十一 注目される転入生

 高場乱の興志塾には「休日は毎月1日と15日」、「病気の時と夜中以外、寝転びながら読書してはならない」「当番の物は清掃や朝食の支度を行うこと」などの決まり事があり、全寮制学校のように生徒たちが住み込みで学んでいた。

 眼科の方に患者が来ていない時に授業が行われ、「室内で暴れないこと。ただし庭先でならよろしい」などという塾則もあったので通院する患者は相撲などで盛り上がる塾生たちを横目に見ながら出入りすることもあっただろう。


「若い人が多いですが隣は塾か何かをやっておるのですか」

 “片目が急に見えづらくなった”と訴えて医院を訪れた若い大柄な患者――頭山満は部屋の外を見ながら、目の前に座る小柄な医者――高場乱に尋ねた。

「ああ、こんな時代だからね。国士を目指すような大きな志を持った若者を育てたいと思ったのだが……気力の有り余ってるやつばっかり集まってしまって近所から“豪傑塾”だのと呼ばれておる」

「ほお。ところで私も入ってみたいのですが」

「やめとけ。他の塾生は人を殴り倒して牢獄にぶち込まれるぐらいはどうとも思わない腕白モノばかりじゃ。穏便には過ごせぬぞ」


 興志塾の塾生が荒くれ者ばかりになってしまった理由は2つある。

 一つは塾長高場乱の方針あるいは性格や精神性といったものが、他の塾ならばさじを投げられ集団組織から排除されかねないレベルの暴れん坊でも喜んで迎え入れたこと。

 もう一つはそんな暴れん坊を歓迎しすぎて興志塾がむしろおとなしい人の入ってくる方が危ない集団になってしまったことである。なので温和そうな若者が入塾を希望した場合、この時の頭山満のように他所の塾に行くことなどを逆に高場の方から薦められていた。

「そういう風に言われると尚更面白そうに感じます」

 まあ、今回の場合頭山満は興志塾のノリにめちゃくちゃ馴染むタイプの若者だったわけだが。

「ああ、君はそっちの手合いかあ……。なら試しに入ってみれば良い」

 頷いた頭山満は意気揚々と塾生たちの集まる方へ踏み込んでいった。

「すみません。言ったら聞かない子で……。悪い子ではないんですがきっと面倒をたくさんかけると思います」

 満に付き添ってきた義母の歌子が乱に頭を下げる。

「構いませぬ。既にいるやつらが大概ですからな。ところでつかぬことを伺いますが貴女は……」

「義理の母です。彼と歳はあまり変わりませんが男手がいなくなってしまって親類から婿養子に来てもらいました」

「それは失礼した。色々と大変でしょう」

「そちらこそ女手一つであんなたくさんの塾生たちを指導なされて」

「貴女はこの月代を剃った頭が女のものに見えるのか?」

「……いえ。あ、入塾の場合はお代って」

「先に言っておきますが、あまり多く持って来られても困りますからね。前に入塾してきた横田毒という奴は鯛を3尾も持ってきて……1尾は塾生にやるとして2尾もらいましたが残りは持ち帰らせました。その兄も饅頭を持ってきましたが結局半分は持ち帰らせました。食べ過ぎも毒ですから持ってくるなら多すぎないように頼みます」

「……そんな感じで大丈夫なのですか?」

「飯の種は父祖から受け継いだ眼医者の仕事であって、塾の方は私一人の道楽ですから。……そろそろ向こうの様子も見ておくとするか」

 高場乱は立ち上がって塾へと向かった。


「もう良い頃だろうか」

「煮えたみたいだな」

 義憤に燃える愛国志士といえども、常に藩閥政治打倒の権謀を巡らせていたわけでもない。この時塾生の何人かは鍋料理の完成を待っているところだったが、ちょうどそのタイミングで頭山が入ってきた。そしていつもの彼らしく入って早々に鍋を囲む席に混ざり、最初からいたみたいな面で出来上がった鍋料理を食い始めた。

「え、どちら様?」

「俺の分の箸……」

「皿も新しいのを出してこなくちゃならんぞ」

 そこに高場が来ると、頭山の姿を見てにこにこと微笑んだ。

「結構なことだ。もうそんなにご馳走されて」

「勝手に食われたんですけど」

「先生、こいつは患者じゃなかったのですか」

「元患者、そして入塾希望者だ。仲良くしてやってくれ」

「えぇぇ……」

「俺たちが言うのもなんだが随分と濃ゆいのが来たな……」


 マイペースな性格の頭山は気質的には興志塾の校風によく合っていたが、最初から他の塾生たちと馴染めたわけではなかった。むしろいじめに遭いかけたらしい。

「オイ、貴様は西新町のコチャポンドノ(与太侍)じゃげなね」

 高場乱の塾に入ってきたばかりの時、頭山は箱田六輔か誰か先輩の塾生からこんな風にからかわれたという。

 とある本では頭山がこれに対して「はい。武士の子です」とにこやかに返し、どんな嫌味や挑発に対しても年齢に見合わぬ落ち着いた振る舞いで対応して塾生たちから尊敬を集めていったのだという。

 しかし、後に有名人になると言っても若い頃の話なので、資料によって記述にばらつきがある。(そもそも興志塾に入ったのが20歳の頃か16歳の頃かもはっきりしない)別の本によれば頭山はこの時こんな風に返したのだそうだ。


「うん。俺はさむらいの子じゃ。おまえたちは昔なら俺が通る時に土下座して頭を下げる人間じゃ。土下座して頭を下げるのはあんまり立派じゃ無いのう」


 “年齢に見合わぬ落ち着いた振る舞い”どころではない。福岡藩の馬廻り役百石取りという筒井家に生まれた満は、その場の塾生たちについて「ほんとうの士族の子供といっては俺たった一人で、他は足軽の子供の中のしたたか者たち」とみなしたのだそうだ。

平岡や進藤らの家と比べてどれほどの違いか現代の我々にはわかりづらい(母方の頭山家は18石5人扶持の下級武士だったという)が、これは封建時代の身分意識の凄まじさ以外に「自分より強い奴が向こうから仕掛けてきた時は必ず逆襲してへこませる」という若い時の満の流儀もあったらしい。ちなみに頭山満が腕白な筒井乙次郎だった頃は母親に5回叩かれたら6回殴り返す子供だったという。


 常人が真似すればまず間違いなく高校デビューとかに失敗する鮮烈な入塾を果たした後、満と興志塾の塾生たちはお互いを試し合った。

 丁度その時授業では子供や初心者向けに要約された中国の歴史読本『十八史略』をやっていたが、塾生たちは新入生を試すために『左伝』(『春秋左氏伝』。孔子の歴史書『春秋』の注釈書)を輪講しようと言って真っ先に満を指名した。

 しかし若い頭山満は他の塾生たちを「足軽の子」、越智彦四郎も「足軽の頭の中の豪傑」ぐらいに見ていた上に、塾の講師である高場乱と同じ亀井塾で漢学を修めているため内心“こやつらに『左伝』がやれるか”と笑いながら読んで見せた。


 漢学ではうまく満をやり込められなかった塾生たちに対し、今度は満の方が追撃に出た。この時にターゲットにされたのは宮川太一郎である。

 かつて武部小四郎らの「就義隊」と対立し、「併心隊」を組織していた宮川太一郎は松浦愚などの塾生を子分として引き連れていたリーダー格の一人であり、また体の方も鴨居に頭がつくというほど背が高い。その上に体重も140斤、これは1斤を600グラムで計算するなら84キログラムになるというとてつもない大男だった。

 塾内でも特に図体が大きく子分を引き連れている者をねじ伏せることで満は先輩の塾生に対して優位な立場を確立しようと狙ったのだろう。


 彼はまず宮川が高場先生への質問のため席を立った際に、空いた宮川の席に座ってやるという嫌がらせを行った。戻ってきた宮川は変な眼で満を見た。

「その机は俺のだ。なぜそこにおるか」

 至極当然の苦情だが満は平然と言い返した。

“留守だったから座った。帰って来たら退くつもりだった。同じ塾の仲間になるのだから席ぐらい貸してくれ”

 そう言われて文句を言いながらも席についた宮川は、『十八史略』の続きを読み始めた。日本人が本を読む際のやり方で黙読が主流になったのは明治以後のことと言われ、江戸時代までは読書とは声に出して行う行為というのが一般的であったらしい。(ちなみに古代ローマの大政治家キケロも息子が黙読を行っているのを見て驚いたと書き残しており、西洋にもかつてはそういう習慣があったようだ)おそらくこの時の宮川も漢文を見て、頭の中で書き下し文を作り声に出していた。

 満はそこを狙って追撃した。「そこは読みが違う、こう読むんだ。そこも解釈が間違っている。こういう意味だ」と横から口やかましく逐一訂正していったのである。「先生からこのように教わった」と言い返されても満はまったくたじろがなかった。

「先生も、間違いをばしなさる」

 宿題は真面目にやっていなかったとはいえ、かつて亀井塾で“筒井の地獄耳”と言われた彼である。昔取った杵柄として漢文読解には絶大の自信を保持していた。その様子を見た宮川は加えて『十八史略』の内容や読み方についての質問を投げかけ、満の方もそれに一つ一つ答えていった。宮川は最初奥歯を軋ませるようなすごい顔で満を見ていたが、やがて静かに本を伏せた。

「こういう風にいつも教えてもらえたなら勉強の進みが非常に速い。これからどうかそういう風にしてもらいたい」

 そう言ってとうとう宮川は挑発に来た満を殴ることもしなかった。


 頭山満が学問で秀でていたのは事実だろうが、満が大人な態度で他の塾生の尊敬を集めたというよりこのようにお互いを試し合って性格を理解し、尊敬すべきところを認め合っていったのかもしれない。

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