[2-46] その日人類は

 ノアキュリオ軍、撤退。

 士気の低下に加え、指揮官であるランドール辺境伯を失った前線部隊は、もはや統一行動が不可能な状態に陥っていた。

 関係が深い者同士で小グループを作り、三々五々、ウェサラの本隊と合流すべく移動しはじめていた。


 エドフェルト侯爵領の領都テイラカイネは、ノアキュリオ軍前線部隊の撤退により一気に防衛力を低下させた。だが、空っぽに近くなった駐屯地の陣の中に整然と並ぶ影がある。

 覆面に僧服という姿のあからさまに怪しい男たち。技術顧問モルガナが作った人間ベースの受肉聖獣たちだ。

 モルガナ本人は……厳重な箝口令が敷かれ極秘にされているが、あろうことかランドール辺境伯を受肉聖獣に変えてしまったことでノアキュリオ軍に拘束され、撤退していく部隊によって護送されている。

 しかしそれでもテイラカイネに残された聖獣の制御には問題ない。

 もともと、部隊の幹部クラス以上は聖獣に命令可能な状態だった。戦場でモルガナが逐一命令を出しているようでは状況の変化に対応しきれないからだ。エドフェルト侯爵に預けられた聖獣は、当然ながらエドフェルト侯爵からの命令も受け付けるよう言いつけられている。

 つまりモルガナがテイラカイネから引き剥がされた今、残された聖獣はエドフェルト侯爵が自由に動かせる状況にあるのだ。少なくともマークス……エドフェルト侯爵はそう思っていた。


 さらにマークスはノアキュリオ軍撤退の穴を埋めるため、皇太子候補ジスランの擁立を以て諸侯に号令を掛けていた。ジスランを守る戦力の供出依頼だ。

 だが諸侯の反応は鈍かった。理由はいくつかあるが、最も大きな問題だったのはジスラン擁立に被せられた、ベルガー侯爵による皇太子候補ヨハンの擁立だ。そして諸侯が迷い様子見をしたほんの数日の間に、ノアキュリオ軍は“怨獄の薔薇姫”に襲撃され無惨に撤退することになった。

 こうなってくると、ジスランのために兵を出すことは危険のまっただ中に飛び込んでいくことになる。“怨獄の薔薇姫”がノアキュリオ軍に狙いを定めていることは明白で、最終的に皇太子候補ジスランやエドフェルト侯爵を狙っていることもまた自明であるように見える。そして、もはやノアキュリオ軍と連携することはできない。“怨獄の薔薇姫”が攻めてきたとき、死ぬのは誰だ?


 エドフェルト侯爵は冒険者ギルドにも協力を要請した。超国家機関である冒険者ギルドは、基本的には各国の国内事情に基本的に関わらない方針を貫いているが、魔物の襲来に対抗するというなら否とは言えない。

 ただ、それに個々の冒険者が応じるかは別の話である。

 現在、冒険者たちはギルドの指揮下で避難民・物資流通の護衛に当たっているのだが、これだってギルドが強制しているわけではない。ギルドが報酬を保証したうえで冒険者たちに協力要請し、冒険者たちが半分は善意で協力している形だ。

 冒険者たちは、危険すぎる依頼クエストには簡単に手を出さない。例えば、一国を滅ぼすレベルのネームドモンスターと戦うような依頼クエストには。


 一番頼れるのは、やはりエドフェルト侯爵配下の騎士たちだった。

 既にテイラカイネに騎士が集められていたが、エドフェルト侯爵はノアキュリオ軍の撤退が決まった時点でさらに騎士を集め、農兵の緊急招集も行っていた。ジスランを、そして何よりもエドフェルト侯爵を守るために。


 もっとも、それはテイラカイネを除けば領内がまるごと留守になるということでもあったのだが。


 * * *


 テイラカイネでマークスがモルガナを捕らえたのと、ほぼ同時刻。


 エドフェルト侯爵領、城塞都市ゥアルカマルテ。

 王都やテイラカイネとは比べるべくもないが、街の規模に相応の城壁がぐるりと市街を囲んでいた。


 この世界において、ある程度以上の規模を持った都市は壁や堀で囲まれているのが普通だ。それだけで魔物の被害を大きく減らすことができるのだから。

 シエル=テイラの場合は国中で豊富に産する石材が利用されていて、壁を作るべき街にはほぼ壁がある状態だった。


 さして広くもない歩廊の上を歩く衛兵ふたり。

 壁の外に広がる雪原を見て、彼らは真白い吐息を交差させる。


「どうなっちまうのかねえ……」

「どうなっちまうんでしょうねえ……」


 青く晴れ渡る空の下、白銀色に輝く雪原の上、しかし彼らの心は灰色の不安で押し潰されそうだった。

 ほんの数日前まで、ノアキュリオ軍が居るエドフェルト侯爵領は国で一番安全だと信じていた。ところが今、領主様は領内から兵を掻き集めてテイラカイネの街を守ろうとしている。それがなんとなく不気味で不安だった。

 ノアキュリオ軍の窮状は既に噂になっている。ちょっと頭が回る者なら、雲行きが怪しいと感じるのは当然だ。


「みんなテイラカイネの街に集められてんですよね」

「んだな。今、この街で戦えるのは衛兵だけか」


 目下、彼らが不安に思っているのはこの街を守るための戦力の不足。防衛力の低下だ。


 衛兵とは、警察機構であり都市防衛隊でもある。

 とは言え衛兵が都市防衛隊として対処できるのは、賊・魔物問わず小規模な襲撃のみ。

 軍が出動するまでの初動対応が限界だった。

 つまり……


「……もし、仮にですよ? 今ここで“怨獄の薔薇姫”がゥアルカマルテを襲ってきたら……」

「縁起でもねえこと言うなよ」


 ふたり組のうち、年配の方の衛兵が苦い顔をして、屁でも払うようにパタパタ手を振る。

 直視したくない可能性だった。

 目を逸らしたところで安全になるわけではないのだが、かと言って対処法があるわけではない。


「そんなのが来たらどのみちどうにもなんなくねえか?」

「そりゃそっすけど……」

「来るとしたらテイラカイネだろうよ。だから領主様もテイラカイネに兵を集めてらっしゃるんだ」

「だといいですけど……ね……」


 若い方の衛兵が、目の端から血が流れそうなほどに目を見開いていた。

 彼はどこかを指差して、魚のように無音で口を開閉させる。


「どしたよ」

「あ、あれ……あれ……」


 その指の先を追うと、彼の見てしまったものが分かった。


「嘘だろ、おい」


 街からほど近い林の木々をかき分けるようにして、赤褐色の肌をした巨人らしきものが迫っていた。


 * * *


 白銀の大地を踏みしめ迫り来る、遠近感が狂うような巨体。5メートルの高さを持つはずの街壁が巨人にとっては胸ぐらいの高さだ。巨体に反して、その頭部はかなり小さい。

 巨人の肩の上には何か飾りのようなものがたなびいていた。そして、蜘蛛のように長い3対6本の腕をだらりと下げていて、それぞれに巨大な鉄球棍棒モーニングスターや破城鎚などを持っていた。

 ある程度近づいてくると、赤褐色に見えた肌はただれたようになった腐肉の集合体だと分かる。それは、多くの死体を継ぎ合わせて巨人の姿を為しているような肉塊だった。


 巨人の後に続くは、腐り落ちた顔の兵士。白骨化した騎士。生と死の狭間に蠢く不死者の軍勢。

 アンデッドの兵たちはボロ布を裂いて作ったような赤薔薇の軍旗をいくつも押し立てて、整然と行進してくる。


「来やがったぞコンチクショウ!」

「なんだあのバカでけえ化け物は! あんなの見たことねえぞ!?」

「俺だって知らないですよ!?」


 狂ったように打ち鳴らされる半鐘の音が街に響き渡る。

 街壁の上には衛兵たちや街に居合わせた冒険者、いつの間にか紛れ込んだ野次馬が並んで死者の行軍を見ていた。

 ただ、見ているだけで特に何ができるわけでもない。

 備え付けの弓を取り出してみてはいるものの、震える手でちゃんとてるのだろうか。と言うか矢は足りるのだろうか。あと、神殿へ貰いにやった聖水は間に合うのだろうか。


 巨人の肩の上に揺れる、何かの飾り。

 ある程度接近してくると、それが旗だと分かった。

 小さな子どもが落書きをしたような下手くそな字で、何か書かれている。


「『ひる……べると、2せい』……って、おい、あれは」


 次の瞬間。

 巨大な武器たちが一点集中で、街壁に振り下ろされた。


「ぎゃあああああああ!」


 轟音、そして破壊。

 土煙の中。城壁が崩れ、大きな隙間ができていた。その場に居た数人が破壊に巻き込まれて、瓦礫の中で挽肉になっていた。

 積み重なった瓦礫をちょっと跨げば、この巨人も通れるほどの大きな亀裂だ。


 無事だった衛兵たちも、歩廊の上でへたり込んでいた。

 見上げた先。武器を振り下ろすために身をかがめた巨人の、その肩の上。小さな頭部がふたつ並んでいた。

 片方は腐ってただれたゾンビそのものの頭部。

 そしてもう片方は、赤いヒゲで顔を膨らませ、子どもの工作みたいなチャチな王冠を鎖で縛り付けた男の頭部だった。その口は猿ぐつわのように金属の物体で覆われている。


『わ、私……これは私の本意ではない……身体が勝手に、うふっ、うふふふっ』


 半鐘の音を伴奏にして、キンキンとヒビ割れたような声が辺りに響いた。

 金属の物体は口を塞ぐのではなく、むしろ拡声のためのマジックアイテムであったようだ。


『あーははははははは、そうだこんなことがあるわけない。ははは、幻よ消え去るが良い。私はヒルベルト・“獅子の心なるライオンハート”・ニコラス・シエル=テイラ。このシエル=テイラの正統なる王なるぞ。うふふ、あはは、この私が地上で最も偉大なる王である。

 民よこの私の復活を祝うがよいこんなことがあっていいはずがない私わたしワタシは民を傷つけたりなど化け物ではない幸福で栄光の治世』


 狂った笑いが、街に降り注いだ。


 あまりのことに誰もが絶句していた。

 その名を誰もが知っている。王位を奪い、そのために"怨獄の薔薇姫"に殺された前王。

 いや、殺されたはずだったのだが……


「し、死ねっ!」

「おい馬鹿!」


 衛兵のひとりが反射的に矢を放った。

 隣に居た衛兵が止めようとする。衛兵が戦わなければならない状況なのは分かっているだろうが、その義務感より、この化け物の興味を惹くことに対する恐怖が勝ったのだ。


 半端な一矢は巨人の肩の上を飛び抜け、放物線を描いて雪の上へ落ちた。

 ヒルベルトが、首から上だけを巡らせて衛兵を睥睨する。その動作は、まるで首から上しか自由に動かないかのような不自然なものだった。


『ははは、私と戦うのか。侵略者、侵略者を滅ぼしてこの国を守るのだ私の統治の下で万民は幸福であるぞ。うふふ、あはははは、あーっはははははははは!』

「うわああああ!?」

「に、逃げろっ、逃げろーっ!!」

「おかあさーん!!」


 ヒルベルトの狂笑に反応するかのように……あるいは全く無関係に、屍の巨体はデタラメに武器を振り回した。

 街壁はワラの山みたいに吹き飛び、運良く生きていた衛兵や、衛兵だったものが吹き飛んだ。


 街壁に空いた大きな穴からアンデッド兵たちが流れ込んでくる。

 鬨の声すらなくただ整然と足を進める異形の軍勢は、瓦礫の山を踏み越えて市街に散った。


『おお、神の祝福あれ! 神の祝福あれ! 悪しきものは皆、滅び去るのだ! ひゃははははは!!』


 双頭の巨人はとにかく手近な建物から順番に武器を叩き付けて壊していく。

 それに先行してアンデッド兵たちは市街に散り、命あるものを見境無く殺していった。


「試験運用は上々ってところかしら。……近接火力は充分ぽいから、次の改修は飛び道具ね」

「あれは……」


 もはや用を為さなくなった街壁の上に降り立つ影があった。

 どこかから宙を歩いてきたかのように、気が付けばそこに立っていた少女。

 衛兵隊の生き残りは、呆然とそれを見ることしかできなかった。


 この国では忌み子とされる銀髪銀目の少女。

 禍々しくも美しく輝く銀は、無慈悲な月の色で、健気な白薔薇の色であった。

 これもまた白薔薇を思わせる、ふわりとスカートが広がった純白のドレス。スカート部分には人の血で殴り描いたような薔薇の紋が刻まれている。

 その手には、宝石を削り出したかの如き徹頭徹尾真紅の剣。


「“怨獄の薔薇姫”……っ!」


 小さな身体で、しかし彼女は、背筋が凍るような邪気を纏っていた。


 立ちすくみ、あるいはへたり込む者たちが、その姿を見たのはほんの数秒。

 髪を掴んで自らの頭を持ち上げ、"怨獄の薔薇姫"が一歩踏み出したと思ったその瞬間には、身体に熱い痛みを感じ絶命していた。


 その日、ゥアルカマルテの街は地図から消えた。

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