[2-35] ワインだって冷暗所で熟成するし

 ブラッドサッカー。

 ヴァンパイア。

 ノスフェラトゥ。

 『吸血鬼』と一括りにされがちだが、これらには明確な差違がある。


 ブラッドサッカーは最下位種であり、ヴァンパイアが吸血によって生み出す奴隷だ。コウモリに化けるとか霧になるみたいな能力は無く、ただ人族を襲って血を吸い、ブラッドサッカーを増やすのみ。日の光や聖なる力で容易く滅びる。


 ヴァンパイアはよく知られた吸血鬼そのものだ。吸血行為によってヴァンパイアを増やすという特殊能力がよく話題になるが、実は大抵の場合、ブラッドサッカーしか生み出さない。

 ヴァンパイアがヴァンパイアを生み出すと、その血に宿るヴァンパイアとしての力を分けることになるのだ。だから普通は、惚れて惚れて惚れ抜いた相手を永遠の伴侶とする場合にしかヴァンパイアを作ることはない。


 ノスフェラトゥは『真祖』とも呼称され、世界にも数えるほどしか居ないとされる。無限にヴァンパイアを生み出せる(はずの)吸血鬼だ。

 その力は魔神・悪魔にも匹敵すると言われるが、彼らが歴史の表舞台に出ることは基本的に皆無であり、行動原理からして不明な点が多いとされる。


「……あの、エヴェリス様。何故、私にそのようなお話を? それもこんな場所で……」

「んー?」


 吸血鬼について一通りの知識を授けられたミアランゼは、困惑した様子で言った。頭上の三角耳がピコピコと動く。


 衣擦れの音さえ大きく聞こえるような静けさ。この場所は王城地下牢の最奥。光すら差さぬ石の独房だ。魔力灯の明かりを持ち込まなければ真の闇に閉ざされてしまう。

 ミアランゼはルネとエヴェリスによって、ここに呼びつけられたのだ。


「……先日、私はある男の魂を喰らったことでヴァンパイアの能力を手に入れたの」


 ルネは既にヴァンパイアの姿になっていた。

 犬歯が伸び、背中には小さな被膜の翼。この翼は原理不明ながら拡大縮小可能で、飛行時にはルネの身体をふた巻きするくらいの大きさまで展開される。

 ちなみに全身ブラックフリルと銀鋲だらけのゴスロリドレス、頭にはモーニングベールまで被っているのだが、これは変身とは特に関係なく雰囲気を出すための衣装だ。


「これで私はヴァンパイアを生み出せるようになったのだけど、ちょっと問題があってね」

「ヴァンパイアを生み出すと血の力を分けて弱くなる、という話でしょうか?」

「ううん。わたしの場合、そこは魂喰いで補給できるから乱発しなければ問題はないんだけれど……かわりに成功率が低いの。ちゃんと試してデータを取ったわけじゃないからわたしの感覚だけど、たぶん50%くらい。

 ヴァンパイアの能力を完全再現するには魂の力が足りなかったのよ」


 ルネは、無念のままに死を遂げた魂と契約し、その無念を晴らすことで魂を喰える。

 輪廻するべき魂を分解し、自らを強化するために使うというのは邪法中の邪法であり、さらに本来はあるべきではないこと。邪神に手ずから加護チートを授けられたルネだからこそ可能な、神の領域に片足突っ込んだ芸当だった。


 しかし、それも万能ではない。

 分かりやすくゲーム的に言い換えるなら『喰らった魂の強さに応じてスキルポイントが手に入り、それをスキルツリーに割り振るようなもの』。

 ユインの魂はなかなか悪くなかったが、ヴァンパイアの能力全てを完全に獲得するには至らなかった。

 緊急脱出用の『飛行』や『霧化』、情報収集から敵の攪乱までこなせる『魅了の邪眼』、そしてブラッドサッカーを作ったり自分の魔力を回復したり色々と使える『吸血』……個々の能力で完璧を目指すより、それぞれの能力を広く浅く実用レベルまで再現した。

 だから、ちょっと今は中途半端だった。


「現状でヴァンパイアが増えるなら我が軍としては大きな戦力増強になる。

 だけど問題は成功率だけじゃないのよー、これが」


 エヴェリスが説明を引き継いだ。

 指をぴしりとミアランゼに突きつける。


「ヴァンパイアが生み出すのはパートナーなのよね。

 つまり、≪屍兵作成クリエイトアンデッド≫をはじめとするアンデッド作成術式で生み出すのとは違って、行動に縛りが掛けらんないのさ」


 ほとんどのアンデッドは術者に絶対服従する。

 ほぼ知性が無いスケルトンは当然として、グールやレブナントなどの高い知性を持つ者も、決して揺るがぬ絶対の忠誠心を刷り込まれているものだ。

 だがヴァンパイアの場合はそれがない。そのため血を分けたパートナーに裏切られるという危険もあるのだ。


 『隷従の首輪』だの『隷従核』という便利なアイテムもあるが、これはあくまで身につけたり肉体に埋め込んで使うもの。文字通りに肉を切らせて骨を断つ戦法があり得るヴァンパイアに使うのはあまりよろしくない。


「だから、最悪死んでも困らなくて、でも忠誠心だけは高い人にこの力を使いたいの」


 牙を剥いてルネが微笑むと、さすがに腑に落ちたらしいミアランゼはルネの前に跪いて胸に手を当てた。


「であれば、喜んでこの身を捧げましょう」

「そう言うと思ったわ」


 ルネはミアランゼをヴァンパイアにする気で、光の差さぬこの場所に呼んだのだ。


「先日は勿体なきお言葉を賜りましたが、やはり私は戦いでも姫様のお役に立ちたいのです。

 姫様にはを二度と負わせたくありません」

「あれは……自分でやったんだけどね……」


 自失状態から立ち直るため、呪いの赤刃で自分を突き刺したことを言っているのだ。

 傷を負って帰ってきたルネを見て、ミアランゼは取り乱していた。

 あれで決意を固めなおしたところだったらしい。


 ミアランゼの揺るがぬ忠誠心をルネは高く買っている。まあその忠誠心も現状だと持ち腐れだったのだが、彼女をヴァンパイアにできるなら話は別だ。

 死の危険があるとしてもミアランゼは志願するだろうとルネは思っていた。予想通りだった。


 エヴェリスが『隷従の首輪』を外して真白い首筋を露出させると、ルネはミアランゼの肩と側頭部に手を当てる。


「もし私の身体が朽ち果てたとしたら、魂だけでもお使いください」

「そうならないよう祈ってるわ」


 ミアランゼの耳がピンと立っていた。


 本能的な動作として、ルネはミアランゼの首筋に犬歯を突き立てる。

 どうすればいいのかは身体が分かっていた。


 ルネの牙はすぐに太い血管を探り当てる。


「ひゃうぅ!」


 ミアランゼの肩が震えた。


 ルネが軽く息を吸うだけで、犬歯を伝ってミアランゼの血が口の中に流れ込んだ。

 本来の血の味ではない何かを、ルネはヴァンパイアとしての味覚で感じ取っていた。熟れすぎた果物のように甘ったるく、それでいて苦みの残る血の味。この苦さはミアランゼの味わってきた屈辱の味だとルネは思った。


 飲み尽くしてしまいたいという欲求を抑えて一口含むだけにして、代わりにルネは傷口から自らの血を送り込む。

 どこから血が出たのかは分からないが、それは確かにミアランゼの中に流れ込んだ。


「ふぁあっ……」

「色っぽい声出すねえ」

「やっぱり吸血ってそういうものなの?」


 ルネが首から口を離すと、ミアランゼは呆けたような声を上げてへたり込んだ。


 だがすぐに、その顔色が変わる。


「うっ!」


 琥珀色の目から、つうっと、一筋の血が流れた。

 ごふっ、と水っぽい咳をして、ミアランゼは血の塊を吐く。


「あ、ああああああ! 痛い痛い痛い痛い痛い!!」


 胸をかきむしってミアランゼは悶絶し、自らを抱え込むようにして転げ回った。


「これは、失敗……?」

「いや……せめぎ合ってる。後はヴァンパイア化に耐えられるかどうか……」


 エヴェリスはポーション用の小瓶を取り出し、栓を跳ね上げた。

 真っ赤でぬるりとした液体が入っている。


「飲めるかい、ミアランゼ」

「それは……」


 なんだか分からないが妙に芳しく美味しそうなニオイに思える赤い液体だった。


「ヴァンパイアには何よりの薬。生娘の血だよ。こいつで多少は元気が付くかも知れない」


 悶え苦しむミアランゼの口にエヴェリスが小瓶を突っ込むと、ミアランゼは無理やりにそれを飲み下した。

 そしてまた彼女は身をよじる。

 白く美しい肌が血を噴いては、逆回しの映像みたいに傷口を塞いでいく。メイド服にいくつも血のシミができていた。


「何日かかるか分からないけれど、これが落ち着くのを待つしかない」

「そう……様子がおかしくなった時にすぐ分かるよう、ジャック・オ・ランタンを一匹付けておきましょう」

「そうだね、何かあったら私に知らせるってことで」

「……頑張って、ミアランゼ」

「い、言われずともっ……! このミアランゼ、必ずや、ヴァンパイアとなって姫様の下にっ、ぅあ、ああああああああ!!」


 ミアランゼは石の床に爪を立てて引っ掻く。爪が剥がれて血が流れ、そしてまたすぐに爪が生え伸びた。

 這いつくばるミアランゼに手を振って、ルネは独房を闇に閉ざした。


「……ところでエヴェリス。例の収納魔法はもうできた?」

「ごめん、まだ。ダンジョン化計画を優先してるから…………」

「そう、それなら………………」

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