第71話 新しい日常②

 お盆を手に取った俺たちは、五分ほど列に並んでいた。

 バイキングのような形式でお盆に好きなメニューを乗せていく列もあれば、メニューごとに細かく別れている窓口から定食を注文する為の列もある。

 俺たちが並んでいる列は後者のタイプ。

 この太い列が枝分かれする前に、どこに並ぶかを決めなければならない。

 一つの列から幾重にも派生する細かな列は、すぐそこまで迫っている。


「俺天津飯の列に行くかな」


 藤堂がそう言って、一番長い列へと足を向けた。


「そうか。じゃあ俺も」


 せっかく一緒に並んでいるのだからと、俺は藤堂の後について行く。

 天津飯を食べるのは二年生の秋以来のことなので、随分久しぶりだ。天津飯の列が一番長いのはいつものことなので、自分からはあまり並んだことはない。

 最も不人気なのは野菜炒め定食で、十秒もあれば注文ができそうだ。


「やっぱこの列くそ長いな」


 俺がげんなりして呟くと、藤堂はお盆を両手でくるくると回転させた。器用なもので、俺が真似をしたら他人に当たってしまうだろう。


「さっき志乃原さんに栄養あるもの食べろって言われてなかったっけ?」

「いいんだよ、たまには。天津飯も卵使ってるから栄養満点だ」

「ビタミンだろ、志乃原さんが言ってたのって。言いつけ通り野菜炒めの列行ってたら、待ち時間の差で二人きりになれたのに」


 ……最も待ち時間を要する天津飯の列に並んだのはそういう理由か。

 俺は頭を掻いて、「そんなんじゃねーつの」と口にする。


「なあ、お前ってなんで志乃原さんとあんな仲良いんだ?」


 天津飯を受け取る窓口がやっと見えてきたところで、藤堂は訊いてきた。

 その言葉で視線を志乃原の席に向けようとするが、食堂は先程より更に人で溢れており、テーブルさえ視認することができない。

 諦めて、藤堂に視線を戻す。


「仲が良いのに理由なんか必要ないだろ?」


 もっともらしい言葉を返すと、藤堂は苦笑いをした。


「そう言われたら、返す言葉がない」

「……それを分かった上で訊いてきた理由を俺も知りたいから、質問には答えるよ」


 大学から知り合った仲とはいえ、年齢も学部もサークルも同じ友達は藤堂だけだ。

 短い付き合いという訳ではないので、先程の質問に俺を茶化す意図がないことは伝わってくる。

 藤堂がなぜ気になったのか、俺自身も興味があった。


「強いて言うなら、礼奈と別れた傷が癒えてない時の新しい出逢いが、強烈な印象だったからかな。多分それは、お互いに」


 志乃原との出逢い方を想起しながら、俺は言葉を紡いでいく。

 あの時は志乃原自身も元坂と別れた直後で、お互いにとって鮮烈な出逢い方だった。

 たまになぜこれ程懐いてくれているのだろうと疑問に感じるもあるが、あの出逢い方が起因しているのは間違いない。

 サンタとぶつかることで新しく繋がった関係が、今日まで続いている。改めて考えると、不思議に思えてくる。


「出逢い方一つで、そんなに変わるもんか」

「そういうこともあるだろ。藤堂は無いのか、そういう経験」


 藤堂は俺の質問に少し思案する様子を見せたが、やがてかぶりを振った。


「ないな。俺の彼女、別に普通の出逢い方だったし」

「そうか。まあ俺も初めてだし、よくある話ではないよな」


 俺はそう言って、藤堂の肩を人差し指で小突く。

 こちらを振り向いていた藤堂は列に穴を空けており、慌てて前の背中を追いかける。


「なんでいきなり?」


 列の穴を埋めてから、俺は藤堂に訊いた。

 志乃原がバスケサークルの『start』に顔を出した回数は一度や二度じゃない。

 藤堂が俺と志乃原の関係を認知してからは数ヶ月ほど経っているので、今になって質問したくなる理由があったのだろう。


「信頼し合ってるのと、お互い一線引いて接してるのがどっちも伝わってきて変な感じなんだよな」

「そりゃ、男女だぞ。どこかで一線引かなきゃ、それこそヤバい関係になるだろ」


 人間関係なんて、皆んな何処かで一線を引いている。

 無意識に越えてはいけない線、越えられたくない線を一人一人に細かく設けている。

 俺と彩華との仲だって、それは例外じゃない。

 特に越えられたくない線は思い至らないが、越えないようにしている線は確かに存在している。

 のろのろと進む列の中で、藤堂はうーんと唸った。納得のいく答えではなかったようだ。


「なんだろうな、それ踏まえてもなんか違和感あるんだよな。お互い遠慮してるようにも見えないんだけど」

「まあ、うん。遠慮はないな」


 今後藤堂に言う機会が訪れるかは分からないが、志乃原は毎週俺の家に入り浸っているのだ。

 それを許容してしまうほどの関係性に、遠慮など存在するはずもない。

 親しき仲にも礼儀ありとはよく耳にする言葉だが、あれは人間として最低限のモラルさえ持っていれば気にする必要もないことだと思っている。

 遠慮が存在する関係性を自宅に持ち込むのは、些か窮屈だ。


「まあ、違和感あるのは俺が志乃原さんのことをよく知らないからかも」


 藤堂はそう言ってから、やっと窓口に天津飯を注文した。

 香りの強い湯気を立ち昇らせる天津飯を受け取ると、藤堂は俺の傍らで立ち止まる。


「悪いな、悠の人間関係に口を出す気はこれっぽっちもないんだ。ただの興味本位だから、気にしないでくれ」


 そんな藤堂の言葉を聞きながら、俺もまた食堂の人から天津飯を受け取る。

 ボリュームのありそうな黄身から漂う香りは、鼻腔をくすぐった。


「彩華さんと悠が仲良いのは二人とも根っこから繋がってる感じが俺にも伝わってくる。そんな彩華さんよりも仲良く見えてる、、、、わけ。お前と志乃原さんはさ」


 人間関係の深さに、時間は関係ない。

 だが当人以外には、そうした所感を抱かせることもあるらしい。

 俺は藤堂に「タメになったわ」と言ってから、志乃原のいる席へと歩を進めた。


 ◇◆


「おっそいです!」

「待ってるって言ってくれたじゃねえか……」

「野菜炒めの列に並べばすぐでしたよ。後輩を十五分も待たせるなんて、まったく」


 志乃原は腕を組んで、隣から俺に文句を言う。

 お盆に乗ってる志乃原のカレーはすっかり冷めていそうだ。


「待っててくれたんだな。ありがとう」

「は、はい。いや、そうじゃなくて。今の流れでお礼言われちゃうと、私がすっごく嫌な女に見えるというか……」


 志乃原が上体をゆらゆらとさせる。

 その様子を見た藤堂は、志乃原に向けて両手を合わせた。


「志乃原さん、俺からも謝るよ。天津飯食べようって誘ったの俺なんだ」

「藤堂さんもやめてください、あの、違うんです。先輩をからかおうとしたら、どうにも切り口を間違えてしまっただけで、ほんとは別に全然怒ってなくて」

「んだよ、馬鹿じゃねえの」

「先輩は黙っててください!」

「俺にあたり強くね!?」


 この後輩のどこに遠慮があるというのか。

 だがこれも信頼関係があってのやり取りだと思うと、認めたくないが胸が温かくなる気がしなくもない。


「そんな二人に、startのサークル長である俺から頼みがあるんだ」


 藤堂はそう言って、咳払いをした。

 俺と志乃原はそんな様子を見てから、手を合わせる。


「「いただきます」」

「俺の話聞いて!?」


 とろみのついた杏が、久しぶりに口内に広がっていく。

 ……これがワンコインで食べられるのだから、そりゃ人気も出る。

 藤堂の抗議を聞きながら、天津飯を味わう。

 暫くすると藤堂も諦めたようで、天津飯に舌鼓を打ち始めた。

 俺がニヤリと笑うと、藤堂は「後で話すからな」と釘を刺した。

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