[2-77] シエル=テイラ(書類上は)滅亡

 そしてバーティルは気が付けば、鳥籠の中に居た。


「………………ん? んんーっ?」


 そこは人間サイズに巨大な鳥籠の中。

 磨き上げられたように美しく輝く金色の籠は、大きさを別にすれば、王侯貴族の邸宅で見目麗しい小鳥を飼うため使われていそうな逸品だ。


 思わずバーティルは檻を掴んで外を見た。

 すると、そこには無限の闇があった。

 闇が渦巻く遙かな奈落の上に、何処からともなく垂れる鎖で鳥籠は吊られていた。


 見渡せば、無限の奈落の上に数十万という数の鳥籠が吊り下げられていた。

 バーティルの周囲にもいくつもいくつも同じような吊り籠があって、その中には…………


 ――見えない……わけじゃないな、その部分が俺の認識に入ってない。


 自分のもの以外にも鳥籠があるということしかバーティルには分からなかった。

 視覚的には見えているはずの場所に、認識が及ばず、そこに何があるか分からない。

 この状況にバーティルは心当たりがあった。


 ――そうだ、確か俺は寝てるはずだ。ベッドで横になった覚えがあるぞ。

   ここは夢の世界か。それも、何者かが魔術的に作り出した夢の中……


 何者がそんなことを?

 と、いう疑問はすぐに解けた。

 聞き覚えのある声がこだまと共に響き渡ったからだ。


『わたしはルネ・"薔薇の如きローズィ"・ルヴィア・シエル=テイラ。

 ……聞くがいい。我が民であった者らよ』


 あどけなくも只々ひたすらに冷たい少女の声。

 それは怖気よりも悲壮さを孕んで轟いた。


 ――やっぱりルネちゃんの仕業かい。


 確か、不特定多数・広範囲の他人の夢に、メッセージとして任意のイメージを送り込む魔法があったはずだ。

 もはや御伽話の中の出来事だが……かつて魔王軍が人族を破り続けた恐怖の時代、魔王はしばしばこうして人々を脅しつけたり、無茶苦茶な要求を突きつけたのだそうだ。

 そのせいか、夢に語りかける魔法は今でも人族社会では不吉とされ、使用を忌避される魔法でもある。


 ――『我が民』、ね。だとすると国中で寝てる人にこの夢が届いてるわけか。王都の地脈から魔力を引っ張り出せば国中に届けるくらいは、まあできるだろうな。

   おそらく鳥籠ひとつに人ひとり……だが、別に同じ場所に集められてるわけじゃないから、他の鳥籠の中は見えないわけか……


 バーティルは吊り籠の中でどっかりと腰を下ろした。話を聞く態勢だ。


 *


『既に聞き及んでいる者もおろうが、わたしはテイラカイネを誅した。

 の地に封ぜられていた侯爵はノアキュリオ王国と手を結び、さらには自らの血に連なる者を押し立て偽りの王にせんと企てた。

 故に、滅ぼした』

「ルネ! 聞こえていますの!? ルネ!!」


 キャサリンは鳥籠の中で声を張り上げていた。


 ここが何処なのか分からない。

 どうしてこんな場所に居るのか分からない。

 ただ、向こうの声が聞こえるならば、こちらの声も届いていると信じて。


「あなたは! どこへ行くつもりなの!? 何をするつもりなの!

 あなたはそれでいいの!? 答えて、ルネ!!」


 胸を内側から炙られているかのようだった。

 キャサリンの叫びは何処にも届かず、ただ無限の奈落に消えていった。

 

『この国最後の王は我が父・エルバートであり、その血筋はわたしの死を以て絶たれ、後にはいかなる王も無い。

 全ての罪は、過ちは、正統なる王であった我が父を不当なる力によって廃したこと。

 不当なる王権は、これを決して許さない。だが……』


 ぎち、と声ではない音が聞こえた。

 手を握りしめたのか、奥歯を噛みしめたのか。

 たったそれだけの、聞きようによっては可愛らしい音だけれど、そこにはぞっとするほどの怒気が込められていた。


『まだ理解しておらぬ者が居るようだ。

 シエル=テイラは既に滅んでいる……そなたらが滅ぼしたのだということを理解せず、その名を騙り、王を僭称せんと目論む逆賊が居るようだ。

 我が国の名を騙ることは何人なんびとたりと許されぬ』

「ルネ……」


 幼く、しかし冷厳な声音。

 征服し、屈服させ、滅ぼす者の威厳。


 ――あなたは……笑えるはずじゃない。


 脈絡も無く、キャサリンの頭にそんな言葉が浮かんだ。

 蜂蜜茶。ホットミルク。夜のお喋り。

 何故だか分からないけれど、キャサリンは胸が一杯になって涙が溢れた。

 傷口に染みる薬のように、その涙はキャサリンの頬に染みた。


『故に……わたしはこの国の名を改める。

 シエル=テイラ国と』


 咎人に斬首を言い渡すかのように、ルネはそう宣言した。


 *


 ――そうきたか。


 バーティルは言語化しがたい感慨を覚えていた。


『もはや我が国に、未来永劫王は無し。

 この名を呼ぶ度に思い出すがいい。我が国を滅ぼした、そなたらの罪を…………』


 ある種、人々に突きつけた最後通牒のような宣言だ。

 しかし、その裏にある別のニュアンスをバーティルは読み取っていた。


 ――国中に聞かせりゃ、諸外国にも当然伝わる。ノアキュリオ軍も聞いてる。

   これは……国家としての正統性の宣言だな。


 父王を殺されたルネは、生まれた時から市井に下っていたが自らが王の血筋であると知り、軍勢を率いて王位の簒奪者たる王弟を討った。

 なるほど、これは古典的と言ってもいいほどにヒロイックな物語だ。

 であればシエル=テイラの現下の国家元首がルネであるという考えはあながち無茶でもない。

 ルネがアンデッドであるという一点に目をつぶるなら……だが。


 ――外交のプレイヤーとして名乗りを上げ、国家としての承認を求める気か?


 そんなことになれば異常事態だが……実は、前代未聞ではない。

 ほとんどの魔物は『群れ』や『部族』の規模にしかならないが、それでも人族と商売をするゴブリンの部族なんかは存在するそうだ。いや、正確には魔族とでも商売をする闇商人が居ると言うべきだが。

 魔王領はいかなる人族国家とも外交を行っていないが、戦術レベルでの交渉には応じることもあるという。曲がりなりにも国家ではあるのだ。

 また、この世界の歴史の中には強力で知性的な魔物が自らの国を興し、ほんの短い期間でも国家を形成していたという伝説がいくつか残っている。真偽も怪しい、御伽話のような伝説ではあるのだが。

 

 いずれにせよ、シエル=テイラの民を救おうと思うなら、バーティルはこの話に乗るしかない。『シエル=テイラ亡国』を国と見なして付き合うしかない。ルネのお膝元で彼女の機嫌を損ねれば生きていかれないのだと証明されたばかりだ。

 そしてルネは、おそらくそれを端緒としてジレシュハタール連邦とノアキュリオ王国の拮抗状態を作り出し、時を稼ぐ絵を描いている。


 ――ルネちゃんに攻め滅ぼされた空白地帯は『シエル=テイラ亡国領』として、俺らは平和的なを目指すことになるか……

   ああ、これからどうなっちまうんだ。


 バーティルは溜息をつきながら天を仰いだ。

 闇に塗りつぶされた空の遙かな高みから、頼りない金の鎖が伸びていて、バーティルの鳥籠を吊り下げていた。


 * * *


 『ゲルトの灯火』というマジックアイテムがある。

 外見は、奇怪な金の紋様が刻まれた紫色の太いロウソク。

 効果は、特定個人が『生きているかどうか』分かるというもの。火の中に血を一滴垂らせば、『ゲルトの灯火』はその血の主と紐付けられ、主が死ぬかロウが尽きるまで燃え続ける。

 ただそれだけのアイテムだ。


 その場所は、『神殿貴族』の邸宅にある礼拝堂だった。

 エドフェルト侯爵の城館にあったようなものとは規模が違う。美しく装飾的な柱が林立する礼拝堂は軽く数百人を収容できる大きさで遙かな高みのアーチ天井にはびっしりと緻密な宗教画が描かれていた。


 色鮮やかなステンドグラスから差し込む光が、祭壇に置かれた『ゲルトの灯火』を照らす。

 その火は、消えていた。

 数日前に消えたきり、二度と灯らなかった。


「おお、おお……エルミニオ!」


 祭壇の前で崩れ落ちる男の姿があった。

 初老から老人に足を踏み入れかけた禿頭の男。やや肥満気味の肉体を、白と金と真紅を組み合わせた豪奢な僧服に包んでいる。

 その男の名はクリストフォロ・ダ・ドロエット。


 彼はディレッタ神聖王国の大領主であるが、それだけでなく神殿の『筆頭枢機卿』という立場でもあった。

 枢機卿とは教皇の業務の補佐をする者であり、教皇選挙の立候補・投票権を持つ者でもある。

 だが『筆頭枢機卿』という役職はさらに違った色合いを持っている。

 宗教政策に関わるディレッタ神性王国国王への助言者……という体裁で神殿が国政に捻じ込んでくる、権力掌握の橋頭堡だ。

 実際クリストフォロは宗教政策のみならず国政全般に口を出している。ディレッタ神聖王国において、国政と神殿は分かちがたく結びついているのだ。


 神殿の生臭いやり口には敬虔なディレッタ国民と言えど眉をひそめる者が多い。歴代の筆頭枢機卿には、ただ宮廷の権力を求めるばかりで国政を混乱させた者も当然居た。

 その中でクリストフォロはかなりまともな部類、むしろ有能だと見なされていた。

 宗教外交と、時宜を得た福祉政策に力を発揮している。

 『度を過ぎた子煩悩と、次男エルミニオの存在だけが欠点』と言われるほどの男だ。


 そして今、彼は絶望の只中にあった。

 『ゲルトの灯火』の火は、消えていた。

 数日前に消えたきり、二度と灯らなかった。


 エルミニオの生存が分かったからといって特に何ができるわけでもない。

 ただ、生存を確認して胸をなで下ろすことはできる。

 そのため、型通りの神殿勤めすらこなせず『冒険者になる』などと言いだしたエルミニオの存否が分かるよう『ゲルトの灯火』を用立てたのだ。


 この火は先日も一度消えた。

 クリストフォロはそのまま痩せ細って死んでしまうかというほど憔悴し、果物の砂糖漬けしか喉を通らなかったほどだった。

 しかしすぐに灯火は戻り、エルミニオに付けた神殿騎士たちからも通信があった。蘇生に成功したのだ。


 おかげでクリストフォロは餓死を免れたが、エルミニオが"怨獄の薔薇姫"に復讐をするなどと言いだしたからまた眠れぬ夜を過ごすことになってしまった。

 エルミニオを通じて、ヒルベルト2世の死によって混沌としていたシエル=テイラへ介入する端緒を掴めたのは僥倖だったが、クリストフォロ個人としての感情を言うなら国家の利益などよりも、エルミニオが死んでしまう前に助けに行かなければなるまいとの準備を整えていたところだった。


 そして、クリストフォロの祈りは届かなかった。

 灯火は再び消え、今度こそ戻らず、お付きの神殿騎士たちからも連絡は無い。


 肉でだぶついた印象の握りこぶしが、祭壇に叩き付けられる。


「あぁ、口惜しや……おのれ、"怨獄の薔薇姫"!

 思い知るがいい。ドロエット家に弓を引くことは、神殿に、そしてこのディレッタ神聖王国に弓引くに等しいのだと。

 不浄なるアンデッドよ……! 貴様は! 神の威光の前に灰と散る定めぞ!!」


 豪華すぎる聖堂の中に、クリストフォロの声は虚しく響いていた。

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