第31話「ここはね、家畜小屋だよ」

 建物に鍵はかかっていなかった。入口の門があれだけ大きいのは、そのサイズの何かが通っていた名残なのかもしれない。

 俺たちは家の中に足を踏み入れた。

 歩けば靴音が響き、自分の呼吸が隙間風染みて聞こえる。雪が降り注いだ時の、世界から音が隔絶されてしまった独特な雰囲気。

 すぐ目の前には横に広い階段が続き、遠くに見える踊り場に高尚そうな絵が飾ってある。左右に長く伸びる廊下があるが、規則的に部屋が並んでいるだけだ。

 生き物の住処ってより閉鎖された美術館を思わせる。無機質で生活感がない。まるでそれを意図して作られたかのようだった。

「ザラメー!」

「うわっ、いきなり叫ばないで下さいよ……」

 コムギは隣でいきなり大声を上げる。音の死んだ閑寂な雰囲気で叫ばれるとビックリ箱を開けた気分だ。

 少し待ってもザラメからの返事はない。

「やっぱ留守なんじゃね?」

「ここまで来ましたし、ちょっと探しますか」

 家の中で誰かを探し回るなんて妙な体験だ。声が届かないくらい広い一軒家はさぞかし裕福な暮らしが出来るだろうが、壁との距離が遠くてちょっと寂しさを感じる。


 俺達は適当に歩を進めた。とにかく広い家で部屋の数もかなり多い。一つ一つ、部屋の扉には名前の様な物が張られていた。やはりかつてはたくさん悪魔が住んでいたんだろうか。

 キッチンや風呂場なども含め一階は隈なく探し回った。これだけ大きいのに掃除が行き届いているのも不思議だ。

「不気味だな。気持ち悪ぃ」

 人の家に入ってその感想はどうかと思うが、同感だ。こんな所で暮らしていたらおかしくなってしまう。

 二階も雰囲気は同じだった。見る限り誰も居ない。部屋の扉の前には名前の札があってそれが均等に並んでいる。

「コムギさん。これ見てください」

 折り返しまで来たところだった。扉の前を流し見しながら進んでいた俺は、名札に見覚えがある刻印があり数歩引き返す。見逃していたコムギはつまらなそうに振り返った。

「これ。この部屋の名前」

 怪訝な顔をして戻り、俺の言う名札を見る。

「誰だ? 知ってる名前か?」

「文字読めます?」

「読めるわ! バカにしすぎだろ!」

 他人に興味がないのか単に覚えが悪いのか、つい先日聞いた名前を憶えていない。

 名札に書かれた名前は『ヤトコ』だ。ここがザラメの家だと、これで確信が持てる。

 偶然にしては出来すぎているし、この世界で同じ人間みたいな名前の奴がそうそう居るとは思えない。

「入りましょう。何か手掛かりがあるかも」

 喋りたがらないザラメとの関係も何かわかるかもしれない。

 勝手に入るのはちょっと気が引けるけど、そもそも不法侵入している時点で今更だな。

 俺はドアに手をかけた。軋む音すらせずに自然と開く。

 中は真っ暗だった。

 と思ったが、カーテンの奥から微妙に光が差している。こちらが明るいせいで、中の様子がよく見えない。目を細めるとうっすらと何者かの影が佇んでいるのが見えた。

 誰かいる。

 その物陰はすさまじいスピードで接近して来た。

 真っ暗な部屋から飛び出して俺を押し倒した。重くはないが動けないくらいには怪力で相手が悪魔だと確信する。

 コムギに助けを求めようとした時、俺に乗っかっている悪魔はボソリと呟いた。

「ユキヒラ君」

 吃驚と累卵が織り交ざった声。その顔は何かを懇願するものから、見る見る内に落胆へと変化し、俺から飛び退いて部屋の中へ戻ってしまう。

「ザ、ザラメさん」

 俺は起き上がってもう一度中を確認した。はっきりとは見えないが、暗がりの部屋の隅で誰かが丸まっているのは分かる。

 まさか見間違い? いや、声は確かにザラメの物だった。

「おいザラメ、入るぞ」

 もう一度声をかけようとするが、その前にコムギが遠慮なく部屋に入る。少し躊躇したが俺も後に続く。

 部屋の外からはカーテンの木漏れ日が目立つ。中央には足の低いテーブルがあり、そこには一本の蝋燭が立てられていた。

 暗闇の中、六畳くらいの小さな部屋で僅かな灯がゆらゆらと踊る光景。呪術的儀式に見える。これで紋章みたいなものが床に刻まれていたら何かを召喚していたといわれても不思議ではない。

「うわほんとに蝋燭見てるぞコイツ! 消せ! カーテン開けろ! こっちまで気分悪くなるだろ!」

 コムギは蝋燭を口で吹いて消し、カーテンを勢いよく開ける。年季が入っていたのか、ビリビリとカーテンは破れ数メートルの布切れと化してしまった。

 夜だった部屋が真昼に変わり、隅で縮こまっている悪魔の正体が露になる。

 壁に向かって足を折り、尻尾を体に巻き付けて床にペタンと座り込んでいる。この小さい後ろ姿、やっぱりザラメだった。

 いざ声をかけるとなると言葉の精選に困ってしまう。

「無断欠勤の件、悪名高いオーナーが怒ってますよ。行きましょう」

 俺は少し冗談を交ぜ、この儀式部屋から連れ出す算段を練る。

「この建物、何だと思う?」

 ザラメは酷く虚脱な声で、壁に向かったまま言い放つ。俺の言霊は行方知れず、会話のスタートはザラメからになってしまう。

「ザラメさんの家、って聞いてきましたけど」

「それは隣の小さい方だよ。この、大きな建物」

 そういえば小さな家が隣にあったな。あの大きさなら家と言われても納得できる広さだろう。それでも十分な豪邸だったけど。

「ここはね、家畜小屋だよ」

「家畜?」

「ここで奴隷を育てて、売るの。パパが、奴隷商人だったから」

 奴隷商人……つまり人間で言う、人身売買。ザラメは読み上げるように言うだけで、そこに心は宿っていなかった。

「ヤトコちゃんはウチの「商品」だったんだよ。それでも私の、秘密の下僕だった」

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