第4話 「今晩は豚の角煮に決定ね」
予備の弁当を届け、無事にこども病棟の配達を終えた。あと二棟あるのだが、ほんとにもう帰りたい。
先程のようなヤバイやつに出くわすかもと思うだけで、胃酸の生成が促進される。守衛の「持って行かれる」というのは命のことだったらしい。濁したのは優しさか意地悪か……。
「次は精神科病棟ね」
「え?」
「精神科。……何よ、その顔」
くそ、どこまで不安要素が増えていくんだ。比較的マシなイメージのこども病棟でさえアレだったのに、次は精神科だと。生きて帰れるのか?
「俺、車の中で待ってちゃ駄目ですか?」
「いいの? あんた一人になるけど」
「お供します」
車内とはいえ病院の敷地内だ、ああいう類のものが闊歩しているとしたら、一人でいるのは鴨が葱と鍋とシメの麺も背負っているようなものだ。テトラの金魚の糞になっていた方が遥かにマシ。
「ん? なんだ、今の音……」
俺達が車に乗ろうとした時、どこかでガラスが割れたような音がした。遠いような、近いような。周囲を確認しようとするとテトラがいち早く上を見上げた。
そしてテトラの大きな舌打ち。
すぐに俺に飛び掛かり、二人とも車から数メートル遠のく。
俺とテトラが地面に転がると同時に、弁当が積まれている車へ何かが落ちて来た。
交通事故めいた激しい音が鳴る。
背中に転んだ痛みを感じつつ、テトラが落下物から助けてくれたのだと理解した。
「っ……あ、ありがとうございます」
「お礼を言うのは早いわよ」
テトラは立ち上がって落下物の方を見る。
ペシャンコに破壊された車の上で、ついさっき俺に植え付けられたトラウマがこっちを見下ろしている。テトラが殴り飛ばした一つ目の悪魔だ。その鋭い眼光はテトラではなく、俺。
出会った時と同じ唸り声、そして獰猛な声で言った。
「タツタアゲ」
一つ目の悪魔はそれだけを発すると、車の上から崩れ落ちた。ぼんちゃ、と袋に詰めた泥が叩きつけられるような音がする。そのままピクリとも動かない。こいつ、どんだけ竜田揚げ食いたかったんだよ……。
警戒していたテトラが構えを解いた所で、一つ目の悪魔の体がぐにゃぐにゃと変化していく。それを確認すると、テトラは不機嫌そうに足音を立てて悪魔へ近づいた。俺もテトラに隠れながら恐る恐る近づくと、一つ目の悪魔は人型に戻っていた。
まだ幼稚園児くらいの小さい女の子だ。この子が、あんな化け物になるのか。
「魔力を使い切ったわね。私に殴られても追いかけてくる辺り、食い意地と根性あるわ。このガキ」
何を言うかと思えばよくわからない称賛。それよりこの小悪魔、こども病棟に居たって事は入院患者だったのでは? いくら正当防衛とはいえそれを殴って気絶させるって、ヤバい気が……。
この騒動、さすがにあれよあれよと言う間に周囲の悪魔が集まってくる。
「何事でしょうか」
最初に話しかけて来たのは、守衛の豚さんだった。
ここは入口、守衛はすぐそこだし一番に騒ぎを聞きつけたのだろう。壊れた車に倒れている子供、何故かしたり顔の主人、情報量が多くてさすがの豚さんも困惑している。
一見すると俺たちが騒ぎを起こしたように見える。いや、実際起こしてるけど……巻き込まれたわけだし。ここは、勘違いされないように詳細な説明を頼むぞ、テトラ。
「そこのガキが喧嘩を売って来たのよ。だから買った。文句ある?」
「言い方!」
任せた俺が馬鹿だった、語弊がありすぎる。
守衛の豚さんは一通りの状況を確認し、鋭い眼光をギラギラとこちらに向ける。これは間違いなく、俺達を疑っている目だ。いや、蛮行自体は擁護のしようがないけど……。
「テトラ弁当様、この状況、詳しく聞かせて貰っても?」
「嫌。まだ配達あるし。行くわよ、ユキヒラ」
「え? あぁ、はい……」
弁当は多分、全部潰れちゃったけどな。
「お待ちください。ついさっきエレベーターが破壊されたと報告がありまして、それもテトラ弁当様が御配達をした時間と一致しているのですが、何かご存じないでしょうか」
「私たちを疑ってるのかしら。心外ね」
まぁ、それ俺たちなんだけど……よくそんな平気でシラを切れるな。逆に尊敬するわ。
「滅相もありません。ただ犯人であれば、小悪党を黙って帰す訳には行きませんから」
「何よそれ。喧嘩売ってる訳?」
その瞬間空気が鋭く尖る。
血の気の多いテトラはともかく、穏やかそうな守衛さんも明らかに機嫌が悪い。一色触発の雰囲気に、駆け付けたいくつかのギャラリーは止めるどころかやっちまえムード、くそ、これだから悪魔は……。
「あの、待ってください。その、勘違いなんですよ」
数時間のような数秒の黙殺に耐えきれなくなって、沈黙の帳を上げたのは二人のどちらでもなく、俺。タイミング的にはギリギリだったように思う。あとちょっとで血を見る展開になっていただろう。
「勘違いとは?」
静かな口調だがトーンが低い。それだけで顔が引きつり、続く言葉を迷わせる。恐怖とはまた違う、威圧とは正にこの事だろう。
「あの、先に俺が襲われまして、それで俺の主人が助けてくれた時にエレベーターが壊れちゃって。わざとじゃないんです」
「つまり子供を殴った上、壊したエレベーターを放置して来たと認めるのですね」
「あ、いや……えー? そう取っちゃいます?」
しまった。壊すつもりはなかったと伝えたかったのだが、客観的、端的に言えばそうとも変換できる。自分で首を絞めたか。って論破されてる場合じゃない。何とか上手く誤魔化さないと……。
「大丈夫よ、ユキヒラ。こいつを黙らせた方が早いわ」
「出来るのであれば、どうぞ」
「今晩は豚の角煮に決定ね」
「いやいや! ちょっと待っ――!」
「――待って下さい」
守衛でも、テトラでも、俺でもない、第四の声が死闘を制止する。その声の元はこども病棟の入り口からだった。
俺は多分阿呆面でその悪魔を見ていただろう。だって見た目は、点滴スタンドを押したただの小悪魔だったから。
あれ、この子どこかで見たような……。
「この病院では皆さん、仲良くしてくださいね」
近づいてくる見た目小学生くらいの悪魔は、悪魔と言うより天使のような愛らしい顔をしていた。高級なシルクめいた艶やかな金色の髪は腰まで伸びていて、微風にすらなびくくらいに細く繊細。紅く光る大きな眼は見た目通りのあどけなさを感じさせるが、心の中を見透かされているような油断できない目つきだった。
テトラはその相手を完全に見下していた。無言だがくねくねと相手を煽る様な尻尾の動きをしている。
守衛の豚さんだけが畏まり、幼女に対し深々と頭を下げる。気が付けば、この騒動の野次馬達も、跪いてこの子に頭を下げていた。何なんだ、この小悪魔は。
「失礼致しました。副理事長」
豚さんが怒気の消えた声で言う。
「副……理事長? この子が?」
「はい、人間さん」
この病院の?こんな若い子が……って、悪魔は見た目と年齢が合わないんだった。それに、思いだした。この子はこども病棟で最初に話しかけられた小悪魔だ。副理事って事はかなり偉いんだよな?
危ねぇ、手を振らず一礼しておいてよかった。プライドなんて弁当のバランよりも役にも立たない。
副理事長と呼ばれた小悪魔は、ガラガラと点滴スタンドを引きながら俺達に近づく。さすがのテトラも面食らった顔をしていた。中々貴重な表情だ。
「私はここの病院の理事長代理を務めるヘイゼル・アードモン、悪魔名はリヴァイアサンと申します」
リヴァイアサン、と聞いてテトラの顔が引き締まる。戦いを止められてむっとした様子だが、少しの緊張も隠れている気がする。
「何があったか分かりませんけど、その子が御迷惑かけたみたいで申し訳ないです。私に免じて許してもらえませんか?」
副理事長――ヘイゼルがスタンドと逆の手で指差すのは、今は人間型の気絶している幼女の悪魔。
「その子、私の妹です。私のお見舞いに来ていたのですが、途中ではぐれてしまって。空腹が過ぎると興奮してつい悪魔型になっちゃうんです」
俺とテトラは倒れている小悪魔と点滴スタンドを持つ小悪魔を交互に見る。至極簡単な感想が言葉になりタイミングが重なった。
「「似てない」」
「ふふ、よく言われます」
リヴァイアサンこと、ヘイゼルと名乗った女の小悪魔は、赤ん坊を眺める母親みたく微笑む。それはつまり、相手の全てを掌握している時の顔でもある。
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