第19話 彩華との電話
「……聞いちゃまずかったか?」
俺はスマホの前で佇み、画面を見下ろす。
画面には彩華のアイコンが表示されていて、サークルの面々で撮ったであろう写真だった。
アイコン内の彩華は満面の笑みを浮かべているが、聴こえてくる声色はそんな表情とはかけ離れているように思える。
『……まず、ううん。別に、まずくはないんだけど』
彩華にしては珍しく歯切れの悪い返事だ。
動揺しているのだろうか。
電話越しに聞こえる息遣い一つで、ある程度の感情は察せられる。
彩華が俺のことを理解しているのと同じで、俺も彩華の感情くらい推し量ることはできた。
彩華の過去を知らなくても、今まで付き合ってきた年月が変わるわけじゃない。
それでも彩華のことを知らないのが少し寂しい。そういった思いから生まれた質問だったが、俺は首を振った。
仲が良いからこそ、知られたくない。
今まで隠していたということはそういうことなんだろう。
そうでなければ約五年もの間中学時代の話が耳に入ってこないという事態は起こらないはずだ。
「まあ、言いたくないなら──」
──言わなくていいよ。
いつもの俺なら必ずそう言う。
他人に深く干渉しようとしたって、本人が求めていなければただの迷惑だ。
そこらの人が知らないことを自分は知っている、だから人に秘密を打ち明けられるのは心地いい。そんな思いで他人の秘密を聞き出し、承認欲求を満たそうとするやつは世の中ごまんといる。
承認欲求から秘密を聞き出そうとする者と、親愛の情から純粋に相談してもらいたいと考える者。
聡いやつは、両者を見分ける。
彩華はその聡い部類だった。
高校時代、彩華は幾度となく男子から相談を促され、また相談を持ちかけられていた。
仲良くなろうという下心から生まれる行動を、彩華は敏感に察知した上で当たり障りのない対応をしていた。
つまらなそうな表情でスマホをいじる彩華に、かつての俺は思ったのだ。
彩華に見せかけの言動は通じない。こいつに対しては、ありのままの自分でいよう、と。
ここで引き下がるのは、俺の本意じゃない。
彩華に対して素直になると決めているのだったら、そのまま訊いてしまうのが最良の選択だ。
『──言いたくなかったら、なによ?』
「そうだな。お前が言いたくなくても言ってほしいわ、俺は」
『……アホなの、あんた』
そう言ってから彩華は口を閉じたようだった。
沈黙は重いわけでなく、どちらかといえばいつもの雰囲気に近い。
その雰囲気を許容と判断して、俺は言葉を並べることにする。
「明美って子から聞いたんだよ。お前と明美さん、志乃原が同じ部活だったってな。それ以外は特に聞いてないけど」
明美という名前が出ると、彩華は小さく息を吐いた。
『そう、明美が』
「仲良さげな感じだったけどな、お前と」
『普通よ。ただのチームメイト』
これを聞いたら明美はどう思うのだろうか。
表向きは仲良くしていたのだろうが、彩華は特に仲良いと感じていなかったらしい。
もしかしたら明美本人もそう認識しているが、俺と出会った手前仲が良いと嘯いたのかもしれない。
『今話さないけど、機会がきたら話すわ』
「おい、それ話さないやつじゃねえか」
『話すわよ』
食い気味で返ってきた言葉に俺は口をつぐむ。
彩華は息を吐いて、ゆっくりと言った。
『話すから、何も言わずに待ってて』
「……わかった」
強い口調には、この件を終わらせようとする意図も込められているようだった。
だが一回彩華に訊いたことで、中学時代について訊いてはいけないという認識が取り除かれた。
無論むやみやたらと訊くわけではないが、機会がきたら教えるという彩華の言葉に恐らく嘘はない。
それならば座して待つのが良い選択だろう。
別に急いでるわけでもない。彩華が今まで明かすことのなかった事柄を言うと約束してくれただけで俺は満足していた。
付き合っているわけでもない、ただの友達。
質問に「なんであんたに言わないといけないの」と答えられたらそれまでの曖昧な関係だからこそ、嬉しいのだ。
約束されることが、少なくとも普通の友達よりは親しいよと言われているようだったから。
スマホの画面が点滅し、バッテリーの残量が少なくなってきたことを知らせる。
彩華も雑談をする気分じゃなくなったようで、何かの作業をする音が聴こえてきた。
『なんでいきなり訊く気になったの?』
物を片付けているような音と共に、質問が投げかけられる。
「気になったからに決まってるだろ」
『……そう。よかった。ここでお前のためを思ってとかナントカ言われたらどうしようかと』
「言わねーよ。お前がそういう言葉好きじゃないのは知ってるし、これからも本音でしか話さん」
背中の痒くなるような言葉を好きな女子も恐らく沢山いるだろう。勿論親しい人からの言葉に限るだろうが、彩華はその例にも当てはまらない。
気遣いは必要だ。だが本心から生まれるものでなければ彩華にとってそれは意味をなさない。
そんな彩華本人はというと日頃から嘘の気遣い、言動を平気でしている。
自分のことを棚に上げて相手に求めるなと口を尖らせたくなる気持ちも僅かにあるが、納得する気持ちの方が大きい。
自分が偽った態度をとるからこそ、親しい相手にはありのままでいてほしいのだろう。
『あんたのそういうとこ、好きよ』
「……おう」
ストレートな言葉に思わずたじろぐ。
その反応が気になったのか、彩華は訂正した。
『あ、人としてね。分かってるとは思うけど』
「分かってるからいちいち言うな、なんか逆にムカつくわ。てかお前そんなこと言ってるから、男に告白されるんじゃねーの」
異性の友達に言われて、分かってはいても多少意識せざるを得ないその言葉。
彩華を好いた今までの男友達は、こうした明け透けな言葉に落とされていったのだろうか。
『あんたにしか言わないわよ』
「は」
『こんなこと誰彼構わず言うほど性悪じゃないっての』
……確かに、基本的に告白を断っている彩華がわざわざ相手を落とすようなことをするとは思えないが。
「じゃあ、何で俺に言ったんだよ」
『……さあ。ただの気分かな』
彩華は短く答えてから、そういえばと話を転換させた。
もしかしたら気恥ずかしくなったのかもしれないと思ったが、口には出さないでおく。
『明日飲み会だけど忘れてないでしょうね?』
「ああ、テストお疲れ会だろ。忘れてねえよ」
テスト終わりに誘ってくれた飲み会だ。
礼奈の件もあって気分を晴らしたいこともあり、俺も珍しく乗り気になっている。
「ただ、俺お前以外に知り合いとかいねーぞ。酔い回ってきたら大丈夫だけど、それまで一緒にいてくれよ」
飲み会には参加するが、一応は部外者だ。素面のうちからテーブルに混ざるのはどうにも気が引けた。
だが彩華は『必要ないわ』と言った。
『知り合いならいるから。この前のクリスマスに合コン来てた子達、みんなうちのサークルよ。せっかくだしその子たちと話してなさいよ』
クリスマスの合コン。
彩華が女子、男子共にセッティングしていたものだ。
最後は途中で入ってきた志乃原と元坂が一悶着を起こし、忘れようにも忘れらない出来事となっている。
「まじか。ご飯食べただけだけど覚えてるかな」
『漫画の話とかしてた子は喜んでたわよ、あんた来るって聞いて』
唯一連絡先を交換した子のことだろう。
結局あれ以来ほとんどラインもせず会うこともなかったが、それを聞くとこちらも嬉しい気持ちになる。
「悪いことばっかじゃなかったな、クリスマス」
『幹事の私にとってはあの合コン失敗だったから、いい思い出にはならなかったけどね。まあ可愛い女子四人と知り合いになった男がクリスマスを嘆いてたら暴動ものよ』
「四人?」
クリスマスの合コンにいた女子は、彩華を合わせて四人だったはずだ。
残り一人は誰のことを言っているのだろうと思案していると、彩華は呆れたように『忘れたの?』と言った。
『サンタとぶつかったんでしょ』
「あ、そっか」
彩華の口から志乃原のことが出てくるとは思わず、すっかり頭から抜け落ちていた。
確かに志乃原と知り合ったのもクリスマスシーズンだ。
礼奈と別れて、独り身になった虚しさからイルミネーションの影を歩いていたクリスマスシーズン。
だが終わってみれば、新しい縁もできていたことに気付く。
彼女がいたら築けていなかったであろう縁だ。
あの時独りだったからこそ、今の人間関係がある。
そう考えると、不思議と心が温かくなった。
「もっかいクリスマス来ねえかな」
思わず口から溢れた言葉に、彩華はクスリと笑った。
『あんたが吹っ切れたなら良かったわ』
……ひょっとしたらクリスマスの合コンも、俺を気遣って誘ったものだったのだろうか。
そんな考えが頭に浮かんだが、訊かないでおく。
彩華が意識しているのかは知らないが、感謝していることには変わりない。
お礼としてプレゼントとでもあげようかと思案する。
贈り物など彩華に渡したことがないが、こちらもキーケースをプレゼントに貰ったのだ。
お返しとしてなら、彩華も喜んで受け取るに違いない。
そんなことを考えていると、不意に彩華が弾んだ声を出した。
『外、見て!』
言われるがまま、視線を外に投げる。
外では、柔い粉雪が空をチラホラと舞っていた。
クリスマスにも降らなかった雪が、街中を包んでいく。
雪を見るのは随分と久しい。
窓を開けると、乾いた寒風と共に粉雪が舞い込んできた。
「イルミネーションがほしいところだな」
『分かる!』
ワンルームの二階から顔を覗かせて、街灯に照らされる雪を眺める。
電話越しに、彩華も窓を開ける音が聞こえた。
『さむーい!』
無邪気にはしゃぐ彩華に、思わず口元が緩んだ。
「さみーな」
言葉と共に、白息が夜空に昇っていく。
早く次のクリスマスが来るといい。
少しも和らぐことのない寒風を肌に受けながら、俺はそう思うのだった。
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