[2-47] 待ち人:多分来る

 エドフェルト侯爵がテイラカイネに戦力を集中させたということは、それ以外の領内各都市は丸裸になったも同然ということだ。

 もっとも、戦力を分散させておいたとしても各個撃破されるだけだろうから、テイラカイネ以外をルネが襲わないよう祈りつつ戦力を集中させたのは間違っていない。それにルネはここまでいくつかの領都を陥としてきたが、いずれの場合も他都市には見向きもせず領都を奇襲するという戦法をとったので、次も同じように来ると考えたのかも知れない。


 だがその作戦は、あくまで奇襲で諸侯を効率よく殺すためのものだった。

 既に領都にそれなりの戦力が集まっている以上、ルネとしても相応の段取りを踏むのはやぶさかでない。


 ルネは、防衛体制がスカスカになった領都付近の都市を流れ作業のように潰していった。同じく散在する農村も、アンデッド兵数十体規模の分隊を多数編制して根こそぎにしていった。

 財物や食糧、武器は手当たり次第に奪い、持ちきれないものは破壊した。

 ただし、非戦闘員は殺さなかった。

 家という家をなぎ倒し、街壁があれば念入りに壊し、井戸があればこえをぶち込むかゾンビが入水し、畑があれば毒を撒く。それでも人は最小限しか殺さなかった。


 必然、生活基盤を破壊されて難民化した人々はテイラカイネへと集まってくる。

 一都市には収まりきらないだけの人という人が押し寄せ、街門前には身体検査を待つ人々の長蛇の列ができた。

 ある程度裕福な者は即座に宿を押さえたが、便乗値上げが出ても宿はすぐ満室になり、市民に金を払って宿を提供してもらおうとする者が出る。金が無い者は労働力や、場合によっては身体を提供しようとする者も現れる。


 神殿や集会所など、人が寝泊まりできるはだいたい既に王都からの避難民が埋めている。比較的王都に近いテイラカイネだが、避難民のほとんどが西を目指したこともあってこれまでは収容し切れていたのだ。

 だが領内全域から避難民を流し込まれ、その均衡も崩れた。間の悪いことに今は冬。自殺志願者は外で寝るだけでいい季節だ。それでも収まりきらないものは収まりきらない。

 窮余の策としてエドフェルト侯爵は街中から天幕を掻き集め、それをノアキュリオ軍が残した囲いの中に並べて避難民を収容しようとした。しかしそれでも結局は足りない。民家の軒先で眠って体調を崩す者が出たりする。

 暖を取る手段もたき火くらいしか用意できない。一カ所に人を詰め込めばトラブルも起きる。

 避難民に食わせる飯も足りない。ノアキュリオ軍と“怨獄の薔薇姫”がごっそり買っていった後なのだから市場の食糧在庫は品薄状態だった。金が無い、金があっても買えないとなれば、盗む者も出る。

 神殿からもたらされる人道支援物資が、当初避難民が多かった西側へ集中していることも災いした。


 苦境に置かれれば、人は誰かを恨むもの。

 何故、こんな目に遭わなければならないのか? 直接の原因は言うまでもなく“怨獄の薔薇姫”だ。

 だが。

 自分のお膝元へ騎士を集め、他の街をことごとく留守にした領主様。彼に責任がないと言えるのだろうか? 民が税を納めているのは、貴族が民を束ねて保護する見返りであるはずなのに。

 エドフェルト侯爵が鳴り物入りで呼び寄せたノアキュリオ軍も。ノアキュリオ軍への不信は、それを宣伝材料としたエドフェルト侯爵への不信にもなった。


 腹を減らし、寒さに震え、侯爵(と、ついでにノアキュリオ軍)には疑いの目を持つ人々……

 そんなものが都市の容量を超えて集まったとすると、何が起こるだろうか。


 * * *


 ノアキュリオ軍の撤退と時を同じくして、同時多発的に複数の都市が攻撃を受け攻め陥とされた。

 それから一夜明けても、テイラカイネの街には難民が流入し続けていた。


「侯爵様。僭越ながら申し上げますれば、“怨獄の薔薇姫”が攻めてきたら歯止めを失った市民が何をするか分かりません。それが街の様子を見回っての率直な感想です。

 パニックになることだけは確実ですが、その結果として彼らが何をしでかすかは分かりかねます」

「ぬ、う……」


 執務室の椅子に深く座った大柄な初老の男、エドフェルト侯爵ことマークスは、顔を荒削りの岩石みたいにしかめて、短く刈り込んだ暗褐色の頭を抱えていた。

 バーティルは街を歩いて避難民の様子を見て回っていた。その感想は先述の通り。

 街の雰囲気はどこかきな臭く、赤錆びた鉄の臭いが漂っているかのようにも錯覚する。

 しかし工夫や努力でどうにかできるようなことではないのだから、どうしても今しばらくは避難民に不便を強いる状況になる。つまり、この状況で“怨獄の薔薇姫”を迎え撃つことになるのだ。


「“怨獄の薔薇姫”の軍勢は、現在のところゥアルカマルテの廃墟に陣取っているようですね」

「耳が早いことで。……私もそう聞いております」

「ウェサラ壊滅から王都攻撃までの進軍速度を考えれば、敵はいつこちらへ来てもおかしくない……いや全く、休息も食事も要らず常に意思統一が図れている軍隊など悪夢でしかありません。大将の気分次第で手足のように動かせてしまう」


 アンデッド軍の進軍速度はバーティル自身が身に染みて知っているし、この件はマークスも理解していた。普通の軍隊なら数日かかるであろう道のりを一日で踏破してしまい、王都を奇襲したのは記憶にも新しい。

 ただでさえゥアルカマルテの街はテイラカイネの近くなのだから、これはもう喉元に刃を突きつけられているに等しい状態だった。


「人を敢えて殺さず、このテイラカイネへ集めるか……そしてすぐにでも襲いかかれる位置に陣取りながら様子見を続ける。ワインが熟すのを待つかのように、この街がのを待っているのかっ。

 健在の都市からは救援要請が来ているが、ここで他所に兵を割けば敵の思うつぼだ」


 マークスは忌々しげにがりりと奥歯を噛んだ。


 バーティルは、何も言わなかった。

 人をわざと集めて混乱を起こさせる……それは確かにルネの好むやり方だろう。避難民は徐々に増え、不満は徐々に降り積もる。そして食糧は食い潰されていく。アンデッド軍がこのまま様子見しているだけでテイラカイネは徐々に酸欠状態に陥っていく。


 だがバーティルだけは知っている。ルネがこのテイラカイネを人で飽和させたことには、さらに破滅的な狙いがあるのだと。

 待つ必要すらない。むしろ今すぐに動くだろう。なのだから。

 今テイラカイネは、かき混ぜられて水底の砂が立ち濁ってしまった池のようなものだ。その混乱に乗じた方がルネの作戦は嵌まる。


「いずれにせよ、"怨獄の薔薇姫"が近々やってくることは間違いありません。どのように対処なさいますか?」


 バーティルはここで、マークスを試すつもりで言った。

 死人は少ない方がいい。ひとりでも多くの民を守りたい。そのためにバーティルがどうすればいいかは、マークス次第だ。どの程度まで利用するか。そして、どこで見捨てるか。


 最初、マークスはジスランを連れて密かに脱出し、ノアキュリオ軍の保護を受ける魂胆だったようだ。

 ルネはこれまで諸侯をピンポイントで狙っており、逆に言えばマークスもジスランも居ないテイラカイネをわざわざ狙うとは考えにくかった。ノアキュリオ軍のもとで自らの居場所を敢えて宣伝すればルネの目を自領から逸らし、さらに自分やジスランにも手を出せない状態にする、という目論見があったようだ。ノアキュリオ軍の撤退に合わせてノアキュリオ入りし、準備万端の第二次『援軍』と共に戻ってくるという手も考えていたらしい。

 しかし、将軍であるパトリックがしたことでノアキュリオ軍は四分五裂した。こんな状況では撤退する軍に同行したところで護衛にもならない。


 ――急死……急死な。くそっ、何が起きたんだ? 何も掴めないうちにノアキュリオ軍は帰っちまった。


 バーティルはノアキュリオ軍に何が起こったか詳しくは知らなかった。分かっているのは、ただパトリックが突然死ぬという奇妙な事件が起きたことだけだ。マークスはろくに情報を寄越さないし、自分で調べる態勢は今のところない。

 ジレシュハタール連邦の諜報員シェリーと接触するため、所定の手段で伝言を残してきたところなのだが、しかし彼女が何かを知っているという保証もない。


 なんにせよ、もはやマークスは自らの城と騎士たちを頼りに“怨獄の薔薇姫”を迎え撃つより他にない状況に追い込まれているということは確かだった。


「仮に“怨獄の薔薇姫”が攻めてきたとしたら、どのように?」

「その件ですが。第二騎士団には主力遊撃部隊として動いていただきたい」

「聖獣をお供に付けて戦わせるという、あれですか」


 ノアキュリオ軍が残していった聖獣を使うのだという話はバーティルも聞き及んでいる。


「確かに“怨獄の薔薇姫”に対するのであれば頭数を揃えるだけではダメです。将である彼女本人も含め、数では抑えられない駒が存在する。エース級の部隊を用意して作戦の要にしなければなりません」

「本来、それは“果断なるドロエット”の役目だった。一体全体、どこで油を売って……いや、失礼。今のは聞かなかったことにしていただけますかな」


 雑草のフルコースでも完食したみたいにマークスは苦い顔をしていた。

 “果断なるドロエット”は素行に問題があると言っても、国内二番のパーティーであることは間違い無いわけで、逃げたのか飽きたのか知らないがここで彼らが消えてしまったのはマークスにとって大きな痛手だろう。

 エルミニオを通じてディレッタ神聖王国に話を付けたとしても、ノアキュリオ王国のようにお隣さんというわけではないのだから、ディレッタが助けに来るにはまだ時間が掛かる。

 今あるカードでどうにかしなければならないのだ。


「騎士も農兵も問わず、平凡な実力の兵は集団戦でとにかく時間を稼がせる。それで倒せない強敵は、聖獣を付けた精鋭遊撃部隊が潰して回る。

 厳しいのは承知だが、もはやそれしかあり得ん……」

「それを私に任せる、と。

 ……尽力致しましょう。カーヤをはじめ、私のもとに残った部下たちは皆、一騎当千の勇者。この私も今や機械の片腕のみとなりましたがアンデッド兵どもに後れを取りはしません」

「感謝します。どうか、殿下をお守りください」


 大人はずるいものだな、とバーティルは心中で苦笑する。

 ここでジスラン殿下の存在を出せば、バーティルは王宮騎士団の残党としてマークスのため戦わざるを得ない。そういう計算が滲んでいる。


 ただ、それはあくまで建前の話。既にバーティルはマークスにもジスランにも見切りを付けていた。

 彼らではルネに勝てない、と。

 当事者であるマークスは戦わざるを得ないだろうが、それに民を付き合わせる必要はないはずだ。


「あとは冒険者をさらに集めたいところだな。呼びかけてはいるが、今のところ雑兵と同じようなものしか集まっておりませんで。

 ちょうど街に来ているキーリー伯爵にも協力を願えるか……」

「先代第二騎士団長、アレオッティ卿は? 一線を退いているとは言え、そこらの冒険者では敵わない実力者ですよ」


 バーティルは答えが分かっていてそれを聞いた。

 アルフィオ。この街で剣術道場を開いている元第二騎士団長。剣の道を究めるために、弟に家督を押しつけるまでした変人だ。全盛期の実力はローレンスにも迫るだろう。


 マークスはほんの少し苛立たしげに、端的に答える。


「ベルガー侯爵の皇太子候補擁立を受け、西へ旅立ったそうです」


 アルフィオは、もうひとりの皇太子の後ろ盾となるため既にベルガー侯爵領へ旅立った後だった。

 政治の一切を遠ざけてきたようなアルフィオの突然の行動は、マークスにも読めなかっただろう。もちろんアルフィオの行動の裏には、ジレシュハタール連邦の蠢動と他ならぬバーティルの後押しがある。


 ――俺もじきに、向こうへ行かないとな。だがその前に……この街に残した仕事を片付ける。


「では防衛に当たって、現状の戦力を把握しておきたいのですがよろしいでしょうか」

「……ああ」


 気が進まない様子だったが、マークスは不承不承頷いた。

 マークスはバーティルをあまり信用しておらず、これまで情報もろくに渡さず、ただひたすら言う通りに動いてくれればいいという態度で一貫していた。だがこの期に及んでは黙ってもいられないと思ったようだ。他に頼れるものなどないのだから。


 しかし、マークスが口を開こうとしたその時、彼の顔を仄かな青い光が照らした。

 執務机の上に置いてある緊急連絡用の通話符コーラーが着信を伝えたのだ。札の余白には『衛兵隊長』とメモ書きがされている。

 さっとマークスの顔が青ざめる。王宮騎士団などでは通話符コーラーを普段から使っているが、マークスはこれを戦闘時や本当に緊急の連絡があるときしか使わないようにしているのだ。つまり、即座にマークスに報告しなければならない何かが起きたということを意味する。


 指で通話符コーラーに触れ、マークスはそれを起動した。


『領主様!』

「なんだ! アンデッドでも現れたか!? それとも暴動でも起きたか!?」

『ち、違います、そうではありません!』


 通話符コーラーから聞こえる衛兵隊長の声は、早く次の言葉を言わなければという焦燥に突き動かされて、喉に言葉が絡まっているかのようだった。

 しかしてその声には不快ではない切迫と、隠しきれない高揚の色が滲んでいた。


『“零下の晶鎗”です! シエル=テイラ最強の冒険者パーティーが参集に応じました!』

「なんだと!?」


 ――おやおや。どーすんのかな、ルネちゃん。流石にこれ一筋縄じゃいかないよ?


 バーティルはひっそりと、意地の悪い笑いを噛み殺していた。

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