[3-14] 竜勁天子
ケーニス帝国の王宮は、他に類を見ないほど独特な外見をしている。
輝く黄金のように鮮やかな黄色の屋根瓦を持つ平たい建物が、各々正確に東西南北のいずれかを向き、壮麗に軒を連ねた構造だ。
空間を取っては、その四方をそれぞれ四角い建物で囲む。それを繰り返し、最も外側は真紅に塗り込めた城壁で囲っている。
正門から入った先にある石の広場は広大で、そこに立ってそびえる王宮の建物から見下ろされた人々は、己の卑小さと帝国の強大さを悟らざるを得ない。
そんな王宮の奥深くに
どれほど社会的な地位がある者でも、庶民がこの場に立ち入ることは無い。下々の者たちとの謁見は、もっと表に近い場所の玉座の間で行う。ここは皇帝と高官以外立ち入れない場所だった。
玉を連ねた飾りが、いくつもいくつも御簾のように垂れ下がっていた。
その合間に隠れるように、ごく限られた数。皇帝の信頼も厚い黄軍の精鋭兵が控えている。
部屋の左右は透かし彫りの竜が刻まれた格子戸になっていて、その外は池に向かってバルコニーのように回廊が張り出していた。薄絹のカーテンによって、差し込む日光と水気を帯びた風が優しく遮られている。
水上に浮かぶかのような部屋の最奥には、一本の大樹から切り出したという、黒檀のような質感の玉座。
その玉座に物憂げに身を預けている男こそがケーニス帝国皇帝・ミンハオ。
もしくはその呼び名を自ら定めて曰く……"竜淵"。
この強大なケーニス帝国の王と言うと、雲を突くような大男か、眼光だけで人を殺すような猛将か……
そんな先入観を持っていたらことごとく裏切られるだろう。
竜淵は二十代半ば。どちらかと言えば華奢な方で上背も無い。
凜々しく整った細面に、
隙の無い眼光は武人的と言えば武人的だが、それだけと言えばそれだけだ。
頭上に板を渡したような独特な形状の冠を被り、神獣や星々の刺繍された赤と黒の衣を身に纏う。
竜淵の座す玉座の前には、跪いて巻物状の書類を広げ、それを読み上げる男の姿があった。人間の基準で見れば三十代ほどに見える。
こちらは竜淵よりもさらに華奢で、手足も指も細長く、身長は高い。折り目が見当たらぬほど完璧に官服を着こなしたその男は、撫で付けた緑髪と尖り耳が特徴的。白木のような質感の肌をしていて、左目の周りには黒い
人間社会ではやや珍しい種族。エルフである。
彼の名は星環。本名はグレンミレス。
肩書きは大将軍。
皇帝直属の近衛である黄軍を除き、青赤黒白の四軍全てを統括する。事実上、軍事の最高責任者だ。
この国に貴族というものは無い。
制度としては、この国にはあくまで『皇帝』と『官』があるだけだ。大将軍・星環とてその例外ではない。
しかし、長命なエルフである星環はケーニス帝国建国以来、この国に仕え続けており、政治的特権階級と言っていいほどの影響力を持つ。
また、エルフらしからぬ人間的な軍略に長けており、帝国に星環在りと言えるほどの存在感と実力ある武官であった。
元は青将軍であった星環だが、今は現皇帝である竜淵に引き立てられて大将軍の地位に就いている。
「……よって、赤軍は現在、ク・ルカル山脈に現れた道の確保に向かっております。
ご報告は以上となります」
「ふむ……」
報告を終えると、星環は縁なしの眼鏡を指先で軽く押し上げて位置を直した。
竜淵は空行騎兵によって届けられた『親書』を眺めながら、何事か考え込むように相づちを打つ。
「……同じニオイがするな」
「主上?」
竜淵の言葉の意味を図りかね、星環は訝るように問う。
「余は、在りし日の魔王軍を記録や昔語りでしか知らぬ。
しかしこの大仕掛けからは、かつての魔王軍と同じニオイがするように思えてならん。
命懸けで戦う人族を嘲笑うかのような豪快な奇策……
ふん。ともすれば"怨獄の薔薇姫"とやら、魔王軍から参謀の一人や二人引き抜いてきたのやも知れんな」
「は、はあ……」
帝国が成立したばかりの頃から、星環は武官として果て無き魔王軍との戦いを続けてきた。
その星環にとっても、竜淵の考えは『あり得る』と思えるものだ。
しかしあくまで現状では不確かな推測なので、星環は否定も肯定もしなかった。
竜淵は何やら面白がっている様子だが、星環はあくまで戦勝のみを愛する男であったので、敵は弱ければ弱いほど良いと思っている。
その点、戦いを楽しむ竜淵とは意見の相違があるものの、勝利に対する竜淵の貪欲さと能力は星環も信頼していた。
「赤軍は既に山脈を抜ける道の確保に動いております。この機を逃せば、逆に
しかし、このままではディレッタとの間に緊張を生みますでしょう。
いかが致しましょうか、主上」
「慌てるだけ無駄だ。できることしかできぬわ。
山脈の『散歩道』をまかり間違っても他国には渡せぬ、とあらば確保するしかない。
魔物の作った道を使ったなどと知れたら我が国は魔の眷属に下ったとも見られかねん、とあらばこれは我らの偉業であると宣伝してせいぜい民を沸かせてやるより他にない。
そうなればディレッタとの関係は劣悪を極めるだろうが仕方ない。赤軍はディレッタ軍と睨み合うことになるだろう」
星環は何も言い返さない。それはもう動かしようのないことだからだ。
水は自然と高きより低きに流れる。それと同じように、逆らいがたい流れができていた。
……ケーニス帝国はディレッタ神聖王国と顔を合わせなければならない。
これまでケーニス帝国は、威圧と武力行使によって人族国家をいくつも征服してきた。
だが、列強と目される他の四大国と決定的に決裂し衝突することは避けていた。
全面戦争になればケーニス帝国とて痛手を被りかねないからだ。兵を磨り潰し合う泥沼の争いの果てに領土を増やしても次が続かない。侵略戦争は圧倒的であるべきだ。
まして、列強のうち二国と同時に全面戦争になれば敗北もあり得る。今のところ西の白軍はノアキュリオ王国と直接ぶつかるには至っていないが、仮にディレッタと戦争に陥ればノアキュリオがけりを付けに来るかも分からない。まして予備戦力が無くなったところで魔王軍に後背を突かれたりしたら最悪だ。
そんな危機的状況ではあるが、好機でもある。
ク・ルカル山脈を越えるとなれば国家的事業となる。従って、迂回するしかなかったはずだ。
そこに突然道ができたとなれば、非常に有用な侵略経路となる。
"大地の背骨"ク・ルカル山脈を越えればフレイブル内海は目前だ。
もし内海に進出し港を得ることができれば、物流や商業の上で大きな利を得られる。ディレッタを含む沿岸諸国に睨みを利かせることもできよう。
半分は仕方なく。
半分は自ら求めて。
赤軍はク・ルカル山脈を越えることになる……
「星環。貴様は"怨獄の薔薇姫"の意図をどう読む」
「はっ。中長期的には、自らの天敵とも言えるディレッタ神聖王国を我が国と争わせ、弱体化させる狙いがあるものかと。
ただ、ディレッタ神聖王国が己を討たぬ理由を作り出しているようにも思えます」
「……ふむ。どうやら貴様をクビにせずに済んだようだ」
「お戯れを……」
「今のところ、東にはこれといった脅威が無い。青軍の侵攻を止めて占領地を抑えるだけの数を残し、赤軍の応援に向かわせれば趨勢は我が国に傾こう、しかしだ。奴め、青軍の鼻の先に巣を作ろうと抜かしおった。
つまり……"怨獄の薔薇姫"の存在は、ディレッタとその子分どもにとって掛け替えのない抑えの要石になる」
竜淵は口の端を釣り上げてせせら笑う。
玉座の間を囲む池に、波が立ったような気がした。
「"怨獄の薔薇姫"はアンデッドだ。どこに逃げようと、ディレッタの
だが、その狂犬の鎖を手繰るのは、教えの実現より
……小娘が。『
ディレッタ神聖王国最強の特殊部隊『
邪術士とアンデッドを滅するのが主な仕事だが、ひとたび対人戦闘に駆り出されればやはり無双の強さを発揮する。
だが、要となる戦闘員の数は奇妙なほどに少ない。正確な数は秘匿されているが、100も居るかどうか。
何故そこまで数を絞っているのかは不明だが、何らかの事情により数が制限されているらしい。そのため、
そんな状態だから、呼んでから数ヶ月経ってようやく戦闘員が一人派遣されるというのもざらだった。
此度、ディレッタがシエル=テイラへ向かった遠征では戦闘員を二十余人も集めたそうだが、これは14年前を最後に途絶えている『対魔王軍・人族国家合同遠征』での最大動員と同じだ。
かなりの無理を通して人を集めたという印象だが……シエル=テイラのグラセルム鉱脈という餌に食いついたのが実情だという情報をケーニス帝国は掴んでいた。
餌がなければ、子煩悩の馬鹿坊主一人がどれだけ張り切ってもこれだけの戦闘員は出てこなかっただろう。
早い話が、
そして、それをどこに投入するかの差配において、非常に政治的な意思が働くことは公然の秘密だった。
ディレッタはその関係を上手く使って外交をしていた。
星環が知る限り、このところディレッタはケーニスに
この上さらに緊張が高まることになれば完全撤退もあり得る。
まして帝国軍が"怨獄の薔薇姫"に悩まされ、動きにくくなるとしたら……ディレッタのお偉方は、祈りながら舌を出して見過ごすことだろう。少なくとも、本当にケーニス帝国が危なくなるまでは。
詰まるところ、ケーニス帝国を取り巻く状況は悪化した。
しかし星環も竜淵も、決して絶望などしていなかった。
「なれば、我らは青軍を以て"怨獄の薔薇姫"を討つ、ということになりましょうな」
「そうとも。"怨獄の薔薇姫"さえ討てば懸案は連鎖的に片付く。
奴は間違いなく、最前線の戦いに横槍を入れに行く。そこを諸共に薙ぎ払えば良い。
……人はあまり出せぬが、金と物は青軍が望むだけ与えてやるとするか」
「御意に」
ただ二人は決する。
相手が人族でも、魔族でも、アンデッドでも同じこと。
大陸最強のケーニス帝国軍は、その敵全てを打ち倒して国家の繁栄を築く。
"怨獄の薔薇姫"のおおまかな能力・戦力は、漏れ聞こえる情報からある程度分析している。
もしク・ルカル山脈周辺の魔物を集められたら厄介ではあるが、それでも正面からぶつかればまだ青軍に分があるだろう。
密林地帯や山に籠もられたら攻めあぐねるかも知れないが、端から削り倒していけば敵はジリ貧になる……
――本当にそれだけか?
星環はしかし、引っかかりを覚えてもいた。
これだけ策を弄する頭があるのであれば、"怨獄の薔薇姫"は彼我の力量差も承知していよう。
では何故、ケーニス帝国の懐に飛び込んでくるような真似をした?
竜淵は、マントのような上着を翻して玉座から立ち上がる。
「……たとえ青の一軍のみと言えど、拮抗できると思っているなら安く見られたものだ。あるいは、その算段があるのか……
貴様の力を示してみるがいい、"怨獄の薔薇姫"よ」
また、ざわりと水面が鳴いた。
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