Mistilteinn

青海野 灰

#19999

ヤドリギ

========= # 19999 =========


 幼い頃から恐れられていた。

 怖い。何を考えているか分からない。近寄り難い。

 周囲の人間にはそんな風に見えていたようだ。

 それでも構わなかった。

 僕には、使命があるのだと、言われ続けて育ってきた。



 高校の授業を終えて家に帰ると、いつもの様に無精髭の男がリビングのソファに座っている。


「おう、帰ったか。準備が出来たら戻ってこい。今日の分を始めるぞ」

「はい」


 奴は、僕を名前で呼ばない。いつも、「おい」とか「お前」とかで呼びかけてくる。

 奴も、僕に名前を教えてくれない。不便なので何度か名前を聞いたことがあったが、「ヤドリギ」だと言うだけだった。どう考えても本名ではない。最近は名前を聞くのも諦めて、僕は奴を「ヤドリギ」と呼んでいる。


「俺はヤドリギだ。お前に寄生して、お前を養い、お前を育成する。それが俺の仕事だ」


 奴はかつてそう言っていた。奴が何者なのか、なぜ僕に寄生し、僕を育成するのか、まったく分からない。聞いても答えようともしない。


「お前が俺の仕事を知る必要なんて無い。お前はお前の使命を果たす事だけを考えろ」


 奴はいつもそう言っていたが、そのくせ、僕の「使命」とやらは、目的がはっきりしない不明瞭なものだった。


「お前の使命は、誰よりも強くなる事だ。世界中の誰にも負けない力と、頭脳を持て。そしていつか、俺を越えてみせろ。それまで勝手に死ぬことは許さん」


 なぜ強くなる必要があるのか、何のために奴を越えなければならないのか、それについては、「いずれ分かる」と言って口をつぐんだ。



 二階にある自分の部屋に入り、学校の荷物を机の上に置く。この部屋には、ヤドリギから与えられた物しか置いていない。ベッド、学習机、クローゼット、本棚、ノートPC。それだけだ。テレビやゲーム機、マンガ本などは一切存在していない。僕を知らない人間がそれを聞くと、異様に感じるようだ。娯楽なんて何が良いのか分からない。人間を堕落させるだけだというのに。


 制服から普段着に着替え、部屋を出て一階のリビングに向かう。

 奴は、僕の意識が芽生えた頃から、ずっと存在していた。一般に言う父親や母親、兄弟等のような、家族と呼ばれるものは僕にはいない。奴が言うには、過去の事故やら病気やらで、全員生きていないそうだ。それが本当であることは、高校の入学時に住民票を見た事で知った。詳細な死因までは分からなかったが、どうでもいい。初めから居ない存在になんて、哀しみも同情も感じない。


 ヤドリギは、僕が子供の頃から愛想の欠片もなかったが、一応僕の後見人こうけんにんという立場にあるらしく、親権者の存在が前提となるような物事には生真面目に対応してくれた。


 リビングに戻り、奥にある黒く重い鉄の扉を押し開ける。中にはヤドリギが既に立っていた。十メートル四方の広さのこの部屋の中心には、二メートルの巨大な円柱状のゴムで出来た棒が佇んでいる。太さは人間の胴体程で、幾つもの小さい穴が穿うがたれている。ヤドリギはこれを「カカシ」と呼んでいた。

 入口の対角線上に、白い鉄の扉があるが、その先に何があるかは知らない。一度も入った事がないし、ヤドリギに聞いても教えてくれない。


「とりあえず、いつものを百回ずつだ。やれ」

「はい」


 カカシの前に立ち、右の拳を固く握り、親指を立てる。短く強く息を吐き出し、立てた親指を先端に右手を突き出し、カカシの喉元に捻じ込む。喉元と言ってもカカシはただの円柱なので、人間の喉元辺りの高さに狙いを定めて親指を突き刺す。心の中で回数を数えながら、それを何度も繰り返す。


 これはヤドリギが僕に教えた暗殺術だった。武装していない人間を殺すのに、武器は必要ないというのが奴のポリシーらしかった。初めの内は突き指に苦労したが、今では何の苦も無く刺し込める。人間の肉はこのゴムよりも断然柔らかいらしいから、今の僕は一般人なら簡単に命を奪えるそうだ。幸い、このカカシ以外に試したことは無いから実感はないのだが。ヤドリギはこの暗殺術を、ヨーロッパの古代戦闘陣形から「ファランクス」と呼んでいた。


 他にも、親指の先端を人差し指で固定して、そこに小石なりパチンコ玉なり小銭なりをセットし、腕を突き出すと共に親指で強く弾くことで、高速の弾丸を打ち出す方法も学んだ。これは殺傷能力は低いが、上手く目などの急所を狙えば相手の動きを著しく制限できるそうだ。本当だろうか。これも今まで生物相手に試した事は無い。これは、同じく古代陣形から「カラコール」と呼んでいた。


 ムエタイやテコンドー、カンフー等の一般的な武術も叩き込まれた。ヤドリギは、見た目は三十代くらいの平凡な男で、特に背が高くも、筋骨が優れて逞しい訳でもないのに、異常な程強かった。奴は僕にも、世間や学校等で目立つことを禁じた。あくまでも普通の人間として、世界に溶け込め、と言っていた。だが、僕の性格や言動は世間から逸脱しているようで、学校ではいつも孤立していた。それはイジメというものよりは、得体の知れない僕に対する恐れだろうと分析していた。クラスメイトも教師も、僕に対する時の表情からは怯えを感じた。鏡を見ると、僕も普通の人間である筈なのに、何をそんなに恐れるのだろうか。


 ヤドリギはまた、肉体の格闘術だけでなく、銃など武器の扱いも僕に教えた。奴はあらゆる火器に精通しているようだった。何故銃刀の取り締まりが厳しいこの日本でヤドリギがハンドガンを持っているのか、何故その知識を持っているのか、僕には分からなかったが、聞いた所で教えてくれるはずもないので、気にしないことにしていた。


 百回のファランクスを終えると、部屋の角に移動し、カカシを狙って親指で弾を弾くカラコールの練習を、こちらも百回行った。この距離であれば、狙った箇所にほぼ確実に当てることが出来るようになっていた。ファランクスで穿うがった穴に、小さな銀の鉄球が吸い込まれるようにめり込んでいった。


 最後にヤドリギとの組み手が始まる。特に型は限定せず、僕の攻撃が一度でもヤドリギに当たれば合格なのだが、中学一年から始めて四年近く、毎日のようにやっていても一度も合格したことがない。一時間程粘って、最終的には捻じ伏せられる毎日だった。奴はいつも、一つの息も乱さなかった。今日も例外ではなく、僕だけが息を切らして床に押しつけられた。


「まだまだだな。20歳までに俺を殺せるように死ぬ気で努力しろ。そうしなければお前の存在意義はないからな」


 何故こんなことを毎日繰り返すのか。そんな疑問は、何千日も送ってきた日々の中で、とうに消え失せていた。



 休憩とシャワーを経て、食事の時間になる。食事は僕が作る事になっている。

 ヤドリギは、普段はほとんど家にいるので、どこかに出て仕事をしているようにはまったく見えないが、金に困るようなことは一切なく、むしろ裕福だと思える程だった。この資金源は何なのか。まさか僕を育成することが本当に仕事で、どこかの組織から金を受け取っているのだろうか。そんなことも考えたが、あまりにも馬鹿馬鹿しくて思考を放棄した。アサシンを育てている訳でもあるまい。僕という個人を育成して喜ぶ組織など、存在理由が見当たらない。


 食卓には食器の触れあう音と、ニュースラジオの音声だけが流れていた。国外の戦争が激しさを増し、ニュースキャスターが読み上げる死者数は日に日に増えていく。一見平和なこの国でも、毎日何件もの犯罪が発生し、それぞれの死傷者の名前が、淡々と読み上げられている。いつもラジオはヤドリギが付けるが、奴は聴いているような素振りはまったく見せない。僕に聴かせているのかもしれないが、僕も何も話さず、ただ黙々と食事をした。


 無言の食事を終えた後は、勉強の時間になる。学校の授業でやることは、中学生の頃に高校卒業分まで全て理解させられたので、ヤドリギは専ら各種専門知識を僕に教えた。政治、科学、IT、物理、法律……など、分野は限定されず、全てにおいてヤドリギは専門家並み、もしくはそれ以上の知識を持っていた。また、人に効率良く教える手段も熟知していた。予備校の講師でもやれば爆発的な人気を得そうだと思った。


 夜の十二時まで勉強し、それが終わったら眠る。この生活の繰り返しだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る