[2-45] おっさんとロリが合わさり最強に見える
「またとんでもない時に来ちまいましたね」
静かなのに温かで力強い、夏風のような声。黒曜石のような目が気遣わしげにキャサリンを覗き込む。
騎士団長という肩書きにそぐわぬ砕けた雰囲気。洗練された物腰のせいで逆に、甘いシロップ薬に混じった微かな苦みのように、仄かな胡散臭さを醸す男。
野山を探検する冒険者みたいな上衣は、キャサリンにはよく分からないが戦闘にも耐えうるものなのだろう。その両袖は虚ろに垂れ下がり、その代わり、真鍮製の針金を組み合わせたような機械の右腕を服の上からくっつけている。
第二騎士団長バーティル・ラーゲルベック。
キャサリンは彼に会ってルネの話を聞くために、父に同行してテイラカイネまでやってきた。
そして今、バーティルの前に居る。彼にあてがわれた宿の一室、その応接スペースに。
未婚の男女がふたりきりになるというのは好ましくない。たとえそれが、ほんの子どもであるキャサリンと四十路近いバーティルであってもだ。貴族社会では中年や初老の男性が未成年の花嫁を娶ることもそこまで珍しくはないのだから。
そこでバーティルは部下のひとりである女騎士カーヤを立ち会わせることで軍務としての体裁を整えていた。本来ならキャサリンの行き帰りにも使用人が付いてくるものだが、今だけはそれもカーヤの担当だ。
「どうぞ、キャサリン様」
「あ、えっ? あ、ありがとうございます」
カーヤがキャサリンに湯気の立つ茶を出した。キャサリンはそれを戸惑いつつ受け取る。
使用人がするような仕事をカーヤがやったので驚いたのだ。
「失礼。今は他に誰も部屋に入れたくないので……」
バーティルがキャサリンの疑問を察したように補足した。
「では……始めましょうか。
あの日、王都で何があったのか。私たちは知らなければなりません」
* * *
「憑依、か……」
バーティルは堅く腕を組み、指先で顎を撫でながら考え込む。
「私も彼女の姿は二回見ましたが、確かに服が違いました。ですがまさか戦いの中で着替えられたとは思いません。身体そのものが違う、という推測には一定の妥当性があるでしょう」
ルネの正体は霊体系のアンデッドであり、身体を乗り換えているというのがキャサリンの推論だ。
キャサリンなりに考えて出した意見だが、それをバーティルが認めてくれたことでキャサリンはほっとしていた。自分は全くの見当違いをしていたわけではないのだと。
「それから、ルネは心を読むのではないかと思っておりますの」
「ふむ……理由は?」
「おはずかしいことですが、当家の使用人に、ナイトパイソンなる犯罪組織の内通者が居たのですわ。ルネはそれを見抜いたのです。心を読んだとしか思えないするどさで……」
キャサリンの言葉の途中で、バーティルは何かに気が付いたようにカッ、と目を見開いた。
「射程ーっ!! それで
「きゃっ!?」
機械の腕で頭を抱え、バーティルがいきなり叫んだものだからキャサリンははしたなくも悲鳴を上げてしまった。
「ああああ、そっかそういうことか! くっそ、その時点で嵌められて……あー、そうだよ普通に考えたら
髪を掻き毟り、憤懣やるかたない様子で宙を睨むバーティル。
何かに……おそらくは自分自身に怒りをぶつけている。
第二騎士団長ともあろう者が、婦女子の前で取り乱さざるを得ないほどの、とんでもなく重大な何かにバーティルは気が付いてしまった様子だった。
「いや、失礼しました。ちょっと我ながら……ああ、もう。
ともあれ! 心を読む力がある可能性は高そうです。ですがアンデッドモンスターが持つ魔法知覚の例に漏れず、射程は限りがあると思われますよ。少なくとも王都をまるまる収めるほどの効果範囲ではない」
そしてバーティルは、王都攻防戦の中で
ルネからの言伝を持って帰ってきた部下。
「では、団長様はルネにだまされたんですの?」
「ええ、そうです。より正確に言うなら、騙し合いで出し抜かれたわけです。
……聡明で強かな子ですよ。アンデッドとしての能力を抜きに考えても、彼女には将としての素養がある」
バーティルは苦み走った口調だった。お手上げだ、とでも言うように。
「これをごらんください」
キャサリンは持参していた紙束をテーブルの上に広げた。
エルタレフの冒険者ギルド支部に頼んで用意してもらったものだ。資料室で見たアビススピリットのデータと、関係ありそうな種々の資料の書き写しだ。
「こりゃ冒険者ギルドの資料の写しですか? アビススピリット……憑依に感情察知……」
「私、ルネはこのアビススピリットという魔物ではないかと考えておりますの。取りついた相手をデュラハンに変えるような力は、本来持たないはずですけれど……」
紙束をまとめてペラペラと素早くめくったバーティルは、それをキャサリンに突っ返す。
何をどうしたかキャサリンには分からなかったが、バーティルはこの数秒で資料の全てを読んで頭に入れたのだという気がした。
「参りましたね。あなたは私よりよほどルネちゃんのことを考えてくれている。仮にも第二騎士団長の名を持つ者として不甲斐ない限りです」
「いえ、そのような……」
恐縮するキャサリンだったが、ふと、バーティルの言葉に引っかかりを覚えたような気がした。
「……あなたも、あの子をルネと呼ぶのですね」
「ああ……そうですね」
"怨獄の薔薇姫"ではなく、ルネと。バーティルはそう呼んだ。
キャサリンはそのことがとても嬉しかった。背徳的とすら言える、自分の考えを許してもらえたような気がして。
「キャサリン嬢。あなたはルネちゃんに捕らえられたそうですが、それにしては彼女への恐怖や敵意というものが感じられませんね」
「ええ……」
バーティルにはルネみたいな『感情察知』能力など無いだろうに、それでも彼は見抜いていた。
キャサリン自身も不思議だった。
ルネがどれだけの人を殺したか。そして、これから殺すだろうか。その中には、復讐として正当なものもあれば、そのための巻き添えを食ったものもある。人として常識的な判断を下すなら、ルネは憎むべきであり、止めるべき……なのかも知れない。
でも、それでもキャサリンは、同時にその『人としての常識』という部分でルネを哀れまずにはいられなかった。
「私は、ルネを救いたいのですわ」
「なんと、まあ」
思い切ったキャサリンの宣言に、バーティルはあっけにとられたようでもあった。
「救う、とは具体的にどのように?」
「……実を申しますと、それが分からないのです。おちえをはいしゃくできますでしょうか」
どんなに考えてもキャサリンには分からなかったことだ。
小さな頃に読み聞かせられた絵本の中では、悪い魔女が王子様の愛で改心するようなお話もあったけれど。きっと現実はそんなに甘くないのだということはキャサリンにもなんとなく分かっていた。
「何が救いかなんて、本人すら気がついてない場合もありますからね。
ただ、ひとつ言えることがあるとするなら、ルネちゃんは孤独で……お友だちとか、親代わりの誰かとか、そういう人が必要なんじゃないかと思いますよ。なんたって最悪の形でお母上を亡くされていますから」
「お友だち……」
奇しくもそれは、キャサリンがルネとの間に積み残している問いだった。
ルネは、恐ろしいだけではない。狂気の復讐者でもあるのだけれど、キャサリンと同年代のただの少女でもある。
もしルネとお友だちになれたなら、彼女の孤独を癒やせるのだろうか。
……本当にそんな単純な話なのだろうか?
「しかし私は『愛さえあれば救われる』なんて神父さんのお説教みたいなこたぁ言えないんですよ。ルネちゃんが背負っちまった運命のことを考えたら。
もしかしたらルネちゃんは、この世界を滅ぼした時に初めて復讐から解放されて『よし、いっちょ救われてみるか』って思えるようになるのかも知れない」
「……世界を?」
胸をざわつかせるような調子の言い回しに、キャサリンはどきりとしてしまった。
「ああ、いえ。これはちょっと言い過ぎでしたか。ルネちゃんに関して『世界が云々』と言った人が居まして、それを思い出していただけです」
バーティルは冗談めかして誤魔化すようにひらひらと手を振る。
あくまでものの例えとして言っているようだった。
「少なくともルネちゃんは四大国を恨んでるわけです。それを全部滅ぼしたとすると……生き残りがいるとしてもまあ世界人口が半分くらいになるんじゃないですかね? そうなってからようやく復讐以外のことを考える余地が生まれるのかも知れない」
「そ、それは……」
そんなものは受け容れられない。いくらルネが可哀想だからって、彼女の救いのために全
不意に、バーティルの視線が鋭く険しくなる。
キャサリンは射かけるような視線を受けて、氷を飲んだような心地だった。
「私はね、キャサリン嬢。あなたが夢見がちなお子様じゃなく大人だと思って話しますよ。
……誰も彼もに救いの道があるとは限らないでしょう。この世界はそんなに甘くないんじゃないですかね。机上の空論、実現不可能な手段でしか救われないってこともあり得る。そういう人が居るかも知れない」
「っ……」
キャサリンは、胸に何かがつかえたように感じた。
自分の甘さと傲慢さを思い知った。
キャサリンはルネを救う方法を考えていた。そんな方法、最初から存在しないのだという絶望的な可能性に目を背けて。
「では、だとしたら……倒すべき、なのでしょうか。しんでんは……アンデッドは倒せば救われるのだと説いています。私には、できませんけれど……」
「少なくとも、もうこれ以上苦しまずに済みますね。ただ、それを救いと呼ぶのはルネちゃんを排除する側のおためごかしでしょうな」
聞くまでもないことだった。
それは救いと言うよりも……致命傷を負って苦しむ兵士にとどめを刺す
『最悪』とは言えないだけの、酷い結末。
「キャサリン嬢。どうか、あの子の名前を覚えておいてくださいな。それが我々の自己満足に過ぎないとしても」
「それは、ルネをまものではなく人として見るように、という意味ですの?」
「だいたいそういうことです。悲しいじゃないですか、非業の死を遂げてアンデッドになった彼女が単なる魔物として駆除対象にされるのは。
そして、ルネちゃんを救おうと思うなら、まずルネちゃんのことを知らなければならない。ですが、あの子をただの化け物だと思って見ていては決して理解の及ばない部分があるはずです」
そしてバーティルはキャサリンを安心させるように微笑んだ。
カーヤはバーティルを緑為す夏の林に例えた。その意味が、キャサリンには少し分かった。
「我々は、自分自身のことですらよく分かっていなかったりするんです。ましてや他人のことなんて一筋縄じゃ理解できません。
……ルネちゃんはどうすれば救われるのか? 答えを出すにはルネちゃんの全てを知るしかない。私から責任を持って言えるのはそれだけです。
なんだか一般論ばっかりで申し訳ありません。無責任なアドバイスで良ければ、いろいろと推測を並べられるんですがね」
「いえ、そのような! とても……ええと、参考になりましたわ」
申し訳なさそうに頭を掻くバーティルに、キャサリンは深々と礼をする。
バーティルであれば快刀乱麻、キャサリンの悩みを断ち切ってくれると思っていた。しかしバーティルはひとりの人を救うということの重さを知るがために迂闊なことを言えなかった。
そうと分かっただけで、今日ここへ来た意味はあった。自分の考えの甘さを思い知ったというだけのことだが、それはキャサリンにとって大切なことだった。
「伯爵はまだ数日滞在されるというお話でしたね」
「はい」
「では、その間に気付いたことがあればまた話し合うとしましょう。どうやら我々はルネちゃん対策という一点において世界最先端を突っ走っているようで」
「世界さいせんたん、ですの?」
「そうですよ。本当ならネームドモンスターは冒険者ギルドが真っ先に調査するんですが、王都が陥とされたせいで今シエル=テイラの冒険者ギルドは
ジレシュハタール連邦のギルドが指揮を執って各街の支部が連帯し、避難民や最低限の物資流通を辛うじて守っているという状態だとか。ネームドの調査研究なんてやってられる状態じゃありません。国内のギルドがそんなだから、おそらく国外のギルドにも情報は行ってない」
「そうだったんですのね……」
この時キャサリンは『バーティルが居てくれてよかった』と心の底から思った。
何かに突き動かされるように、特に目的意識も無くルネについて調べていたわけだが、それがまさかいつの間にか国の運命を背負いかねない立場になっていたなんて。
「キャサリン嬢。どうか、これを」
バーティルは金色の板みたいなものをキャサリンに差しだした。
「護符です。ご存じですか? 1枚渡しときましょう」
魔法を防ぐ使い捨ての防具だ。
キャサリンは初めて実物を見たけれど、存在自体は知っている。その値段も。
「こんな高価なもの……」
「どうかお気になさらず。こんな場所まで呼びつけてしまいましたから。せめて帰り道が少しでも安全でありますよう」
「……ありがとうございます」
キャサリンは心からありがたく思い感服して、また頭を下げた。
あまり商人のようにペコペコするのははしたないことなのだと教えられていたが、それでもキャサリンは頭を下げずにいられなかった。
* * *
「それで、カーヤ。キーリー一家の様子は?」
キャサリンを送り届けたカーヤが部屋に戻って来るなり、バーティルは問う。
それは、護衛の名目で同行していた時も含んだ話だった。
「特に何も。こちらを警戒した様子もありませんでした。この街へ来る理由も、本人が述べた以上のものではないだろうと見受けました」
「……まあ、そういう裏表は無い人だからなあ。本っ当に不運と言うか不器用と言うか……あと本人のせいじゃないけど、間が悪すぎ。よりによって今ここへ来るかー」
さすがにバーティルもキーリー伯爵に同情せざるを得なかった。
こんな、あらゆる要素が錯綜した何をどうすればいいか分からない大混乱の渦中に飛び込んできてしまった。反対派諸侯から何事か託されて政治的工作のためにやってきたのかとも思ったが、違うようだ。
そして……おそらくキーリー一家はテイラカイネを巡る戦いに巻き込まれるだろうし、そうなったら伯爵は好むと好まざるとに関わらずジスランを守るしかない。
国の行く末は諸侯会議による皇太子選定を経て決められるべきで、それを狂わせる陰謀には諸侯のひとりとして立ち向かわなければならないからだ。『真面目』という概念が服を着て歩いてるような彼ならば絶対にそう考える。
「とにかく、俺たちは備えよう。予定外の事件もあったようだがノアキュリオ軍の撤退は変わらない。つまり近いうちにこの街はやべえことになるってわけだ」
「はい」
バーティルは頭を切り替える。
どうしようもないことは早々に諦め、どうにかなることに対処するのがバーティルの考え方だった。
――俺の仕事はここからだ。
バーティルが半ばルネの内通者のような立場であることは、エドフェルト侯爵も、カーヤも知らない。
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