[1-47] 閑話:やがて薔薇の下で

 世界には未だ奴隷制度の残る国も多いが、神殿勢力は奴隷制廃止のキャンペーンを長く行っている。

 それが功を奏したか、ジレシュハタール連邦は40年余り前に列強五大国の中で二番目となる奴隷解放宣言を行い(もちろん一番乗りは神殿の影響力が強いディレッタ神聖王国だ)、連邦の政治的影響が色濃いシエル=テイラもそれに続いた。


 ……だとしたら今の自分は何なのだろうとミアランゼは思う。


「忘れたんなら教えてやるよ! 家畜だよ!!」


 そう。

 家政婦長ハウスキーパーのブレンケ婦人に言われるまでもなく分かっている。

 シエル=テイラの宮廷貴族であるゼーバッハ侯爵家に飼われている……『家畜』、だった。


 このシエル=テイラに亜人種の扱いを定めた法律は存在しない。

 それを逆手にとって、奴隷が禁じられているなら家畜扱いすればいいとさらに酷い扱いを受けている。

 亜人は国内に何人居るかも分からないほど少ない。そのためにわざわざ法律を作って助けてくれたりはしない。そしてこの国では神殿さえも頼りにならないとミアランゼは過去の経験から知っていた。


 ミアランゼは猫獣人ケットシーと人間のハーフである。人間で言うなら17,8歳くらいの容姿だ。

 とはいえその姿はかなり人間寄りで、亜人らしい特徴と言えば常人より堅く鋭い爪、光によって瞳孔が大きく変動する琥珀色の目、後は頭の上にある大きな三角形の耳くらいだ。

 放っておくと全身が頭髪と同じ艶やかな黒の体毛に覆われてしまうのだが、それはこまめに剃らされていた。


 南の方の森で両親と暮らしていたミアランゼは『密猟者』に両親を殺され、そしてシエル=テイラに売られてきた。

 主人であるゼーバッハ侯爵はミアランゼをたいそう気に入っている。

 もっとも、その気に入り方というのが奇怪にねじくれていて、ミアランゼがひたすらに苦悶する姿を見ては悦に入るという悪趣味なものだ。


 ミアランゼはこの家でどんな使用人よりも地位が低い者として扱われ、死ぬようなものでなければどんな用事でも言いつけていいという決まりになっていた。

 朝も早くから暖炉掃除、食事の下ごしらえ、掃除、洗濯、荷運び、厩舎の掃除……

 物理的にこなすのが不可能な量の仕事を押しつけられ、遅れてはグズノロマと怒鳴られる。

 そして一日を終え、ボロボロくたくたになったミアランゼを見て侯爵はご満悦で、時にはそのまま慰み者にもするのだ。


 ミアランゼはありきたりのメイド服に加え、ゴツい外見で黒くぬめる、鈴付きの革首輪を着けている。

 本人の意思とは無関係に言うことを聞かせるマジックアイテム『隷従の首輪』だ。ミアランゼはこの首輪によって逃走を禁じられていて、さらに種々の命令を拒否できなくされている。

 高価なマジックアイテムなので、こんなものをわざわざ着けるというのは寵愛の証ではあるのかも知れない。ミアランゼには100%不要な愛だが。

 ちなみに鈴はアイテムの機能と全く関係なく、ミアランゼがどこに居るか周囲の者が分かるようにと侯爵の提案で後から付けられたものだ。


 今日の仕事はいつもと少し違う。“怨獄の薔薇姫”の侵攻に伴い、王都から逃げ出す準備だ。

 屋敷の前には辻馬車を買い上げたものまで含めて10台以上の馬車が並び、そこに積み込むための荷物を使用人たちが運んでいる。

 しかしこんな状況でも結局、ミアランゼがすることは大して変わらない。

 周囲の3,4倍ほどの山積みの荷物を抱え、ミアランゼはよろよろと歩く。


 ――神よ。あなたがおわしますならば……


「あっ!」


 『何か』に足を引っかけてミアランゼは転び、積み上げていた荷物を放り出してしまった。

 顔を上げると、そこに嫌みったらしく笑うメイドの姿がある。荷物のせいで前が見えなかったが足を引っかけられたという気がする。だがミアランゼに口答えは許されない。


「このドクズ! ウスノロ! 大事なご主人様の荷物をよくも汚してくれやがったね!」

「ああっ!!」


 すぐさまブレンケ婦人がすっ飛んできて、近くにあった箒で思いっきりミアランゼの尻を引っぱたいた。

 陰湿な笑い声が周囲から上がる。

 ……これは、ショーだ。


 ――何故、この世界をこれほどまでに醜く、苦痛に満ちた形にお造りになったのでしょうか?


 両親を殺され、悲しむ暇もなくこんな酷い生き方を強いられて。


 “怨獄の薔薇姫”……

 もし彼女が主人である侯爵を殺してくれたら、こんな生活は終わるのだろうか。


 * * *


「だりゃああ!!」


 積み重ねたダメージの果てに至る、とどめの一撃。

 大地を叩き割るような勢いで振るわれた大剣がスケルトンチャンピオンを叩き潰した。


 かち割れた兜、ひしゃげた鎧、バラバラになった身体、吹き飛んだ雷の魔剣……

 多くの村を壊滅させた邪悪なるアンデッドモンスターの最期だ。再び立ち上がってくる様子はない。


「……ふうっ!」


 大剣を振るった青年、ゼフトが額の汗を拭う。

 まだ22歳で貫禄不足の気もある彼は、しかし押しも押されぬシエル=テイラ最強の冒険者。

 国最強のパーティー“零下の晶鎗”を率いるリーダーたる第六等級エリート冒険者であった。


「お疲れ様。さすがは“零下の晶鎗”のリーダー!」


 いち早くゼフトに駆け寄り労ったのは軽装鎧を着た少女だ。

 ……少なくとも外見は。


 くりくりとよく動く夕焼け色の目に白磁の肌。蜂蜜色の長い髪は依頼クエスト中につき一本に束ねている。

 マイナードラゴンであるワームの革を使った鎧は、女性冒険者向けによくある『コルセットメイル』とか呼ばれるデザインだ。いかにも盗賊シーフらしい身体にフィットした服装だが、それだけに巻きスカートが異彩を放つ。絶対領域が眩しい(この露出のために服に防寒の魔化を施している)。


 盗賊シーフのトレイシー。今は“零下の晶鎗”に協力しているが特定のパーティーに属さず、依頼クエストによってあちこちのパーティーを渡り歩く第六等級エリート冒険者。

 コテコテに少女めいた愛くるしい容姿で愛想を振りまくトレイシーは……しかし、三十代半ばの男性だった。

 その意味が分からない若々しさと外見は冒険者たちの間で『シエル=テイラ七不思議筆頭』と囁かれている。


「ゼフトが居なかったらきっと勝てなかったよ」

「いやあ、トレイシーの助けがあってこそさ」


 トレイシーに持ち上げられてまんざらでも無さそうなゼフトを見て、パーティーメンバーの女性陣(僧侶プリーステス格闘家グラップラーだ)は白い目をしていた。


「何よリーダーは。鼻の下伸ばしちゃって」

「って言うかトレイシーは男じゃん」


 嫉妬する、とかいうわけではなく、異性愛者であるはずのゼフトがトレイシーにでれでれする意味が分からないという調子だ。

 だが、ゼフトと同じ男である魔術師ウィザード盾手タンクは首を振る。


「分かってねーな……あいつぁみんなにとって別腹なんだよ。物語の登場人物みたいなもんさ」

「ああいうのは男の夢なんだよ、夢」

「えぇ……なにそれ。なんで私らが無理解みたいな話になってんの……」


 女性陣の疑問を置き去りにして男たちは頷き合う。


 トレイシーは多くのパーティーに取り入っているが人族にんげん関係のトラブルは基本的に起こさないし、いつも楽しそうにしていてムードメーカーになる。よく気がつき、愛想の振りまき方も上手く、容姿も可愛らしい。それでいて男同士のざっくばらんな付き合いの距離感も理解しているのだから、冒険者たちのアイドルとなるのも当然だった。


「……ん? ねぇねぇ、誰か来るみたい」

「敵の増援か?」

「じゃないと思うけど……」


 トレイシーの耳が何かの物音を聞きつけた。

 やがて、それは他の者たちにも聞こえるようになる。

 雪に覆われた丘を越え、ウェンディゴに乗ったギルド係員が全速力でやってきた。


「れ、“零下の晶鎗”の皆さん! 至急、王都にお戻りください!

 ネームドモンスター“怨獄の薔薇姫”が約4000体のアンデッドモンスターを率いて王都を急襲しました!!」

「何!?」

「4000!?」

「ウソでしょ!?」


 信じがたい報せにトレイシー以外全員の顔がこわばる。


「くそっ……! 全速力で戻るぞ!!」


 馬と荷物を置いてあるベースキャンプへゼフトは早くも駆け出そうとする。

 が、これをトレイシーが引き留めた。


「えぇ? 行くの? 今から全速力しても間に合わなくない?」

「かも知れない……

 でも! 俺たちが戻ることでひとりでも多くの人が助かるかも知れないなら、それは無駄じゃない!

 行くよ、みんな!」

「「応!!」」「「はい!!」」


 息の合った調子で仲間たちが応える。

 慌ただしく動き出した一行を見て、トレイシーはぽつりと呟いた。


「やっぱり動いたのか、“怨獄の薔薇姫”。やるなら今日辺りだと思ったから王都から離れといたんだけど……

 あーあ。ボクが生まれ育ったこの国、もう終わりなのかなぁ」


 奇妙なネームド指定。イリスの不可解な活躍。消息を絶った“竜の喉笛”。消えたナイトパイソン。王弟派の中心人物だった公爵。スケルトンチャンピオンの移動ルート……

 国中の冒険者に網の目のように人脈を形成しているトレイシーの所へは、必要に応じて種々の情報が流れ込んでくる。それを柔軟に組み合わせ、トレイシーはほぼ真相に近い推論を組み上げていた。

 もっとも、ルネが何者かの魂を食って強くなったなんて事は流石に知らないし、4000ものアンデッド軍団を持ってきたのは予想外だったけれど。


 顔見知りの冒険者には『数日間王都から出ていた方が良いかも』と声を掛けてきたけれど、さて、どれくらいが脱出できただろうか。


「ルネ様ねぇ……

 美少女だって話だからちょっと会ってみたい気もするけど、そしたら生きて帰れる気はしないなー。変なこと考えるのはやめやめ。ボクは適当な所でこっそり離脱しよーっと」


 * * *


 シエル=テイラから遙か遠く離れた場所。

 暗雲渦巻き、昼なお暗い大地。

 そこは、人族の視点から言えば『いかなる国の領土でもない空白地』……という建前だが、要するに人が踏み入れない魔族の勢力圏。

 俗に魔族領と呼ばれる場所だ。


 もっとも、魔王軍はここ数十年負け越していて、魔族領と呼ばれる地域の大きさは既にノアキュリオ王国の半分ほどになっている。

 裏を返せば幹部級の魔物が狭い地域にひしめいているため堅く守れているのだが、反転攻勢に出て領土を回復する算段は全くついていないのが現状だった。


 そんな魔族領に、ぽつんと建っている石造りの古塔。

 数多の魔動機械(アーティファクト)でデコレーションされたようなその建物の、最上階近い窓に、コウモリ羽根を持つしわくちゃで醜い少年のような魔物……一匹のハイインプが飛び込んでいった。


『居るか』

「やあやあ、お使いごくろーう。入っていいよ」


 窓辺に降り立ったハイインプが人間語で声を掛けると、部屋の中から女の声が返ってきた。


 ハイインプが侵入した部屋は、魔動機械(アーティファクト)技師が1ダースくらい住んでいるんじゃないかと思えるくらい、工具や機械部品、触媒類が散乱した部屋だ。

 訳の分からない金属質の物体がそこかしこに置いてあり、部屋の隅に山積みになっていたりする。一見ガラクタ置き場のようだが、実はここに無造作に置かれている魔動機械(アーティファクト)が街ひとつ買えるレベルのマジックアイテムだったりする。見る者が見れば卒倒するほどの宝の山だ。

 奥の棚にはポーション調合用の希少な材料が並んでいた。


 部屋の主は、ガラス製の実験機材を並べた大きな机の前に座っていた。

 怪しげで艶めかしい紫水晶のような目と、怪しげで艶めかしい濃紫の髪をした女だ。黒いつば広山高帽に黒い服という伝統的な魔女スタイルをしている。露出度以外は。

 長身で、付くべき所に肉が付いている体型。ほとんど下着と変わらないような服を着た彼女は、うら若き乙女のように白く艶やかな肌を惜しげも無く晒している。


 まるでサキュバスのような出で立ちをした彼女だが、しかし歴とした人間だった。……本来の寿命を無視して数百年生きている存在をまだ人間と呼べるならの話だが。


「例のもん入った?」


 実験器具を机の隅に寄せて羊皮紙に書き物をしていた彼女は、全く顔を上げることなく問う。


『まだだ。調達に難儀している。

 ……それよりも、ゴーレム搭載砲の術式を一両日中に完成させるようにと工房がせっついている』

「催促ね……はいはい、りょーかい。明後日でいいのね」

『確かに伝えたぞ』


 言うだけ言ってハイインプが飛び去ると、せわしなく書き物をしていたはずの彼女は、すぐに羽根ペンを放り出してソファーに飛び込んだ。

 忙しいふりをしていただけなのだ。


「んふふー、性欲処理アーンド実験用の美少年一匹さえ用立てられないスカンピンの魔王軍にゃ、もう用はゃーですよーんっと」


 彼女がクイッと指で招くと、部屋のどこからともなくワインの瓶とグラスが手元に飛んで来た。

 空中で勝手に瓶が傾いてなみなみと注がれた血色のワインを一口飲むと、彼女は指を鳴らす。


 ソファの正面に置かれている人間大の巨大水晶玉に映像が映り込んだ。

 鳥観のように空から見下ろした視点の映像は、堅牢な壁に囲まれた城と街を……

 そして、その外に布陣するアンデッドの軍勢を映し出していた。


「さてさて、せーっかくのスペクタクル大戦争。邪神の軍勢が久方ぶりに人族に一矢報いるかもって大一番だ。しっかり観賞させてもらおうじゃんか。

 ……薔薇姫様。あんたはこの大魔女エヴェリス様を従えるに足る器かな?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る