第16話 サンタとバスケ

 体育館の入り口で待っていたサンタは、さすがにご機嫌斜めだった。


「ちょっと先輩、着替えてくるって言ってから何分放置するんですか。私どこで観てればいいかすら分かってなかったんですけど」


 志乃原は腕を組んで不満をぶつける。

 周りにいるサークル員たちは面白そうに俺たちを見物しているようだ。

「可愛いじゃん」と、完全に志乃原目当ての声もちらほらと聞こえた。


「悪い悪い、ついな」

「ついつい後輩を置き去りにしたんですね」

「そういうこと」

「ちょっと! そこを素直に認めないでくださいよ!」


 ご立腹の志乃原を通り過ぎて、俺は体育館のロビーへ進んだ。

 ロビーには二階へと繋がる階段がある。

 そこへ案内して、志乃原を二階へ上がらせよう。

 振り返ると、志乃原は素直に後ろに付いてきていた。


「え、先輩どこに行くんですか」

「二階」

「えー、あそこからじゃ遠いじゃないですか。近くで観戦したいんですけど」


 どうやら二階席の存在には気付いていたらしい。

『start』が活動時に借りている体育館は市営のもので、コートは大学の体育館と同じくらい広い。

 二階席からコートを広々と見渡せるのが市営体育館の強みで、観戦するのにはうってつけのはずだ。

 そうにも関わらず不平を漏らす志乃原に、心の中で首を傾げる。


「一階じゃ他人からの視線が鬱陶しいだろ」

「でも、迫力はありますよ。やっぱりバスケは近くで観ないと」


 そう言いながらも、志乃原は目をあらぬ方向へ向けている。

 嘘をついているのが丸分かり、というより嘘を隠そうともしていない。


「他に何か理由あるのか?」

 聞くと、志乃原は一瞬ムッとした表情を見せてから息を吐いた。


「……寂しいじゃないですか」

「は?」

「一人で二階席に放り込まれるのが寂しいんですよ! 私、何事も一人で行動するのが嫌なんです!」

「てめ、中学生の時の俺か!」

「何とでも言ってください、私先輩と一緒にいられると思って付いてきたんですからね!」


 志乃原はフンと顔を背ける。

 その光景に俺は思わず呆れてしまった。

 流行りのトレンチコートに身を包み、髪にも気を使っている抜群に可愛い女子大生。

 そんな見た目だが、純粋な部分を多く持っている。


「わーかったよ。なら、お前も参加しろよ。大会日以外は別に無断でも参加オッケーだし」

 先程志乃原は「バスケやってたんで」と経験者と思わせることを仄めかしていた。

 仮にその経験が部活にたまに参加する程度のものでも、うちのサークルは緩い方だ。

 女子の練習着は貸し出ししているし、『start』も初心者が楽しめることを新歓の際売りにしていたのだから、問題ないだろう。

 だが志乃原は俺の提案に顔を曇らせた。


「ん? どうした、経験者なんだろ?」

「まあ、はい。そうなんですけど」


 答えを濁らせる志乃原を見て、あまり乗り気でないだろうことが察せられる。

 そうとなれば、無闇に誘う訳にはいかない。

 一階に戻って志乃原の言う通りに観戦させてあげるのが、両者にとって一番良い帰結だろう。


「分かったよ。コートの側で見ていいぞ。飛んでくるボールで怪我すんなよ」


 そう言うと志乃原は顔を輝かせて、「ありがとうございます!」と頭を下げた。

 別段特別な処置をした訳でもないだけに、頭まで下げられるとどうも気恥ずかしい気持ちになる。


「いいって。悪かったよ、無理やり連れてきた挙句一人にさせて」

「はい」


 にっこりと笑う志乃原に、俺も口元を緩める。

 俺も中高生の時期は何事も一人で行動するのは億劫だった。

 常に友達と話し、戯れる。

 気の合う仲間といるとそれだけで楽しく、逆に一人になれば空いた時間の潰し方が分からない。

 だが大学生になれば、自然と感性は変わっていった。


 今でこそ一人でカラオケにも行けるが、中高生の頃は駄目だった。

 恥ずかしかったのだ。

 誰かに見られたら嫌だ、店員さんは一人で来る自分をどう思っているのだろう。

 そんな不特定多数に見張られているような感覚が、その頃の俺にはあった。

 だがそれも変遷する。

 街を歩く中、バイトで働く中。自分が通りすがりの他人に関心を抱く頻度は少ないし、関心を持ってもそれが続くことはほとんどない。

 いずれその考えが自分だけのものではなく、多くの大人と同じものなのだと気付くと、見張られているという感覚は綺麗に消え去った。


 一人の時間が多少あれば、自然に気付くであろうこと。

 いずれは志乃原の感性も変わっていくはずだ。


「やっぱりお前、年下なんだな」


 志乃原が年下だなんてことは、百も承知だ。

 だがそれを改めて実感する機会はそう多くはない。

 思わず口をついて出た言葉に、志乃原は不満げに返した。


「えっなんですかそれ。老けて見えましたか?」

「そういう意味じゃねえよ」


 笑いながら手を振ったが、志乃原は釈然としない様子で口を尖らせる。

 志乃原が再度口を開けた瞬間、不意に背後から声をかけられた。

 俺でなく、志乃原が。


「あれ、志乃原。何してんのここで」


 吊り上がった目が特徴の女子大生だ。ジャージを着ていることから、今日のサークル活動に参加する人物だということが分かる。

 そして俺はその女子に見覚えがあった。

 名前は明美あけみで、名字までは知らないがたまに彩華と話しているところを見た事がある。

 向こうも俺に気付いたらしく、「ありゃ」と声を漏らした。


「彩ちんの友達じゃん。悠太くんだっけ? ここのサークル入ってたんだ」

「おう、今日来たのはすげえ久しぶりだけど。そっちは最近入ったのか?」

「んーん、私はバスケ部。今日練習無くて暇だからちょこっとサークルに顔出してみたの」

「へえ、部活」


 思わず尊敬の念が混じった声を出す。

 サークルで適当にバスケをして、適当に遊びたいと思っていた俺とは違う。

 目の前にいる明美という同い年は、多大な時間を費やす部活に入ってしまうくらいバスケが好きなのだ。

 その明美は、どうやら志乃原の知り合いらしい。

 俺は邪魔だろうかと志乃原の顔を窺う。

 ……志乃原は眉根を寄せて口をキュッと結んでいた。

 目が合ったがその目はすぐに泳ぎ、どうにも居心地が悪そうだ。


 そこで俺は、志乃原が部活を辞めていたことを思い出す。

 出会った当初言っていたことだ。

 俺を先輩と呼ぶのは、部活を辞めたばかりで年上を先輩以外の呼び方をするのが慣れていないからだと。

 その事実から考えが派生する前に、明美が再び志乃原へ声を掛けた。


「あんた怪我大丈夫になったの?」


 志乃原の口は閉じたままだった。

 相変わらず目は泳いでいて、どこか落ち着きがない。

 明美が催促するように「ん?」と言うとようやく志乃原の口は動いた。


「……は、はい。その、おかげさまで。すみませんでした、急に辞めてしまって」


 その返事は今まで聞いたことのないか細さで、耳を疑った。

 元坂に真っ向から説教し、彩華にさえ噛み付いた怖いもの知らずの後輩。

 それが志乃原の印象だったのだが。


「まあ、怪我はしゃーないけどね。せっかく仲良くなれたとこだし、残念だけど。彩華も驚いてたよ、志乃原がバスケ部辞めるって聞いて」

「……そう、ですか。彩華先輩も」


 志乃原がそんな無機質な返事をしたところで、俺は「なあ、いいか?」と口を挟んだ。

 少し厳しい顔をしていた明美の顔が、パッと明るくなる。


「なに?」

「うん。志乃原が大学のバスケ部だったのもびっくりなんだけど、明美……さん? と、志乃原って中学の部員同士だったの?」

 俺が名前のところで少し迷うと、明美は「さんなんていらないんだけど」とクスクスと笑う。

 それから「ええ、そうだけど」と頷いた。


 明美と志乃原は中学時代同じバスケ部。

 ということは、今の会話から察するに彩華と志乃原も同じバスケ部だったということになる。

 志乃原と彩華が中学からの知り合いというのは、以前自宅で邂逅した時に明らかになっていたことだ。


 だが二人が同じバスケ部に所属していたことなんて、全くの初耳だった。

 そもそも俺は彩華がバスケをしていたことすら知らなかった。

 高校時代は帰宅部だったし、中学の時も帰宅部だったと聞いていたのだ。


「彩華、バスケやってたんだな。言ってくれりゃいいのに」

「あれ、知らなかったんだ。まあ彩ちん中学時代のことあんま話さないしねぇ」

「あー、あいつあんまりそういうこと言わねえよな。上手かったのか? 彩華って」

「そりゃ主将だったしね、上手かったよ。なんで高校でバスケ続けなかったのか不思議なくらい」

「主将か。あいつ似合いそうだな」


 俺が思わず笑うと、明美も愉快そうに笑った。


「だね、彩ちんの代はすごい楽しかったよ。……あ、志乃原」

 明美が志乃原に向き直る。

 志乃原は若干緊張した面持ちで明美を見上げた。

 両者が一瞬見つめ合う。


「……辞めるタイミングは考えなよ。悠太くんの前で言うのも悪いけど、あれは反省したほうがいい」

「……はい。すみませんでした」

「よろし!」


 明美は歯を見せて笑うと、志乃原の頭をくしゃりと撫でた。

 そこで志乃原は初めて笑顔を見せて、俺は何故かホッとする。


「じゃあ私お先にボール触りに行くわ。仲良くね、お二人さーん」


 明美は軽い口調で言ってコートに入っていった。

 そんな関係じゃないぞ、と後で誤解を解いておく必要がある。

 志乃原は暫しの間明美の後ろ姿を見送っていたが、やがて二階へ続く階段へ足を向けた。


「あれ、コートの傍で見るんじゃねえの?」

「やっぱ上でいいです。こっちのほうが、観やすそうですし」

「そうか? まあ、俺もそう思うけど。寂しくないのか?」

「……どうでしょう」

「寂しいんじゃねえかよ。一階でいいんじゃねえの」


 そう言うと、志乃原は歩調を緩めた。

 元々早歩きしていたわけでもないので、男にとってその歩調に合わせるのは軽いストレスになりそうだ。


「ねえ、先輩」

「んだよ」

「明美先輩、怖いです」

「ああ、なんかビビってたな。普通に良い人だったけど、部活では怖いパターンか」


 志乃原は苦笑いした。


「はい。もう、とっても」

「はは、想像付かねえな」


 普段は気さくなのに、部活の時は怖い人。

 バイトの先輩にはしたくない部類だ。

 仕事中あれだけ怒鳴るくせに、業務外の時間になるとケロリと雑談を振ってくるものだから対応に困った経験がある。

 志乃原も同じような気持ちなのだろう。


「つーか彩華のやつ、バスケ部だったなら言ってくれりゃいいのに」

 思わず口をついて出た言葉に、俺は「しまった」と後悔する。

 新しい情報に驚いて、志乃原と彩華が数秒揉めたことを一瞬失念していた。

 だが志乃原はそんな俺の心配とは裏腹に、何てことないという声色で言った。


「話しっこないですよ、彩華先輩は」


 そこにどんな意味が込められているのか。

 俺は二階へ上がる志乃原を見送りながら、少し考えていた。

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