[3-5] お屋敷に招かれたりしない方がお互い幸せ

 車輪が摩擦で火を噴くのではないか、という速度でその馬車は疾走していた。


 静かな森の中、のどかな日差しが差し込んで、花の蕾はほころび蝶が舞う。

 のんびりピクニックでもしたくなるような風景の中を、竜にでも追われているかのような勢いで突っ走る馬車ひとつ。


「くそっ! 急げ! もっと速く走れよ……!」

「……ひひひひっ」

「ひゃははあ!」


 御者は、泡を吹く馬に必死で鞭を入れる。

 馬車を追うのは極彩色の羽根を持つダチョウのような魔物……フルールモアの群れ。正確には、それを騎獣として操る武装したならず者たちだった。


 獲物を前に舌なめずりする獣のように、ならず者たちは笑いながら怪鳥を駆る。

 ほとんどが剣を持っていたが、そのうち一人、騎乗中でも扱いやすい魔術媒体・短杖を持つ者があった。


「≪足絡めスネア≫!」

「うわああっ!」

「きゃあ!」


 魔法によって、馬の足が地面に張り付いた。

 馬は自らの慣性によって転倒し、当然のように引かれていた馬車は追突する。

 御者席の御者は衝撃で思いっきり投げ出され、遠くの地面に落ちて転がり動かなくなった。


 馬車が止まってすぐ、扉が内側から開いて、ふらつきながら二人の女性が飛び出してきた。

 輝く雪のようなドレス姿をした十代後半ぐらいの女性と、質実剛健な雰囲気のワンピースをした三十代くらいの女性。グランセル侯爵家の令嬢と、そのお付きの侍女だ。


 馬車の中に籠もっていても包囲されて捕まるだけ。

 逃げた方がいい、という判断それ自体は正しい。

 しかし、よろめきながら逃げようとした二人は、十歩も行かないうちに追いついてきたフルールモアに囲まれてしまった。


「お嬢様!」

「……護衛の冒険者たちは?」

「足止めに残った……はずだったのですが……」


 女二人は不安げに抱き合う。

 剣を抜いた男たちを見回して、そして、侍女の目が驚きに見開かれた。


「まさか!」

「悪ぃな、こっちも商売でよ」


 フルールモアに乗った襲撃者の一人。

 短槍を肩に担ぐように構えた戦士(ファイター)の男がせせら笑う。

 本来であれば護衛として外敵と戦うはずだった冒険者だ。詰まるところ、彼ら護衛のパーティーは襲撃者とグルだった。


 もちろん彼らは、侯爵が冒険者ギルドを介して雇った者たちだ。だからこそ信頼して護衛を任せていた。

 冒険者ギルドは仲介手数料と引き換えに冒険者をしっかり管理し、心がけの悪い者をこんな重要な仕事に出したりしない。

 しかし今は時期が時期だ。


 この国は今、ケーニス帝国の侵略に晒されている。

 逃げ出す冒険者が居て、仕事を請ける者の質は下がる。ギルドも混乱し、管理体制が綻ぶ。


 今なら汚い金を掴んで高飛びしても、ギルドは追って来れないのではないか? 

 ……そう考える冒険者が出るのも必定であった。


「げへへへへ……安心しな、殺しゃしねーよ」

「お前のパパがたっぷり金を払ってくれるなら、だけどなー! ぎゃはははははは!!」

「な、なあおい、味見はしねえのか? 命さえ無事ならどうにかなんだろ? うひ、うへひひひ……」


 ならず者たちは騎獣から飛び降りると、下卑た笑いを隠しもせずに二人に迫る。

 ぎらつく刃。

 垢染みた手。

 そして、飛び散る血。


「あがあっ!?」


 突然、ならず者のひとりが悲鳴を上げた。

 喉を切り裂かれていた。倒れる。血溜まりが広がる。


 風に舞う花のようにふわりと蜂蜜色の髪をなびかせ、割って入る少女が一人。

 襲われる二人を背中に庇うように立った。

 外見からするに13,4歳。華奢ではあるが、あまりに堂々として場慣れした雰囲気である事から実際より一回りくらい大きく見えた。

 女性の盗賊シーフ野伏レンジャーが好むような、革製のスカート付きコルセットメイルという出で立ち。

 片手には三日月のような形の刃をした短剣。もう片方の手には、揺り籠のような銀の意匠で飾り立てられた手鏡を何故か持っていた。


「逃げて、二人とも」

「あなたは……?」

「早く!」


 有無を言わさぬ語調だった。

 背中を押されたかのように二人の女性は立ち上がり、包囲陣の隙間から転がるように逃げていく。

 冒険者の少女は二人を庇いながら後退して周囲を牽制し、二人が逃げ去ると改めて山賊たちに向かい合った。


 それでもまだ山賊たちは慌てていなかった。

 女の足では逃げる速さもたかが知れている。フルールモアがある以上、追いつくのは容易い。この邪魔者に対処してからであったとしても。


「てめぇ、何者だ」

「……今のボクが何なのか、正直ボク自身が一番誰かに教えてほしいんだけどね」

「はあ?」


 本気で困った様子で、冒険者の少女は溜息をついた。


「相手は一人だ、片付けろ!」


 奇妙な成り行きに困惑していた部下たちの中にあって、首領は冷静だった。

 彼が胴間声で命ずると部下たちは緊張感を取り戻し、剣を構える。


 対する冒険者の少女は……手鏡を覗き込んだ。


「うぅーん、ボクってば今日もかーわいーい!」

「何ふざけてやが…………なぁっ!?」


 先陣を切った者が剣を振り下ろし、少女に斬り付けたと思った、その時だった。


 手鏡を覗き込んでいた少女の姿が、いくつもの菱形に分割された残像の群れとなって散った。

 耳鳴りのような唸りを残して姿が消えた。

 振り下ろされた剣は空を切り、勢い余って土にめり込む。


「がふっ…………」


 その直後。

 剣を振り下ろした男を背後から抱きしめるようにして、少女は男の喉を貫いていた。


 三日月型の短剣が鋭く振るわれ、吐き捨てられた唾のように血糊が地面に擲たれる。

 支えを失った男の身体はぐらりと倒れた。


「……あーあ、むかーし習ったっきり全然実践してなかったのに、できちゃうもんだなあ。

 『神殿学校にも行かないで人殺しの勉強してました!』なーんて、自慢にもなんないね」


 本気でうんざりした様子で少女は、怪しく輝く手鏡を弄びながら溜息をつく。


「て、てめえ!」


 裏切り者の冒険者が鋭く短槍を突き出した。

 空気すら貫いて串刺しにするような一撃は、しかし、またしても空振る。

 少女の姿は菱形に分割された残像となって消える。そして、槍使いの背後に。


「そこだ!」


 その動きは読んでいたようだ。

 突きを放ったと見せかけた槍使いだが、それはフェイントだった。そのまま槍の動きを逆流させるかのように脇の下を通して背後に石突きを突き出す。


 しかし。


「びっ!?」


 槍使いの顔が上下真っ二つに切り裂かれた。

 背後に回ったかと思われた少女が、何故か正面から斬りかかってきたのだ。


「……このアマぁ!」


 致命傷ではなかった。

 しかし、予想外の攻撃を受け、自分の顔から流れる血で目を潰された槍使いは、咄嗟に自分の手にした短槍で薙ぎ払う。

 その槍は少女ではなく、近くに居た山賊二人を掠めた。


「げっ!」「ぎゃっ!?」


 怯んだ山賊の片方は、その瞬間に少女によって喉を掻ききられていた。


「落ち着け!」「バカ、どこ狙ってやがる!」「こいつ何人居るんだ!?」


 そして乱戦になった。

 山賊たちは困惑のまま、とにかく一斉に少女に襲いかかる。

 だが、その姿を捉えられない。斬ったと思えば泡沫の如く消え、右に居ると思えば左に姿が見える。

 攻撃してくると思えば下がり、斬り付けてくるかと思えば突き殺す。

 姿・気配・所作。彼女の全てがミスリード。

 まるで五人ほど同じ姿をした敵を相手にしているかのように、山賊たちは一方的に掻き乱されていった。


「……下がれ! 囲め! 輪を作れ!」


 地を揺るがすような銅鑼声が響き渡り、混乱状態だった山賊たちに規律が戻る。

 一歩下がって様子を見ていた首領の号令だ。


 皆、考えるより前に身体が動く。

 まだ生き残っていた山賊たちは攻撃の手を止め、包囲陣を組んだ。


「おっと……」


 半径三歩の包囲陣の中で、少女が動きを止めた。

 等間隔に並んだ山賊たちが、近寄られないよう真っ直ぐに剣を突きつけている。


「瞬間移動でも、分身でもねえ。そいつは目眩ましだな?」


 勝ち誇った調子で首領が言うと、少女は特に否定せず、むしろ面白がる様子だった。


「へえ、よく気が付いたね! 山賊にしとくのが惜しいくらいだ。おじさん案外やり手?

 見たところ装備もちゃんとしてるし、統率も取れてる。

 ケーニス帝国に攻め滅ぼされた国の脱走兵ご一行様ってところかな」

「黙れ。これでもうテメェは袋の鼠だ。

 ……へっへ、色気の無ぇ身体だが顔は悪くねぇな。

 俺らの仕事を邪魔しやがった罪は重いぜ、女ぁ。穴三つまとめて塞いでヒーヒー言わせ」

「切り捨て御免!!」


 そして首領の頭が飛んだ。


 少女に集中していた山賊たちは、奇妙な掛け声を聞いてようやく気が付いた。

 首領の背後から現れて襲いかかった魔物に。


 目は濁り、肌は蒼白と言っていいほど青白い隆々たる体躯の男。

 長い金髪を頭の高いところで括っていて、身体の前で合わせて帯で留める、帝国や極東で見られる様式の服を着ている。

 手にした武器は美しく研ぎ澄まされた片刃の剣だ。


 男の姿をした魔物は、跳ね上げられた首領の頭部をキャッチすると、頬の肉に噛みついて食いちぎった。


「美味(ごっつぁんです)!」

「グール……!?」

「アンデッドだぁーっ!」


 精神的支柱でもあった首領が信じられないほどあっさり殺されて、山賊たちは陣を乱し、喧嘩に負けた犬のように情けなく悲鳴を上げて後ずさる。

 

 そんな山賊たちを少女は、痛ましげに憐れむような目で見ていた。


「ごめんねぇ。あの二人を逃がすところまではボクのワガママだったから独りで戦うしかなかったんだけど、もう十分遠くに行ったみたいだし……ここからは軍事行動なんだ。

 君らの肉は補給物資、シエル=テイラ軍の糧。そんで君らの骨は新兵だ。

 流石にこれはボクも止められないんで、悪く思わないでネ!」


 星が散ったかのように錯覚する可愛らしいポーズで、少女は免責を訴えた。


 どういうことだ、と問う暇もあらばこそ。

 周囲の森の中からどっと溢れ出すように、煌びやかな武装をしたアンデッドの群れが押し寄せてきた。


 騎士鎧姿のグールたち。同じくスケルトンたち。ローブを着て杖を持った骸骨はリッチだ。

 紅い竜鱗の鎧を身につけた冒険者風の剣士グール。

 蒸気を撒き散らしながら機械の腕を振り回す大男。

 帝国風の服を着て顔に札を貼り付けた女格闘家……


「う、うわあああああ!!」


 名も無き山賊団が一つ、街道から消えた。

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