[2-72] Let's Hit The Climax!

 肉戦車二号から『ヒルベルト』であった部分は既に消え、その巨体は半ばまで灰の山に埋もれた腐肉塊となっていた。

 ジスランがブレスを撃ち込む度に灰が舞い飛んで、肉戦車は肉体を削られ新たな灰山を作る。

 もはや反撃すら不可能な状態だった。


 二つの口が青白に輝くブレスを吐き、それが交差して、遂に肉戦車は消え去る。

 吹き散らされた灰となって霧散した。


 敵の消滅を確認したジスランは、即座に踵を返す。壁の外に居るアンデッドの軍勢を襲いに行くつもりなのだろう。

 その、振り向いた先。

 未だ無事な建物の上にトレイシーは着地した。稲妻のように跳躍し、通りを二つ飛び越えて。


「殿下に質問がありまーす!

 ……ボク可愛い?」


 ぴんと手を上げたトレイシー。

 質問の意味が分からなかったのか、それとも返答する意義を感じなかったのか。

 ジスランは鋭角的なフォルムをした逞しい腕を振り上げ、爪を立てて振り下ろした。


 生身の人間がこんなものを食らえば挽肉ミンチになるのは確実だ。

 しかし、ジスランの腕が民家をたたき壊したその時、トレイシーは既にそこに居ない。

 

 耳鳴りのような音を立て、トレイシーは空中を疾駆していた。

 何も無い空中をジグザグにステップし、長く伸びた竜の首の、ちょうど顔の脇の部分に着地。そして。


「そぉーれっ!」


 ただ、横っ面にビンタをかました。


 溢れ出す魔力がトレイシーの手を輝かせ、一撃の余波が波紋のように宙に広がる。

 人間など一呑みにできそうな巨大な顔が、思いっきり吹き飛んだ。


 本当ならこの一撃で顔が潰れていておかしくないのだが、ジスランは無傷。体内に生みだした聖獣がダメージを肩代わりしているようだ。

 だがそれでも衝撃と慣性は打ち消せない。首に引っ張られるようにジスランは転倒した。

 重い地響きがずんと響き、巨体が地を滑って抉り、石畳をめくれ上がらせた。


「おいで!」


 空中に立ったトレイシーが腕で招くと、周囲の瓦礫がトレイシーの意思の通りに動いた。

 ふわりと浮かんで、そして一斉に、ジスランの二つの頭目がけて殺到する。

 無数の瓦礫がジスランの頭部を乱打しつつ、埋めた。

 

「……ァァァアアアアアアア!!」


 小高い塚のようになった瓦礫が内側から爆発するように吹き飛んだ。

 聖気のブレスだ。

 青白き輝きがトレイシー目がけ吹き付けられた。


 だが、トレイシーは避けなかった。

 吹き付ける暴風が蜂蜜色の髪を弄んだが、それだけだった。

 ブレスの中を突っ切ってトレイシーは降下する。


 ジスランは羽ばたくと言うより、翼を地面に突っ張って身体を起こすように跳ね起きた。

 そして、落ちてくるトレイシー目がけて腕を叩き付ける。


「そぉー……れっ!」


 空中に着地したトレイシーはジスランの殴打を躱さず、回し蹴りで迎撃した。

 お下げが宙を泳ぎ、スカートが翻る。


 地に立つジスランに対し、不安定な宙に立つトレイシー。

 巨躯を誇るジスランに対し、小さな身体のトレイシー。

 逞しい巨腕に黄金の爪まで付いたジスランに対し、頼りなく細い脚のトレイシー。


 だが、その二人がぶつかり合った結果。

 ジスランの腕は思いっきり弾き返され、ドラゴンの巨躯が勢い余って半回転した。

 衝突の余波が……トレイシーの纏っていた魔力がダイヤモンドダストのように舞い散った。


『これ使って!』


 エヴェリスからのテレパシーがトレイシーの頭の中に響き、同時に何かが放物線を描いて飛んできた。


「了解ぃ!」


 手招いて引き寄せると、それは毛糸玉みたいに丸めた鎖だった。

 何製なのか分からないが、恐ろしく頑丈なのはなんとなく分かる。


 トレイシーが一振りすると、鎖は自ら意思を持つかのように有機的な動きをして解けた。


「じっとしてて!」


 重力を無視してジスランの背中に降り立ったトレイシーは、鎖を繰る。

 鋭く奔った鈍色の鎖はジスランの翼の根元に絡みついた。

 そしてそのまま幾重にも巻き付き、絞り上げるように翼を拘束した。


「アアアアアアア!!」


 鱗の狭間に聖気の輝きが閃いて、ジスランの背中一面から聖気の閃光が吹き出した。

 その閃光は、トレイシーに何の痛痒も与えられなかった。肌に当たっても虚しく弾けただけだった。


「……流石にボクも、今の殿下にこの国は任せられないよ」


 トレイシーを振り落とそうとジスランが暴れる中、地面と平行に立ちながらトレイシーは呟いた。


『トレイシー、距離を取って! ミアランゼの準備ができた!』


 エヴェリスから再度テレパシーを受け、トレイシーは宙に舞った。

 トレイシーを押し潰そうとジスランが背中から倒れ込むところだった。

 並んだ建物を倒壊させつつ倒れ込むジスランを尻目に、トレイシーは通りの反対側の、崩れかけた建物の屋根に着地する。


『私みたいに利害の一致でもなく、アンデッド兵たちやトレイシーみたいに無理やりでもなく……』

「何気にボク、アンデッドと一緒にされた!?」

『……真に忠義を以て仕える者が姫様には必要だろう。

 てゆーか自然にそういうのが出てくるはずだよね。うん。

 『率いて戦う』以上はそうなる。自然にそうなる』


 特に答えを期待しているわけではないだろうエヴェリスは、詩を朗ずるように言う。


『多分、君が第一号だ。この一撃は譲ろうじゃないか。

 さぁ、祝砲うぶごえを上げるんだ! ミアランゼ!』


 領城の上には、朧月を背負って飛ぶ小さな黒い影があった。


 *


 大地を流れる魔力の結節点。

 地脈に多くの魔力が集まる場所を『魔力溜まりホットスポット』と言う。


 常人には賄いがたい、大量の魔力を供給する魔力溜まりホットスポット

 この魔力は都市防衛機構を動かすためであったり、大規模な魔法の行使に用いられる他、場合によっては民需向けの転用なども行われる。

 各国の首都はほぼ例外なく良質な魔力溜まりホットスポットの上に存在し、一定以上の規模を持つ都市も基本的にそうだ。即ち、このテイラカイネも。


 領城の地下で堅く守られていた、地脈制御のための機構……『龍律極ルーター』。

 それを奪われるということは都市の完全陥落を示す。


「あれが……聖獣。大神の手先」


 ミアランゼは領城の上に滞空していた。

 半ば廃墟と化した城下町では、巨体を持つ異形の獣が七転八倒している。

 文字通り肥えた真白い肉体。

 黄金の仮面を被ったかのような異形の頭部。

 そこには怒りも悲しみも見えず、ゴーレムのように戦い破壊するだけだ。


「……似つかわしい」


 端的に、ミアランゼはそう吐き捨てた。

 歪んで狂ったこの世界に君臨する者。唾棄すべき偽りの救い。

 その手先に相応しい醜悪さだ。


 子ども時代は家族とともに世間から隔絶された生活を送り、その後も『家畜』として飼われていたミアランゼでさえ、神に祈ることは知っていた。

 己の救済を願い、幾度も大いなる者に祈った。だがミアランゼを救ったのは誰だっただろうか。

 聖なる神々に忌まれしアンデッド……邪神の元へ下った復讐者だった。


「害虫の駆除もメイドの仕事。そのための力を、私はあの方より賜った」


 身の内を這いずる邪悪な力を、ミアランゼは感じていた。

 邪悪。結構ではないか。『正義』も『希望』も『正しき信仰』もミアランゼを救いはしなかった。

 神殿さえミアランゼの救いを拒み、ましてミアランゼを飼っていたのは正統な支配層たる貴族だったではないか。

 ならば喜んで邪悪に堕ちよう。

 正なるもの、聖なるもの、全てを毀損して己の道を示そう。


 ミアランゼは銀色に輝く鋼線のようなものを身体に巻き付けていた。

 数本の鋼線は長く垂れ下がり、城のバルコニーから城中に消えていく。

 城の地下の龍律極ルーターに直結した、魔力の導線だ。出発前にエヴェリスから持たされていた。

 これでミアランゼは地脈から直接魔力を引っ張り出せる。


 ミアランゼは魔力を練った。

 それは己でも分かるほどに稚拙なものだったが、地脈と直結したミアランゼが使える魔力は膨大であり、ただ質より量で魔力を編み上げればよかった。


 巨大な力がミアランゼという成形機を通して出力されていく。

 ミアランゼの周囲に一本、また一本と浮かび上がるものがある。

 細長い杭のようなもの。

 血を固めて作ったような、槍。


 本来なら邪気のエネルギーを槍状に固めて飛ばすだけの魔法だが、大量の魔力を注ぎ込まれたために、その槍はディテールまで美しく象られた重厚な斧槍ハルバードとなっていた。

 そんな槍が、一本、十本、五十本、百本、二百本、五百本……


 夜空に浮かぶ。夜空を埋め尽くす。

 槍が浮かぶ。無数の槍が穂先を揃える。

 槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が。


「【性能偏向:弾数重視スプレッドカスタム】……≪血染槍衾カズィクルベイ≫!!」


 槍の雨が、降った。

 無数の槍がぶつかり合い、擦れ合って涼やかな音を立てながら一方向に猛進する。

 

「ゴアアアア!」


 ジスランがブレスを吐いた。同時に全身から閃光を放った。

 それは、向かってくる槍のうち二割ほどを。相殺すらできない。細長い槍は込められた力に対して、聖気に晒される面積が小さかった。

 そして、狙いから逸れた槍にはもちろん何の影響もない。


 聖気を切り裂いて飛翔した赤黒い槍は、真白い鱗に突き立った。

 数本が突き立って砕け散り、ジスランは無傷。体内の即席聖獣が肩代わりして死んだのだろう。

 しかし寸の間も置かず次の槍が着弾する。

 次の槍が着弾する。次の槍が着弾する。

 槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が槍が。


 ジスランの身体が、削れた。

 新たに聖獣を生み出す肉と聖気が遂に尽き、受け止めるしかなくなったのだ。

 鱗が割れ、肉が裂け、黄金の仮面にヒビが入る。

 舌を縫いとめ、脚を貫き、肥大した腹に突き立った。


 あまりに圧倒的な数の槍が、見る間にジスランを埋めた。

 ジスランを地面に磔にするかのように降り注ぎ、更にその上からも突き刺さる。


 墓標のように突き立った無数の槍は、やがて一斉に、床に落としたガラスの器のように砕け散って。

 後には舞い散る灰だけが残っていた。

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