第2話 この高校に入りたかった理由

 あれは俺が中1の夏。俺はバレーボール部に所属していた。記録的猛暑の中、世間では部活動中に熱中症で倒れた中高生のニュースが連日報道されていた。そうは言っても公式戦がなくなるわけではなく、ほとんどの公立中学校の体育館には冷房がなく、バレーボールの試合の時には暗幕を引く事になっており、とんでもなく暑い中、3年生の引退試合が行われていた。

 自分の学校が公式戦の会場になっていたあの日、3年生の試合を観戦するため、1,2年生は体育館のギャラリーに並んで試合を見下ろしていた。体育館は2階にあり、ギャラリーは更にその上。上へ行けば行くほど暑いもので、ギャラリーはサウナのような暑さだった。俺たちはそこにくっついて立っていて、手すりに寄りかかりながら試合を見ていたが、まだ体が小さかった俺は体力もなく、気分が悪くなってしまった。

俺はその場に座り込んだ。とにかく立っていられない。先生は試合についていて、ここには生徒しかいない。

「気分悪いの?」

「大丈夫か?」

隣にいた1年生たちが俺に声をかけたが、かろうじて頷いただけだった。座っても暑いものは暑い。もうろうとしながら下を見下ろしていたら、後ろから肩を叩かれた。

「どした?」

その、低い声に少し驚いて振り仰ぐと、2年生の柚月先輩が屈みこんでいた。その、大きな目と長いまつげにびっくりして、返事ができなかった。周りの1年生たちが、

「気分悪いんだって。」

と言った。柚月先輩と同じ小学校出身の1年生は敬語も使わず「ゆづくん」と呼ぶけれど、俺はあまり会話をしたことがなく、既に背も高くて声も低く、大人びた柚月先輩を「ゆづくん」とはとても呼べず、というか、名前を呼んだことがなかった。

「あの、大丈夫です。」

俺はとっさにそう言った。だが柚月先輩は、

「大丈夫じゃないだろ、こっちおいで。」

そう言って、俺の腕を引いてゆっくり立たせてくれた。そして、一緒に狭いギャラリーを抜け、開けたところへ行った。そこには開いている窓があり、風通しが良かった。

「顔洗った方がいいな、階段降りられるか?」

柚月先輩はそう言って、俺の顔を覗き込んだ。俺は頷いて、柚月先輩について階段を降り、体育館入り口にある水道場へ行って、顔を洗い、水を飲んだ。

「ここの送風機にしばらく当たっていよう。」

柚月先輩は水道場に軽く腰かけた。俺も隣に腰かけた。

「あのう、もう大丈夫です。戻りましょう。」

俺はそう言ったが、

「まだ大丈夫じゃないだろ。顔が赤いぞ。それに、俺もしんどいからもうちょっとここにいたいんだよ。」

柚月先輩は笑った。そう、柚月先輩は病弱で、ちょくちょく部活を休んでいるのだ。激しい運動をすると、その後めまいがして気持ち悪くなってしまうそうで、起立性調節障害とかいう病気なのだ。

 しばらくして、

「どうする?まだここにいる?それとも上に戻る?」

柚月先輩が俺に聞いた。

「上に戻ります。」

俺はそう言った。ここに柚月先輩と二人で座っているのが、なんというか恥ずかしいというか。もう気分が悪いかどうかなんてわからなくなっていた。

「よし、戻るか。」

また柚月先輩は笑った。俺も笑顔を返せたらいいのに、ただ目をパチクリするだけで、お礼すら言い忘れて、先輩について階段を上がり、また元の位置に戻って試合を観戦したのだった。

 翌日、ちゃんと柚月先輩にお礼を言わなきゃと思って部活に行ったが、柚月先輩はお休みだった。その次の日も、その次の日も。タイミングを逃してしまい、とうとうお礼を言いそびれてしまった。

 3年生が引退して、1年と2年だけになってから、少しは柚月先輩と会話もするようになった。ゆづくんとは呼べないけれど、柚月さん、と呼ぶようになった。柚月さんは部活を休みがちだけれど、練習や試合に出てきた時には、誰よりも高く飛ぶ。高く飛んで、スパイクを打つ。とてもかっこよかった。俺もあんな風にジャンプ出来たら、と憧れた。


 ある練習試合の日の朝、最寄り駅で友達に会ったので、一緒に電車に乗ろうと思ったら、

「これからゆづくんがここにボールバッグ持って来るんだよ。ちょっと待ってて。」

と言われた。前日に部のボールが入った大きなバッグを持って帰ったものの、柚月さんは今日の練習試合をお休みするので、今ここで受け渡しがあるそうなのだ。まだ時間が早かったので、もう一人来た1年と3人でしゃべっていたら、ボールバッグを持った柚月さんが現れた。

「お待たせ。悪いな。」

 びっくりした。当たり前だけど、柚月さんが私服だったから。Gパンに白い大きめのパーカー。大人だった。俺たちは学校ジャージに白いスニーカーで立っているのに、歳が一つしか違わないなんて信じられないくらい、柚月さんは大人で、かっこよかった。

「おい琉久、行くぞ!」

はっとして友達を追いかけた。友達は、柚月さんに「じゃあねー。」と言って手を振って、さっさと改札を通っていた。俺はいつまでも柚月さんの姿を目で追っていたのだ。あんな、かっこいい中学生って他にいるか?いないだろ、とか思いながら。


 あれから、柚月さんとはそれほど親しく話すこともなく、けれど時々部活で顔を合わせる日々が一年間続いた。俺は毎日、今日は会えるか、会えないかとソワソワしながら学校へ通った。そのうち柚月さんたちが部活を引退し、そして卒業してしまい、それからずっと会えずにいた。だが俺は、柚月さんがこの三池台高校に入った事を知り、どうしてもこの学校に入りたくて、勉強を頑張ってきた。俺たちがいたバレー部は東京都の中でも強い方だったので、数少ない部員たちはほとんどが私立高校へバレー推薦で進学した。しかし俺は先生に勧められてもバレー推薦を取る事なく、都立高校の為に受験勉強をして、見事合格したのだ。だから、この入学式は感慨深い。そして、柚月さんにまた会えるという想いに胸が高鳴る。

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