首無しの物語

@iwao0606

第1話

 戦況は膠着していた。

 たがいに決め手が欠けるなか、ただいたずらに時が過ぎていくことに、大公はがりりっと親指の爪を噛んだ。

「どうにかせんか!」

 部下をどなりつけても、打つ手がないことを、大公が一番よく知っていた。

(ここで皇国を退けることができれば……)

 大公は夢想する。大陸の覇権はいよいよ自分のものになる。

 なのに、その一歩がひどく遠かった。


 勇者の手によって魔王が倒されてから、早二年。

 魔王の支配下にあった土地は、統べるものを失い、大空白地帯となっていた。

 未開拓ながらも豊富な地下資源を有する土地に、我先にと権力者が群がった。屍肉に群がる獣のような浅ましさに、新たな血を流れた。魔王の眷属によって日々を脅かされていたひとびとは、平穏を祈っていたのに、訪れるはずだったものは、遠い夢と消えた。


 天幕の外が騒がしかった。

「なにごとか?」

 悲鳴、剣戟の音、誰かを止める甲高い声。

 徐々に大きくなる物音に、大公は身を竦めた。まさか敵軍が攻め込んできたのではないだろうか。大公は離脱するために、腰をあげようとした、その瞬間だった。

 乱暴に天幕が開いた。

「お前はっ……」

 大公は怒りに満ちた眼で、その男を睨んだ。

「お困りと聞きまして参上いたしました、大公さま」

「お前など呼んでおらぬわ、この堕落者め!」

 侮蔑に満ちた顔で見下ろす大公などに気にも止めず、男は深々と頭を下げた。

 いや、下げる頭などなかった。文字通り、その男には首がなかったのだ。

「帰れ! お前などに用はない! 魔物などに借りを作らぬわ」

 確かに、男は魔物だった。<首無し騎士デュラハン>と呼ばれる類で、もとはひとであったものたちだ。

「それは困ります。我が主はあなたさまこそ大陸の覇者にふさわしい、とおっしゃられているのです」

 その言葉に、大公は急に顔色を変えた。

「勇者の力をあなたさまへお貸ししようと考えられ、私を派遣されました。主の願いを叶えずに帰えれば、叱られてしまいます」

 <勇者の力>と聞き、大公の喉がごくりと鳴った。

 どんな人間でも倒せなかった魔王を滅ぼした勇者。その力が手に入る、と大公の目が欲に濡れた。

 それに、神よりひとに授かった勇者は、神の代弁者でもある。

 神の後ろ盾もつくのであれば、大公の隆盛はますます高くなるはずだ。

「……話を聞こうか」

 大公は世の支配者としての己を思い浮かべ、椅子のうえでふんぞり返った。


 荒れ野で響き渡っていた刃の音が、突然消えた。

「何だ?」

「ここに来ていきなりを退いてきたぞ」

 潮が引くように敵軍がまばらになるなか、波に逆らう影がひとつ見えた。

「首無し騎士だ!」

 魔物が戦場に現れたことによって、兵たちの心は千々に乱れた。

 再び魔王が現れたのではないか、という不安が兵たちのあいだを、早風のように吹き抜ける。

「あいつ、何かおかしくないか!」

 兵のひとりは、首無し騎士を見て叫んだ。

 首無し騎士は得てして、腕のなかに自らの頭蓋骨を抱えているものだ。

 しかし、この首無し騎士は、代わりにひとりの少女を抱えていた。

 少女は安心しきったように体を預け、おだやかな笑みを浮かべている。

 にもかかわらず、彼女の目蓋に施された封印は、禍々しいものだった。古代文字で呪詛にも近いもので、両の眼からひかりを奪っている。

 、首無し騎士が彼女を地面に下ろすと、見えないことに慣れていないのか少しふらついた。

 分厚く大きな鋼の籠手が、そっと彼女の目蓋に触れた。古代文字が血よりも赤く染まり、荒れ狂う。少女の目蓋は無理にこじ開けられ、虚ろな眼が天を移した。

 青く澄んだ空だった。

 上空では鷹がゆっくりと旋回している。

 だが、<首無し騎士>は少女の顎を抑え、地面を見させた。

「さぁ、眼を開いて見てみるんだ。君を見るものたちを」

 ぼぅとした景色が、やがて輪郭を帯び、鮮明すぎるほどまでに映った。

 無念を抱いて死んでいったものたちの眼。

 勝手に名を奪われ、勝手に紋章の名の下に立たされた、ひとびとの眼。

 血と体液に汚れ、無言のままに訴えかける。

「あああああああああああああああああああああああああああああああ」

 少女は咆哮をあげた。

 甲高く、切なげにも聞こえる咆哮は、荒れ野にこだました。

「あんななまっちょろい女が戦場に来るなんてな。殺すなよ。あとで回したいからな」

 咆哮などものともしない兵のひとりが、下卑た笑みを浮かべ、少女の肢体を舐めるように見つめた。

 健康的で白い足が、そっとスカートから覗く。

 戦場で餓えた兵たちには、少女は格好の獲物だった。

「眼! 眼! 眼! 眼! 眼! 眼! 眼! 眼! 眼! 眼! 眼!」

 少女は恐怖のあまり、己が体をぎゅっと抱きしめた。

 その様子に好機だ、とばかりに兵が手を伸ばそうとした。瞬間、少女とその兵の視線が交わった。

 ぐらり。

 兵の視界が揺れた。

 ごとり。

 首が地面に落ちる。ひと跳ねしたあとで、ころころと転がった。

 瞬時に、誰もが何が起こったか、理解できなかった。

 ようやく理解できるようになったのは、何百もの兵の首が地面に落ち、赤き血潮が大地を満たし始めたときだった。

「こんな女にやられてたまるかあああああああああああ」

 剣を振り上げて己が命を守ろうとする兵たちのあがきもむなしく、首は切られる。

「うわぁああああ、来るなぁぁぁぁあああああああああ」

 恐怖のあまり歩けなくなった兵たちの首も容赦なく切られた。

「怖い! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い! 怖い!」

 少女は言葉とは裏腹に、駿風が木々を薙ぎ倒すように、大鎌で兵の首を落としていく。

 少女が通った後には、ころころと首が転がる。

 どの顔も、圧倒的な力の前に己が弱さに絶望するものばかりだ。

 少女の後ろを、悠然と首無し騎士が続いた。

 ぐちゃりぐちゃり、と落ちた首を踏みしめながら。

 踏んだ拍子に、眼球が転がり落ちることがあった。

 首無し騎士はそれさえも丁寧に踏み潰した。跡形もなく、もう二度と少女を見ることのないように。


 やがて、荒れ野には少女を見るひとはいなくなった。

 ほっと溜息を漏らすと、膝から崩れ落ちるように少女は倒れた。

 羽のように軽い体を首無し騎士は受け止めると、そっと抱きかかえる。

 そして、少女の目蓋に塞いだ。

「おつかれさまでした。もうこれであなたを見るひとはいませんよ」

 その言葉に安堵の笑みを浮かべ、少女は気を失った。

 首無し騎士は、少女を深く抱きしめた。首があれば、きっと口づけしたように見えたのかもしれない。

 しかし、首が無いいま、それはただの抱擁にすぎなかった。


 戦に勝ったと知った大公は、歓喜の声をあげた。

 たったひとりで何万ものの兵を殺すことができる。

 大公は勇者の力を手に入れた事実に酔いしれた。勇者の力さえあれば、何でもできる。大陸の覇権になった自分を夢想し、大公の体は震えた。

 だから再び首無し騎士が天幕を訪れても、警戒心なく受け入れた。

 勇者の行方を尋ねると、力を使い疲れている、と首無し騎士は答えた。

「このわしが宴を催そうと思ったのにな」

「大変申し訳ありません。久しぶりの戦いに、主も疲れ切ったのです」

 首無し騎士は困ったように言った。

「よいよい。わしは寛大だからのぅ」

「慈悲深き大公さまの御心を、我が主にお伝えしておきます」

「そうじゃろう、そうじゃろう」

 大公は気を良くして、胸を張った。

「で、次の戦いなのだが……」

 そう言おうとしたところで、大公の頭はぐちゃりと握り潰された。

 柘榴が割れ、実がこぼれ落ちるように。

「ひぃっ……」

 傍仕えの男が悲鳴をあげようとしたが、声をあげることもできないままに、喉元に短剣が突き刺さった。

「あなたごときが、勇者の力を手にできるなんて、思い上がりも甚だしいですね」

 首無し騎士は、ぐちゃりぐちゃりと何度も大公の頭を踏みつけた。

 脳髄が飛び散り、首無し騎士の足元を汚す。

「役立たずが、最後までひとの足を汚すなんて。本当の役立たずですね」

 侮蔑に満ちながらも、ひどく弾んだ声だった。

「けれど、大丈夫ですよ。役立たずのあなたでも、ちゃんと役に立てるようにしてあげますから」

 魔法陣が浮かび、黒い泥が這いずり出てきた。首のない大公の体を泥が包んだ。朽ちていくだけの体を、異形のものへと変えていく。

 やがて、泥が大公だったものをすべて生まれ変わらせたとき、新たにひとり首無しの骸骨兵がこの世に生を受けた。

「心細いですか? でも心配することないですよ、大公さま。ほら見てください」

 首無し騎士は、天幕を開いた。

 そこには何万にもなる首無しの骸骨兵たちが、カタカタと骨を鳴らす。

「あなたはひとりぼっちではありませんよ。あなたの命で奪われた何万人ものの兵もあなたのように、骸骨兵になってもらいましたから」


 突然の大公の死に、権力者たちは恐れおののいた。

 魔王が倒されたいま、勇者と首無し騎士は新たなる脅威だった。

 勇者がひとの首を切り、首無し騎士が新たに眷属の骸骨兵たちを生み出す。

 いまや、骸骨兵たちは数十万にも数が膨らんだ。それゆえに、勇者と首無し騎士は一大勢力として知られるようになった。

 権力者たちは、口々に言う。

 まさか魔王を倒した勇者が首切りになり、彼女の守護者だった男が<首無し騎士>になるなんて、滑稽な話だ、と。


 かつて異なる世界から召喚された少女は、勇者として祭り上げられた。

 事実、彼女は勇者の力を授かり、この世の誰にも敵うほどのない膨大な力を有していた。

 世界中のひとびとは、その力を神よりひとに授かりしものと考え、世の脅威をもたらしていた魔王を倒すために使われるべきだ、と信じた。

 ひとびとの願いに応え、少女は魔王討伐の旅に出た。

 少女にあたえられたのは、わずかばかりの金と五人の仲間。

 使命の重さには見合わないほどのささやかものだったが、少女は微笑み、それを受け入れた。

 奪われるもののほうが多い旅だった。

 初めは五人だった仲間も、どんどん数を減らし、魔王の下にたどり着くころには、少女と彼女の守護を命ぜられた騎士だけだった。

 小さなこころが張り裂けそうになりながらも、少女はひとびとの安寧を信じ、魔王を倒した。

 それは死んだ仲間の願いでもあったからだ。

 けれど、信じた未来は訪れることなかった。その先にあったのは安寧ではなく、より大きな混沌だった。

 少女は混沌を助長する存在として、渦中に巻き込まれた。

 帰りたい、帰りたい、と少女は幾夜も啜り泣けば、こころは乾ききり、ひび割れてしまった。涙が枯れるころには、こころが砕け散ってしまった。

 少女が初めて首を切ったのは、彼女の傍らに寄り添い続けていた騎士だった。

 召喚された日からずっと少女を守護し、魔王討伐で唯一生き残った男でもあった。

「眼が怖いの」

 そんな理由で、首を切られたとき、初めは少女への憤りしかなかった。

 異なる世界から来た少女が、不自由ないように公私問わず大事にしたつもりだった。

 長い旅のなかで、妹のようにさえ大切に思えたひとだった。

 それなのに、この仕打ちか、と騎士が憤った。

 部屋の片隅に飛ばされた意識の残る頭で、騎士は無念を晴らそうとした。

 幸い騎士は魔法にも通じており、呪文ひとつ唱えれば、無防備に背中を向けた少女相手に仇を打つくらいはできると考えた。

 だが、騎士はすぐに己の傲慢さに気づいた。

 少女は首のない躰に心底安堵したように身を寄せ、小さな笑みを浮かべている。

 それは旅の途中、何度も騎士だけに見せたものだった。

 そこでようやく騎士は思い当たった。

 もの知らぬ少女に世界を救え、と己も強いたことに。

 大事な家族と別れても、心を寄せていた仲間を喪ってしても、少女は世界を救わなければならなかった。

 少女は勇者だったからだ。

 そうであるべきと強いたにもかかわらず、少女は首の無い躰に縋りついて、何度も己が名を呼んだ。

 ぴくりとも動かない躰を見つめながら、騎士は昔のように少女のしなやかな髪を撫でてあげたい、とぼんやり思った。

 そうすれば、少女は淡く頬を染め、もごもごと口ごもる。そんな少女の姿を、また見たいと思った。

 騎士はともにあるための呪文を唱える。それは己を魔物へ堕とす禁術でも、騎士は構うことなかった。

 小さな少女を圧し潰した世界と己への憎悪に、身を焦がしながら。

 <首無し騎士>は生まれ落ちた。


 今日も魔王の領地を巡って、血が流れる。

 戦場を見下ろす岩壁のうえで、首無し騎士は少女を腕に抱える。

「私が救いたかった世界はこんなものか、と絶望する日々ですよ」

 すやすやと穏やかな寝息を立てる少女に、首無し騎士は語りかけた。

「でもそんなくだらない私の世界ですら、あなたは救ってくださいましたから」

 だから、今度は彼女の世界を救う番だ。

 ひとの眼が怖い、と何度も泣くのなら、誰も彼女を眼に映さないようにすればいい。

「せっかく健やかに寝ているところ、働かせるのも申し訳ないですね。もっと兵が欲しかったですが、仕方がありません」

 首無し騎士でも、首を切れば兵を作ることはできる。

 けれど、それらは絶望や憎悪の感情を抱いてくれることが少なく、なかなかいい兵になってくれない。

 圧倒的な力を持つ少女が、首切りをしてくれれば、効率良くいい兵を作ることができる。

 彼女の世界を救うには、力を借りるのは心苦しいが、失敗するよりはましだ。

「かわりにみなさんに働いていただきましょうか」

 地面に突如湧いた黒い泥濘から、首無しの骸骨兵たちが現れる。カタカタと骨を鳴らし、世界を救う喜びの唄を奏でる。

 少女の世界が救われる日は、そう遠く無い。

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