[2-75] 天は我らを見捨てざるか

「お嬢様……お身体の方は」

「我々が背負っていきましょうか」

「大丈夫、です……」


 適当に拾った木の枝を杖にしてキャサリンは歩いていた。


 テイラカイネを脱出した一行は、一路南を目指していた。

 だがその歩みは遅々としたものだ。ほとんどが肉体的・精神的に疲労しきった非戦闘員なのだから。歩くのに適さない格好をした貴婦人も混じっている。

 雪こそ降っていないのは幸いだったが、積もって足を取る雪と吹き付ける寒風は容赦無く体力を奪い、行軍の速度も落とす。もしここで背後から"怨獄の薔薇姫"の軍勢がやってきたら絶対に逃げられないが、幸いにも何者かに襲われるようなことはなかった。


 街道を南進すれば宿場町がある。

 そこへ、日が暮れるまでに辿り着けるかどうかが問題だった。

 食料も野営の備えも、第二騎士団の携行品くらいしか無い。このまま夜が来れば疲労も相まって凍死者が出るのは確実であると思われた。


 身体を引きずるように無心に足を動かしながら、疲労と眠気でぼうっとした頭で、キャサリンはぐるぐる考え続けていた。

 数年を経たかのように長く感じた一夜のことを。


 ルネに取り殺されかけた? あの瞬間に見た、地獄の業火の如き怒りと悲しみ。あれはルネの心だったのだろうか。

 父の死、兄の死、姉の死……何故死ななければならなかったのだろう。そして、ああ、激情のままに叫んだキャサリンを見て恐れたかのようなルネの表情。

 街の人々を襲い始めた聖獣。神の使いであり、味方の軍に属していたはずの聖獣が何故。

 いつの間にか姿を消していた騎士がひとり。皆が似たような格好なので、誰が生き残っていたやら判別が付かないうちに数が減っていた。ルネが言うようにジスランが化けていたのか? だとしても、何故姿を消してしまったのか?


 分からない。

 分からない。

 分からない事ばかりだった。


 ただひとつ確かなのは、このままでは終われないということだった。

 家族を殺したルネに復讐する? ……それは、少し違う。事はもはや、ルネがどうこうというものではないようにキャサリンは感じていた。

 ただ、自分を巻き込んでしまった運命の大渦を解きほぐし、その全てに決着を付けないことには自らの人生を終われないように思ったのだ。


 もっとも、そのためにはまずこの場をしのがなければならないのだが。


 身体が鉄でできているかのように重く感じたが、キャサリンは必死で歩いた。

 周囲の避難民たちはいつしか沈黙していた。声を出す元気も無いのだ。それでも、礼拝堂で一緒に居た人たちは度々キャサリンに気遣わしげな視線を投げて寄越していた。


 そのままどれだけ歩いたのだろうか。

 街道の前方に影が見えたのは、日も傾きかかった頃だった。


 大きな馬車に荷物を満載し、立派な装備を身につけて馬に乗った護衛まで付けた一団だ。

 それは一見すると富裕な交易商人の一行か何かにも見えた。

 護衛たちは避難民の一団を見て訝しげな顔をして、馬車を庇うように前へ出た。


「何者だ!」


 誰何の声が飛び、避難民たちは歩みを止める。

 対するは先頭を行くバーティルだ。


「私はシエル=テイラ王国第二王宮騎士団長のバーティル・ラーゲルベックと申します。

 この先のテイラカイネにおりましたが、街は"怨獄の薔薇姫"の襲撃を受け陥落。生存者を率いて避難してきたところです」


 バーティルが名乗っても護衛たちは微動だにしない。

 それは少し奇妙なことだった。バーティルの名前にはそれだけの威力があるはずなのだが。


「行商の御方とお見受けします。

 医薬品やポーション、食料などございましたら分けてはいただけませんでしょうか。

 相応の対価をお支払いすること、私の名において保証いたしましょう」


 バーティルがそう言うと、やや間があって、護衛ではなく御者席に座っている身なりの良い壮年の男が答えた。


「……残念ながら、我々は行商人ではありません。

 我らはジレシュハタール連邦の一翼・ラクリマ王国の貴族であるアウグスト・フォン・アンガーミューラー伯爵の財産を運んでいるのです」


 キャサリンは納得した。

 連邦はシエル=テイラを下に見ている。だとすると、連邦の貴族の財産を運ぶ彼らがバーティルにも頭を下げないのは当然か。

 と同時に、何故そんなものがこんな場所に居るのか奇妙にも思う。周囲の避難民たちからも疑問のざわめきが起こった。ノアキュリオ軍が撤退した隙に資産の脱出でも図っていたのだろうか。この先にあるテイラカイネはもはや廃墟と化しているのだが。


「ですが、シエル=テイラの同胞たちの命を救うためとあらば、皆様に財をお分けすることに否やもございますまい。まして第二騎士団長殿からのたってのお願いとあらば見捨てることはできませぬ。

 ポーション類や軍用の天幕などが多少はございます。アンガーミューラー伯爵より皆様への義援として、どうかお受け取りください」


 続く御者の言葉には皆が驚愕した。


 まさか都合良く必要な物資を持っていて、それをくれるとは思わなかった。

 おそらく御者の男は地位の高い使用人か何かだろう。主人の気性を知り、信頼されている者でなければ、勝手に主人の財産を分け与えるような独断はできないはずだから。


 アンガーミューラー伯爵という貴族の名をキャサリンは知らなかったが、慈悲深く義心に溢れた者であるか、あるいは……計算高いのか。

 いずれにしても、縋るしかない状況ではあった。


「ご協力に感謝致します」


 バーティルが胸に手を当て、深く頭を下げた。


 * * *


 街道脇にいくつも天幕が張られ、火が焚かれていた。


 疲労困憊した人々は積み荷のポーション類でひとまず元気を取り戻し、第二騎士団が配ったなけなしの兵糧を囓って休息している。

 皆をこれ以上歩かせるのは難しいだろう。ひとまずはこのまま夜を越して、明日に宿場町へ入れればいい。


 テキパキとキャンプの準備を整え、避難民たちの状態を見て回っている部下の様子をバーティルが監督していると、馬車を操っていた壮年の御者がやってきて会釈をした。


「嘘はついておりませんでしょう?」

「……お久しゅうございます、アンガーミューラー卿。いやはや、まさかシエル=テイラ国内におられましたとは」

「ははは、以前お目に掛かったのは連邦首都サクタムブルクでしたかな」


 どこか人を食った雰囲気のこの男こそ、アウグスト・ベルノルト・カルステン・フォン・アンガーミューラー。

 伯爵とは言っても彼は所領を持たぬ軍人であり、その中でも特殊な存在……諜報員だった。

 バーティルはこの男と一度、ジレシュハタール連邦の方で会ったことがあった。


「この御恩はいずれお返し致します」

「どうかお気になさらず。あちらの皆様からも予定ですのでね」


 アウグストは侮りがたい笑みを浮かべていた。

 文字通り代金を徴収するのではなく、イメージ戦略に利用させてもらうという意味だろう。


 彼の後ろでは馬車に頭を突っ込んだカーヤが、折りたたんだ天幕を受け取っている。


「これで全部です、足りましたか?」

「充分です、ありがとうございます」


 分厚い天幕を抱えて去って行くカーヤの後ろから降りてきたのは、群青色の髪と目をした若い娘だ。先程から彼女が荷物を下ろしていた。

 役割に合わせてメイド服を着ているが、彼女はテイラカイネでバーティルが会った諜報員、シェリーと名乗った女だ。


「どうやら間に合ったようですね」

「私の要請に応えていただきまして感謝しますよ。このままでは遭難してしまうところでした」


 二人は皮肉めかして笑み交わした。偶然を装ったこの出会いも仕組まれていたことだ。


 バーティルは戦闘が発生する日時をある程度予測し、いざという時に救援を願えないか事前に連邦側に打診していた。

 そしてテイラカイネを脱出後、緊急連絡用の通話符コーラーで救助を願ったところ、こうして思いがけず大物が出て来てしまったわけだ。


 まさか『戦いが起こると分かっていて待機していました』と言うわけにもいかない。そこで一芝居打ったのである。


「ところで、馬を一頭貸してはいただけませんかね。

 できれば宿場町へ先行し、通信局を使いたいもので」

「よろしいでしょう。しかし、何のために?」

「戦いの後始末ですよ。

 ……昨夜の戦いは、まだ詳細が知られていません。話が広まる前にウェサラへ連絡を入れて交渉したいんです。

 ノアキュリオ王国を強請ゆするネタが手に入りましたもので、ノアキュリオ派の諸侯から横槍が入る前にね」

「それは実に興味深い。何が起こったのです?」

「聖獣が暴走して民間人にも犠牲者が出ました。詳しくは私の部下に聞いてください。

 一報を突っ込んだら戻って来ますから、その後に関して打ち合わせをしましょう」


 アウグストとシェリーの顔が引き締まった。

 国家間のやりとりで利益をどれだけ毟り取れるか、という岐路だ。


 シェリーはすぐに、護衛の一人が乗っていた馬を引いてきた。


「この馬を使えば良いでしょう。知らない人を乗せることにも慣れています」

「ありがとうございます」


 機械の片腕で手綱を握り、バーティルはひらりと飛び乗った。


「カーヤ、後を頼んだぞ」

「お気を付けて、団長」


 一言言い置いて、バーティルは一陣の風となった。

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