[3-18] メメント森
人間は石の城壁を築き、地脈の魔力を用いて守りを固める。
それとちょうど同じように、エルフたちは森を硬くする。
エルフたちの専売特許とも言える自然魔法は、主に植物を操る魔法だ。
それを応用し、エルフたちは森の木々を作り変えている。
緑豊かな山が水を湛えるのと同じように、エルフの森は命の息吹を宿す。満ちあふれた生命力は森の環境さえ作り変える。
また、エルフは長命種と言われるが、実はその長寿も森の環境に依る部分がある。命の息吹に溢れた森で閉鎖的に暮らすエルフと、そこから爪弾きにされ、あるいは自ら望んで出て行ったエルフとでは倍ほども寿命が違うのだ。
ともあれ、生命力に満ちた森は副産物的な作用として、エルフたちに防衛上の利点をもたらす。
鉄より頑丈な木々が立ち並ぶエルフの森は、それ自体が既に要塞だ。
森に攻め寄せる敵があれば、まずは『緑の城壁』を打ち破る必要がある。
もちろん石の城壁と違って侵入してくる敵を遮断はできないが、森の中での戦いはエルフの得意とするところ。踏み込んだ敵は生かして帰さない。
では邪魔な森を先に排除しようと考えても、伐り倒そうにも刃は通じず、焼き払おうにも火が点かない。
エルフたちの戦いは弓と魔法に偏重し、魔動機械(アーティファクト)兵器など使わないし用兵術は
だが攻め落とそうと思えば筆舌に尽くしがたい苦しみに満ちた泥沼の戦いを強いられることになる。
そんなエルフの森に対して帝国青軍が繰り出した攻略法は……『物量』だった。
昼夜を問わず轟く砲声。
揺れ続ける大地。
悲鳴のような音を立てて倒れていく木々。
1発の砲弾で倒せない木があるなら、10発の砲弾を撃ち込めばいい。
実体砲弾によってほどよく荒らした後、魔法弾を炸裂させて吹き飛ばせば、いかに堅牢なエルフの森の木であっても無惨な姿を晒すよりない。
もはや小国と言っていいほどの広さを持つゼーゲンフォール大森林からすれば、砲撃によって削られているのはごく一部。だがそれは確実な前進であり、森は無敵であると強固に信じ込んでいたエルフたちには動揺が走った。
大量の砲弾、魔動砲、それを動かすための数え切れない魔石。帝国はそれを用意するだけの能力があり、さらにその戦費は回収可能な投資であった。地脈によって供給される魔力は都市の防衛やインフラのみならず、研究や産業を推し進める重要な燃料になるからだ。
一般的に、戦場で攻撃の射程を競うなら最も秀でるのは大砲だ。
次いで長弓、その次が魔法となる。
エルフたちの頼みとする弓や魔法では、森に隠れたまま青軍の長射程砲に反撃することはできなかった。爆発する木の実をしなる木と蔓草で放り投げてみたりはしたものの、本物の大砲には全く敵わなかった。
対策として、砲弾を受け止める蔓草のネットが作られるようになった。これは砲撃の被害をかなり軽減できたものの、青軍はすぐに対応した。刃片を詰めた魔力爆弾を放ってネットを破壊しに掛かったのだ。
何より、これは青軍の攻め手を多少遅らせただけで、反撃の目途が立っていないのだから根本的には何の解決にもなっていない。
エルフたちは砲の排除に動いた。だがそれもまた上手く行かなかった。
三度の夜襲は全て完全に失敗した。
夜目が利くドワーフの見張り、魔法で姿を消した者を探る歩哨術師『風読み』……
エルフたちが森を出たその瞬間から動きは完全に捕捉されていた。
次に、エルフたちは狼を乗騎として平野での機動戦を仕掛けた。
魔法による防御に長けたエルフの弓騎兵たちは、飛来する矢も、魔法による妨害もものともせずに敵陣に切り込んだ。
エルフの戦士がひとり死ぬまでに、青軍兵士が3人は死んだだろうか。
そして、それだけだった。数が違いすぎた。そして速力だけなら青軍の騎兵や空行騎兵もエルフたちに負けておらず、一撃離脱を許さず確実な残敵掃討戦術でエルフたちの戦力を削っていった。
勝ち戦に気を緩めているであろう青軍は、死人が出れば怖じ気付く……
そんな楽観的な見方もあったのだが、これも裏切られた。
エルフたちはケーニス帝国の内情をよく知らなかったのだが、実は最前線に立たされているのは征服された国々の人々だ。彼らは軍に勤め上げて(もしくは勇敢に戦った末に戦死して)帝国民としての地位を買わなければならず、特に故郷に家族を残してきた者は敵前逃亡が許されない。ひとりが帝国民の地位を得れば、それは家族にも波及するからだ。
逆に、八方塞がりのエルフたちの士気が落ち始めた。青軍に対抗できる精鋭の戦士も減ってしまった。
このまま戦い続けても徐々に苦しくなっていくだけ。
そう判断したエルフたちは乾坤一擲の作戦に打って出た。
* * *
はじまりは数本の矢だった。
いつものように森を砲撃していた青軍の操機兵や、その守りとなる兵たちは、森から数本の矢が飛んでくるのを見た。
それは青軍の陣まで全く届かず、砲撃で荒らされた地面の上に突き立った。
愚かな者は笑った。精一杯の抵抗がもはやこの程度か、と。
多少頭の回る者は訝った。こんなやり方では通用しないとエルフも分かっているはずなのに、と。
奇妙な矢が何のためだったのかは、すぐに分かった。
矢が撃ち込まれた場所から、突如として木が生えたからだ。
「なんだあれは!?」
青軍の陣は騒然となった。
エルフは魔法によって自然を操るという。だが、しかし、こんな馬鹿げたことができるとは彼らも思っていなかったのだ。
矢に仕込まれた苗木や種が地に根付き、数十数百年を一瞬で経たかのように、恐ろしい勢いで成長して大樹となる。
さらに、防壁のように新しく生えてきた木の合間から次の矢が飛んでくる。より、近くに。
着弾点からはさらに次の木が生えてくる。より、近くに。
まるでスライムが触手を伸ばすように、森が拡張していた。
大砲を抱えた青軍の陣目がけて。
*
森の比較的浅い場所に魔法陣が敷かれていた。
「……父祖よ、我らを見守りたまえ。祖霊よ、我らに力を与えたまえ……」
香をたきしめた陣の中心で祈りを捧げつつ呪文を唱えるのは、数多の玉石と多少の金細工によって全身を飾ったエルフの女性だった。
彼女は祭司長サーレサーヤ。この森に住まうエルフの部族"岩壁に這う白蛇"にて宗教的催事を司る『巫女姫』だ。彼女はただ宗教的指導者であるというだけではなく、この森で最も力のある術師でもあった。
「≪
サーレサーヤは獣骨の錫杖を一定の間隔で地に突きつける。
彼女の魔法が木を育て、森を急速に拡げているのだ。
必要な魔力は地脈から引き出して賄えるが、土地にもかなりの無理をさせる魔法だから同じ場所で二度も三度も使うのは無理だ。まして、こんな手札があると敵に知れれば次からは対策されてしまうだろう。
チャンスはこれっきり。青軍に痛打を与え停戦の交渉を行う、僅かな、しかし唯一の希望だった。
――森に取り込んでしまえば、こちらが圧倒的に有利。
そうでなくても、弓と魔法が届く場所まで近づければ……!
そう思ったのも束の間だった。
悲鳴が、サーレサーヤの耳に聞こえ始めたのだ。
「っ……!?」
集中を乱しそうになったサーレサーヤは必死で集中し直す。ここで魔法が解けたらそれこそ全てが終わりだ。
だがサーレサーヤには聞こえていた。魂の悲鳴が。死した戦士たちの無念と怨嗟の声が。戦いが起きているはずの方角から、吹き付けるように聞こえてくる、音ならざる声が。
――攻撃失敗? 違う、これは、もっと近いっ……!
「なるほど、貴様が元凶か」
草を踏む音すら立てず、ひとりの人間が姿を現した。
奇妙な男だった。
胸甲や関節を保護する軽装鎧を身につけているのだが、そこにケーニス帝国の象徴たる竜の紋章が刻まれ、肩に青の意匠があることからすると、やはり彼は青軍の兵士なのだろう。
しかし彼は他の兵士と格好が違う。軽装鎧の下に身につけているのは運動着のような簡素な装束で、さらに、彼は剣も盾も持っていない代わり、巨大な鉄のゲンコツみたいな手甲を両手に嵌めていた。
いくらサーレサーヤが魔法に集中していたとは言え、目の前に現れるまで気が付かないというのはおかしい。
エルフたちの気配は植物に近しく、森の中であれば気配を溶け込ませて己の存在を悟らせずに動くことができる。逆に他の種族は森にとって異物でしかなく、灰色の砂の上に白い石を置けば目立つように、簡単に気配が読めるはずなのだ。
サーレサーヤは腰を浮かせかけるが、進退に迷った。
ここでサーレサーヤが逃げ出せば戦いは本当に終わりだ。
だが、この状況で踏みとどまれるのか。
森の中をここまで侵入してきたのは、この男一人なのか? それとも、サーレサーヤは既に包囲されているのだろうか。気配を探れども何も感じない。
「何者!?」
「何故、こんなところに帝国兵が! 護衛は……」
サーレサーヤの傍らに控えていた二人の巫女が、錫杖を手に立ち上がる。
精鋭は森の外への攻撃に参加しているが、サーレサーヤを守るための護衛の戦士も配置されているはずだ。もし、魔法の源を絶とうと森に踏み入ってくる者があればたちどころに感知され、四方八方から飛来する矢によって全身を貫かれて死ぬはずだった。
だが、手甲の兵士は一笑に付す。
「単純だ。誰も俺に勝てなかった。それだけだ。
……悪くない戦いだった。この戦いを糧に、俺は更なる高みへと昇ろう」
男は手甲を裏返して見せた。
それは、ぞっとするほど赤く返り血にまみれていた。
二人の巫女は、水鏡に映った像のように同時に錫杖を振り下ろした。
「≪
「≪八裂磔草(テアリングヴァイン)≫!」
手甲の兵士に向かって魔法が放たれた。その時にはもう、彼は地を蹴ってこちらへ向かっていた。
巫女の一人が放った≪
サーレサーヤの研ぎ澄まされた感覚は、魔力の波動が弾かれて微塵に散るのを感じ取っていた。戦士が術師に向かい合う時の常套手段、護符だ。護符を懐に忍ばせて防御したようだ。
だが、もう片方の魔法は護符では防げない。
地を割って無数の蔦草が顔を出す。数十本の太い蔦草が現れ、兵士と巫女たちの間に割って入った。
蔦草の半分ほどは硬く結び合って即席の障壁を作り、残りの半分は大蛇のような動きで手甲の兵士目がけて躍りかかった。
蔦草と言えど、これはエルフの森の植物。そこに魔法の力が乗れば、巨岩すら絞め砕きサイクロプスさえ八つ裂きにする恐るべき武器となる。
「スゥッ……」
その時だ。手甲の兵士は、細く鋭く息を吸った。
巨大な手甲が、微弱な魔力を帯びる。
向かってくる蔦草目がけ、彼はその側面を擦るようにして手甲で殴りつけた。
ぬるりと、蔦草が僅かに狙いを逸らされる。
手甲の兵士は突進の速度を緩めず、最小限の動きだけで緑の兵器を掻き分けて突っ込んできた。
蔦草を並べて結ばせた垣根に、彼はそのまま手甲を突っ込む。
まるで人に掴まれた魚が手から滑り出て川へ飛び込むように、その男は蔓草の垣根を抜けた。不思議と、彼の手甲は即席の垣根に隙間をこじ開け、巧みな体捌きで彼は小さな穴を飛び抜けた。
「あっ……」
瞬く間の出来事だった。
手甲で一撃、足で一撃。近寄られれば術師は脆い。
サーレサーヤに付いていた二人の巫女は、悲鳴を上げる暇すら無く吹き飛ばされて絶命していた。
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