第70話「なにゅ」

 決闘から丁度二週間が経過した。大きな変化があったことは、クルミの長期休暇が入った事だ。

 テトラ弁当の配下に下る事でカロテは自由になり、晴れて望んでいた放浪の旅をする事になった。悩みに悩んだ末、クルミはカロテについて行くことを選んだ。

 ヘイゼルはクルミの旅立ち自体には反対しなかったが、魔界は広く危険が多い。カロテは狡猾なやつだし、何だかんだ腕っぷしもあるらしいのでその辺は大丈夫だろう。何より各地にバールゼーブの組織があるし。

 ザラメは最後、泣きながら駄々をこねた。どっちが年上なんだかわからん。

 気持ちはわかる。俺もクルミと長く会えなくなるのは寂しい。

 もし妹が居て、嫁に行ってしまうとしたこんな気分なのかもしれない。

 最後クルミがテトラに放った「かけおちしてくる」という台詞が脳裏から離れない。


       ※


「来なかったら速攻ヘイゼルに連絡ね」

 テトラ、俺、ザラメ、コムギの四人、店のイートインでとある人物を待っていた。今日、ヤトコがザラメの元へ帰って来る手筈だ。

「まだ午前中ですし、焦らなくても大丈夫でしょう」

「ちっ、時間まで指定しておくんだったわ。折角の休みなのに待ちぼうけは嫌よ」

 テトラは椅子に座ったまま机に突っ伏す。コムギは椅子を逆にして座り、背もたれに両肘を付いて怠そうにしている。

「全員で待っている必要なくないか? 料理教えてくれよユキヒラ」

「一応、何があるか分かんないって事で」

 イートインの椅子は二つしかない。俺はレジ用の椅子を前にだし、入口から見てコムギより少し奥に座っている。

「ザラメさんはちょっと落ち着いた方がいいですね。何か飲みます?」

 ザラメは朝からずっと店内を歩き回っている。さながら謎解きに苦労する探偵か、研究が滞っている博士のようだ。気を張り詰めすぎてそのまま息まで詰まりそう。俺の声も届いていない。

「私、紅茶ね」

「じゃあ私オレンジジュースな」

 テトラに続けてコムギが注文を付ける。

 お前らには言ってないぞ。持ってくるけど。

 ザラメが何を口にするか分からないので、紅茶、オレンジジュース、コーヒーをとりあえず二人分ずつ持って来る。とりあえず二人が御所望のものを入れ俺は自分のカップにコーヒーを注ぐ。

 ポット二つと瓶が一つ、カップは四つ、テーブルの上が忙しい。

「ザラメさん何にします?」

 再び質問に答えない。これでは見ているこっちが落ち着かない。

 俺はこちらの方に周回してくるザラメの肩に手を置き、人差し指を立てた。

「なにゅ」

 なに、と言おうとしたのだろう。肩に置いた人差し指が柔らかい頬をぷにっと押し込み「イ」の口の形が「ウ」になる。

 妙な発言になってしまい頬を赤く染めるザラメ。俺は自分で飲もうとしていたコーヒーを差し出した。

「あ、ありがとう」

 慌てて両手で受け取るので、零して火傷しそうで怖い。俺は強制的にレジ横の椅子へザラメを座らせた。

「ゆっくり味わって、頭冷やしてください。それ、ちょっと高い豆ですから」

 ザラメは俺の顔からコーヒーに視線を落とし、その香りを恐る恐る小さな体に取り込む。毎日飲んでいるくせに今日初めて見たような仕草だ。

「……いい香り。ありがとう、ユキヒラ君。ほんと好き」

 肩の角度が谷折りから山折りに下がる。少しだけ落ち着いたようだが、まだ錯乱しているなコイツ。

 俺はもう一度自分の分を淹れ、無言で呆れているテトラの横の壁にもたれ掛かる。コーヒーを一口味わおうとした時、店の扉が開いた。

 俺の手は止まり、テトラとコムギが怠そうに入口を睨む。ザラメは操り人形が勢いよく引っ張られたように真っ直ぐ立ち上がる。

 ザラメの持つコーヒーが少しだけ零れ服に付いた。

「ごきげんよう。テトラ弁当の皆さん」

 ついにバトラが店に現れた。

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