[1-26] かくて束の間の光は陰り

「ヒュー、明日以降の警備の件なんだが……」

「はあっ!?」


 パーティー居室の扉を開けるなりベネディクトの耳をぶち抜いたディアナの大声は、しかしベネディクトに向けたものではなかった。

 部屋の中ではディアナがヒューの胸ぐらを掴み上げているところだった。


「ど、どうしたディアナ。喧嘩か?」

「ベネディクト、聞いてないのかい!? イリスがどっか消えたらしいんだよ!」

「……何だと?」


 血相を変えたディアナが叫ぶ。それを聞いてベネディクトは血の気が引いた。


「姿を見ないと思ったんで城中回ってきたんだ。行きそうな場所にはどこにも居ねえ。まさかトイレん中で倒れてやしないかとメイドにも見てもらったが……

 城壁の上歩いてんのが最後だ。門番も姿を見てないのにどっかへ消えちまった」


 胸ぐらを掴まれたままのヒューが言って、ベネディクトは思考に引っかかりを覚える。


「城壁の上……?

 ギルドからイリスに封書が届いたんで、城壁の上を歩いてるイリスに渡したな」

「なんだそりゃ」

「じゃあギルドに呼び出され……いや、だとしてもあたしらに何も言わず出てくのはおかしいか」

「ああ、それに門番が姿を見てないってのもおかしいだろ。≪飛翔フライ≫でも使って出て行ったなら分かるが、何のためにそんな事をしたか分からん」


 イリスは、ふらりと勝手に居なくなるような子ではない。ちょっと近所へ出かけるにも、ひとりで出て行くならパーティーメンバーに行き先を告げていく。

 それが突然消えるというのは何か常ならぬ事態という雰囲気だった。


 それでも普段ならそこまで心配はしなかっただろう。

 伯爵の暗殺未遂と、ナイトパイソン討伐部隊の家族への襲撃が無ければ。


 この状況で姿を消したイリス。不穏な想像が浮かぶのは当然だった。


「ベネディクト、あんたの鼻で探せないかい!?」

「無茶言うな、靴の裏にニオイでも付いてなきゃ外で探すのはキツいぞ。それだって自分の足で歩いてれば行けるかもって話だ」

「ああ、もう! イリスの荷物、どこだ!?」

「ここに……」

「貸しな!」


 大きめの背負い鞄をひっくり返すディアナ。ベッドの上に雪崩が発生した。

 魔法を使うためのアイテムや、ちょっとした可愛らしい雑貨をかき分けて、ディアナが引っ張り出したのはイリスの着替えだ。


「近くに居ておくれよ、間に合っておくれよ……≪託宣:尋ね人シークパーソン≫!」


 ディアナが魔法を使う。

 物品などを手がかりに人を探す魔法。その神聖魔法版だ。


 目を閉じたディアナは、シャツの縫い目をなぞるようにして精神を集中させる。

 息が詰まるような張り詰めた沈黙。

 やがてディアナは目を見開く。


「居た!」

「どこだ!?」

「まずいよ、街の中じゃない! 変だ!」

「落ち着け、もしそれがエルタレフから他所への移動だとしたらどこに向かってる!?」


 ディアナは寸の間考えてから、自分自身の考えを確かめるように頷く。


「……ヴォネかな」

「まさか……」


 商都ヴォネ。

 周辺の領を結ぶ交易路のハブであり、特筆すべき資源も産業も無いキーリー伯爵領において最も賑わっていると言ってもいい街だ。冒険者ギルドの支部もあって、“竜の喉笛”もちょくちょく出向いている。

 だが、イリスがそこへ向かっているという情報は、不穏な想像の裏付けとして充分すぎた。


「伯爵様が攻め込もうとしているナイトパイソンの領内統括拠点。それがヴォネにあるんだ」


 * * *


 それは微睡むような眠りの中でルネが見た光景。


 無明の闇の中、ルネはルネの姿で存在していた。

 イリスの身体より一回り小さくて銀色の髪。

 一糸まとわぬ姿のルネの身体は、闇の中でぼんやりと光を放っていた。


 ふと顔を上げれば、そこにイリスの姿があった。

 ウェーブの掛かった金髪に藤色の目。ルネと同じように一糸まとわぬ姿。身体を丸めるように座り込んでいる。


 射貫くような視線がルネに向けられていた。

 肉体という檻の中、魂と魂でふたりは向き合っていた。


『薔薇の姫君。ルネ・“薔薇の如きローズィ”・ルヴィア・シエル=テイラ。……可哀想な子。あなたはどんなに戦っても、きっと救われない』


 イリスが口を開いた。疲れ切ったようで、冷たい口調だ。


 イレギュラーな空間での対話だ。感情は読めない。

 それでも分かるのは、哀れみ・同情・敵意。


『救いなど要らない。ただ復讐を為すだけ……』


 ルネは、絡みつくものを振り払うかのように毅然と言い捨てた。


『うん。きっと復讐ってそういうものなのね』


 半ば嘲笑うように、半ば納得するようにイリスはそう言って、嘆息した。


『私は……死ぬのね』


 覚悟を決めたような、それとも既に全てを諦めているかのようなイリスの口調。

 ルネは沈黙で肯定した。


『私を殺したあなたが苦しみ続けるのは……ちょっとだけざまーみろって感じ。でも、やっぱり可哀想。きっと、あなたにはもう復讐しか残っていないのに、その復讐があなたを苦しめる』

『苦しんだりするものか……

 奴らの首を切り、胸を貫き、腹を割く。焼いて殺す、引き裂いて殺す、干上がらせて殺す。

 恐怖の中で殺す。屈辱の中で殺す。絶望の中で殺す。

 ひとり残らず殺してやる。救いがあるかどうかなんて知らないけれど……それはきっと楽しい。想像するだけで待ち遠しくて仕方ないんだ』


 胸の中に燃え続ける、どす黒い怨みの炎。痛みを、悲しみを、全てを叩き返してやるという決意と衝動。

 こんな、飢えるような想いを抱えてじっとしているなんて、それこそ生き地獄だ。

 この苦痛から解放されるためには、ただただ復讐を為すしかないし、それは楽しいに違いない。アンデッドとして生まれ変わった直後、王都で殺戮を行った時間は短かったが、実際あれは最高だった。

 それを今度は国中に。やがては世界へと広げていく。ルネを殺した全てを殺し返す……ただそれだけのこと。


 しかし、イリスは哀れみ嘲笑う。


『そうかな?』


 全てを悟ったように彼女は笑っていた。


『きっと、すぐに分かるよ……』


 * * *


「はっ……」


 イリスルネはどこだか分からない場所で目を覚ました。


 身体が窮屈で締め付けられている。縄で全身縛られ、猿ぐつわをかまされ、さらに指まで印を組めないよう縛られている。その上でずだ袋に詰め込まれて、何かの荷物の狭間に寝かされているらしかった。

 ガタゴトと突き上げるように床が揺れている。おそらく馬車の上だ。


 そこまで理解するのにゼロコンマ。

 イリスルネは真っ先に、身をよじって自分の下半身に目を向けた。


 ――セェェェェェェェェェェフッ!!


 威勢の良い野球審判ばりに、イリスルネは心の中で絶叫した。

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