罪の世界の咎人殺し

どるき

「住民」「咎人」「咎人殺し」

 ギルティワールド、この世界はそういう名前らしい。

 そんな知識を頭の片隅に置きながらキリコは今日も働いていた。

 キリコは街唯一の書店で働いており、朝から晩まで暇そうに店番をしていた。


「おつり八十円です」


 右手に太陽の紋をつけた男性が一冊の漫画本を買っていく。

 夕方の店じまいを前にして、この日の客は彼ひとりだった。

 この店……いや、この街は指摘すればするほど不可思議である。

 本屋をはじめ食料品や雑貨も同様に品の種類に応じて一店舗でしか扱っていない。しかも商品は朝になれば勝手に湧いて出てくるので、キリコら店員はそれを言われたとおりに売るだけである。

 毎日が停滞しているようで毎日微妙に違う日々をキリコら「住民」は送っていた。

 「住民」はそれを当然としか思っておらず誰も疑問に思わない。

 疑問に思うのは決まって「咎人」である。


「ひぃ!」

「どうせテメーらは明日になったら■■■■■ンだ、殺したってかまわねえよな」


 店じまいをしたキリコは、帰り道に老婆に暴行を加える一人の男を見かけた。

 彼も右手に太陽の紋をつけている。この紋が「咎人」の証だ。

 「咎人」とはこの世界とは異なる場所から送られてきた罪人だという。

 キリコはそれをおとぎ話だとしか思っていないが、彼らの一部がこのような悪行を重ねるのをみると罪人という話は本当なのだろうといつも思っていた。


「おっといけねえ。手が滑ったぜ」


 男は老婆の首をはねようとしたのだが、手が汗で滑ったようでその手の剣を投げてしまった。

 その剣はキリコの右目に突き刺さる。


「あっ!」


 その瞬間、キリコは声もあげられなかった。

 突発的な事故で命を落とす彼女の脳裏に浮かんだのは、ほんの数分前の出来事だった。


「すみません、あの本を見せてくれませんか」


 この日最後の客はキリコにそういった。

 客の少年が言う本とは神棚に飾られた一冊、表紙にはギルティワールドとこの世界の名前が書かれていた。

 少年に言われるまでキリコはその本の存在を知らなかった。いや、意識できていなかったというべきか。

 本を手に取ったキリコの背中に冷や汗が流れた。


「えっと、ごめんなさい。これは見せてはいけない本みたいで」

「そうですか」


 少年は見せられないといわれるとおとなしく帰ったのだが、キリコは何の気なしにその本を持ち帰ってしまった。「住民」にとって読書など意味がないことなど本能で知っている。なのにその本を手に取った影響なのか、キリコは読んでみようと思った。


「死んじまったか? まあいいか、コイツも■■■■■ンだし」


 男はそういうとキリコの頭から剣を抜いた。

 キリコはその瞬間、本との出会いとの邂逅を終えて意識を取り戻す。

 ■■■■■とは何を言っているのかはわからないが、この男は許してはいけないと怒る。


「なんだと?」


 キリコに足をつかまれた男は驚く。死んだはずの人間が動けば当然だろうが、この男の反応は少し意味合いが違っていた。


「待て……」

「死にぞこないか? まあいいか、面倒だ。もっぺん死ねや!」


 キリコの静止も聞かずに男は再び剣を突き刺そうとする。

 キリコはそれを身を転がして躱すと立ち上がった。

 右目は痛いが頭は冴えている。

 筋骨隆々の悪漢が相手でもキリコは不思議と負ける気がしない。


「やろうってのか? いいぜ、来いよ小僧」


 無防備にとびかかるキリコを男は嬲る。

 剣で服を切り裂くように手加減しながら何度も切り付けていた。

 瞬く間に衣服は裂かれるがキリコ自身には傷一つない。

 男は「加減しすぎたか?」と小首をかしげたが、これはキリコの回避によるものだった。


「お前、小僧じゃなかったのか。こりゃあいい」


 裂かれた衣服を見た男は下種な笑いを浮かべる。

 キリコの体をもてあそびたいと男は本気を出すことにしたのだ。

 殺して一得、その後犯して二得、そして■■■■■あとに犯して三得。

 男はキリコを遊びつくすつもりだった。

 最近この男は先ほどの老婆で似たようなことをしていたのだが、やはり若い方がいい。


「黙れ!」


 キリコの咆哮に我関せずだった「住民」もとばっちりを避けて隠れていた「咎人」も注目する。

 「住民」はすぐに元の通りではあったが、「咎人」はその後もこの二人の戦いを見続ける。

 キリコの左手からはいつの間にか本が消えていた。そのかわり、彼女の左手には月の紋が浮かぶ。


「でいやあ!」


 男は力いっぱいに剣を振り下ろした。

 その剣を素手のキリコは左手の甲で受ける。

 月の紋が輝いて剣をはじき、触れた部分を砂に変えてへし折る。

 その現象に男も下種な笑いを止めざるをえなかった。


「なんだよ今の。ずるいじゃないか」

「だから黙れと言っているだろうが!」


 男の反応を気に食わないキリコは、呆けている男の胸元に飛び込むと左手を突き出した。

 手刀の指先はバターにナイフを入れるがごとく男の腹に刺さり、男の体内で月の紋が爆ぜる。


「なんだこりゃあ!」

「消えろ、クズが」


 キリコの「消えろ」という言葉に合わせて男はそのまま爆ぜた。

 胴体から四方に飛び散った肉片を「住民」は炉端のゴミと同じように何もなかったかのように無視する。

 一方でキリコを見た「咎人」たちは恐れおののいでその場を立ち去った。


「償う前に死んだ?」

「モンスターが相手でも死なないのに」


 そんな声を「咎人」たちはつぶやいていたが、キリコにも「住民」にも聞こえなかった。

 翌日、キリコは昨日のことを鮮明に思い出していた。

 いつもなら寝れば昨日のことなどほとんど覚えていないのに、今日は何も忘れていない。

 「咎人」なら当たり前だろうということでも「住民」だったころのキリコには当たり前ではなかった。

 だがキリコは困惑しない。なぜなら脳裏に自分がなすべきことをあの本が焼き付けたのだから。


「償う気のない咎人をすべて殺し、この世界を浄化せよ」


 本をその身に宿したキリコはこうして「住民」から「咎人殺し」へと変質した。

 キリコの噂が「咎人」らに広まるまでかかる時間は瞬く間である。

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