第65話「了解です、ご主人」
「――おい、ユキヒラ! おいって!」
「……ぁ」
しまった。
どれくらいぼうっとしていた?
ヤトコやフラボは既に食材を運び終えている。調理の準備をしている所だ。
「ユ、ユキヒラ君、毎日クルミちゃんに作ってるよ。それに、悪魔はご飯食べて死ぬ事なんてないんだよ」
それは頭では理解してる。身内の子供に自分の分も含めて作る時とは訳が違う。死ぬとか死なないとか関係ない。
何度も包丁を握って来た手を見る。
あの子の母親の叫び声が頭に鳴り響く。
「ユキヒラ。こっち見て」
すぐ側で聞こえたテトラの声。振り向くと、あったのは顔ではなくテトラの手だった。
手を確認してすぐに額へ稲妻が走る。俺は頭の先に来た衝撃で吹っ飛んで背中から地面へ落下した。
声も上げられないくらいの痛みが額に襲ってくる。テトラが俺に何かしたらしい。
「なっ、何してるの、テトラさん!?」
俺が頭を抱えて悶絶していると、ザラメの度肝を抜かれた声が聞こえた。俺もそう思う、一体今俺に何をした。背中から落ちたせいで肺の辺りも痛い。
「誤算だわ。恐ろしいほど柔いのね、人間って」
吹っ飛ぶ前の手の形で、今何をされたのか分かった。デコピンだ。
テトラは吹っ飛んだこちらへ近づき膝を折る。倒れ込んでいる俺の胸倉を掴んで、上半身を無理やり起こした。万力めいた力で引っ張られる。
「目、覚めた? おはようのキスも必要?」
顔を拳三つ分くらいの距離まで近づけ、テトラは片眉を上げた。
見る者を信服させてしまうようなアメジスト色をした綺麗な瞳。逸らす理由もなく、大観衆の中俺達は見つめ合う。
「二度と言わないからよく聞きなさい」
俺は馬鹿みたいに口を開けながらテトラの唇から紡がれる言葉をただただぼうっと聞いていた。
テトラは胸倉をそのまま手繰り寄せて、俺の耳の傍に唇を近づけた。糸のように繊細な髪が俺の顔にかかり少しこそばゆい。
「私達の、居場所を守って。……お願い」
初めて聞く、テトラの拙い声。
会場の喧騒を貫いて耳元の音が届く。
鼓膜が震えると同時に俺の気持ちも震えていた。
お願い。
これは、命令じゃない。
「返事は?」
聞かれるまでもなかった。
「了解です、ご主人」
我ながら単純だ。
俺だって実は最近楽しい。テトラの小言も、ザラメの不安定な所も、クルミの食いっぷりも、コムギの阿呆さ加減も。
テトラとは離れたくない。
あんたに必要とされていたい。
「よしっ。それなら」
テトラは胸倉を掴んだまま立ち上がり、俺の体も一緒に起こす。
「私の下僕として、勝ってきなさい」
そして胸倉から手を離し俺の肩へ拳をバシっと当てる。気合は十分に溜まった。あとは吐きだすだけだ。
俺はテトラに背を向けてキッチンに向かう。
会場の壁に掛けられている歪な時計を見ると、ニ十分近く立っていた。中々シビアな時間だ。あと一時間で完成させて盛りきるには何が良いか。
クルミの好みから考えて、人間の子供が好きそうな物で大丈夫なはずだ。それでいて短時間に大量に出来るもの。
俺は余計な事を捨ててクルミが好きな物を思い浮かべた。とりあえず肉だ。そして大量調理向き、且つお弁当に入っているような物。
一つ単純な物を思いついた。祖母の得意料理でもあったアレを作ろうと思う。
勝てるかどうか、時間が足りるかどうかは俺の経験にかかっている。
初めて祖母に料理を教わってから、今日の皆に朝ごはん作った時までの全てをぶつける。
俺は対戦する両者に遅れて白い円卓へ向かった。
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