[1-41] 豚は死ね!

「げ、げぇむ?」

「そう。簡単なゲームよ」


 ウルリッヒは腰を抜かし掛けていたが、それでもどうにか立ち上がってルネから距離を取った。

 気付かれないように少しずつ少しずつ(実際はバレバレの動作で)、壁に空いた大穴の隣、本来の出入り口である扉に近付く。


 何故ここに、という考えで頭はいっぱいだった。

 まだ倒されていなかったとしても、居場所は遙か南西ではなかったのか。


 子どもらしく遊びをねだる少女。

 ……とは思えなかった。戦いに関しては完全に素人であるウルリッヒでさえ分かるほどの、首筋が冷たくなる気配。

 これは、殺気だ。


 果たして、ルネは楽しげに、しかし目だけが笑っていない笑顔で言った。


「あなたが生きてたら、あなたの勝ち」


 ウルリッヒはその言葉を合図としたように、もう全力で扉にかぶりつき廊下に飛び出した。


「ひ、ひいいいーっ! 誰か! 助けてくれーっ!」


 悲鳴を上げながらウルリッヒは廊下を駆け抜けた。

 ここにはいつも用心棒が居るし、もし悲鳴を聞きつけて従業員がこちらへ来れば盾にして逃げればいいと思った。


 だが、ウルリッヒはすぐに気付いた。

 自分が向かう先からも悲鳴が上がっているという事実に。


「な、なんだ……? 何が起こって……?」


 悲鳴。ドタバタと走り回るような音。何かが倒れる音。悲鳴。怒号。剣の打ち合うような音。悲鳴……


 前方の扉がほとんど蹴破られるように開き、そこから若い男性従業員が飛び出してきた。


「ああああ! たたた助け助け助けて助けけけけげはあっ!!」

「ひいっ!?」


 彼はウルリッヒの前で胸から剣を生やし、血を吐いて絶命した。

 その背後には騎士鎧を着たスケルトンが居て剣を突き出していた。


「あ、あ、あんでででででで……も、もももんすたたたたたたたた……」


 アゴをがくがく震わせながらウルリッヒは辛うじてそれだけ言った。

 行く手から聞こえる物音は、つまりこれと同じ事が……


 何故、と思った。何故ルネのみならず、こんなものまでが商会の建物の中に。


「わたしの騎士団よ」

「ぎゃああああ!?」


 背後から声が聞こえてウルリッヒは悲鳴を上げながら飛び上がった。

 ルネが、すぐ後ろにいた。


「な、なんでだ!? なんで私の商会に!」

「ええ? 別にあなたに限った話じゃないわよ」


 心外だという様子でルネは眉根を寄せた。

 『こんな奴を特別視してると思われるのは侮辱でしかない』とでも言うかのように。


「耳を澄ませてごらんなさい。街中、こうなってるから」

「え……」


 言われてからウルリッヒはやっと気がついた。

 悲鳴は、争うような物音は、外からも聞こえてくる。


 ウルリッヒは状況を飲み込みかけていた。

 だが、あまりにも絶望的で理解したくなかった。

 こんな場所までやすやすとアンデッドが侵入してくるわけがない。警備の衛兵も集まった公爵の兵も薙ぎ払って、街中メチャクチャにしなければここまでは辿り着けない。


 ……実際には、街を守るべき公爵の兵がまるごとアンデッド化したという更に絶望的な状況だったのだが、もちろんウルリッヒがそれを知るよしも無かった。


「それじゃ、行くわよ。≪凍枷アイスロック≫」

「ぎひい!?」


 ガギン! と音を立ててウルリッヒの両足がくっつき、バランスを崩したウルリッヒは腹から倒れ込んだ。脂肪をクッションにして軟着陸。

 首の肉を無理やり折りたたむようにして足下を見ると、ウルリッヒの両足は氷の塊に覆われていて、それが足かせのようにくっついてひとつになっていた。


「ルールその1。あなたは足を使ってはいけない」

「む、無理だ! こんなのでどうやって……」

「≪風刃ウィンドカッター≫」

「ぎゃああ!!」


 ウルリッヒの両腕をかまいたちが抉った。

 風の刃が服の袖ごと両腕をズタズタにして、無残な腕から血が滴った。


「ルールその2。傷ついた手で移動しなければならない」

「な、なにいい!?」


 ウルリッヒは叫ぶ。

 足を封じられるだけでも大変なのに、頼みの腕までまともに動かなくされた。


 ウルリッヒは腕力に自信なんて無い。腕立て伏せだって1回もできない。腹の肉を支えにして腕を立てて伏せることならできるけれど。

 こんな状態で逃げ切れるわけがない!


 ルネはさらに呪文を唱える。

 今度は目でも潰されるのかとウルリッヒは身構えたが、違った。


「≪屍兵作成クリエイトアンデッド≫」


 彼女が魔法を掛けたのは、ウルリッヒの目の前で刺されて死んだ男の方だ。

 物言わぬ屍となったはずの男が、動いた。


「ルールその3。わたしに追いつかれてはならない。歩いて追いかけるのも面倒だからこいつを乗り物にするわ。よかったわね、あんまり速くないわよ。って言うか乗り心地悪っ!」


 ウルリッヒは目を剥いてその光景を見ていた。


 この男の名前は……別に覚えていないが、とにかくウルリッヒの部下のひとりだったはずなのだ。

 その彼が、小さな男の子の騎士ごっこに付き合って馬役をする親のように、四つん這いになって化け物を背中に乗せている!

 ルネは、高貴な婦人が馬に乗る時の作法のように、男の背中に横向きに腰掛けていた。

 左手に掴んでいた自分の頭を首の上にそっと載せて、代わりに男の首根っこを手綱代わりに掴む。


「特別にあなたのことだけは襲わないようアンデッド達に命令しておくわ。さ、はじめましょ」


 絶望の逃走が始まった。


 * * *


 ウルリッヒは氷の足枷を引きずりながら、亀には勝てる程度の全速力で這い進んだ。


 冬の晴れ間に溶けかけた雪で、大路の石畳はビチャビチャだ。

 腹回りはしっとりと濡れて身体の底から震えが来る。厚い脂肪が無ければとっくに凍え死んでいたかも知れない。

 腕は一這い進むごとに千切れそうなくらい痛んだ。ウルリッヒの進んだ後には垂れた血の跡が残る。手の平は冷え切り、既に感覚が無かった。


「おおい、だ、誰かあ! 助けてくれ! 金は出すぞぉ!!」


 痛みを誤魔化すように叫びながらウルリッヒは進んだ。


 辺りからは戦いの音が、殺戮の音が、悲鳴が響く。

 あちこちで散発的にアンデッドが暴れているらしく、人が逃げる方向さえ一定ではない混乱状態だ。ウルリッヒを追い越していく者、擦れ違う者、誰も彼もが必死であり、ウルリッヒの声を聞いて助けようという者は無かった。


「うわあ!」

「ぴぎゃ!」


 正面から走ってきた少年が、ウルリッヒの顔に足を引っかけてつんのめった。

 鼻っ柱にキックがクリーンヒットしたようなもので、ウルリッヒは鉄臭いものを感じる。どろりと鼻血が流れた。

 当の少年は転び掛けたが踏みとどまり、振り返りもせず必死の全速力で駆け去って行った。


「き、き、き、貴様ぁ……! よくも私を蹴飛ばして……私はウルリッヒ・トーマンだぞぉ……ガキがぁ、この街に住めないようにしてやるぞ……!」


 恨みを込めてウルリッヒは呟く。しかしそれを聞く者さえ居ない。


 だが、その時だ。

 ウルリッヒは前方から必死で走ってくる馬車を見た。

 そしてその前面に掲げられた紋を見た時、商売敵が株で大損した時以来、1年3ヶ月ぶりに神への感謝を思い出した。


「ば、馬車!? 馬車だ、うちの馬車だ! おい、乗せろ! 私だ!」


 二頭立てで立派な馬に引かれたそれはトーマン商会の馬車。ウルリッヒや幹部たちが移動の際に使う社用車だった。

 御者は馬にビシバシ鞭を入れ、全速力でやってくる。


「乗せ……」


 そしてウルリッヒの隣を走り抜けた。

 御者がウルリッヒを見て、驚き、苦い顔をして、何かを諦めるように目を逸らすのが、ウルリッヒにはよく見えていた。


「あ、あ、あ、あの野郎! 首だ! あああああ!」


 ウルリッヒは首の贅肉を振るわせて吠えた。

 そう、あの御者はウルリッヒを迎えに来たのではなく、ただ単に逃げていたのだ。

 そして自分の命を優先し、ウルリッヒを見捨てた。


「特に忠誠心は無かったみたいね」

「ひあっ! あわわわわ……」


 『馬』に乗ったルネが、声の聞こえる距離にまで迫っていた。

 慌ててウルリッヒは速度を上げた。


「う、馬……ヒポグリフ……の、乗れるもの……」


 ウルリッヒは自身の邸宅に向かっていた。

 あそこまで行けば……乗騎として私有しているヒポグリフが居る!

 それに乗ることさえできればどんな化け物でも追いつけはしない!

 つまり家まで逃げれば勝ちだ! と、ウルリッヒは色々な絶望要素を無視して自分に言い聞かせた。


「ねえ、ただ逃げるだけってのも退屈よね。勇ましいBGMとか用意できたら盛り上がったんだけど」

「は、はひ……!?」

「代わりに道すがら、わたしの話でも聞いてみる? わたしが何をされたか教えてあげましょうか」


 生き残るために必死で退屈なんてしているわけないのだが、ルネは勝手に話し始めた。


 騎士たちから受けた、『拷問』の名を借りた責め苦の話を。

 鞭打たれるくらいは序の口。焼け火鉢を押し当て、熱湯をぶっかけ、口の中や爪の間に針を刺し、指をおろし金に掛け、水桶に頭を突っ込み、指を潰され……

 そして、治癒の魔法を掛けられるという無限の地獄。


「……ね? こうして考えるとあなたの手が痛いのなんて、なんでもないことみたいに思えて頑張れるでしょ?」

「わ、うわあ、うわああああ!!」


 さらりとルネが言うものだから、ウルリッヒは恐怖に追い立てられるように必死で手を掻いた。


 彼女は残酷な想像を極限まで働かせてこんなデスゲームを思いついたのではなく、本当にズタボロの手で這わされるくらい『なんでもない』と思っているのだ。

 ちょっと気が変われば、彼女は煮えた熱湯をぶっかけたり口の中に針を刺したりする『ルール』を追加してくるだろう。

 そんな事をされたら……死ぬ! 死んでしまう!!


 ただ死にたくないという一心で気力を振り絞ってウルリッヒは進んだ。

 その前方。

 戦いが繰り広げられている。


「冒険者!?」


 鎧を着て剣を持った若い男たち。

 3人ほどの冒険者が倍ほどの数のアンデッド相手に大立ち回りを繰り広げていた。

 しかも、善戦している。


 これこそ神が用意した最後の助けと見定め、ウルリッヒは声を枯らして叫んだ。


「ぼ、冒険者! 冒険者だ! おい、私を助けろ! この化け物を倒せ! 謝礼は金貨でたっぷり……」

「≪滅びの風デスクラウド≫」


 そのウルリッヒの後ろから何かが飛んでいった。


 赤黒い霧のようなものが吹き付けられ、冒険者たちを巻き込んで爆発した。


「うあっ……」

「げほっ!?」

「があああ……!!」


 巻き込まれたアンデッド達は平然としていたが、冒険者3人は胸をかきむしりながら倒れ込んだ。


「あへ?」

「んー、いい材料が手に入ったわー。第四等級ガードくらいかしら」


 何が起こったか分からないウルリッヒの背後で、ルネがご満悦だった。


 ウルリッヒは理解した。頭のどこかで分かっていたがついに呑み込んだ。

 これはゲームだ。冒険者だって一瞬で殺せるようなルネは、ウルリッヒなんていつでも殺せた。

 それを、わざと生かしてなぶって遊んでいるだけなのだと。

 ちょっと考えれば当たり前の事実が、ようやく頭にしみこんで腑に落ちた。


 そう思った瞬間、気力で動かしていた手が、ついに動かなくなった。


「げぶぅっ!」


 腕が力を無くし、ウルリッヒは突っ伏す。


「あら、もうゲームオーバー?」


 『馬』がウルリッヒを追い抜き、ルネがウルリッヒを正面から見下ろした。


 銀色の目が冷たくウルリッヒを見据える。

 その顔を見ているうち、ウルリッヒは……なんだか腹が立ってきた。

 ついに死を覚悟した者の一瞬の蛮勇、あるいは破れかぶれの逆上だった。


「お、おかしいじゃないか! この国に何十万の国民が居ると思ってる!?

 その中でどうして私だけがこんな目に遭わなければならない!?

 私は騎士でもなければ王でもない! ただの商人だぞ! お前を殺したわけではないのだぞ!」

「ええ、そうよ」


 ウルリッヒがあらん限りの声で糾弾しても、ルネは涼しい顔だった。


「わたしを殺したのは、直接的には騎士たち。そして僭主ヒルベルト。

 だけどね、彼らを焚き付けたのは民衆っていう……よくわからないふわっとしたものなのよ。

 そこに復讐しようと思ったら国民皆殺しくらいしか手は無いのだけれど、いくらわたしでもちょっと無理だわ。

 手が届く場所にいる人を殺している間に残りが逃げてしまう。だって、この世界は広いもの。

 だからわたしはちょっと雑にならざるを得ない。100人の人が居たら、全員殺すのは無理でも50人は殺せるかも知れない。そういう殺し方をするの。

 大雑把に殺して、気まぐれに殺して、生き延びた人々に恐怖を植え付けることを以て『民衆』への復讐とする」


 そしてルネは、くすりと笑う。

 何がおかしいのか、少女めいた愛らしい微笑みだった。


「あなたはわたしに殺される方の人。それも、たまたまわたしの目にとまって、わたしに直接殺される人。あなたは単純に運が悪かったの。

 ……これは、ただの『理不尽』よ」

「な……」

「あと暇つぶし。

 言ったでしょ。ゲームをしましょうって。わたしは遊びたかったの」


 あまりのでたらめに絶句しているウルリッヒの前で、ルネは何かに気付いたように一枚の紙切れを取り出す。

 通話符コーラーだ。

 呼び出しがあったようで、ルネは符の向こうに居る相手と何事か会話を交わす。


「……分かったわ、ちょっと待ってて。

 ふふっ、残念。ちょうどわたしにも仕事が出来たわ。だから遊びの時間はここまで。不出来で不細工なオモチャだったけど少しは楽しめたわ」


 そしてルネは、指を鳴らす。


「その身体じゃゾンビにしたところで鈍そうだし……栄養をたっぷり取って頑丈そうな骨だけ使ってあげる。

 そこの者。こいつの


 ルネに呼びつけられて近くに居たスケルトンが寄ってきた。

 騎士鎧を着たスケルトンが剣を構え、ウルリッヒの胸ぐらを掴んで引きずり起こす。


「おい……やめろ。やめろ。じょ、冗談だろう?」


 スケルトンは何のためらいも無く、ウルリッヒの腹部に剣を突き立てた。

 そして腹の肉を少しずつ切り取り始めた。


「あ、あ……ぎゃああああああああああああ!!

 ああああああああああああああ!! うがあああああああああ!!!」


 ウルリッヒは頭が真っ白になったような感覚で大絶叫を上げた。

 痛いという感覚を超えて痛い。こんなに寒いのに脂汗が全身から噴き出し、血がぼたぼたと石畳の上に流れた。

 スケルトンはひと思いに殺そうとしない。まず腹の脂を少しずつ削いでいく。そして次に何か細長いものをずるりと掻きだした。腸だ。


「あ、あひい! やめ……たふけ……許ひて!!

 あっ…………あぎゃあああああああああ!!」


 *


 少しずつ身体の体積を減らしていったウルリッヒは、やがてついに叫ばなくなった。

 本当なら≪屍兵作成クリエイトアンデッド≫でスケルトンを作ろうとすれば、死体から肉が剥がれ落ちて骨だけで立ち上がってくれる。だから生きたまま肉を削ぐ必要なんて無いのだけれど、これはルネのちょっとしたイタズラ心だった。


「『やめて』『助けて』『許して』。

 ……わたしも同じ事を散々言ったわ。誰も聞いてくれなかったけどね」


 ルネは吐き捨てるように、そう呟いただけだった。

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