鬼五郎くんの憂鬱

@iwao0606

第1話

「おーい、鬼くーん! おまたせ!」

 閑静な住宅街に響き渡る、能天気な声。

 体いっぱいに大きく手を振って、ここにいるとばかり主張しているセーラー服姿の女子高生。

 名前にちなんだ桃の髪留めが、朝日にてらっと輝く。

「桃子、朝からうるせぇよ」

 チッと舌打ちをしても、桃子はにこにこと笑みを絶やすことはない。

「だって鬼くんがいるんだもん、うれしくなるよ」

「鬼五郎」という厳つい名前が合わないということで、桃子は「鬼くん」と俺を呼んでいる。

 個人的には「鬼くん」はバカっぽいのでやめてほしいのだけれど、桃子はやめない。

「ねぇ、鬼くん!」

「させねぇぞ」

 抱きしめようと桃子は手を広げるが、俺はすっと避ける。朝っぱらから抱きつかれては困るのだ。

「ひどいなぁ。ほら、むかしみたいに抱っこさせて! 抱っこ!」

 せがむ桃子に、俺は背を向けた。

「誰がさせるか、この若作りババァ!」

「あー言ったね!」

 と言っても、桃子は怒る素振りさえ見せない。

 いつものようにあっけらかんと告げる。

「仕方がないじゃない、だって死ねなくなっちゃったんだから」

 セーラー服を着ているから一見、女子高生に見えるが、それはただのコスプレだ。

 桃子は千年も生きている。


 ことのはじまりは、俺の祖先だ。

 俺の祖先というのは、鬼だ。

 血の一滴も混じりっけのない、純粋な鬼だ。

 こういう鬼には、特別な力があったそうだ。

 そのせいでむかしは恐れられていたけれど、時代の移ろいとともに、鬼は人間と交わり、良き隣人の立場を手にいれた。

 俺も人間との混血が進んだ鬼で、だいぶ血が薄まっているため、特別な力はない。

 それでも、鬼の証拠である角が二本、額に生えている。

 話を戻して、桃子が千年も生きる羽目になったのは、その祖先のせいだ。

 くわしい話は知らないが、どうやら桃子の住んでいた村は大飢饉に見舞われたらしい。

 村人すべて死に絶えるような、ひどい状況だったようだ。

 唯一生き残っていたがもう息が絶え絶えだった桃子は、そのときに俺の祖先にその命を譲ってもらったそうだ。

 つまり、俺の祖先は死ぬかわりに、桃子は命をつなぐことができた。

 ただし、鬼の力は人間に過ぎたのか、桃子は死ぬことができなくなったらしい。


 それから千年、歳をとることもなく、死ぬこともない桃子は、恩返しのために、俺たちの世話役を買って出るようになったのだ。

 鬼と人間が共存できない時代に、桃子の存在はありがたかった、という。

 買い物や交渉ごとなどを巧みにこなしてくれたそうだ。

 でも、いまは鬼と人間が良き隣人同士の時代だ。

 桃子の出番はまったくと言ってもいいほど、なくなりつつあった。

 おつかいに行くとか、光熱費の支払いをすませるとか、そんな雑用くらいだ。

 でも、ひさしぶりに桃子にも大役ができる。

「赤ちゃん、楽しみだね。鬼くん、お兄ちゃんになるんだよ!」

「………別に」

 昨日の夜、妹が生まれた。朝になって、桃子といっしょに妹に会いに行くことになっている。

 妹ができるのは、うれしくないわけではない。

 でも、桃子が蕩けそうな笑みを浮かべられては、こちらの虫の居所が悪いのだ。

「大丈夫だよ、鬼くんも大好きなのは変わりないから! そんなに拗ねないで!」

「拗ねてないっ!」

 声を荒げても、桃子は特に慌てるところがないのが、余計に腹がたつ。

 ぎゅっと抱き寄せられてしまっては、俺は逃げることはできない。

「大好きよ、鬼くん」

 愛おしそうに角を撫でられるのを、俺は怒りに震えながらも、拒絶することができなかった。

 いつも俺を透して、見ている誰かの存在が気に食わない。

 その誰かがいなければ、きっと桃子は俺のことを大好きだなんて言わない。

 でも、そいつがいなければ、俺は桃子と出会っていない。

 大好き、って嘯いてさえくれない。

 矛盾する事実に、俺はいつも地団駄を踏むしかできない。

 そんな俺の気持ちを知らずしてか、桃子は何度も俺の名前を呼ぶ。

 千年は長い時間だ。

 桃子が募らせた思いの月日を追い越すことなんてできない。

「ちょっと前まで、鬼くんも赤ちゃんだったのに。こんなに大きくなって」

 俺が追い越せるのは、背丈くらいだ。

 鬼、という生き物は頑強で、ずいぶんと大柄だから、きっとすぐだ。

「すぐに俺のほうが桃子より大きくなってやるっ!」

 吠えるように言うと、桃子は切なげな声音を響かせる。

「あんまり早く大きくなられても、ちょっと寂しいな」

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