[2-53] 陰謀マシマシニンニク汁多め

 街の中にいくつか存在した避難所。

 それらは今や、全ての出入り口を塗りつぶされた石棺と化していた。


 その奇妙な現象に気付いていたのは数人の市民だけ。

 気付いた者のほとんどは、この状況でそんなわけのわからない謎を深追いしている余裕などなかった。それよりも自分の命が大事だ。

 うち二名は衛兵を捕まえて状況を説明した。しかし片方は、酔っ払っていたか恐怖で幻覚でも見たのだろうと取り合われなかった。

 もう片方は衛兵を引っぱってきて謎の石棺を確認させた。衛兵は驚き、このことをすぐに上へ報告すると約束した。


「≪石工術メーソンリー≫」


 そんな彼らの前で石壁にぽっかり穴が空き、そして全ては手遅れになった。


 * * *


「侯爵様! 外では何が起こっているのですか!?」

「静かにしていろ、ジスラン!」

「神の敵が現れるのであれば、私は戦わねばなりません!」

「それはお前の仕事ではないと言っているだろう! 何もないから大人しくしていろ! ……畜生め、何故に私の言うことを聞かぬ!?」


 エドフェルト侯爵居城の絢爛な廊下にて、マークスとジスランは扉一枚隔てて怒鳴り合っていた。


 マークスは苛立っていた。と言うか不気味に思っていた。これまでずっと従順で、言われた通りにしか動かず、それ以外は大人しくじっとしているだけだったジスランが急に騒ぎ始めたのだ。


 受肉聖獣たちは、神懸かりだとかなんだとかいうモルガナの精神を見たことでモルガナに従っている。だがあの危険人物に聖獣の手綱を握らせておく訳にはいかないので、モルガナから命令権の譲渡を受けるという立て付けで他の者が命令を下しているのだ。

 それでモルガナの手を離れた状態でも問題なく動いていた。ジスランもそうだった。


 何かが、おかしい。

 ジスランは砲撃音を聞いて反応した。

 今のところマークスに状況の説明を求めているだけだが、命令外の動きをしたということ自体がおかしい。


「絶対外に出すなよ!」

「はっ」


 気休めと知りつつマークスは見張りに命じた。武装した者がジスランの護衛のように部屋の前に立っているが、実態は見張りだ。


 マークスはジスランの部屋に外から鍵を掛け、見張りも付けた。だが今のジスランは聖獣としての力を持っている。扉をぶち破ろうと思えばすぐのはずだ。

 ジスランを閉じ込めている扉がまるでシャボン玉か何かのように脆く見えた。それでも今は破られていない。このままでいてくれとマークスは祈った。


 これでマークスはひとまずジスランのことを頭の片隅に押し込み、戦いに集中することにした。

 今はひとまず、壁の外で戦っている“零下の晶鎗”次第だ。半数以上の聖獣を彼らに付け、露払い兼肉盾として下級の冒険者も付けた。上手くやってくれることを期待するしかない。


 気がかりなのは“怨獄の薔薇姫”本人の所在が掴めないことだ。そのためマークスは第二騎士団を街に、キーリー伯爵の一派を手元に留めているし、も出せずにいる。

 ジスランを戦わせることもほんの少しだけ考えた。だがマークスはすぐに自分の考えを否定した。ここでジスランが死んだら何にもならない。


 指揮所へ駆け戻るマークス。しかし無情にもマークスが戻るより早く、腰に挟んでいた通話符コーラーのうち一枚が紫色の炎のような光を放った。

 相手は……“零下の晶鎗”ではない。最前線である北側街壁の部隊でもない。頼りになるか分からないが予備戦力兼、市民のパニックが発生した際の備えとして街を見回らせていた衛兵隊だ。


『侯爵様! じ、城下に、信じられない数のアンデッドが……!』

「なんだと!?」


 最も聞きたくない類いの報告がいきなり耳に飛び込んできて、さしものマークスも心臓を鷲づかみにされたような気分だった。


『ブラッドサッカーという魔物だそうです。下等な吸血鬼で、人を襲って血を吸ってはブラッドサッカーに変えるのだと……』

「おのれ、どこから入り込んだ!!」


 ジスランの相手をするため指揮所を離れた時間は僅かだったはず。まさかたったそれだけの間に、と驚愕するとともに最悪のタイミングで席を外した自分の不幸と迂闊さを呪わずにはいられない。

 だが悠長に呪っている場合ではない。状況が悪化したならそれはそれで手を打たねばならない。


「信じられないと言ったが、それでは分からん! 数はどの程度だ!」

『お、おそらく……最低で500。当然ながら現在も増殖中です』


 自分でも信じられない様子で言う衛兵隊長。マークスは今度こそ絶句した。対処するとか手を打つとかそういう状況ではない。破滅だ。


「……馬鹿な。馬鹿な……」


 * * *


 通りに溢れかえるブラッドサッカーを見下ろしながらバーティルは連なる建物の上を駆けた。

 荷物の中からむしり取るように通話符コーラーを引っ張り出し、表面をアームの指で撫でて起動。そして通信が繋がるなり怒鳴るように話しかけた。


「カーヤ、今どこだ!?」

『団長! 北側街壁近くです。いきなり大量のアンデッドが……!』

「分かってる。ブラッドサッカーだ。こいつらは吸血で仲間を増やしていく」


 ふらふらと歩くアンデッドの群れが、何かに引き寄せられるように一方向に向かっていた。

 青白いを通り越して青くすら見えるほどの体色。目はらんらんと赤く輝き、犬の牙のように犬歯が長い。そして、身体は干からびる寸前みたいに萎びている。


 ブラッドサッカー。個体差はあれど総じて低級な存在だし弱点も多い。だが問題はその数と増殖力にある。ブラッドサッカーに血を吸われて死んだ者はブラッドサッカーとして蘇る。勝手に仲間をどんどん増やしていくのだ。さらに、動くためのエネルギーとして血液に含まれる生体魔力を消費するため術者の魔力を消費しない。


 ――増やすにも維持するにもルネちゃんは魔力使わなくて済むもんなあ。こりゃ便利すぎんぜ。


「ある程度以上に増えちまったブラッドサッカーを駆除するのは普通に戦ってたら無理だ。少なくともが尽きるまでは、倒す以上に増えちまう。

 こいつら聖気に極端に弱いから、王都ん時みたいな広域化≪聖域結界サンクチュアリ≫ができたら一網打尽だったんだが……」


 バーティルは一応、ルネの作戦をおおまかに見抜いた時点でそれに対抗されないか考えてもいた。

 ≪聖域結界サンクチュアリ≫を展開するようなマジックアイテムは今この街に無いし、では儀式魔法で代用できないかと考えると、神聖魔法の使い手をことごとくつぎ込むことになってしまう。それでは結界を一発出しておしまいだ。

 後は吸血鬼が忌避するニンニクを使うくらい。事が起こってから必要な数を用立てるのは無理だ。まあバーティルは、自分と部下たちの分だけは抜かりなく確保しておいたが。


「ヴァンパイア対策が役に立ちそうだな。ニンニク汁はもう使ったか?」

『はい。頭から被りました』

「んで、ブラッドサッカーが居るってこたぁそれを作った誰かさんも居るってこった。魅了耐性のアクセサリーは男どもに持たせたな?」

『既に身につけています』


 ついでにアンデッド対策として、武具にはあらかじめ『聖別』の魔化を施してある。

 これでひとまず多少の安全は確保できた。問題はここからどう自体を動かしていくかだ。


 ――ま、俺ができるのは市民の救出くらいか。このまんまだと無差別に死んじまうからな。


「カーヤ」

『はい』

「薄情なことを言うようだが、市街を守り抜くのはもう無理だ。ブラッドサッカーくらいは聖印やニンニクで対処できるが、これからブラッドサッカーどもは街壁の護りを内側からメチャクチャにする。さすがにこの数は対処できねえ、俺らが加わったくらいじゃもうどうにもなんないだろ。

 壁の外のアンデッド兵がすぐに市街地に流れ込んでくる。そして、そいつらはニンニクの臭いじゃ逃げてくれない」

『……はい』


 通話符コーラーごしに状況を説明しながら、バーティルは水晶をひとつ取り出した。

 祈りを捧げる貴人たちの姿が映る。城内の礼拝堂に仕掛けた覗き見アイテムだ。


 ――俺が『隔絶の楔』を仕掛けさせられた中じゃ、城内の礼拝堂だけ無事だ。たぶんルネちゃんは城内でもブラッドサッカーを作って城壁の護りを崩す気だったと思うんだが……んー、今んとこ無事っぽいな。


 ここだけバーティルが想定していたシナリオから少しズレた。その原因にはある程度予想が付いているが、分析は後だ。

 城内が無事とは言え、結果はあまり変わらない。城内が安全だからと言ってそこへ市民を避難させるわけにはいかない。


「戦闘はたぶんすぐ城を巡る攻防に移るだろうな。

 だがそれじゃ趨勢は決したようなものだ。この戦いは籠城戦に持ち込まれた時点で負けだ。敵は戦力の補充が容易なのにこっちは聖獣の追加だって望めないんだから、持久戦になったらジワジワなぶり殺されるだけだぜ。

 この戦いに勝ち筋があるとしたら、まず向こうの攻城能力を削ぎ、次いで街壁を盾にしつつ敵に打撃を与え、頃合いを見て反転攻勢に出て全滅させるくらいしかなかった。それも、こっちが万全に戦えるうちに一気にな。

 その目論見はとっくに崩れてるんだ。城壁に据え付けてた魔動機械(アーティファクト)防衛兵器を街壁に移しちまってるから街壁が破られた時点でおしまいなんだよ。城に立てこもっても敵に効果的な打撃を与えられなきゃ反撃に移れない」


 勝ち筋は余りにも限定されていた。槍の穂先で針の穴を突くようなものだ。

 全てが思い通りに動き、ルネが判断を誤り、現場が劣勢を覆す奮闘をしてようやく勝てる……分かってはいたことだが、やはり無理そうだ。


「カーヤ。我々は侯爵の部下ってわけじゃない。ここまでは付き合ったがジスラン殿下のため、勝ち目のない戦いに身を投じて死んでくれなくても結構。

 それよりもこれから、西の皇太子候補を助けてやらにゃーならん」

『し、しかし、では、この街の民は……』


 あんまりなバーティルの言いようにカーヤは怯んだ様子だった。

 実際カーヤの困惑はもっともだ。バーティルはつまり、勝ちを目指すことを諦めてこの街を見捨てると言っているのだから。

 だがバーティルは砂粒みたいな奇跡の可能性に賭けるより、確実に手にできるものを求める質だった。


「今のとこ街は包囲されてない。すぐに逃げられる市民だけでもどうにか誘導して南側から街の外へ出すぞ。情けないが、それが最悪中の最善だ。

 ……俺は今のうちに城の様子を見に行かなきゃならん。そっちは任せたぞ」

『はい!』


 カーヤの返事を聞くと、バーティルは通話符コーラーを切断する。

 見下ろせばブラッドサッカーたちは一方向に動きながらも、進路上の建物に乱入しては仲間を増やしている様子だ。


「……ふう。俺らの世間体が悪くなんない程度には市民を助けたいね。あーあ、大人って汚くてやだわ」


 自分を馬鹿にしながらじゃないとやってられない気分だった。

 しかし無意味なことをしているわけではない。切り捨てられた人々にとってはここで全て終わりだが、助けられた人々にとってはそれが全てなのだから。

 そして、バーティルはこの戦いを次へ繋げなくてはならない。


 ――勝負は付いた。後は、こっちのエースをルネちゃんに取られなきゃ上出来。逆にあっちの隊長格や幹部級をなるべく討ち取れれば万々歳ってとこだな。“零下の晶鎗”は大丈夫だろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る