[2-73] 因果応報四面楚歌

 それを戦闘と呼ぶべきではなかった。

 どちらかと言うなら、狩りだった。

 それも狩人が生きる糧を得るため命懸けで山に分け入るような狩りではない。最初から万端にお膳立てされ、ただ獲物を嬲ることを楽しむために貴族が行う狩りに近かった。


「はぁっ……はぁっ……!」

「げほっ……ぜはぁっ……!」

「もうやだ……もうやだぁ……!」


 エルミニオ、ロレッタ、エドガー。

 三人は、遮る物のない白銀の平原をただ逃げていた。

 逃げ切る算段は無く、反撃の見通しも無く、ただ命を永らえるために逃げていた。


「くっ……!」


 エルミニオの腕から剥離した腕甲がふわりと宙に浮き、矢を弾く。


「≪耐衝障壁バリア≫!」


 魔力消費を抑えるためピンポイントで張られた障壁が、ロレッタに投げ落とされる槍を防ぐ。


 雨あられと矢が降り、投げ槍が降り、瘴気のブレスが雪を蹴立てる中、三人は攻撃をどうにか防ぎながら逃走していた。そのしぶとさは、曲がりなりにも国内二番のパーティーに所属する冒険者としての実力だろう。

 しかし、それが長く持たないだろうことは傍目にも明らかだった。

 あとほんの少しでも疲労して動きが鈍った時が最期だ。


「……うん? ロレッタ、お前一人だけ何を着てる!?」


 エルミニオが憤怒の声を上げた。

 ロレッタは身体をすっぽりと覆うような、ヒラヒラした外套を身につけていたのだ。何故か先程からロレッタを狙う矢は弾かれていた。このマジックアイテムによる効果だろう。


「寄越せ! それは私の物だ!」


 エルミニオは走りながら、無理やり外套を剥ぎ取ろうとする。


「嫌よ! 私のごぶっ!?」


 足並みが乱れたのはほんの一瞬と言っていい短い時間だろう。

 その隙をスケルトンライダーは見逃さなかった。急降下の勢いを乗せた投げ槍がロレッタの背中に突き刺さり、矢避けの外套を引き裂きつつ彼女を貫いていた。急降下したライダーが二乗のグラフみたいな軌跡で再度上昇する下で、ロレッタはもんどり打って転倒する。


 エルミニオはすぐさまロレッタから飛び離れ、忌々しげに舌打ちして振り返らず逃げ出した。


「や、やめっ……」


 血の泡を吐くロレッタの前に、ルネは降り立った。

 翼を軽く羽ばたかせながら、大きさの割に器用な脚の鉤爪の間に挟むようにして、ロレッタの両足を掴む。


「や、やめ、あ、ゆ、許し、あ、あああああああ!!」


 そして、濡れた紙でも千切るようにあっさりと、ロレッタを二つに引き裂いた。

 短い悲鳴を上げたロレッタは、引き裂かれた胴体から臓物と血を撒き散らしながら絶命した。


「姐さん……っ! く、くそっ!」


 獲物を狙うカラスのように、エルミニオとエドガーにスケルトンライダーたちがたかっていた。

 ロレッタが落ちたことで攻撃を防ぐ手数は減り、攻撃は集中する。

 既に二人は回り込まれた状態で足を止めていた。


 包囲するヒポグリフゾンビの群れ目がけ、エドガーは握りこぶしほどの大きさの宝珠を掲げる。


「てめぇら、いい加減にしやが」


 『れ』は聞こえなかった。


 エドガーが持ち出したアイテムは、周囲に聖気を投射して範囲攻撃を行うものであったようだ。足を止め包囲されたことで、その状況を逆利用して反撃をしようとしたらしい。

 しかし、足を止めるとはどういうことか。


 ルネが吐き出した瘴気のブレスは雪を抉って吹き飛ばしながら一直線に突き進み、エドガーを呑み込んだ。

 彼が掲げようとした宝珠は聖気を撒き散らしながら転がって行き、後には全身黒く焼けただれたような姿になった人型の物体が残っていた。


 そして、遂に残るは一人。

 スケルトンライダーたちが滞空しつつ弓や投げ槍を構える中、ルネは雪を踏みしめ、エルミニオに迫った。


「お、おい……!

 貴様、誰を殺そうとしているか分かっているのか!?」


 エルミニオは四方八方に剣を向けて威嚇しながら声を張り上げた。

 脅えていると言うよりは、それは不当な扱いに対する抗議だった。

 黙っていればイケメンと言えるだろう彼の顔は引きつって、逃げるために走ったせいかそれとも冷や汗なのか、水を被ったかのように汗で濡れていた。


 ルネは足を止めない。迫る。


「私はエルミニオ・ドロエット! 偉大なるドロエット家のエルミニオだ!

 そ、そうか、さてはドロエット家を知らんな?

 ドロエット家はディレッタ神聖王国の建国より続く名家! そして当代の当主である父上は枢機卿であり、神殿への影響力は絶大だ。

 それに、そう、宮廷での地位も高い! 実質的に宰相に等しい格の……いや、こちらでは宰相とは言わないのか。ととと、とにかく偉くて! 領地も広いんだ!」


 しどろもどろになりながらエルミニオは必死で言葉を紡ぐ。

 ルネは足を止めない。迫る。


「わ、分かるか! 父上は神殿も神聖王国も動かせる立場なのだ!

 ここで、わ、私を殺して父上の怒りを買ってみろ! 貴様のようなアンデッドなどひとひねりだ!

 神殿騎士団テンプルナイツと『滅月会ムーンイーター』が! 貴様を滅ぼしに来るのだぞっ!」


 『滅月会ムーンイーター』という単語を聞いて、ルネはほんの一瞬、足を止めた。

 恐怖・脅威としてではなく、触れれば痛む傷痕のような思い出を刺激されて。


 それをどう思ったか知らないが、エルミニオはルネの反応を敏感に感じ取っていた。


「私が死ねばそれはすぐに分かる。

 王都へ向かうと父上に連絡していたから、貴様のせいだということもすぐに分かる。

 いいか、私を解放するのだ。指一本触れるなよ。も、もちろん矢も槍も触れるなよ。

 さすれば私ももう二度と貴様に手は出さぬ。悪い取引ではあるまい。どうだ?」


 この期に及んでも卑屈にならず、むしろ傲慢さを滲ませてエルミニオは言った。


 だが、その言葉は大嘘だとルネは分かっていた。『感情察知』の力で読み取っていた。

 無事に逃げおおせたら父に泣きついて、"怨獄の薔薇姫"討伐のため人員とアイテムを出させるか、でなければ派兵でも要求する腹づもりだろう。

 それをエルミニオの父がそれを聞き届けるかは、また別の話だが。


 もし本当にエルミニオを殺したことでディレッタ神聖王国や神殿勢力が動くとしたら?

 知った事か。ルネにはどうでもいい事だった。


「おい、来るんじゃない! 聞こえなかったのか!?

 人族の言葉は分かるか!? よ、よし、もう一度言おう!

 私はエルミニオ・ドロエット。ドロエット家、ドロエット家のエルミニオだ!」


 ルネにも分かっている。

 こいつは神聖王国のお偉いさんのボンボンだ。魂の保護だって掛けているに決まっていると。

 だとしたら殺害しても一時の苦しみ。なるべく苦しめようと思ったら、生きたまま嬲り続けるしかない。


 だが。

 ルネはそんな『冷静な怒り』を保てる状態ではなかった。


「アアアアアアアアア!!」


 一声咆えたルネはエルミニオに飛びかかると、ラリアットのように翼でエルミニオを打ち据えた。


「ぶごっ!」


 不格好な悲鳴を上げて地面に転がったエルミニオにルネは鉤爪付きの脚を振り下ろす。

 装飾過多な鎧は意外なほどに硬く、ひしゃげただけだ。纏った聖気でルネの脚は焼けるように痛んだ。


 しかしルネは怯まず、エルミニオの足に食らいついた。

 鎧の脚部にもしっかり聖別が施してあるようで、今度は口の中が焼けた鉄棒でも突っ込まれたように痛んだが、実際に焼けた鉄棒を口に突っ込まれた時の痛みに比べたらマシだった。


 ルネは、肉食獣が獲物の肉を噛みちぎる時のように思いっきり首を振り回した。

 ワイバーンの肉体を得た今のルネにとって、エルミニオは軽すぎた。

 振り回され、エルミニオは地面に叩き付けられる。


「ぐっ……ぎ……が……」


 もはや言葉になっていない、胸に詰まった空気を吐き出すだけのような悲鳴が上がった。雪が赤く染まっていた。

 さらにルネは何度も何度もエルミニオを叩き付けた。エルミニオの両腕が風にたなびく洗濯物の袖のように宙を泳いだ。


 中身が無事であるかは別として、それでも鎧は剥がれない。

 そこでルネはエルミニオの足に噛みついたまま釣り上げ、そのまま瘴気のブレスを放った。

 牙の間から吹き出した瘴気がエルミニオの全身を舐めていく。

 同時にルネは脚の鉤爪を、胴鎧の接合部に無理やり捻じ込んだ。聖気と瘴気のエネルギーが相殺し合い、反発が弱まっている。


 ずぶり、ずぶりと少しずつ鉤爪を差し込みながら、それを支えとしてルネはエルミニオの足を食いちぎった。

 足に食いつかれて吊り下げられていたエルミニオが地に落ちる。

 そしてルネは胴鎧を肉ごと抉って剥ぎ取った。


 今度はルネはエルミニオの頭部に食らいついた。

 瘴気に煽られて半ば腐ったような頭部をくわえ込み、ルネはエルミニオの身体をまた地面に叩き付けた。


 鎧の下に身につける鎖帷子だけでは防御力が足りない。

 一撃であばらの砕けた感触があり、ついでに首も壊れていた。

 二度、三度と叩き付けるうち、遂にエルミニオの首は千切れ、胴体だけが投げ出される。


 エルミニオの頭部を吐き出したルネは、そこに息が続く限り瘴気のブレスを吹きかけた。

 雪どころか地面までブレスに削られてクレーター状になり、その中に残ったのは、瘴気に冒されてボロボロに割れ崩れた頭蓋骨。そして兜の代わりに身につけていたサークレットの、朽ち果てた残骸だけだった。

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