第20話 飲み会①
テスト明けに飲み会を開くサークルは多い。
それは彩華の所属するアウトドアサークルにも当てはまり、その規模も大したものだ。
駅前の居酒屋を貸し切って飲み会を開くサークルの数は、そう多いものではないだろう。
大学一年生の時期に参加した新歓以来となる大人数での宴会に、俺のテンションも思わず上がっていた。
何せ俺が所属するバスケサークル『start』は全体の人数が四十人程度だ。その中で飲み会に参加する人数となると十人もいない。
それにひきかえ彩華のアウトドアサークルは、アウトドアと名はついているが所謂『飲みサークル』と呼称されるものに近い。
元々人数の多いサークルに、飲み会への参加率は非常に高い。それにも関わず、俺のような部外者もたまに引き込んだりするのだから人数が膨れ上がるのは必然のことだ。
彩華の連絡によると、参加予定者は六十人。
そんなに多くては一人一人からお代を徴収するのにも一苦労するだろう。
『かぐや』という文字が描かれた
集合時刻十分前の到着となったのだが店内にはかなりの人数が集まっており、既に店内はガヤガヤと賑わっていた。
畳の席にテーブルが六つに別れていて、既にお皿は振り分けられているようだ。
ブーツを脱いで靴棚に入れて、畳へと足を踏み入れる。
「あ、来たわね!」
軽快な声がした方へ視線を投げると、彩華がこちらに向け手を振っていた。
「おう!」
喧騒の中からでも聞こえるように、普段より大きめの返事をして彩華の席へと向かう。
彩華の隣に着席すると、彩華が片手をこちらに差し出してきた。
「ん?」
このサークルには席に座る際にハイタッチでもするノリがあるのだろうか。
とりあえず手を重ねてみると、彩華が訝しげな表情になった。
「え、どうしたの」
「いや、ごめん。そういうノリがあるのかと」
俺が弁明すると、彩華は合点がいったようでクスクスと笑い出した。
「ないわよそんなノリ。コート邪魔だろうから、ハンガーに掛けてあげようと思ったの」
「なんだよ、これ俺が恥ずかしいやつじゃねえか」
手を退けて、コートを脱ぐ。触れていた掌が今更熱くなってきた。
コートを渡すと彩華は頷いて席を立つ。衣類は少し離れたところに纏めて掛ける場所があり、気が利いているのか利いていないのか微妙なところだった。
「悠太君、彩ちゃんと仲良いね〜」
正面にいた女子が話しかけてきた。茶髪をマッシュボブにした小柄な女子だ。
大きめの黒縁眼鏡から、くりんとした瞳を覗かせている。
そして俺はその女子に見覚えがあった。
「久しぶり!」
そう言ってはにかむ女子は、クリスマスの合コンで知り合った子の一人で、俺と唯一話し込んだ女子でもある。
「おっす、久しぶり。覚えてたんだな」
「当たり前じゃん、まだ一ヶ月くらいしか経ってないよ?そんなに物覚え悪くありませんから」
「そりゃー悪かった」
初めて聞いた時に美しい名前だと思った。人の名前に美しさを感じることなどそうそうあったことではないので、よく覚えている。
月見里をやまなしと読むと知った時は驚いた。
合コンの最初に「気軽に名前で呼んでね」と言われたこともあり、那月と呼び捨てにしている。
元々名字で呼んでいたのを名前にシフトしろと言われたらハードルは上がるが、最初から名前呼びならば関係ない。
たった二時間食事を共にした程度だが、気持ちの上ではもう友達という認識になっていた。
友達といっても、所謂ヨッ友という認識ではあるが。
道端ですれ違う際に「よっ」と挨拶だけ交わすことからヨッ友という単語が生まれたらしい。
俺の経験上においても、ヨッ友の言う「またカラオケにでも行こーぜ!」という誘いが実現したことは約二割程度であろう。
名前を忘れることすらあるヨッ友という仲ではあるが、目の前に座る那月は俺の名前をはっきりと覚えていたらしい。
昨晩彩華から「喜んでたよ」と聞いたのを思い出し、よくあの合コンから縁が繋がったものだと改めて思った。
「悠太君ってどのサークル入ってるの? アウトドア系じゃないよね」
「俺はバスケサークルよ。まぁ気が向いた時にしか行かないけど」
「幽霊?」
「そこまでじゃねーよ」
月一程度は顔を出しているので、幽霊扱いまではいかないだろう。藤堂の他、先輩とも多少交流を保っているし問題ないはずだ。
気持ちよくバスケをするためには、多少人間関係にも気を遣っておかなければならない。
「うちに入りなよー、途中参加でも全然オッケーだし」
うちというのは、このアウトドアサークルのことか。
俺は「うーん」と思案するフリをして、首を振った。
「入りたいけどな、規模でかいし無理だろ! 管理も大変だろうし」
慣れた社交辞令のように言葉を連ねる。
友達のサークルに顔を出すとたまにそういった誘いがあるが、皆んな本気じゃないことは伝わってくる。
那月もその例に漏れず「そうかなー」と軽く笑ってから、お箸をこちらに渡してくれた。
「でも、来年は彩ちゃんがサークルの副代表になるらしいし。コネで入れるよ、コネで!」
「あはは、まあ考えとくよ」
副代表か。
彩華のことだから先輩にも気に入られて、推薦されたのかもしれない。
「那月は代表とかにならねえの?」
そう言うと那月は吹き出した。
「私が! むーりむりむり、無理だって! 私そんなキャラに見える?」
「キャラとか知らねえよ、会うの二回目だぞ俺ら」
「一回目で見極めてほしいんですー」
二人で談笑していると、彩華が席に戻ってきた。
黒のセーターにネックレスを掛けて、居酒屋にいても彩華は華やかだ。
片手にはビールジョッキを持っている。
「仲良く話してるところに失礼しまーす」
なみなみと注がれたビールを俺の前に置いてくれる。
周りを見渡すと、長テーブルの端からビールジョッキが隣から隣へと流れてきていた。
「お、やっぱ最初の一杯はビールなんだな」
俺が笑うと、那月が口を尖らせる。
「毎度思うけど、最初はビールって決まりでもあんのかなー。私ビールそんなに好きじゃないんだけど」
「あー、女子でビール好きな人って多いわけじゃないよな。彩華は結構飲むけど」
那月はジョッキを少し重そうに自分の手元へ寄せた。
確かにビール苦手な人からしたら迷惑な話だよな、と考えていると彩華が口を開く。
「あーそれね! 先輩が言ってたんだけど、一応気を遣ってのことらしいよ」
「えー気遣ってるの? どこに?」
私は気遣われた覚えありませんよとでも言いたげな表情をする那月に、彩華は微笑んだ。
「社会人になったら、上司と飲むわけじゃん。全員がバラバラのメニュー頼んでたら、揃うまでに時間かかるよね? それだと上司を長い間待たせることになっちゃうかもしれないし、なら最初の一杯は同時に届くようにしてサッと始めちゃおう! っていう考えから始まったらしいよ」
「へー」
成る程、そう聞けば納得だ。
俺が素直に感心しているのに対して、那月は不平を漏らす。
「ならハイボールが最初の一杯でいいじゃん」
その言葉に俺と彩華が同時に「それは確かに」と頷いた。
ふと腕時計に視線を落とすと、時刻は十九時前。
辺りを見渡すと同じ長テーブルには後から来たサークル員たちが大勢座っており、そろそろ宴の時間が近づいてきていることを知らせていた。
彩華の視線の先を追うと、代表らしき人がビールジョッキを掲げている。
あれが代表なのかと訊くと、彩華は頷いた。
自然とその人に注目が集まる。
「えー、まずは皆さんテストお疲れ様です!」
代表の人が言葉を発すると、周りから「おつかれー!」と声が飛び交う。
彩華も片手を口に当てて「お疲れ様ですー!」と声を張った。もう片方の手はジョッキを持っている。
「さあ、出来はどうあれ、結果が発表されるのは来月! 今宵の飲みは、これから始まる現実逃避期間の幕開けを祝う集まりでございます」
皆が笑いながら代表の話を聞いている。くすくす笑っていても咎められない緩さは好きだ。
恐らくこのサークルでは飲み会も立派なサークル活動なのだろう。
バスケをメインとし、飲み会はあくまでそのついでに過ぎないバスケサークルとは目の色が違う。
代表が乾杯と宣言するのを、皆ビールジョッキを片手に今か今かと待っている。
「さあ、私たち三年生は来月にはサークル引退。私が音頭を取りたい気持ちは山々ですが、ここは次期代表に譲ることとします」
そう言って代表が辺りを見回すも、代表と指名された者は立ち上がらない。立ち上がらないというより、見当たらない様子だ。
目の前に座る那月が手を挙げた。
「樹さんー! 次期代表今日は欠席みたいですー!」
「ええ、今日来るって言ってたのに!」
代表はわざとらしく驚くと、咳払いをして立ち直した。
「ならば次期副代表に音頭を取ってもらうしかありませんな! 彩ちゃん、お願いします!」
横に座る彩華がびくんと跳ねる。
突然指名されると誰だってそうなる。
「えぇ、私ですか! そんなそんな、代表お願いしますよ!」
手を振って断ろうとする彩華に、サークル員たちが「彩ちん任せたぞー!」などと声を掛ける。
このサークルでは彩ちんという呼び名が通っているらしかった。
そして彩華はサークルの総意に逆らえるはずもなく、遠慮がちに立ち上がる。
その仕草から明白だが、彩華はすっかり外行きモードだ。
自分のサークルくらい気を抜いたらいいのにとも思ったが、それも今更という話だろう。
「えー、それでは皆様。僭越ながら今回が私が音頭を取らせて頂きます」
彩華が言うと、代表が「堅い堅い!」と笑う。
確かにその言葉遣いはサークルの飲み会で発する言葉にしては堅いかもしれないが、この人数を前にしたら無理もないだろう。
しかしそれも彩華のジョークだったようで、彩華は「すみませーん!」とはにかむ。
慣れてるなあと感心しながら、隣に立つ彩華を見上げた。
ほぼ真下の位置から眺めていると、彩華の胸がどうしても目に入る。黒のセーター越しにも確かな膨らみがあり、視線を外した。
ずっと見ていたい気持ちと、裏切っているような罪悪感がある。
「それでは皆さん、ジョッキをご用意下さいー!」
彩華の掛け声に、邪念を振り払うように勢いよくジョッキを掲げる。
「テストお疲れ様でした! 乾杯ー!」
居酒屋に「乾杯」という言葉が一斉に響き渡った。
それぞれのジョッキがテーブルの上を右往左往し、カチャンカチャンと乾杯の音を鳴らしていく。
まずは目の前にいる那月へ、隣に座る見知らぬ女子へ、斜め前にいる男子へとジョッキを伸ばす。
最後に挨拶を終えた彩華と乾杯しようと、右隣へ向き直る。
彩華の前には未だに皆んなのジョッキが多数あり、彩華と乾杯するために隣のテーブルから移動して来ている人たちもいた。
彩華は一人一人和かな表情でそれを捌いていたが、やがて俺に気付いたようだった。
「ちょっとごめんね、みんな」
そう言うと、テーブル上に掲げていたジョッキを一度下げる。
「はい、乾杯」
ジョッキが目の前に差し出される。
彩華は口元を緩ませて、俺を待っていた。
俺はそれにニヤリと笑い、ジョッキを鳴らした。
「──乾杯!」
宴が始まる。
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