第49話 美濃彩華〜過去④排斥〜

 体育館に入ると、違和感にはすぐ気が付いた。

 既に自主練習を始めている部員は、普段なら体育館に入ってきた仲間に大声で挨拶を交わす。

 例に倣って、俺も入館と同時に「おつかれ!」と声を張ったのだが。

 ボールの反響音に負けるくらいの小さな声で、「おつー」チラホラと返事が聞こえてくる。

 いつもと、明らかに違っていた。

 練習着に着替えてコートへ立っても、その違和感を拭い切ることはできず、集中力を欠いたままボールに触れる。


「……」


 ボールを操る掌がかじかんでいる。

 その為、普段よりハンドリングに精彩を欠くのは仕方ないことである。

 だが、今日はいつも以上に調子が悪かった。


「羽瀬川。帰った方がいいんじゃねえの」


 練習開始から一時間が経とうとしていた時、主将から呼び出され言われた。


「……悪い。集中できてなかった」


 主将といっても、高校二年生の冬になれば同級生の役職だ。

 よっぽどのことがなければそんなことを言われることはない。

 大体、集中できないのは外部的要因によるところが大きかった。

 パスをする際選手は俺から目を逸らすし、雑談をする時も少々笑顔がぎこちない。

 周りの感情の機微に敏感な方ではないが、自分に降り掛かるものだとしたら話は別だ。

 それが一人ではなく、複数人によるものなら嫌でも気付いてしまう。


主将キャプテン。いつもと雰囲気違うけど、これって俺のせいか?」


 何を言うか迷った挙句、俺は直球に訊くことにした。

 主将は名門大学への推薦を狙う模範的な同級生だ。

 周りに下手なことは言わないと踏んでの質問だった。

 主将は眉間に皺を寄せた後、息を吐く。


「……分かってるなら、俺からも言いやすい」


 その言葉で充分理解できた。

 こういう時の勘ほど当たってほしくないものだったが、そうもいかないらしい。

 主将は申し訳なさそうに顔をしかめる。


「今お前と美濃が付き合ってる噂が回っててさ。真偽は知らないけど、ほら。部員にも何人か美濃に告ったやついただろ? あいつらが、ちょっと美濃と羽瀬川のことを悪く言っててな」


 俺が口を開くと、主将は「俺は勿論止めたけど」と手を振り、続ける。


「他の部員が、振られた奴が何言っても情けないって煽ったんだよ。だからまあ、要するにお前の知らないところで、ちょっと小競り合いがあったわけ」


 思わず軽く笑ってしまった。

 大方昨日の美濃とのやり取りを、部員に見られていたのだろう。

 俺が体育館に入る直前まで、俺を原因とした喧嘩が勃発していたならこの微妙な雰囲気にも納得だ。

 主将としても、今日だけは部員の頭を冷やすという意味で、俺がいない方が都合も良いという訳だ。


「散々避けてたくせに、付き合うってなった途端これ・・かよ」

「え? ほんとに付き合ってんの?」

「……付き合ってねーよ。言葉の綾」


 そう言って、ボールを籠に放り込む。

 入った代わりに、いくつかのボールが籠から溢れた。


「じゃ、帰るわ」


 俺が言うと、主将は苦笑いで応える。


「ごめんな。察しが良くて助かる。今日だけだから」


 その言葉には返事をせず、俺は体育館を後にした。

 高校二年生にもなって噂に踊らされて恥ずかしくないのだろうか。下級生が気を遣って普段より大人しく練習に参加している姿を思い出すと、自分が練習から追い出されたこと以上の憤りを感じる。


「……くっだらね」


 本当にくだらない。

 高校生にもなって情けなくないのだろうか。

 そんな風に強気な愚痴を心の中で吐いてみて、また息を吐く。

 いざこうして部活から排斥されると、思っていた以上に精神的な傷を負った自分がいた。

 初めから俺が美濃に近付かなければよかった、という考えが浮かんできそうで、そんな自分が心底嫌になる。

 俺は美濃と仲良くなったことを後悔はしたくない。その気持ちは紛れもなく本当だ。

 たまたま美濃と仲良くなったのが俺であっただけで、他の男子でも遅かれ早かれ同じような事態になっていたかもしれない。

 それならば、その役目は俺でいい。俺がいい。本気でそう思える。

 だが、俺の立場が、もっと別の人だったら。例えば、榊下だったら。

 榊下が美濃に振られて以来、二人の話している姿を見たことがないので無意味な仮定ではあるのだが、考えずにはいられない。

 俺が榊下のようにもっと人望があれば、事態はこうならなかった。

 主将も俺を練習から追いやる形を取ることはなかっただろうし、そもそも小競り合いなんて起こらなかったかもしれない。

 たとえ発端が勘違いであったとしても、祝福されていたかもしれないのだ。

 付き合った噂が流れたくらいで排斥されるような脆い人間関係しか形成できなかった、俺が悪いのだ。


「あれ、羽瀬川。今日練習ないの?」


 制服に着替えて渡り廊下へ出ると、目の前には美濃が立っていた。

 手持ち鞄を肩に掛けて、手には携帯を持っている。


「今日は練習ないよ」

「大会近いんじゃなかったっけ」

「……休息も練習のうちっていうだろ」


 実際練習ばかりじゃ、ケガをする確率も高くなる。

 嘘は言っていない。

 美濃も特に疑う様子もなく「そう」とだけ返事をして、続けて言った。


「一緒に帰る?」


 ……さっきの今で、この誘い。

 練習を追い出された直後に女子と帰るのは、目撃されたら厄介なことになりかねない。

 それも渦中の二人だ。

 今日のところは、何かの理由を付けて断るのが無難な選択だろう。


「今日は──」

「帰らない?」


 胸が締め付けられる。

 美濃は、何も悪いことをしていない。そして俺も、悪いことをしていない。

 美濃は昨日言っていた。

 自分を一番に優先するのは、とても自然なことであると──


「……俺、職員室寄ってから帰らないと」

「なに、また課題出し忘れてたの?」

「そんなところ。じゃ、またな」

「あ、うん。また」


 何の用もない職員室がある方向へ、足を進める。

 美濃が付いてくる様子はない。

 廊下から吹く隙間風が、首筋を刺してくるのを感じた。

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