[1-31] ユウジョウ!

 ジェラルド公爵ことアラスター・ダリル・ジェラルドの印象を一言で述べるなら『完全無欠の老紳士』だろう。彼の態度を品の良さと取るか慇懃無礼と取るかは場合によるとして。

 灰色の髪に白髪が混ざった頭はシルバーグレーに見えて、その髪とヒゲをいつもワックスで完璧な形に固めていた。既に老体ではあるがかくしゃくとしていて、細い体を仕立ての良いスーツに包み、磨き上げたミスリルのステッキを持ってどこへでも身軽く出かけていくのだ。

 シエル=テイラ国内で大領主と言えば真っ先に名前の挙がる人物だ。領内にはグラセルムの鉱山を抱えるため財政的にも豊かで繁栄している。彼の居城の豪勢さと堅牢さは王城に次ぐだろう。


 そんな彼の所へ通信のメモが届けられたのは、居城の食堂で朝食を取っている時だった。

 遠くの相手と魔法による通話をするには、そのための儀式場を整えて相手と時間を示し合わせなければならない。そんな事をちょくちょくやってはいられないので、通信局などを介してメッセージを届ける方式が一般的なのだ。地球の日本の何かに例えるなら電報に似ている。

 恭しく盆の上にメモを載せた従僕が頭を下げ、アラスターはソーセージを切り分ける手を止めてメモを取り上げた。


 しかし差出人を記した『キーリー伯爵』という一文を見た瞬間、アラスターはうんざりした気分になった。

 政治的影響力も軍事力も大したことが無いくせに何を突っ張っているのか、前王に義理立てしてクーデターに与しなかった愚かな男。今は大人しくしているが、ヒルベルト2世の治世を不安定化させる要員になるやも知れない内憂だ。そんな相手から直接連絡が来て嫌にならないわけがない。

 まして(伯爵本人はまだ知らないことだが)じきに領地を取り上げられて爵位も剥奪される男だ。相手にするのもバカらしい。


 従僕の手前、あからさまに眉をひそめるような品の無い真似はしなかったが、許されるなら中身も読まずに破り捨てたいくらいだった。

 それをしなかったのは何かの間違いで超重要な連絡が彼から来ないとも限らないから、本当に、念のため、読んでおかなければならないと思ったためだ。


 折りたたまれたメモを広げて一読したアラスターは、その奇妙な内容に眉をひそめる。


「……君、これが何を言っているか分かるか?」


 メモを運んできた従僕はアラスターに促されてそれを読み、また彼も公爵と同じような顔になった。


「『犯罪組織ナイトパイソンの構成員を虐殺し、囚われていた冒険者の少女を攫った何者かが……魔法で空を飛んでウェサラを目指している』? な、なんでしょうかこれは。分かりかねます」

「私は伯爵の頭がおかしくなった方に賭けたいがね。……一応、変なのが飛んで来たら撃ち落とすよう衛兵隊に伝えておけ」

「かしこまりました」


 従僕が礼をして下がっていく。

 メモには『飛んできた奴を捕縛して引き渡して欲しい』とか『少女を連れていたら保護するように』とも書いてあったが、あまりにもどうでもいいので見なかったことにした。


 なお、一部で囁かれているナイトパイソンとアラスターの不適切な関係は事実だ。

 だがこの時、アラスターはメモの内容についてわざわざナイトパイソンに問い合わせたり教えてやろうという気にはならなかった。

 ナイトパイソンのことならナイトパイソンが最もよく知っているはずだ。彼らは闇の世界を牛耳る組織らしく、誰よりも早耳でもある。

 もしアラスターに関わる何かが起こっているなら向こうから言ってくるだろうし、でなければわざわざ話をする必要も無い。


 今夜はナイトパイソンの首領と密かに会食する予定がある。強いて言うならその時に話の種にしてもいいかなと考えた程度だった。


 * * *


 日も暮れてから、夜闇に紛れるようにしてアラスターの居城を訪れる者があった。


 数人の護衛を連れた身なりの良い老人だ。

 落ちくぼんだ目が炯々と光り、痩せて節くれ立った指が不吉な印象を与える。

 これでローブを着ていたら童話に出てくる悪い魔法使いそのものだというような雰囲気。そのせいか一見コミカルな印象も受けるが、中身は外見の数百倍ほど怪物じみた老爺である。


 彼こそがこのシエル=テイラの夜の世界を牛耳る者。

 ナイトパイソンの首領。

 いくつもの名前を持つが、少なくともアラスターと会う時はグレアム・バルタークと名乗っている男だ。


「やあアラスター。息災なようで何より」

「君もだ、グレアム。今年の冬は寒いな。老体には厳しいよ」

「抜かせ。これっぽっちも参っているようには見えんぞ」


 アラスターはグレアムを自ら出迎え、気安く声を交わす。

 お互いに油断無く利用し合う間柄ではあるが、それだけに奇妙な信頼関係があった。


 グレアムは度々この城を訪れている。

 密会場所にわざわざ城を使うのは、単に機密保持という観点から最も優れているのが公爵自身の居城だからだ。

 使用人の中にはグレアムが何者なのか薄々気がついている者も居たが、公爵への忠誠ゆえに目をつぶっていたり、公爵やグレアムを恐れるために口をつぐんでいた。


 食事の支度をする間、グレアムは応接室に通される。

 天井も壁も床のカーペットもびっしりと繊細な装飾で埋め尽くされたこの部屋は、初めて入った者は目眩を覚えるであろうほどに豪華だ。置かれているのはあくまでも机や椅子、魔力灯の照明器具など実用的な『家具』ばかりだったが、どれも実質的に調度品と言って差し支えないような逸品揃いだ。

 ここは探査阻害が働いている部屋で、魔法的な盗聴や覗き見を防止する。

 グレアムが城に来た時はまずここでビジネスの話をするのが習慣だった。


 部下と護衛を連れ込んでグレアムに対し、アラスターも信頼できる配下を率いて対峙する。


「あれを」

「はっ」


 前振りも何も無く、グレアムは部下を促す。

 するとグレアムの部下は荷物からひとつの革袋を取り出した。

 丈夫そうなだけで何の変哲も無い革袋だが、それははち切れんばかりに膨らんでいる。テーブルの上に置かれると金属質な鳴き声を上げた。


「検めろ」

「はい」


 アラスターも同席している官吏(正確には騎士の身分を得て領地経営の補佐をする者だ)に命じ、その中身を確かめさせる。

 横たえられた革袋はざらざらと無数の金貨を吐き出した。庶民にとっては目もくらむような大金だが、それを官吏は無造作に10枚ずつ積み上げて、質に問題がないか確かめつつ数え上げる。


「相違ありません」

「うむ、よろしい」


 つまりは賄賂であった。

 この金はアラスターの個人的なお小遣いとして消え、代わりにアラスターはナイトパイソンに便宜を図ることになる。


 だがアラスターは、10枚ずつ積んだ金貨の山のうちふたつを、机の上を滑らせるようにしてグレアムの方へ差し戻した。


「厄介事か?」


 既にグレアムは委細心得た様子でニタリと笑う。


「西の鉱山でな。鉱員どもが給料を上げろだの休みをよこせだの騒ぎ出した。国が不安定な今の時期、余計な問題にかかずらっている暇は無い。

 余計なことを言って鉱員どもを焚き付けてる鉱員頭が……うむ、『事故』にでも遭ってくれると私は助かるのだがねえ」

「『事故』ね……」

「「はっはっはっはっは」」


 ふたりは朗らかに笑う。

 グレアムにはいつもの仕事だし、アラスターにも人を殺しているという感覚など無い。アラスターにとって『人』とは力や地位を持つ者のみを指す。領主の庇護の元でしか生きられない下々の民は家畜であり、反抗的で役に立たない家畜は屠り殺すのが当然だ。

 だが何故かそれを堂々とやると面倒なことになってしまうので、汚れ仕事をナイトパイソンに押しつけているのだった。


「国内は未だ騒がしいが、そちらの景気は?」

「まあ……こういう時でないとできない仕事もあるからね。それはそれで儲かっているよ」


 商談を終え、ふたりは仕事上の情報交換に入る。

 裏社会の支配者と大領主。お互いの視点でしか見えないものがある。こうして度々顔を合わせ、なにくれとなく話をするのは、お互いにとって意外なほど大きな利益をもたらしていた。


「領地改易の詳細はもう詰まったかね?」

「ああ、その話か」


 グレアムが今最も関心を寄せているのは新王ヒルベルトが密かに準備している領地改易だ。 

 クーデターに非協力的だった領主から領地を取り上げ再分配する。まだ内々に検討している段階のこの情報をグレアムが知り得たのは、ヒルベルトと関係が深いアラスターから直接聞いたからだ。


 表の世界が動く時、裏の世界も動かざるを得ない。

 新たな社会の形にいち早く適応することで、ナイトパイソンは裏社会の支配をより盤石にできる。

 さらに、改易によって経済的な価値が高まる場所と、逆に下がる場所がある。それを事前に知っているだけで大きな利益を生み出せるのだ。


「本決まりではないが九割方詰まっているそうだ。その案でよければ手元にあるから提供しよう」

「素晴らしい。友情に感謝だ」


 アラスターは小さく折りたたんだメモを懐から取り出し、それを机の上に滑らせてグレアムに渡す。それをグレアムは指先でつまみ上げて邪悪に笑った。


「あの小うるさいキーリー伯爵もこれでお終いか」

「こんな時にナイトパイソンに喧嘩を売った、あの暇人か。改易の内容がまだ確定しないと言っても、あいつが何もかも失うのだけは確実だ。

 ……そう言えば今朝、そのキーリー伯爵から妙な連絡が……」


 アラスターがあの通信の話をしようと切り出しかけたその時だった。


「邪魔するぜ!」


 轟音と共に、応接室の壁が内向きに吹き飛んだ。

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