戦争(デート)の幕開け

 戦争デートが始まる朝――澄み渡った空気が印象的だった。


淑蓮すみれは、もう家を出たぞ」

「了解。計画通りに」

 

 マリアとの通話を終え、俺が待ち合わせの場所までおもむくと、目的のバス停には異常な〝行列〟が出来ていた。


「アキラくん」

 

 春らしい色合いのカーディガンを上に羽織った水無月みなつきさんは、桃色を基調としたスカートを身に着けており、美術館に展示されていそうな美脚を黒タイツで覆ってブーツを履いていた。


「は、初デートだから、緊張しちゃって……」

 

 恥ずかしそうに口元を押さえながら、彼女はもにょもにょとささやく。


「は、早く着きすぎちゃった……」

 

 しかし、恐ろしいのは、水無月さんが衆目を集めているのは、男性だけではないということだ。あからさまに、彼女目当てだと思われる女子高校生の群れが、スマートフォンを構えて、有名人のライブかなにかを観覧するかのように興奮で喚いている。

 

 それ以上に恐怖を覚えるのは、この俺でさえも、彼女が〝可愛かわいい〟と錯覚していることだ。バスに乗る予定もないのに、彼女の後ろにずらりと並んでいる老若男女たちのようにして、ひと目で恋に落ちてそのまま引きずり込まれてしまいそうな……最早、魅力の化物だ。


「あ、アキラくん」

 

 いじらしく目を逸らし、彼女は頬を染める。


「な、なにか、言ってよ……」

 

 や、ヤバい……即死ガチ恋する……!


「は、早く着いたって、何分前に着いたんですか?」

「12時間前」

 

 よし!! 正気を取り戻したリセット!!


「な、なぁ、キミ」

 

 水無月さんの後ろに並ぶ、チャラけた雰囲気をもつ金髪の男が、チラチラと彼女の方を見ながら急に口を出してくる。


「わ、わりぃんだけどさ、列、ちゃんと並んでくれる?」

「あぁ、はい。すんません」

 

 言うことは最もなので、俺が列の後ろに回ろうとすると――ふわりとシャンプーの香りがして、水無月さんが俺の指に自分の指を絡ませる。


「行こ?」

 

 素肌のきめ細やかさに不覚にもドキリとすると、列を形成している誰もが、ただ歩いているだけの彼女に見とれて視線を動かす。


「……アキラくん、指、細いね?」

 

 確かめるようにして、ゆっくりと俺の指をなぞる彼女の細い指先……顔を上げると、蠱惑こわくの瞳が微笑んでいた。


「コレ、全部、ゆいのものだから……手のひらの付け根から、爪の先まで……全部、ゆいのだから……誰にも何にも、触らせないでね……アキラくんの綺麗な指……ゆい以外には、触れさせないで……」

 

 手、繋いでるとこ見られたら、手首ごと切り落とされそう!


「アハハ! もちろんですよ、ゆい!」

「……裏切らないでね?」

 

 心臓が冷えていくほどに、俺の底を覗こうとしている二つの目玉は、暗暗としていて深淵しんえんを思わせた。


「もちろん!」

 

 これから、裏切る気まんまんでぇす!!


「今日のデートは、楽しみましょ――」

 

 マリア専用に音を変えている〝警告音〟が鳴り、俺は「ちょっと、すいません」と列を離れて電話をとった。


「あ、あんたの妹、戻ってる!! 家の方に戻ってるわよ!?」

「……案の定か」

 

 右耳に飛び込んできたつんざくような悲鳴に、俺は落ち着き払って返事を返す。


「あ、案の定ってあんたね!! 待ち合わせ時刻まで後一時間弱はあるんだから、あんたは、まだ〝家にいないといけない時間〟なのよ!?」

「落ち着け。淑蓮がこのデートに疑いをもつのは当然だ。都合よくシングルチケットを手に入れられたと聞いて、何の疑問ももたないような子じゃない」

「じゃ、じゃあ、あんた、何か対応策があるのね?」

「いや、考えているうちに寝落ちしたから何もない」

「ふざけんな!!」

 

 耳を離して通話口を塞ぎ、俺は怒鳴り声を閉じ込める。


「水無月さんとの待ち合わせ中に動くわけにはいかないし、俺は数分後にくるバスに乗らざるを得ない。

 だから、お前が止めろ」

「お、お前が止めろってどうやって!?」

 

 数秒間、俺は考え込んで答えを出す。


「……タックル?」

「死ね!! ホントに死ね!!」

「アキラくん? どうしたの、大丈夫?」

 

 近寄ってきそうな水無月さんに「大丈夫です」と笑顔で手を振り、俺はマリアの方へと意識を戻す。


「なんでもいいから、どうにかして止めろ。どちらにせよ、淑蓮だって、集合時間には遊園地に着いてないといけないんだ。時間を稼ぎさえすればいい。でも、絶対に家には入れさせるなよ」

「ちょ、ちょっと、ふざけん――」

 

 電話を切って、俺は水無月さんに向き直る。


「すみません。どうやら、俺が忘れ物したらしいと、両親が勘違いしたらしくて」

「ううん、大丈夫」

 

 水無月さんは、そっと俺の手を握る。


「今日は、(アトラクションで)怖い目にっちゃうかもね」

「そうですね。きっと、(ヤンデレで)怖い目に遭っちゃいそうですね」

 

 俺は、今、上手に笑えているのか……誰か教えてくれ。




 お兄ちゃんは怪しい。

 

 シングルチケットを都合よく手に入れていたのもそうだけど、お兄ちゃんに対して偏執的へんしゅうてきだった『衣笠由羅きぬがさゆら』が、お兄ちゃんと話し合った直後に、不平不満を漏らさなくなったのも奇妙だ。

 

 そう思ったからこそ、1時間後に現地で合流する手はずだった淑蓮は、兄の虚をつくために、途中でバスを下車して自宅付近へと戻ろうとし――


「ど、どうも~」

「……あ?」

 

 昨日の放課後デートに同行していた、衣笠麻莉愛マリアに出会った。

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