[1-61] 勝てばよかろうなのだ

 ローレンス・ラインハルトの父は錬金術技師だった。

 採掘用ツルハシに使うミスリルの合金を作るのが仕事で、それをツルハシ工房に卸していた。


 ローレンスにとって父は誇りだった。

 父の仕事は決して人目に触れる類いのものではなかったが、この国を支える仕事だと思っていた。


 父の行く手に暗雲が漂い始めたのはローレンスが7歳の時だった。

 幼いローレンスには何が起きたかよく分かっていなかったが、恐ろしい顔をした借金取りが連日家を訪れるようになり、父が不機嫌でいつもより多く酒を飲んでいたのは覚えている。


 ある時、ローレンスは借金取りに殴られた父を助けようと後先考えずに割って入り、大人3人に袋だたきにされた。

 一応手加減はされていたようで大した怪我はしなかったが、その一件を契機にローレンスは強くなろうと誓った。

 冷静に考えれば武術で借金取りを追い払っても余計に面倒な事態になるのは目に見えているが、そこは所詮、子どもの考えることだった。


 家族を守るため……

 やんちゃ坊主が剣を取った切っ掛けは、たったそれだけのシンプルなものだった。

 退役した王宮騎士が開いている道場の門を叩いたローレンスは、道場の仕事を手伝う代わりにタダで剣を教えてもらえる事になった。

 そこでローレンスはみるみる頭角を現した。


 やがて、成長したローレンスは知ることになる。

 国の制度が変わり採掘機材に使える合金の規格が変わったことで、それに対応できない父は困窮したのだと。

 連邦の商人たちがシエル=テイラに物を売るため圧力を掛けた結果、シエル=テイラ国内の制度を連邦の制度に合わせる条約が成立した。その条約に含まれる数百に及ぶ項目のうちひとつが、だった。


 ゴーレム兵団を抱える連邦は、錬金術を用いた魔法合金の技術でも一日の長があり、国からの研究支援も手厚い。その連邦を基準にした新規格にシエル=テイラの職人たちは対応できなかった。父の顧客だった工房は連邦からの輸入品に頼らざるを得なくなった。

 錬金術技師と言っても大した知識も技術も無く合金ひとつで食いつないでいた父は仕事を失い、慣れない荷運びの仕事をしながら新規格に対応するための勉強をしていて、そして、ついに身体を壊していた。

 父は、ランプの火が少しずつ小さくなるように命を燃え尽きさせていき、そして死んだ。


 時代の変化を乗り切れなかった父が悪いのだろうか?

 技術が足りなかったとか、商才が足りなかったとか、責めようと思えばいくらでも責められよう。

 だがローレンスにとっては連邦を憎むに充分すぎた。

 家族を守るためだった剣は、いつの日か連邦の兵士を斬り殺すための剣となった。


 ローレンスは道場主の推薦もあって、成人を迎える15の歳にはもう王宮騎士団に取り立てられた。女手ひとつで家計を支えていた母を助けるため、ローレンスはこの仕官話に一も二も無く飛びついた。

 だがそこでローレンスを待っていたのは。

 ローレンスの騎士としての最初の仕事は。

 連邦の戦争への援軍だった。

 シエル=テイラの近くにある、ちょうどシエル=テイラと同じくらいの大きさの国が連邦と小競り合いを起こしてしまい、それを痛い目に遭わせて支配下に置くための戦いだった。

 ローレンスは初めての戦いながら多くの武勲を立てた。だがローレンスは自分が何のために戦っているのか最初から最後まで分からなかった。


 その後も、多くの疑問と不満を抱えながらローレンスは騎士として国に尽くした。

 たとえ連邦と戦うことはできずとも、自分の戦いが国のためになり、国の利益を……ひいては多くの人を守るのだと信じて。


 そして。

 ローレンスは


 * * *


「はああああっ!」


 『天断』を起動しての袈裟斬りの一撃。


 石畳に切り込みが入り、ルネの背後にあった店が斬られて斜めに滑り落ちた。

 その一撃をくぐったルネはまっすぐ距離を詰める。

 そして次の横薙ぎの一撃……が来る寸前。


「何!?」


 ルネは消えた。

 正確には、ローレンスの背後に≪短距離転移ショートワープ≫した。


 ルネの振るった赤刃がローレンスの鎧にめり込む。

 胸部を輪切りにする軌道で。


「う、おおおおおお!?」


 ローレンスが身をひねった。

 斬撃に逆らわず身体を回転させて、胸部を半周ほど浅く切り裂かれる代わり、深い一撃を避ける。

 それと同時、テイラアユルを叩き付ける。


「はっ!」


 ルネは渾身の一撃を受け止めた。≪聖別コンセクレイション≫を受けたテイラアユルが赤刃を削り、赤い火花を散らす。≪恨みの返り血バッドブラッド≫は既に魔法としての力をほとんど削ぎ落とされているようで、聖気を弱めることもないただの汚れになっていた。


 しかしローレンスの一撃は軽い。いや、ルネの力が強くなっているのだ。魂を喰らったことで力を付けたうえ、包囲陣に混じったリッチがルネに強化バフを飛ばしているせいだ。

 ローレンスも護符を諦めてまで強化バフを受けているわけだが、今や単純な力ならルネの方が上という状態だった。


 ローレンスは力で勝てないと見るやすぐに方針を切り替える。

 肩すかしを食らわせるように一瞬力を抜き、ルネの体勢を崩しつつ剣を切り返す。


 避けきるのも受けきるのも無理と判断したルネは転移で回避する。

 しようとした。


「させるか!」


 ローレンスは、それを読んだ。

 ローレンスの斜め後方に転移で回り込んだその時、既にルネが居る場所には『天断』が迫っていた。


「つっ……!」


 脚を刈り飛ばすような一閃。

 頭部を胸元に抱き込むようにしてルネは側転した。

 左すねを浅く切り裂かれ、焼けるような痛みが走る。


 ――なに今の? なに今の!? わたしの視線で転移先を読んだって言うの!?

   でも……ショートワープ見せるの、まだ2回目だよ!? それで対応できるの!?


 たたらを踏んで後ずさるルネに、ローレンスは腰だめの姿勢から立て続けの突きを繰り出す。

 届くはずのない距離。だが、突きが飛ぶ。


 すり足で横に半歩ずれる。ルネの頭があった場所を突きが飛び抜ける。

 身をかがめる。ルネの鳩尾みぞおちがあった場所を突きが飛び抜ける。

 ≪短距離転移ショートワープ≫で真横に二歩分飛ぶ。ルネの心臓があった場所を突きが飛び抜ける。


「≪耐衝障壁シールド≫!」

「ぬ!」


 ガギン、とルネの前で火花が散った。

 ルネの前に張られた光の障壁が『天断』突きを防いだのだ。

 半透明な壁に、ぴしりとヒビが入る。


「やっぱり剣ではかないそうもないわね」


 何かを確かめるようにルネは呟く。

 デュラハンの姿になったルネはデュラハンとして生得の本能的な剣術技能を持つが、しかしその技術はローレンスに及ばないのだ。


 『亀の陣』も相変わらず堅い。

 直接魔法で破る以外のやり方として≪大地の欠伸グランドクラック≫の魔法で地割れを発生させて呑み込むという手も試してみたのだが、すぐに≪地鎮アースキャンセル≫の魔法で打ち消された。ローレンスと戦いながら、騎士たちの魔力が尽きるまで耐久戦をするのは、少し厳しい。

 ……普通にやるならば、の話だが。


「ようやく実力の差を理解したか。だがノコノコと私の前に出て来た以上――」

「できれば真っ正面から勝ちたかったんだけどね。

 ……ここからはわたし流よ」


 何か言いかけていたローレンスを無視し、ルネは指を鳴らす。


 やや遠巻きに戦いを見守っていたアンデッドの軍勢が、蠢動した。

 一斉に襲ってくるとでも思ったのか騎士たちからの警戒心を感じる。

 生憎、そんな甘い話ではない。


「やめて! やめて!」

「たすけてー!」


 耳にキンキンと響くような悲鳴がアンデッド達の中から聞こえてきた。

 軍勢の中を通って後方から現れたスケルトン達。その手に手に、泣き叫ぶ少女を抱えている。総勢10名ちょっと。みなルネと同じくらいの年頃で、程度の差こそあれ小綺麗な身なりをした育ちの良さそうな子ばかりだ。


 騎士たちが立ちすくむ中、出てきたスケルトンは軍勢の最前列で抱えてきた少女を立たせて、抱き込むように剣を突きつけた。

 その姿を見て『亀の陣』から声が上がる。


「サシャ!?」

「ジリアン!!」


 その声に、周囲の騎士たちも、ローレンスも、何が起こっているのかを理解したようだ。

 彼女たちが何者なのかも。


 怯える彼女たちに、これ見よがしな猫なで声でルネは話しかける。


「よい子の皆さーん! ルネちゃんの楽しい楽しい殺戮ショータイムにようこそー!

 わたしはみんなのパパ達に、鞭でぶたれたり、指とか潰されたり、焼きごて押されたり、口の中に針刺されたり、水の中に頭突っ込まれたり、その他諸々いろーんなことされちゃった末にギロチンで殺されたりしたんだけど、全っ然っ気にしないで楽しんで行ってねー!」


 ルネが自らに降りかかった災難を述べるたび、凍り付いた恐怖の表情で少女たちは震えていた。

 そんな事をされたルネが怨んでいないはずが無い。

 ……さて、この状況でルネの怨みはどこへ向かうのだろうか?


 彼女たちも王都に流れる噂を聞いていたはずだ。騎士たちが何をしたのか。

 もはや他人事ではいられない。

 復讐劇の舞台に引きずり上げられてしまったのだから。


「さーあ、一番こっちのお友達から順番に、自分のお名前とお父さんのお名前言ってみようかー。

 ちゃんと言えなかったら……分かってるわよね?」

「あ、あ、あ……」


 ルネに赤刃を突きつけられた少女は震えながら失禁していた。


「あ、あうあう……ジリアン・……グレヴィ……です。お、お父さんは……アストン・グレヴィ……」

「ジリアーン!」

「お、お父さ、うわああああん!!」


 『亀の陣』を飛び出しかけた騎士が周囲の騎士に引き戻された。


 スケルトン達に引っ張ってこられた少女たち。彼女らは皆、第一騎士団員の娘だ。

 戸籍なんてものはこの国に存在しないが、それでも騎士団は種々の連絡のため、王都における騎士団所属者の住居を把握している。そのリストをジェラルド公爵の名義で取得していたのだ。


 涙声の自己紹介が続く。

 ルネは、怒りや焦燥、そして絶望を騎士たちから感じ取っていた。


 ――特に反応してたのは5人。それ以外も『お父さんのお名前』で反応してくれる。

   そうそう、誰だか知らない子どもより、知ってる人の子どもの方がショックだよね。


 都合良く『亀の陣』参加者の子どもが確保できるとは限らない。そのためルネが考えておいたのが、父の名前を言わせるという手だった。

 同僚の名前が挙がるたびに精神的なダメージとなる。


「……あら?」


 次の子に剣を突きつけようとして、ルネは立ち止まる。

 連れて来られた少女の中に、あろうことか見知った顔がある。


 脅えた様子ながらもキッと顔を上げてこちらを見ている少女。

 艶めいた蜜柑色のロングヘアに、灰と紅のオッドアイを持つ。比較的こざっぱりした(ただし平民基準では充分に装飾過多の)外出用ドレスを着ている。


 キャサリン・マルガレータ・キーリー。

 ルネがイリスに成り代わっていた間、冒険者の仕事として護衛をしていた相手だ。


 ――なんでここに……?

   あー、そう言えば諸侯の家族が王都に集められてるんだっけ。誰か知り合いの所に出かけてて一緒に捕まっちゃったのかな。


 必要とあればルネはキャサリンも殺すだろう。

 だが彼女は復讐の対象ではない。特に殺す必要も無く、今はただ純粋に邪魔なだけだった。


「そいつは王宮騎士の子じゃないから役に立たないわ。適当に放り出しておきなさい」


 ぞんざいに命じたルネだったが、その言葉を聞いてキャサリンが目を見張る。


「…………どうして知ってるんですの?」

「え……?」


 この状況下でそんな事を言う度胸がキャサリンにあるとは思わなかったルネ。

 いや、それは別に問題ではない。


 確かに、考えてみればキャサリンの身元を知っているのは不自然だ。

 このキャサリンの問いにどう答えればシナリオを崩さずルネちゃん劇場を完遂できるか……それをルネは、一瞬悩んだ。


「困ると、靴をすり合わせるクセ……」


 震える声で呟くキャサリン。

 はっとルネは気付く。これはルネのクセだ。キャサリンからも直すように言われていた……


 ――これは……ダメだわ!


「連れて行きなさい!」

「イリス! あなた、イリスではありませんの!? ねえ! どういうことなんですの!?」


 キャサリンは声を上げながらスケルトンに引きずられていき、屍の群れの中に消えていった。


 ルネは頭を振って(と言うか、首を持った手をそういう風に動かして)気を取り直す。

 今のは些細な放送事故だ。とっとと記憶から消し去るべし。今度こそキャサリンとは二度と会うこともないだろう。


「そ、それじゃあ次のお友だちー。あなたで最後ね。お名前はなあに?」

「カルラ・プラッケン……です……お父さんは……ひぐっ……ハルムって言います……」

「はーい、よくできましたー」


 最後のひとりが自己紹介を終えると、ルネは騎士たちに向き直った。


「さぁて、どうする? あなた達がみーんな死んでくれるなら、彼女たちは無事に返してあげていいわよ?」

「外道……!!」


 怒りも露わにローレンスが吠える。


「外道ですって? だったらお母さんを殺されたわたしはどうなるの。

 問答無用で殺さないだけ、あなた方より優しいと思ってくださらない?」


 『亀の陣』は、見たところ大きく乱れた様子はない。だが騎士たちの心は穏やかならぬ状態だ。

 後衛の動揺を察知したのか、ローレンスはルネから目を離さないまま活を入れるように怒鳴る。


「落ち着け! 人質が死ねば奴は盾を失うのだ。簡単に手を出せるはずはない! ただ奴を倒すことだけ考えればいい!」

「ランダムにひとりずつ殺してくって手もあるんだけどね」

「それに! 奴の要求を呑んで我らが犠牲になるようなことがあれば、奴が次に狙うのは陛下だ! この国の終わりだぞ!」

「……それは否定できないわね」


 ルネの言葉は果たして届いたか。いずれにせよローレンスは突撃してくる。

 剣で敵わないのは分かっているが、しかしルネは真っ向から相手をした。


 神速の三連撃、叩き潰し掬い上げる、突き、そして僅かでも間合いが離れれば『天断』!

 さらに『亀の陣』から≪聖光の矢ホーリーアロー≫も飛んでくるが、集中しきれていないのかヒョロ玉だった。≪痛哭鞭ペインウィップ≫で相殺しつつ、ルネはローレンスに踏み込む。

 ≪短距離転移ショートワープ≫で背後に飛ぶ、と見せかけて3m上に転移!


「ぬん!」


 上から斬り付けると見せかけて、ローレンスが振り仰いだ瞬間。

 ルネは、左手に持っていた自分の頭部を軽く投げ上げた。


「なに!?」


 鳥瞰のように自分とローレンスの戦いを上から見るルネ。これなら死角は無く、視線も読まれない。

 宙に舞う頭は一見するといいマトでしかないが、実はこれを破壊されても『メインカメラをやられただけ』である。

 身体は動く。魔力知覚で周囲の様子は分かる。そして、もしローレンスが上に手を出すならその隙に殺せる!


 ルネは胴体だけでローレンスの斜め背後に転移し斬り付ける。


 だが、その瞬間、ローレンスはテイラアユルを逆手に持ち替え、自らの脇の下をくぐらせるように背後に『天断』突きを放つ!


「あっ……!?」


 身体が爆発したような痛みだった。

 ルネの身体を、見えない突きが深々と刺し貫いていた。

 身体を動かしていた不浄の魔力が、≪聖別コンセクレイション≫の聖気によって打ち消されていく。


「頭を投げ上げたなら……」


 ローレンスが勝ち誇るように嘲笑った。


「その落下点に転移して受け止めると考えるのは、自然ではないかな?」


 力を失ってルネの胴体が倒れ、投げ上げた頭部はその上に落ち、弾んで転がった。

 一拍おいて、『亀の陣』から歓声が上がる。


「お、おおおおお!?」

「やった、やってしまわれた!」

「さすがは団長殿だ!」


 追い詰められ、冗談抜きに国家存亡の危機という状況。

 そんな中で英雄ローレンスが掴んだ起死回生の勝利だ。

 まだ信じられないという調子ではあったが、騎士たちはそのドラマチックな勝利に快哉を上げていた。


 しかし、その中にあってローレンスは警戒を解かずに居た。訝しげに周囲を見回す。


 元凶たるはずのルネを倒したはずなのに、アンデッド達が小揺るぎもしない事を不審に思った様子だ。


「……トドメを刺し損ねたか」


 倒れ伏したルネを見下ろし、ローレンスは呟く。


 そのローレンスを、ルネは石畳の上に転がった首だけでギロリと睨んだ。


「これで終わりだと思っているのなら、おめでたい脳みそね」

「人質を殺すつもりか?

 やってみるがいい。あのスケルトンの剣が動くより、私の剣が貴様を切り刻む方が早い」

「人質。人質ね……」


 ルネは低く笑った。


「舐めたこと考えてるのね。……あれは、もっと素敵なものよ」

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