでいるアキラを見つめていた。


「なんで、モモ姉がここまでする必要がある!? 所詮、ソイツは知らない子じゃねぇのかよ!? このガキ一人助けて、どうなる!? あんたの人生が破滅に終わって、それでいいのかよ!?」

 

 小さな男の子は叫ぶ私を見つめて、きょとんとした表情をしていた。


「愛してるのよ」

 

 あの人は、小さな声でささやいた。


「この子を愛してるの……この子だけじゃなくて、ゆいちゃんもフィーネちゃんも……私と一緒にいてくれた子たち、全員、愛してるのよ」

「だから、人生を懸けて救うのか?」

 

 微笑した彼女は、愛おしそうにアキラの頭を撫でる。


「あんたは……狂ってる……アドラー心理学についてでも語るつもりか……それとも、無償の愛アガペーを実証しようとでも言うのか……馬鹿げてる、ナンセンスだ……愛なんてもの、人間っていう種の存続のために、脳みそが作り出した幻にしかすぎねぇんだよっ!!」

「なら、〝その制服〟は幻なの?」

 

 女であるのに男子用の制服を身に着けた私は、心臓に言葉が詰まったような錯覚を覚え、自身の胸の中心を握り締める。


「渚」

 

 幼稚園教諭の彼女は、園児のような私に言の葉を授ける。


「人は孤独に溺れて死ぬのよ」

「だからって、自己犠牲で人生を終わらせるのか!? そんな体の良い結末でいいのか!? モモ姉は、誰のために生まれてき――」

「この子のため」

 

 保護下にいるアキラは、自身の生き方をしっているかのように、彼女に縋り付いて気持ちよさそうに目を閉じた。


「あの子たちのためよ」

「狂ってる」

 

 立ち上がった私は、悲観で顔を歪めながら絶叫した。


「あんたの愛は、紛い物だっ!!」

「渚……」

 

 外に飛び出して――走る。走る、走る、走る。

 

 めちゃくちゃに走って、死ぬほど汗をかいて、喉から喘鳴ぜんめいが漏れ始めた頃、私は電柱に手を置いて笑った。


「は、ハハ……ハハハ……」

 

 病気みたいに笑いが止まらなくて、〝死んだ兄〟の制服を握り締めて、今頃喪に服している自分がおかしくてたまらなかった。


「モモ姉はバカだ……フィーネ・アルムホルトはただのガキだが……何時までも、居所を隠し続けることができるわけがない……」

 

 私は、顔を上げた。


「先生か……本当に馬鹿げた職業だ……なんの得もない……クソみたいな……」

 

 生徒指導のクソ野郎の罵倒と蔑みを思い出しながら、私は何年かぶりに脳をフル回転させて、あの化物のようなガキに勝つための策を練り始める。


「絶対に教師にだけはならねぇ」

 

 恨み言のように、私はつぶやいた。


「絶対に」

 

 暮れていく空を眺めながら、私はただただ、あのアキラとかいうガキが憎たらしくてたまらなかった。




「先生」

「ん?」

「……なぜ、俺は先生に膝枕されているんでしょうか?」

 

 てっきり、お仕置きされるかと思っていた俺は、慈愛溢れる表情でこちらを見下ろしながら頭を撫でてくる雲谷先生を眺める。


「一番、効果的だからな」

「効果的、と言いますと?」

 

 先生が指差す方向に頭を向けると、無表情で机にナイフを突き立てる作業をしている作業員フィーネと目が合う。


「つまるところ、挑発行為ということでしょうか?」

「まぁ、そうだな。私を勝手にライバル視して、大事な生徒を景品に、謎のデスゲームを開催されると困るんだ。

 失敗したらこういう事態に陥ることを、肝に銘じさせておく必要がある」

 

 いい年しているのに、部屋着のショートパンツに着替えている先生の柔らかな太ももが、妙に顔の側面に当たって主張してくる。


 三十路に欲情して、責任をとる自体になど陥ったら、俺としては終わりである。心を無にして、俺は『今、俺を膝枕しているのは、行き遅れ行き遅れ……』と念じて打開を図った。


「桐谷。お前、髪がサラサラだな。どこのシャンプーを使ってるんだ?」

「いや、よくわかりませんね。大体、そういう美容面の管理は、淑蓮すみれに一任してるんで」

「ほう……」

「え、なんですか? ちょっと、急に頬突き始めるのやめてくださいよ!」

 

 どことなく楽しそうな表情をして、頬を突きまくってくる雲谷先生に必死で抵抗していると――急に先生が身を仰け反らせ、飛んできたナイフが壁に突き刺さる。

 

 人間とは思えない修羅の形相をしたフィーネは、全身を憤怒で震わせながら、瞳孔が開きかかっている目玉をこちらに向ける。


「殺す……殺して……殺す……」

 

 あまりの怒りに、語彙力を失ってらっしゃる。


「困ったな。私としては、平穏なバカンスを望んでいただけなんだが……なぁ、アキラ?」

「その歳で、よく生徒相手に恋人面でき――アイタタタタ! 先生! 先生!! 僕のお肌がおモチみたいになっちゃう!!」

 

 うにょんうにょんと俺の頬を伸ばしていた先生は、ナイフを投擲したフィーネの方を見つめて微笑する。


「フィーネ、お前が決着を望むなら、相手をしてやってもいい。

 だが――」


 怪訝な顔をしたフィーネに、先生ははっきりと言い切る。


「相手は、あの子たちだ」

 

 すごく嫌な予感がする!!

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