桜立国・日本

@iwao0606

第1話

「ああ、また壊れてやがる! このオンボロめ!」

 腹いせに自動改札を蹴り上げるが、吸い込まれた定期が返ってくるわけじゃない。

 しかも蹴り上げたときに当たりどころが悪かったのか、つま先はじんじんと痛む。

 もしも師匠がいれば、どんなものにも神さまがいるのだから、と拳骨が飛んでいるだろう。

 とりあえず、俺は自動改札に謝っておくことにした。

「悪かったよ、オンボロとか言って」

 しかし、改めて言おう。定期が返ってくるわけじゃない。

 半纏の裏ポケットから懐中時計を出せば、まだ早すぎる時間だ。

 駅員が改札に切符を切りにくるのは、だいたい観光客が下車する10時ごろ。

 俺は渋々、駅員室へ向かうことにした。

 朝のお茶を堪能していた駅員の田辺さんは、俺の顔を見るや否や、またか、と顔を歪めた。

「オンボロの自動改札が悪い!」

 俺は毎朝、変わらぬ主張をする。

「せめて、時代が入っていると言っておくれよ」

「定期を返してくれるなら、言うぜ」

 やれやれと思い腰をあげる田辺さんは、高齢化が著しいこの町では若めの六十六歳だ。

 田辺さんは自動改札の蓋を開け、慣れた手つきで、詰まった定期を出してくれた。

「毎朝毎朝、ありがとうございます」

「いいってことよ。これももうちょっとしっかり動いてくれたらな」

 田辺さんは、朝のひかりに照らされた鈍い銀色の自動改札を撫でる。

「これがちゃんと動いていたころは、切符を切らずにも済んだのに」

 白い手袋の下から茶色の湿布がのぞく。

 この時期は毎日と言ってもいいほど、この町ではさばきれないほどの観光客があふれる。

 観光客は物珍しさと自動改札の不具合から、切符を切ってほしいと駅員のほうへ行くのだ。

 春の田辺さんは腱鞘炎を押して、切符を切る日々なのだ。

「田辺さんも大変だな」

「なぁに、すぐに慌ただしい季節も終わる。一番の稼ぎ時と逃すわけにはいかないからな。それに俺なんかより、お前さんのほうが大変じゃねぇか」

「はは、明日はこいつが詰まってくれないことを祈りますよ」

 改札を抜ける俺を田辺さんはいつものことのように見送ってくれた。

 暗い改札を抜ければ、広がるひかりのまぶしさに目を細める。

 ひらひらと朝のひかりを反射して、桜の花びらが降り注いでくる。

「……今日も散らずに稼がせてくれよ、桜さんよ」

 もうここには桜以外何もないのだから。


 俺の職場、もとい山頂にある桜の古木までは、長い石段の参道が続く。

 観光客はこの参道を登って、この町の名物である桜の古木へ向かうしかない。

 電力の配給が少ないこの町では、エスカレーターやロープウェイ、トロッコなんてしゃれたものはない。

 ひとを雇って、背負子に座るしかなかったりする。

 参道の脇には桜の木が連なっており、その下に小さな茶屋や土産屋が店を出している。

 幟のぼりには、桜餅、桜湯、桜饅頭、桜煎餅………。

 何もかもが桜だらけ。

 それもそのはず、この国には桜以外の資源が失われてしまったのだ。

 百年ほど前は、Japan as No.1とか技術立国・日本なんて時代があったそうだが、学のない俺にはわからない。

 わかるのは、いまの日本は桜を中心とした観光業で、少しでも外貨を獲得するしかない貧乏国になったということだけだ。

 金を持っていた奴らは、とっととスイスやらシンガポールへ移住し、そこで日系何世かになっている。

 息を切らしながら山頂まであと一歩というところで、俺は思わず足を止める。

 大きな鳥居の向こうに、巨大な桜の古木が枝を大きく空に伸ばしていた。

 威厳のある佇まいでありながらも、優しく花びらが降らせるその姿に、俺は毎朝動けなくなってしまう。

 しかし、今日はその光景にうっとりする暇もなく、キンキンとした声が頭上から降ってきた。

「遅いわよ、桜守!」

 仁王立ちで、長いポニーテールをたなびかせる。

「朝からうるせぇよ! 耳がキンキンするだろ!」

 俺を見下ろすスーツ姿の女は、染井。

 最難関大卒で、国土交通省観光庁からこの町に出向している役人だ。

 国の一番の資産である桜に問題がないよう、開花の間、重要性の高い町にはこうやって役人が派遣されることがあるのだ。

 奈良の吉野のように立派な桜の名所ではないが、この町にはとある品種の桜の原木があるからだ。

「見なさいよ、この桜の木の枝、折れているじゃない!」

 染井は古木の小枝を指差す。問題があったら私の出世に響くじゃないと言わんばかりの勢いだ。

 細かいところまでよく気づくな、と思わず関心してしまう。

「桜折る馬鹿、梅折らぬ馬鹿って言葉があるじゃないの知っているかしら?」

 暗に俺を馬鹿にしているヒステリー女に、俺は静かに言ってやる。

「昨日の強風で折れたんだろう、ちゃんと治療しておく。これくらいで響くようなヤワな木じゃない」

「もし、この木が枯れたら、あんたのせいですからね!」

 言質は取った、とボイスレコーダーを掲げられる。ハァーと俺は小さくため息つく。

「仕事の邪魔だ、どいてくれ」

 木に登る俺の背に向かって、「ちゃんと仕事しなさいよ!」と捨て台詞を吐いて染井は参道を降りて行った。

「くわばらくわばら」

 登り終わった俺はその小さな後ろ姿を見ながら、仕事道具の塩を撒いておいた。

「しかし、あいつすげぇな」

 低いとは言え、黒のパンプスでよく勾配の高い参道を昇り降りできるな、と感心してしまう。

「さて、仕事だ」

 途中で折れたところを付け根まですっぱり切り落としてしまう。桜折る馬鹿の言葉のとおり、桜は折れたところから悪くなってしまうからだ。そして、癒合剤を塗布しておけば、仕事は終わりだ。

 むしろ、一番の仕事はこれからだ。

 この町の名物である桜の古木は、少し変わっている。

 二週間ほどの間、この木は決して花が途切れない。散ったとしても、次から次へと花を咲かせるのだ。だが、ある日を境にぱたりを花を咲かせなくなってしまう。

 そのため、開花中はものすごく養分を必要とし、毎日栄養剤や肥料の補給が欠かせない。

 桜の古木は「木花咲耶姫」と呼ばれ、現在、日本で普及しているソメイヨシノに次ぐサクヤという品種の原木とされている。

 観光客が来る前に、と俺が肥料をやっていると、「もし」とか細い声が後ろからした。

「もし、あなたさまはこの町の桜守ですか?」

 えらく古風な呼びかけに、俺は思わず「はぁ……」と生気のない返事を返してしまう。

「ああ、それはよかったです! ワタクシ、ユンファと申します」

 四十五度の美しいお辞儀に、俺も鳥打帽を脱いで挨拶を返す。

「ワタクシ、この町の桜の木を売ってほしくて参りましたの」

「それはできかねる話だ」

 国の一番の宝が桜である現在、国外への桜木の持ち出しは固く禁じられている。

 特にこの町の桜はほぼサクヤだ。この品種は国外へ持ち出されたことは一度もおらず、希少性から重要な外貨獲得のための資源として位置づけられている。

「ワシントンかどこかで株をわけてもらうといい話だ。あんたも知っているだろう、持ち出しは禁止だ」

 かつて国家間の友好の証に送られた桜が、国外にはある。

 それらは取引が禁止されていないため、唯一の桜を手にいれることができる合法的な手段だ。

「それではだめですわ、あの国の桜はこの国のように、花が散らないですもの」

 舞い散る花びらを見上げ、ユンファはふわりと笑った。

「この国の桜は、よく散ります。まるで慈しみの雨のように、そっと。とてもきれいです」

 短く切りそろえられたユンファの髪が、花びらとともに風に揺れる。

 同じソメイヨシノでも、土壌が違うせいなのか、国外のものはあまり散らない。

 だから、サクヤを試したいのだろう、という気持ちはわかる。

「一本でいいのです。そうすれば、あなたさまに十億差し上げますわ。もちろん、国外への持ち出しのルートはこちらが準備させていただきますし……」

 ユンファは次々と恐ろしく魅力的な条件を提示していく。本音を言えば、食指が動かないわけではない。

「無理だな、これはどんな理由であれ、譲ることはできない」

「……どうしてでもですか?」

 ユンファは黒曜石のように美しい瞳で、俺を見上げる。その姿に少しくらっとする。

「無理だ」

「……ワタクシの名前はユンファと言うのです」

「それはさっき聞いた」

「櫻の花と書きます。父が母をひとめぼれしたのは、櫻の花の下だったのです。だから、ワタクシの名前は櫻花ユンファとなりました」

「それはたいそうなラブストーリーで」

「父は病気で死にそうなのです。だから、ワタクシはどうしても父にこの桜をもう一度見せてあげたいのです」

「それはご立派で」

 櫻花は泣き出しそうに目を潤ませているが、泣くまいと必死に唇を噛んでいる。

「あんたにはあんたの事情があるとは思うが、俺にも俺の事情があるんだ。諦めて、国へ帰りな」

 やりかけの仕事に戻れば、櫻花はしばらくそこに立ち尽くしていたが、踵を返して駆けるように参道を降りていった。


 仕事終わりに出店の茶屋でほうじ茶と三色団子を楽しんでいたら、巡回中の染井とぱっちり目が合ってしまった。

「桜守、ちゃんと仕事はしたんでしょうね!」

「それはもうきっちりと。なんなら確認するか?」

 俺は半纏からポロライド写真を取り出す。その写真を上から下へと舐めるように確認した染井は、「いいでしょう」と判子を押してきた。

「それより染井、桜の木を十億で売ってくれと言ってきた少女がいたぞ。そっちこそ仕事しろよ」

「どこからそんな話来たのよ! どういう女! 特徴は!」

 染井は目をギラギラと輝かせ、前のめりになる。

「髪はおかっぱで黒い。ユンファっていう名前だ。櫻の花と書くんだそうだ。多分、顔からして華僑と日本人のハーフじゃねぇかな」

「でかしたわ、桜守! さっそく捕まえて来るわ」

「国際問題にするなよ」

「私を誰だとお思い?」

「………国土交通省観光庁の染井さま」

「わかればよろしい!」

 ぴょんぴょん揺れて遠ざかるポニールテールに、ため息を漏らす。紙の上の問題は天才的にこなせるが、現実はポンコツな「ペーパー馬鹿」と言いかけたのは秘密だ。

 そのペーパー馬鹿は足腰だけは丈夫なのか、すぐさまユンファを捕まえてしまった。

「この女でしょう!」

 誇らしげにユンファの襟元を掴んだ染井に、俺は思わず頭を抱えた。

 捕らえられたユンファは、泥だらけで、両足の膝から血がだらだら流れている。ひっくひっくとしゃくりをあげるユンファに、俺は同情した。

「合ってはいる」

「じゃあ、さっそく尋問よ。警察署まで来てもらうわ」

 桜に関連する事項ならある程度権限があるとは言え、さすがにやりすぎだ。

「お前な、染井、その前に治療してやれよ。痕が残ったらかわいそうだろう」

「スパイにそんな甘いこと言えるの!」

「まだ小さな女の子だろう。お前みたいな責任能力の問われる大人じゃない」

「この歳くらいになれば分別くらいはつくわよ。桜の密輸する意味を理解するくらいには十分な歳だわ」

「もういい、染井。そのまま押さえていていいから、俺が治療する。悪いな、ユンファ。少し触る」

 ユンファの靴下と靴を脱がせ、たらいに貯めた水で注ぐ。

「しみるかもしれないが、我慢しろよ」

 春のぬかるんだ泥が、清らかな雪解け水に溶けていく。消毒液を塗るたびに、ユンファは顔を歪めたが、そのまま続けた。ガーゼとその上から包帯を巻き、泥だらけの靴の代わりに履物を履かせた。

「……ありがとうございます」

「さぁ、警察署へ行くわよ!」

「待て、染井。しょっぴくな」

「何よ、もう! 治療はしたでしょう!」

 染井はぷりぷりと怒るが、俺は無視して、ユンファに向かい合った。

「桜はこの国残された最後の宝だ。これを持ち出されてしまったら、俺たちは全員餓えるしかない」

 この国は桜でひとを呼び込むことでしか、もう外貨を獲得する手段は残っていない。

「死に行くお前さんの親父さんひとりと、生き続けていかないといけない俺や染井をはじめとする国民全員を天秤にかけるなら、俺は後者を選ぶ」

 それぐらいにこの国は逼迫している。

 ひどい言い方に、ユンファは大粒の涙をぽとぽととこぼす。自分の肉親を「死に行く」と表現するなんて、非情だと俺も思う。

「悪いな、だから桜は売ってやれない」

 ユンファは本当に悔しそうに眉をひそめる。

「だから、これをやるよ」

 俺を差し出すものに、ユンファは目を丸くした。

「これって、写真……」

「桜の木は持ち出せねぇけど、写真はいくらでも持ち出せるだろう」

 ポラロイドカメラで桜の古木を撮った写真だった。

「動画や立体映像がいいなら、自分で撮れよ。俺にはそんなハイテクなもん、持ってねぇからな」

「………っ……!」

 ユンファは写真に向かってますます激しく泣いた。写真が皺にならないように気をつけても、指先が白くなるほどつよく握りしめている。

「……これって、私に言う必要あったの? 捕まえ損じゃない?」

「一応、桜守の俺はお前に報告義務があるだろう。仕事をしただけだ」

「あんたのそういうところ、迷惑だわ」

 染井は大きく頬を膨らませ、そっぽを向いた。


 幸か不幸か、この国には桜しかない。

 これは桜とともに生きて行くしかないひとびとたちの物語。

 桜立国・日本。

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