[1-30] 非常識vs非常識

 朝日に照らされる銀色の大地の上をイリスルネは飛翔する。


 すぐ隣には魔法で一緒に浮かせたデリクが居た。

 手足は根元まで、その傷口を魔法で塞いであるという醜悪な彫像みたいな姿だ。防寒着の袖とズボンが虚しくはためいている。

 既に正気を手放しかけているような朦朧とした目つきだったが、彼が幸せな世界に行ってしまわないようイリスルネは定期的にを入れていた。


「それで、だ。次に大ボスの緊急避難先についてだが、これは『用心棒』3人には知らされてるって事でいいんだな?」


 道すがら(と飛んでいても表現していいのかは分からないが)、イリスルネはナイトパイソンの組織や総本部の様子について話を聞き続けた。

 しかし、ふと横を見るとデリクはぼーっと地面を見下ろしている。


「…………」

「返事が遅ぇ」

「ぎゃあああああああ!!」


 イリスルネはデリクの髪を掴んで顔を引っ張り上げると、その口の中に針を突っ込んだ。

 デリクの口からだらりと血が垂れる。彼は空中でのたうつ芋虫のようにもがくが、魔法によって吊り上げられた身体は無情にもイリスルネの隣を飛び続けている。


「俺の質問には即座に、正確に答えろ」

「はひぃ!」

「ふん、たかが針の2,3本でびーびーわめきやがって。俺は1日に100本やられたぞ」


 吐き捨ててイリスルネは前方に目をやる。


 丘に山に森に遮られて行く先は見えないが、この速度ならおそらく日が暮れる前にジェラルド公爵領の領都・ウェサラに辿り着くだろう。


 ――しかし思ったより速度が出ないな……つーか単純に操縦むずい。


 今、イリスルネは姿と気配を消し、さらに寒気や風圧から魔法で身を守りつつ飛翔している。

 この状況で速度を上げきれないのは単にイリスルネの操縦能力が追いつかないからだ。魔力ではなく技術の問題だった。

 速度を限界まで上げてかっ飛ばしていたところコントロールを失い、きりもみ回転して吐きそうになった(デリクは吐いた)。下手すれば墜落もあり得たところだ。

 それで今は減速して飛んでいた。正確な速度は分からないが自動車くらいだろうか。


 ――それでも俺は今、この世界の常識からすりゃあり得ない速度で移動してるはずだ。道も地形も無視して移動し続けてるわけだし。

   もし大ボスが何かを察するとしても対応は間に合わない……と思おう。


 ふたつの未確認飛行物体は放たれた矢のように一直線に飛び続けていた。


 * * *


 旧道を抜けた“竜の喉笛”の3人は、明け方にティースの街に辿り着いた。


 アラウェン侯爵領の領都であるティースは、エルタレフより一回り大きいくらいの都市だ。

 24時間開いている冒険者ギルド支部に駆け込んだ3人は、その場で地図を借りて机の上に広げていた。


「やっぱりこの方角……ジェラルド公爵領の領都・ウェサラに向かって一直線に進んでるよ。この速度なら夕方には着くだろう」


 胸元の紋で探知した結果を地図に重ね、ディアナは断言する。

 位置を探知する魔法は距離と方角が頭に浮かぶものが多い。少なくともディアナの紋はそういうタイプだった。土地勘が無い場所に相手が居る場合、地図と合わせないと正確な場所や行き先が分からないのだ。


 ディアナの言葉を聞いてベネディクトもヒューも首をかしげる。


「……何故ウェサラに?」

「知らないけど、ナイトパイソンと関係があるのは確実じゃないかい? あいつらの本拠地はここだって話だよ」

「イリスの反応も一緒なんだな」

「……ああ。紋で探知してる奴とイリスの反応はずっと同じ場所だった。今も変わってないと見るべきだろう」


 ディアナは言葉を選んで言った。『イリスの反応』と『ナイトパイソンを殺した奴の反応』が同一の存在という可能性もあるのだ。考えたくない可能性だが。


 あの爆発の後、イリスの反応はしばらくひとところに止まっていた。しかし、距離を詰めたと思った矢先、ものすごい速度で移動を開始してしまい取り逃がした。ウェンディゴすら上回る速度で、道に沿わず一直線に移動し始めたのだ。

 ディアナは『魔法で空を飛び始めたのではないか』と推測し、他ふたりも同意した。


 だが、『ナイトパイソンを殺した奴』が何故ウェサラへ移動しているのか。イリスと別人なのだとしたら何故イリスを伴っているのか。それが分からない。

 確かなのは理解しがたい不穏な事態が起こっていることと、それにイリスが巻き込まれたと言うことだ。


「どうすんだよ、こんなの追いかけようがないぞ。ウェンディゴより速くて、しかも道を無視して一直線に飛んで行きやがる」


 何かに八つ当たりするように、ヒューが大げさに嘆く。

 だがその間もディアナは地図をじっと睨み続け、やがてぽつりと言った。


「……この街からならばヒポグリフ便が出てる」

「おい、まさか」

「訓練済みのウェンディゴを3頭も売れば片道チャーターはできるだろう。幸い今日は天気も良い」


 思わず窓の外を見たヒューの視界を黒い影が横切った。

 蒼天に翼を広げて舞う巨影……鷲の翼と頭、馬の胴体を持つ魔物。ヒポグリフ。


 ヒポグリフは地域を問わず使われている高級騎獣だ。空を飛ぶ魔物の中でも飼い慣らしやすさと、その割に力が強いことでは群を抜いている。

 用途は多岐に渡る。軍用は当然のこと、野心的で活動的な富豪は個人用の乗り物としてヒポグリフを所有するのがステータスになっている。また、報酬はべらぼうだが物品の輸送に用いられる事もあった。


 広く平坦な牧草地を持つアラウェン侯爵領は、シエル=テイラ国内に軍馬と騎獣を供給する基地となっている。ヒポグリフが食べるのは牧草でなく肉、特に馬肉だが、ここなら餌に困らない。

 そしてティースにある運輸ギルドは当然のように空輸の手段を備えていた。

 もっとも、普通運ぶのは物に限った話で、人を運ぶのは専門外のはずだが。


「無茶苦茶だ。吊り籠で俺らを運んでくれってのか!?」

「200kgちょいの荷物を運べるって言うじゃないか。休み休みならあたしら3人を運べるんじゃないかい?」

「運べるかどうかって問題じゃなくてな……」

「この速度ならたぶん追いつけるよ。そんで今追いかけなかったら、あたしの戦闘聖紋スティグマでも追いかけきれない場所に行っちまうかも知れない。ウェサラが最終目的地とは限らないんだから」

「だあああ、もう! しょうがねえな!」


 もうどうしようもないという調子でヒューが机をぶったたき、朝も早くから依頼クエストを探しに来ていた冒険者が何事かと3人の方を見ていた。


「……いいのか、ベネディクト」

「ああ。俺もその手に賭けてみようと思う」


 念を押すようなヒューの問いにベネディクトも首肯する。

 そしてすぐに立ち上がった。


「俺は運輸ギルドに交渉に行く。ヒュー、ウェンディゴの売却を手配してくれ」

「急な話だからな、なるべく高くなるよう頑張るけど買いたたかれても文句言うなよ!

 てかまず運輸ギルドに当たるのがいいんじゃないか? ウェンディゴも使うだろ、あそこなら」

「だな、じゃあまずは一緒に行くか。

 ディアナはその間に支度をしといてくれ。普通の手段であんなものに耐えられるとは思わん。ポーションでもマジックアイテムでも探して、無茶な旅ができるようにしてくれ」

「あいよ」

「体力回復の手段も考えといてくれよ。完徹なんだからな」


 為すべき事をリストアップし、分担して解決するべく動き出す3人。

 冒険者とは、そもそも道なき道を行く仕事だ。

 どんな無茶に思えようと、やると決めたら後は行動あるのみ。それが腕の良い冒険者というものだ。


「それと通信局に行って伯爵様に現状報告を頼みたい。そっから話通してもらってジェラルド公爵領にも連絡を入れて、協力を求めるんだ」

「協力するかね?」


 しかし、ベネディクトのこの提案にはディアナが疑義を差し挟む。


「そりゃあ、ウェサラに向かってるなら向こうで待ち受けてもらえば捕まえられるだろうよ。

 でも王弟派であるジェラルド公爵がキーリー伯爵をどう思ってるか……」


 “竜の喉笛”はオズワルドと懇意にしているパーティーだが、どこの領主相手でも話ができるほどの影響力は無い。と言うかそんな冒険者は数えるほどしか居ない。

 捜査の協力だろうが『気をつけろ』という忠告だろうがオズワルドの口を通さなければまず耳に入れることすらできないだろう。

 だがそうなると、雲の上の争いが問題になってくる。

 キーリー伯爵とジェラルド公爵の関係がどの程度険悪なのか(良いハズはない)推測するしかできないが、こんなよく分からない話を持ちかけられて動いてくれるとも思いがたい。


「かも知れないが、それでも言うだけ言ってみるのがいいだろうよ。形の上では忠告になるんだし」

「そう、だね……でもやっぱりあたしらが追いかけなきゃダメだ。イリスのために動けるのは、まずあたしらなんだから」

「そりゃあまあ、そうだよな」


 ディアナは、いろんな事を心配しすぎてちょっと頭がこんがらがってきたような顔だった。


 * * *


 領主執務室のオズワルドの所へ、従僕が通信局からの連絡を持ってくると、それを追うようにキャサリンもやってきた。


「お父様……」

「キャサリン」

「イリスは? どうなったんですの?」


 憔悴しきった様子のキャサリン。昨夜は眠れなかったようで、顔に疲労が浮かんでいた。


「……分からない。少なくとも死んではいないようだが……」


 "竜の喉笛"からの報告は雲を掴むようで、しかしただ事ではない何かが起こっているのは確実だった。


 オズワルドの言葉を聞き、キャサリンはオズワルドにすがりつく。

 子どもながら『小さな淑女』として完璧なふるまいを身につけているキャサリンが、感情を抑えられない様子で声を上げた。


「お願い、お父様! イリスを助けて!

 ……私、イリスがお友だちになってくれるか、まだお返事を聞いていないの!」


 灰と紅の目が涙に濡れてオズワルドを見上げていた。


 オズワルドは少し驚いていた。

 キャサリンがイリスをあまり好きで無いらしいというのはオズワルドもなんとなく分かっていたのだが、それが急に『お話しする時間を取りたい』と言い出したかと思ったら、今はもうこれだ。

 『友達になってくれるかの返事』というのはよく分からなかったが、それだけ大切な相手が娘にできたのならば良いことだと思ったし……

 手に入れたばかりの大切な人を失う、なんて悲劇は起こってほしくない。


「私もできることはするよ。だが、どうなるか」

「ああ……!」


 堅く手を握り合わせ、キャサリンは祈った。

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