[2-23] 怨獄の腹ぺこ姫
爽やかに青い空に、ふわりふわりと白雲が漂う。
それを見上げて
「…………お腹すいた……
生きてるとお腹がすくってこと、忘れてたわ……わたしもついこないだまで生きてたのに……」
裏庭の樽に腰掛けてひなたぼっこをしながら
固いパンひとかけらと薄いスープだけの昼食では全く足りず、まだ日も高い時間なのに既に空腹の虫が胃袋に噛みついていた。
イリスに憑依していた時は毎食毎食がテーブルマナーとの戦いだったが、少なくとも空腹に悩まされることは無かった。
だが、今は違うのだ。
この孤児院は神殿付きなだけまだマシなのだが、それでも孤児院なんてのは基本的に金欠と相場が決まっている。
育ち盛りの身体に、孤児院の金欠飯は
「土を食べ物に変える魔法とか無いのかな……もしくは霞を食べる魔法……ううん、こんなに太陽が暖かいんだから、水と二酸化炭素から炭水化物と酸素を合成できたら……」
空腹のあまり、植物界に足を踏み入れかける
「適当に盗んでくる方が早いかあ……でもダメ。余計な行動で目立っちゃったりしたら目も当てられない……」
頭に浮かんだ考えを振り払うように
今は敵のお膝元で潜入中。怪しまれないよう、振る舞いには気を付けなければならない。
――ま、孤児院の子が2,3人怪しんだとしてもなんてことはないし、そういう意味では気が楽だけど。
狭い裏庭で輪回しをしている小さな子ども達を見て、
危機察知能力に優れた冒険者たちと付き合いながら伯爵令嬢の影武者として仕事しつつ悪の組織をぶっ潰すなんて無茶なミッションではない。
やるべきことは単純だし、もし
――とにかく、あのナントカって子爵が来るのを待つ。それまでは……
横倒しになった樽に腰掛け、空を呪うように見つめる少年に目を向けた。
年齢は11か12くらい。褐色がかった赤のツンツン頭。同じ色の目はちょっと目つきが悪い。スポーツ少年団とか入ってそうな元気ながきんちょ、という雰囲気の男の子だ。
彼の名はウィルフレッド。今回の依頼人・ユインの息子だ。別にウィルフレッドは孤児ではないのだが、暴漢(『国賊』の家族を罰するために行動した市民らしい)に襲われて怪我をした母が神殿で治療を受ける数日間、ここに預けられることになった。
依頼人の家族がどうなろうが知ったこっちゃないのだが、今回はそうも言っていられない。
ユインが求めたのは自分を陥れた子爵への復讐に加え、妻子への援助だったからだ。
魂を喰おうとする場合、もし復讐以外に強い未練があるのならそれも叶えなければならない。ユインの濡れ衣のせいで苦境に陥った彼らをどうにかして助ける必要がある。
――こういうパターンもありなのね……まあ、未練の問題って考えたら抱き合わせでもおかしくないかも。
さてさて、どーしよっかなー。
せっかくウィルフレッドが都合良く居るのだから、声でも掛けて探りを入れようかと
だがウィルフレッドは、スチームパンク違法操業工場が廃液を垂れ流すみたいに近寄りがたいオーラを撒き散らしている。周囲で遊んでいる子ども達もウィルフレッドには近寄らない。
そして何よりも空腹のせいで行動を起こす気力が足りず、
そんな
遊び回る小さな子ども達を避けるように壁際を回って彼に近付くのは、胡桃色の髪を三つ編みにした少女。みんなのお姉さんユーニスだ。
彼女は昼食のパンをひとつ持っていて、それで
――そう言えばお昼ご飯の時、ウィルフレッドは来てなかったわね。
たぶん、昼食時もずーっとあそこで空を見ていたのだろう。
それでユーニスが彼の分のパンを持ってきた。
――……ウィルフレッドがあれを拒否ったらわたしが貰えないかな。
「ウィルフレッド。昼食の時に集まらなかったわね」
黒いオーラをものともせずウィルフレッドに詰め寄ったユーニス。
ゆるく問い詰めるような、
「……腹、減ってねえし」
「それでも食事の時は集まる決まりです。
だいたい、あなたそう言って朝も食べなかったじゃない。ほら、パン取っておいたから……」
「要らねえって言ってんだよ!」
「きゃっ……」
差し出されたパンをウィルフレッドが払いのけた。
大きめの石みたいなパンが弾き飛ばされ、綺麗な放物線を描く。
――きゃあ、パンが地面に!
「5秒以内っ!」
一旦は地面に落ちたパンを
「……ふう、救助成功」
「パニーラ何やってるの」
腹ばいのまま
「なんだよお前ら、次から次へと……
俺のことは放っといてくれよ!」
ウィルフレッドは苛立った様子で地面に足を打ち付ける。
地面を踏みならして威嚇するのは由緒正しいゴリラの作法。いきなり殴ったりしないだけまだ冷静かも知れない。
奸計によって父を陥れられ、奪われた。近所の人々からも冷たい目を向けられ、母は過激派か何かに暴行され……
世界の全てが敵に回ったように思い、針を逆立てて丸くなるハリネズミの如く敵意と警戒を向けているのだろう。自暴自棄にもなっている。
事情を考えれば仕方ないのかも知れないが、彼の気持ちを汲んでやるような優しさは持ち合わせていない
荒療治上等。
「わたしは暴力を振るうお父さんからお母さんと一緒に逃げてきた。でも生活は苦しくて、おまけにお母さんも死んで、結局ここに来たの。
ユーニスは野盗に襲われて焼かれた村の生き残りよ」
「あっ……ちょっと、パニーラ!」
『パニーラ』は以前にユーニスの事情を聞いて知っていた。
慌てて口を塞ごうとしてくるユーニスだが、もう遅い。
「あなたひとりが不幸なわけじゃない。
人それぞれに違う不幸を分かり合うことはできなくても、身を寄せ合って傷を舐め合うことはできる。
声を合わせて歌うように、恨みの声を響かせあうことはできる。
だから……あなたはひとりぼっちじゃないわ」
ウィルフレッドは呆然と
ルネはミアランゼに出会い、エヴェリスの企みを聞いたことで、自分の目指すべき方向性を探り始めていた。
より強い勢力を作り上げようと思ったら、部下を魔物やアンデッドに限定するのは勿体ない。ミアランゼがそうであったように、ルネに何かを託そうとする人族も現れるはず。
虐げられた者たちの痛みと恨みを背負い、彼らの不幸を抱きしめる……
それでこそ“怨獄の薔薇姫”は力を集められるはずなのだ。
まあ、別にウィルフレッドを勧誘する気は無いのだが。
それでも今だけは邪悪な手をさしのべる。
座り込んだ彼を立ち上がらせるために。早いとこミッションを達成するために。
「あなたのお父さんを嵌めた人たちが憎い?
だったら恨めばいいのよ。呪えばいいのよ!
世の中みんなが騙されてるっていうなら、あなたが恨まなきゃ誰が恨めるの?
落ち込んでいる暇なんて無い。剣を取って、立ち上がって吠えればいいじゃない!」
「パ、パニーラ、どうしたの急に……」
胸の内で黒い炎のように燃え続ける怨み。
そんな怨みの炎が焼き付いたように、
気圧されたようにユーニスがたじろいだ。
まじまじと
――……ちょっと脅かしすぎちゃった?
いくら
一国を滅ぼす大怨霊の怨嗟は、少年少女にとって刺激が強すぎたかも知れない。
「……君は?」
「わたしはパニーラ。ここの子よ」
「ごめん……飯、食うよ」
――そこは考えを変えなくてもよかったのに……
しおれた調子のウィルフレッドの言葉を聞いて、ルネは割りと本気で落胆していた。
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