[2-61] In Labors And Dangers

「グルルルルゥ……ルァアアアアアア!!」


 もはや人の言葉すら忘れたらしいジスランが牙を剥きだし襲いかかる。

 引きずるほどの巨体からすると意外なほどの敏捷性で、ほとんど地面に頭突きをする勢いで巨大な頭から突っ込んで来た。


 ギリギリの≪短距離転移ショートワープ≫でルネはジスランの噛み付きを回避。ナメクジのような胴体をすれ違いざま切り裂いていく。

 斬れているのに斬れていないという奇妙な感覚。ダメージは通らず、どこかで肩代わりされている。

 そもそも最初から身代わり機能を持っていないらしいイルミネイターを別にしても、おそらく、プリシラを殺害した時点でまだ聖獣の残機は残っていたのだろう。

 だが聖獣たちは伯爵一家を庇うことをやめた。

 より上位の存在ジスランからの命令を受けて。伯爵一家を切り捨て、次の戦いに余力を残すために。


「アアアアアアア!!」


 ジスランが胴体を引いた。

 とぐろを巻く蛇のように身を丸めたと思えば、その胴体で周囲を薙ぎ払う。ぬかるむ地面が削られ、泥水が巻き上げられた。


 ルネは縄跳びのように軽く跳躍して薙ぎ払いを躱し、さらに一撃を見舞おうとした。

 

 その時にルネが感じたのは、吐き気と言うべきか、怖気と言うべきか。


 ――何か、来る……!


 ジスランの身体の、黄金の装飾を纏っていない部分に満遍なく、斑点のように聖気の輝きが灯った。


 ――≪対抗呪文結界カウンターマジックフィールド≫!


 直後、ジスランは全身からレーザー投光器のように全周囲へ聖気の光を撒き散らした。

 白青の光のシャワーが高水圧洗浄機のように辺り構わず抉りまくる。だがその攻撃は、タッチの差で対魔法攻撃の障壁を展開したルネに届かず掻き消えた。


 隙を晒したジスランに、ルネは二度三度斬り付ける。

 だが、背後から挟み討つように迫り来る聖気の気配を察し、崩れた城壁の影に転移した。


 ガリガリと石を削る聖気の光線が一時、止む。

 ジスランの前に姿を現したのはドラゴン型の聖獣・イルミネイターだ。何故か片手が無くなっている。

 ボディプレスでも仕掛けるようにジスランに倒れ込むイルミネイター。

 下敷きになったジスランはぺちゃんこに……なるわけもなく、二体の聖獣はまるで液体のように溶け合った。


「……酷いわね」


 ルネは多少の生理的嫌悪を込めて評する。

 白々とした肉体が混ざり合い、こね回されるパン生地のように目まぐるしく輪郭を変えていく。

 ふたつの肉体から新たな肉体をひとつ生み出そうとしているようだ。引きずるばかりだった胴体にドラゴンの巨躯を支える足が加わり、背中には翼が生える。


「わたしは戦隊モノの悪役じゃないから、合体バンクが終わるまで待ってあげたりしないわよ!」


 身体を作り替えるため動きを止めた聖獣の背後に転移し、ルネは斬った。

 一撃、二撃、そして三撃目。半ば融合したドラゴンの首が伸びる。仮面のような顔の牙の隙間から、聖気の光が漏れていた。


 ――ブレス……じゃない、噛みつく気!?


 迫り来る黄金のマズルの上で倒立するようにルネは跳躍。

 長い竜の首のうなじに飛び乗ったルネはさらに赤刃で斬り付けた。


「グゥオオオオオオ!!」

「きゃっ!」


 ジスランが突如、竜の首を振り回しながら羽ばたいた。

 乗っかっていられず転げ落ちたルネ目がけて、鋭いかぎ爪を持つ腕が振るわれる。宙に浮いていたルネは、地上に転移することで一撃を躱した。首のすぐ上を黄金の爪が薙ぎ払っていく。濡れそぼったルネの髪を風圧が揺らした。


 ジスランの巨体が夜天に舞う。

 力強く羽ばたくドラゴンの翼によって、辺りには打ち下ろすような烈風が断続的に巻き起こった。

 肥満体のドラゴンみたいな胴体の上には、元からあった巨大な異形の頭部と、長い首を持つドラゴンの首が並んでいる。


 ふたつの口に、聖気の輝きが宿った。


 ――来る!


 ブレスはほぼ魔法のようなものだが厳密には魔法でなく、『対魔法』の防御ではダメージを防ぎきれない。


 ルネは城内へ通じる手近な扉目がけて飛びかかった。

 赤刃を振るって扉を切り裂き、残骸を押しのけるように飛び込んだ直後。耳がおかしくなりそうな風の音と共に、おぞましいほどの聖気がルネの背後を吹き抜けた。


「ギイイイイアアアアア!!」


 歪んだ雄叫びと共に、ルネが通ってきたばかりの扉に手が突っ込まれる。周囲の石積みが崩れた。

 ジスランの巨体では城内に入れない。

 人の姿に戻ることはできないのか、単に戦闘力の低下を懸念しているのか、とにかくジスランは壁越しに手を突っ込んでルネを引き裂こうとした。


 ルネは赤絨毯の廊下をひた走りながらテレパシーによってアラスターに状況報告を飛ばす。ルネは自らが生み出したアンデッドと精神的に繋がっており、一方的な連絡や命令であれば飛ばすことができるのだ。

 通話符コーラーは魔法で収納せず普通に持っていたもので、先程オズワルドに焼かれてしまっていた。


 ――伯爵一家を撃破。ただ、ジスランは聖獣化していたわ! イルミネイターを取り込んでドラゴンみたいなものに変化、現在わたしと戦闘中。まだ傷を引き受ける聖獣が残っているみたい!


 駆け抜けるルネを追ってジスランは繰り返し手を突っ込んでくる。

 立派だった廊下はたちまち廃墟と化していった。


 通話符コーラーからの連絡ではなかったため多少の間があったが、数秒の遅延の後、ルネの精神に直接声が響いてきた。


 ――姫様、聖獣どもが生者を襲っておるようです。


 アラスターに付けていたリッチからの≪念話テレパシー≫だ。アラスターの言葉をそのまま復唱する形でルネに通信を送っている。


 ――街の人を? どうして?

 ――不明です。それと聖獣どもは全体的に城へ向かって移動しているらしい傾向が見て取れます。

   肉戦車二号機ヒルベルト付近で戦っていた聖獣も街へ向かい、冒険者どもは敗走しております。


 もたらされたニュースを聞いてルネの脳裏をよぎったのは、ジスランが口走った言葉。

 彼はエドフェルト侯爵やオズワルドをも食らっていた。

 おそらくは、自らの血肉とするために。


 ――聖獣は自らの体内に肉を蓄えて、ジスランの所へ持ってきて融合するつもりかしら?

 ――その可能性は高いかと。

 ――城に向かっている聖獣を全部潰しなさい。ブラッドサッカーはもうどれだけ消費しても構わないわ。それと、確保してあるわたしの残機からだは死守すること!

 ――かしこまりました。


 思考による手短な通信を終えた直後、ルネのすぐ傍で壁が爆発した。


 内側に盛り上がり崩れ爆ぜ飛ぶ石壁の向こう。ショルダータックルのように肩を怒らせたジスランの巨体がある。迫る。


 ――≪短距離転移ショートワープ≫!


 ルネは建物の外、飛び込んできたジスランの背後へと転移した。


 転移系の魔法は、自らが認識下に置いた場所へしか飛べない。基本的にそれは『目で見ている場所』だ。見えないほど遠くへ転移しようと思ったら何らかの仕掛けを用意しておかなければならない。

 ルネの場合もそれは同じなのだが、霊体系アンデッドとしての魔力知覚によってルネは周囲の状況を把握可能だ。レントゲンのように周囲を見透かすことができる。


 ちょうど翼の付け根辺りに転移したルネは、白い鱗に覆われた背中へ呪いの赤刃を突き込む。手応えは吸い取られる。どこか近くで聖獣が死んだはずだ。


 だがその攻撃への返礼とでも言うように、ジスランの背中の鱗が残らず逆立った。

 大根をおろすのに便利そうな背中だが、しかしめくれ上がった鱗の下には青いマグマのような光が揺らめいている。


「ちょっ!」


 ルネの手の中で赤刃が溶けて消えた。

 自らの肉体をヴァンパイアとして再構成したルネは≪対抗呪文結界カウンターマジックフィールド≫を展開しつつ、羽ばたき舞い上がった。


 ジスランの背中から何本も聖気のレーザーが吐き出された。

 細く輝く聖気の光がいくつも夜空に打ち上げられて、無限の彼方へ消えていく。

 展開された防御膜によってレーザーを打ち消しつつルネは飛翔した。


 ――身体のどこからでもビーム出せるとか、滅茶苦茶だわ!


 さすがにブレスほどの威力は無いにせよ、ルネの攻撃へのカウンターとしては充分だ。

 城を回り込むように飛んだルネは、まだ無事な城壁の上に着地する。


「撃ち合いをお望みなら、わたしだって!」


 ルネの手の中にルビーを削り出して作ったような赤い杖が現れる。

 その時にはもうルネの身体は骨だけになっていた。


「≪七連魔弾フライクーゲル≫!」


 魔杖の先から七つの魔弾が放たれた。


 邪気を押し固めたような魔法弾が各々意思を持つかの如く飛んでいく。

 小さな魔弾は一見するとジスランの巨体に対して頼りない豆鉄砲にも見えるが、風に爪を立てて引き裂いていくような音だけでも不気味であり、込められた邪気は尋常ならざるものだ。


 城の影から姿を現したジスランは、上方から側面から正面から迫る魔弾を見て全身を光らせる。二つの口の中にも聖気の炎がちらついた。


「ウゥゥウウウウウヴァアアアアア!!」


 二つの口が薙ぎ払うようにブレスを吐き散らした。

 同時にジスランの全身からデタラメに聖気のレーザーが飛び出す。ルネを狙ってのものではなく、防御のためだ。

 

 しかし身体からのレーザーはあまり狙いが効かないようで、まばらな対空砲火の合間を縫って魔弾は飛び、ブレスに突っ込み、相殺しつつ食い破った。


 リッチの姿のルネは外見通りの非力な少女(骨)となるが、その分魔力が高められる。

 魔弾に込められた邪気は、ジスランが吐き出す聖気を凌駕した。


 ルネの魔法が炸裂した。

 爆発音と言うには禍々しすぎる、肉の爆ぜる水っぽくくぐもった音が響く。スプーンで掬い取ったようにジスランの身体のそこかしこが抉られ、吹きだした血が飛び散った。


 そう、ダメージが通ったのだ。


 ――これは……ダメージ引き受ける聖獣が今度こそ尽きたの?


 ルネはすぐさまテレパシーでアラスターに通信を入れた。


 ――アラスター! まだ身代わり能力持ちっぽい聖獣は街に残ってる!?

 ――……はい。鳥形ウォッチャー虎型ディスジェクター共に数体を確認しております。

 ――じゃあ、そいつらは城から離れた場所だったりする?

 ――そう、ですな。街中に展開する兵と交戦中です。城の付近にはドラゴン型イルミネイター以外確認できませぬ。


 ダメージを肩代わりする能力の効果範囲は未だに不明だが、あんな強い能力を射程無制限で使えるはずはない。

 当然、効果範囲には限界があり……今、ジスランのダメージを引き受けられる場所には聖獣が居ないのだ。


 ――なんとしても接近を阻止しなさい。仕留めるわ!

 ――御意。


 獣臭い血を流しながら、それでも余り堪えた様子なくジスランは立っている。

 黄金の仮面に開いた穴からルネを見据えている。

 ルネはただ、その目を閉ざすことだけを考えていた。


 この時は、まだ。

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