女子中学生とおっさんが自殺する話
花井有人
プロローグ
立つ鳥跡を濁さず、その言葉を深く共感するようになってどれほどの月日が経ったのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えて、無造作に投げ捨てていたスマートフォンを手に取り、
スマホの画面に表示されていた時刻は八時十分。家から歩き駅まで行くと丁度出勤の電車に乗り込める。
ところが、予定通りに辿り着いた稲葉は、駅の混雑ぶりに動きを止められてしまった。
駅員が放送で繰り返し連絡をしていて、人身事故の発生により電車が遅れてしまっているのだそうだ。出勤時刻であるため周囲には不機嫌そうな顔を浮かべるサラリーマンでいっぱいだった。
稲葉はスマホを取り出し、直ぐに会社に一報を入れる。遅刻することを伝えると、短い応対だけで通話は切られた。
「飛び降りみたいだぜ」
若い男の声が耳に拾えた。
ちらりと視線を向けると、そこには学生服の男子二人が、スマホの画面を見つめながら、何やら面白そうに語り合っている。
どうやら、この人身事故の原因をネットで探り、線路に人が飛び降りて自殺したことを突き止めたらしい。
高校生らしき二人の男子は、随分と楽しそうに盛り上がっていた。
「見ろよ、ツイッターで上がってる」
「うわ、すっげー」
どうも、ツイッターに事故に出くわした人の動画が上がっているのか、二人は興味津々という様子で夢中だった。
稲葉は高校生から目を外し、駅のホームから線路を見つめていた。
名前も知らない自殺をしたその人物のことを考えると、なぜそんな死に方を選ぶのだろうかと苛立ってしまう。
どうせ死ぬなら、誰もこない樹海にでも行って静かに死んでほしいものだ。
こんなにも多くの人に影響を及ぼして、迷惑をかけ、中にはそれをエンターテイメントのように受け取り、楽しむものさえいる。
本人は死んでしまえばそれで終わりでいいだろうが、生きている他の人間は、その死によって、多大な影響を受けてしまうのだ。
この人身事故に巻き込まれたせいで、『遅刻』することになって、要らぬ連絡を取らされたこちらのことを少しは考えて欲しいものだ。
死ぬということは、それだけ多くの人に影響を与えてしまうということを、理解してほしい。
そんな風に考えて、稲葉は表情に皴を作っていた。
どうせ死ぬのなら……、きちんと身辺整理をして、誰にも影響を与えぬように準備してから死ぬべきだ。
自殺などして、家族は悲しむのではないか? 残された家族や知人はそれで大きな精神的な打撃を受けることだろう。
稲葉は電車のこない線路をじっと見つめ続けた。
駅員の放送が、ホームに何度と繰り返される。中には退場してバスやタクシーで目的地に移動しようとする者もいる様子だった。
しかし、稲葉はその場から動かなかった。
じっと線路を見つめ、これでは矢張りダメだなと青空を仰ぐ。
雲が千切れて泳いでいた。
あの雲のように、ゆっくりと散らばり、霧散できればと願わずにはいられない。
(オレは……こんな死に方はしない)
誰にも気づかれず、居なくなったことも忘れられ、遠い先に死んでいることに気が付かれても、誰も気に留めるようなことがないように――。
(オレは……消滅自殺してみせる)
ごった返す朝の駅の中、稲葉は改めてそう誓った。
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