[2-22] よいこのしらべがくしゅう 災厄編
ごつごつした石材が剥き出しの冷たい部屋。
キャサリンが待ち始めて数分で、その男は現れた。
「罪人をお連れしました」
手枷が嵌められ、地に跪いた彼の両脇には、槍を持った衛兵が控えている。
万一にも逃げ出したりキャサリンを傷つけたりしないようにだ。
垢じみたシャツを着た、無精ヒゲが目立つ男の名はディアス。
以前は伯爵家の従僕だった男。
ナイトパイソンに通じて伯爵家内部の情報を売り渡していた彼だったが、ナイトパイソンに人質として囚われていた妻子が逃げ出してきたことで全てが露見した。
ある意味では犠牲者とも言える彼だが、家族が捕まる前から情報を売って小金を稼いでいたのは確かで、結局は牢獄送りとなった。
裁判になれば鉱山での強制労働が言い渡される可能性が高かった……のだが、キーリー伯爵領内に鉱山は無く、あくまで他領に派遣される形だ。今は国内が大混乱中なので他領との連携も取りがたく、宙吊りになって牢に入れっぱなしという状態だった。
と言うわけでただでさえイレギュラーなのだが、それを伯爵令嬢が呼びつけたとあってはさらにイレギュラーだ。
何が始まるのかとディアスは落ち着かない様子だった。
「気を楽にして。これはただの、
「はあ……」
キャサリンは、どう言えば良いか分からなくて『道楽』と表現するしかなかった。
暇をもてあました伯爵令嬢が好奇心から事件に首を突っ込んだだけ、と見られても仕方がない。
だけど、これはキャサリンにとって命を賭けるにも値する一大事だった。
「あなたはイリスに裏切りを見抜かれたと言っていましたわね。その時の話をもう少し詳しく聞けないかしら」
* * *
「いやあ、お嬢様をお迎えするのにこんなむさ苦しいところで申し訳ありやせん」
エルタレフの冒険者ギルド支部を預かるドワーフのギルド
冒険者ギルドは、冒険者たちに提供するための情報も集積している。
支部の規模に応じた大きさの資料室が設けられ、そこには魔物などの情報が収められているのだ。
エルタレフ支部の資料室は本棚が3つと、資料を閲覧するための机ひとつがあるだけの小さなものだった。古い紙の匂いが満ちていた。
「……それはもはや、お酒のお茶割りではありませんの?」
「ただの茶ですよ。ドワーフには」
酒が入っていない方のカップを受け取りながら、立ち上る安酒のニオイにキャサリンは顔をしかめた。
「魔物の資料も、王都の支部なんかに比べたら大した量はねえですが……お探しのもんがあるといいんですがね」
キャサリンがここに来たのは、魔物について調べるためだった。
「探しているのは人にひょういする力があって、心を読むアンデッドですわ」
キャサリンの言葉を聞いて、
「心を読むアンデッドねえ……魔法がありゃ、一応誰だって心は読めるんだが」
「
「……だっけか? 申し訳ねえ。戦闘向きじゃない魔法にゃ、詳しくねえもんでして」
人に憑依する力があって、心を読むアンデッド。
ディアスは自分の内通に気付いたイリスに対し、鋭さに感服して恐れ入った様子だった。
だが。
あのイリスは、きっとルネだった……そう考えているキャサリンにとって、『イリスがディアスの内通に気付いた』という一件は全く別の色合いを帯びて見えた。
冒険者ギルドですら『デュラハンロードかリッチロードじゃないの』という曖昧な情報しか出していない、ルネの正体に迫る手がかりかも知れない。
――魔法とは違う……能力で心を読むアンデッド?
ファイルにとじられたデータを、キャサリンは食い入るように検めていた。
「ひょういができるアンデッドって結構多いんですのね……」
「ああ。憑依は霊体系アンデッドならだいたいやれる」
「ならば、霊体化してひょういできるデュラハンは居ないのかしら」
「デュラハン……?」
王都でキャサリンが見たルネの姿は、確かにデュラハンだった。
処刑されてアンデッド化したその時もデュラハンとして現れたという。
だから普通に考えればルネはデュラハンでいいのかも知れないが……
「デュラハンは実体があるアンデッドですから、そんなことはできねぇと思いますがね。
んー、実体があるアンデッドでもヴァンパイアなんかは霧になれるわけだが……ありゃ霊体とは違うよな……」
「では、人に化けられるデュラハンは?」
「人に化ける?」
「人に化けるったって、もとから人の姿をしたレブナントでもなきゃ……
いや待て、そう言や前、妙な魔物の記述を見たような……」
ファイルのひとつを開いた
「『ドッペルシャドウ』?」
「『ドッペルゲンガー』って魔物、聞いたことありやせんかね」
「存じていますわ。人族に化ける魔物ですわよね」
「ドッペルゲンガーは自分の身体を変化させるんだが、ドッペルシャドウは取り憑いた相手の身体を変化させて顔や体格を変えるんでさ。魔族が諜報員として作り出したアンデッドだっつー話ですが、あんまり成果は上がらなかったようで」
取り憑いた相手の身体を変化させるアンデッド。
そんなものが居るなら、自分の身体を変化させて人のふりをするデュラハンも居るのだろうか?
「少しちがう気がしますわね……
やっぱり霊体系をもっと見てみましょうかしら」
「憑依を使う奴でヤバイのっつったらあれだ。『レイジスピリット』って魔物が居やすね」
「単体では大した力を持たないが、人とか魔物の身体をとっかえひっかえして憑依状態で操って戦うんでさあ。戦いの経験を積んだレイジスピリットは本来の身体の持ち主より狡猾に立ち回るし、身体の潜在能力を全部引き出して自壊も厭わない馬鹿力を出す」
「それは、冒険者さんには悪夢のようですわね。仲間の身体をうばわれ、戦わされたら……」
「それだ。だから霊体系の高位アンデッドは恐ろしいんだ」
話を聞いているだけでキャサリンは震えてしまいそうだった。
そんな恐ろしい世界で冒険者たちは生きているのだ。
恐ろしい話だが、しかし。『身体をとっかえひっかえ』と聞いてキャサリンは閃いた。
――そう……そうですわ! 例えば、デュラハンやリッチの身体を用意しておいて、それにひょういできるとしたら!?
人に憑依することばかり考えていた。
アンデッドがアンデッドの身体を使うことだってできるのではないか?
そう考えれば、ルネがデュラハンだったりリッチだったりしたことにも説明が付く。
「デュラハンとかリッチって、作れるんですのよね?」
「あ? ああ……邪術師や魔族が作るんだ」
キャサリンはひとまず肉体の話を脇に置いて、憑依と読心の特性だけ考える事にした。
――心を読む……なるべく強い霊体系アンデッド……
ページをめくり、めくり、めくって、そしてキャサリンの手が止まった。
「これですわ!」
キャサリンの細い指が、綴じられたデータを指し示す。
邪悪な知性と高い魔力を持ち、さらに人などに憑依して操る力を持つ。
恐怖や絶望など人族が抱く負の感情を糧とする。
霊体系アンデッドの中でも最強の一角となる、その魔物の名は。
「アビススピリット……? レイジスピリットの上位種ってとこか。憑依特化だが魔法もやべえ、と」
「『恐怖』や『絶望』の心を食らうというなら、それは心が読めるのと同じ事ではありませんの?」
「どうかな。王都の支部に居た学者連中に聞けば分かるかも知れねえですが……」
茶を飲もうとして空っぽなことに気付き、結局、先程茶に混ぜた酒を直接ティーカップに注いで飲み始めた。
「ネームドの連中みたいに、魔物は突然変異することもあるからな。特徴から探そうっても、あんまり上手くいかねえかも知れんぜ。ましてアンデッドは魔族や邪術師が魔法で生み出すことがほとんどだ。思いも寄らない特徴が付け加えられてる可能性もある……
にしても、お嬢様はなんだってこんなことを調べようとなすったんで?」
「……そういう魔物の話を聞いて、その……倒し方が分かればと」
キャサリンは自分が嘘をついている気がしたし、本当のことを言っている気もした。
ルネのことが気になって仕方ないのだけれど、それは結局どういう気持ちなのだろうか。
「倒し方か。『弱点』の欄にはなんて書いてある」
「ええと……」
ギルドのデータは学術的な魔物図鑑でなく、あくまで冒険者向けの実用的なものだ。
そこには特徴や能力、戦利品の用途、そして遭遇時の対処法などが書かれている。
アビススピリットの場合は……
「『弱点:聖気』……って、アンデッドはみんなそうじゃありませんの!」
「実質、弱点無しかよ」
三行分のスペースにぽつんと記されている単語ひとつ。
モンスター固有の弱点などはこれと言って存在せず、正攻法で倒さなければならないことを意味していた。
* * *
「……あなたには、辛いことを思い出させてしまうでしょう。ですが、どうか私に教えてくださいません?
あの日、あの場所で何が起こったのか」
キャサリンと向かい合う寝間着姿の少女・アリーサは、静かに頷いた。
ここはエルタレフにある神殿傘下の施療院。静かな病棟の休憩室。
窓から差し込む光が陽だまりを作り、白木の壁に暖かみを感じる。誰もがホッと一息つけるような場所だ。
アリーサは王宮騎士の娘だった。
王都陥落の日、アンデッドの兵たちに捕まって戦いの場に引きずり出されたうちのひとりだ。
生存者の話を総合すると、『人質』は3つのグループに分けられた。
まず、最初に戦いの場に連れて行かれた者たち。これは途中でリリースされたキャサリンを除き、全員が死んだようだ。
次に、2番目に戦いの場に連れて行かれた者たち。彼女たちの前で、騎士たちは蹂躙された。だが捕まっていた少女たちは全員が生きて帰ってきた。
最後に、捕まりはしたけれどそのまま解放された者たち。おそらく2番目で決着が付いたために出番が無かっただけだろう。
アリーサは、2番目だった。
あの戦いは生還者の心にも深い爪痕を残していた。
気鬱になって河に身を投げた子。闇を恐れて普通の暮らしができなくなった子。感情を失い笑わなくなった子……
キャサリンが精神的に無事だったのは、殺戮の光景を直接見たわけでもないし、途中から怖がるどころではなかったからだろう。
アリーサはアンデッドの軍勢に捕らえられ、無事に釈放されたものの、精神的なショックのせいで口がきけなくなってしまった。
しかし、彼女はテーブルに置かれた紙の上にペンを滑らせ言葉を紡いだ。
『大丈夫です。それよりも、こんなことでお金をいただいてもうしわけないくらいです』
アリーサの父は死んだ。
普通なら戦死した王宮騎士の家族には遺族恩給が支払われるものだが、国家が崩壊した現状ではそんなもの貰えるはずがない。
彼女にはお金が必要だった。
キャサリンは情報を、アリーサはお金を貰えるという取引は対等ではあるけれど、生活を人質にとっているみたいでキャサリンとしては一抹の後ろめたさもあった。
アリーサは筆談によって、王都陥落の日の出来事を語る。
『人質』第二陣の前で瓦解した騎士団。
哄笑する“怨獄の薔薇姫”。
そして……怪我ひとつ無く解放された少女たち。
「アリーサ。あなたが見た“怨獄の薔薇姫”は、白いドレスを着た首無しの剣士でまちがいありませんわよね」
念押しするようにキャサリンが聞くと、アリーサの目に訝しげな色が浮かんだ。
『ドレス?』
「違うんですの?」
キャサリンの問いは『デュラハンだったかどうか』聞いたのだ。
だが、別の部分がアリーサには引っかかったようだ。
『ドレスじゃなかった。じみな、ふつうの服。エプロン。ワンピース』
思いも寄らない情報に、今度はキャサリンが悩む番だった。
――どうして、着替えたんですの……?
キャサリンが見たルネは間違い無く、純白のドレス姿だった。
よりによって、どうして戦いの中で別の服に着替えたのだろう。
――魔法で服を焼かれて、裸のままでは色々と差し支えるから着替えたとか、かしら?
しかし、戦いの中でそんなことを気にする余裕があるのだろうか。
そして、服を着る余裕があるのだろうか。
もしくは、変わったのは服ではなくて……
――やっぱり、身体を乗り換えているの……?
身体が変わったから服も替わっている。
そう考えれば自然ではある。
だけど、そんな都合良く身体を作れるものか疑問だ。
「アリーサ。ルネ……“怨獄の薔薇姫”は、あなたや私と同じくらいの年だったかしら?」
『はい。10さいくらいでした』
「銀髪で銀目だったかしら?」
『はい』
それは、おかしい。
都合良くルネと同じ銀髪銀目で10歳くらいの子がそうそう見つかるものだろうか。
アンデッドの身体をあらかじめ作って乗り換えるなら、大人や男性でもいいと言うか、必然的にそうなると思うのだが……
――もしかして身体はなんでもいいのかしら?
ドッペルシャドウの話をキャサリンは思い出した。肉体の変化。
もしルネが、取り憑いた相手を自分と同じ姿のデュラハンに変えられるとしたら疑問はクリアできる。そんなアンデッドが存在しうるのかは分からないが……そうでもなければ不自然だ。
そして、キャサリンの肌が粟立った。
連れてこられた少女たち。あれは人質かと思ったが、違ったのかも知れない。
レイジスピリットや、その上位種であるアビススピリットについて
冒険者の身体を奪い、仲間と戦わせると。それは、つまり、応用すれば……
――女の子たちを、アンデッドに作り替え……!?
まさか、あれはローレンスと戦うための『換えの武器』だったとでも言うんですの!?
あまりにも冒涜的。キャサリンは自分の考えに慄然とした。
騎士たちは、自分の娘の身体と戦わされたというのだろうか。
最悪の仮説だ。むしろルネが服を着替えていただけであってくれと思いたいが、戦神の如き強さと謳われたローレンスを相手にして『服がダメになったから着替える』なんて余裕があるだろうか。
それに、考えてみればルネは復讐者だ。復讐相手の心をメタメタに踏みにじるような戦い方をしたいはず。キャサリンを放り出した時、ルネは『王宮騎士の子じゃないから役に立たない』と言った。人質として役に立たないという意味かと思ったが、人質にするだけなら無関係の子どもでも一応効果はあるはずで、つまりルネが求めていたのは……
と、キャサリンが気がつくと、アリーサはペンを握ったまま身を固くしていた。
手が震えて、握ったペンが紙の上にグチャグチャの渦巻きを描いている。
「ごめんなさい、辛いことをお話しさせてしまいましたわね。
……お医者様を!」
「はっ」
部屋の隅に控えていた看護師がアリーサを促し、出て行った。
キャサリンも焦燥を抱え、椅子を蹴るように立ち上がる。
――お父様に、早くこの話をお父様に伝えないと……!
ルネについての破滅的な考察……
もしこれが的中していたらとんでもないことだ。
――でも私は……ルネをどうしたいのかしら?
何か見えない大きな力に突き動かされるように、キャサリンは衝動的にルネについて調べていた。
だけど、その結果としてルネをどうしたいのだろうか。
倒したいのか。救いたいのか。それとも、また別の結末を望んでいるのか。
キャサリンには分からなかった。この時は、まだ。
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