[1-22] ノー・モア・ケネディ

 その日、影武者業はお休みだった。


 漆塗りのような質感の馬車がゆっくりと街をゆく。必要以上に飾り立てられてはいないが、それでも高級感を醸し出している外見だ。

 道行く人々はその偉容と、腹部に刻まれた家紋を見ると道脇で脱帽し頭を垂れる。領主であるキーリー伯爵の乗る馬車だからだ。

 周囲は3人の近衛と“竜の喉笛”メンバーが囲み護衛をしている。


 伯爵は対ナイトパイソンの戦いの間、報復攻撃を警戒してなるべく城館に閉じこもって執務に励んでいる。しかし領主たるもの引きこもってばかりもいられない。

 領地経営を円滑に行うためには、城を出て行って会わねばならない人、出なければならない会合があったりするようだ。

 そして、イリスルネはその護衛として同行することになった。単純に魔術師ウィザードの存在は重要であるし、“竜の喉笛”が最大の力を発揮するにはメンバー全員が揃ってこそだからだ。


 ――おそらく、伯爵の用意できた中で最強の戦力が“竜の喉笛”だ。だから俺も呼ばれた。

   伯爵は娘を溺愛してるようでいて、ちゃんと命の優先順位を付けてる。あくまで自分優先だ。

   俺が普段お嬢様の影武者やらされてるのも、城内に居ればいざって時に伯爵を守りに行けるからか。実質ふたりを守らされてるんだ。


 もしキャサリンが死んでも家と領にそこまでの打撃は無いが、伯爵本人が殺されれば全ての根幹が揺らぐ。だから伯爵が自分の命を優先するのは当然だった。

 これは良いとか悪いとかではなく、領主として考えるべきことだ。


 毎日毎日、美しいけれど鎧のように動きにくい服を着て、ボロが出ないよう指一本まで所作を気にして生活する日々。気の休まる暇も無い。

 その反動か、冒険者としての装備である野暮ったいローブは羽根のように軽く感じた。まるで裸で歩いているみたいな気がして落ち着かなかったけれど。


「なんか久しぶりって気がするな。4人揃うの」


 ヒューが囁き、ベネディクトが頷く。


「仕事はどうだ?」


 ――わあ。たまに娘と会話しようとしてとっかかりが掴めず『学校はどうだ』とかものすげー曖昧で答えにくいこと言っちゃう父ちゃん的ムーブ。


 ベネディクトはギネス急に当たり障りの無い質問を振ってくる。

 イリスの記憶を探れば、彼はだいたいいつもこんな調子だ。口下手なのである。話術や交渉はヒューの担当だ。

 こういう素朴でクソ真面目な所がベネディクトの魅力なのかも知れない。イリスルネもうるさがらずにちゃんと答える。


「大丈夫。最初は戸惑ったりしたけど、実はわたしがする事って案外少ないの。

 お勉強の先生はみんなわたしが偽物だって知ってるし、他の人の前では、喋ったらどうせ声でバレちゃうから黙って背筋を伸ばして歩いてるだけでいいんだもの」

「お嬢様も声を出さないようにしてるらしいね。ふふっ、どっちがどっちか分からないって言ってるメイドが居たよ」


 ディアナは褒めながらも自分の方が嬉しそうだ。

 イリスルネは思わずはにかむ。


「なんか変わったよな、お前。変な気品があるっつーか……歩き方が違うせいか?

 いかにも元気印のガキって感じだったのに、妙に大人っぽく見えるってか」

「ああ、足音が変わったな」

「そこかよ」


 男どもは久々にお嬢様の格好じゃないイリスルネを見て感心した様子だ。


 言われてイリスルネは初めて気がつく。

 気楽に歩いているつもりだったが、気がつけば背筋を伸ばして糸で引かれるように歩くのが癖になっていたようだ。


 ――こんな事で闇の仕事してる連中を誤魔化せるのか? って思ってたけど……なかなかどうして俺、付け焼き刃にしては板に付いたお嬢様っぷりだったんだな。


 それを喜んでいいのかと、頭の中で『長次郎』が嘆いているが。


「そういうもんさ。女ってのは何かのきっかけで化けるもんだよ。

 イリスはこの仕事、学ぶことも多いんじゃないかい?」


 ディアナがそう言うが、『この仕事』に好意的なニュアンスなのがちょっと不思議だった。


「う、うん……お勉強も教えてくれるし、お作法とか……

 えっと、でも、その、ディアナってわたしがこの仕事するの嫌がってなかったっけ?」

「そりゃ、あたしゃ今でも反対だよ。こんな無茶な仕事。でもそれはそれとして、この経験がイリスにとって今後のためになるならありがたいじゃないか。

 どうせ貧乏クジなんだから、ちょっとでも元を取りな」

「おいおい、貧乏クジって言い方は無いだろ」

「貧乏クジだよ。危険がイリスに偏ってるじゃないか」


 よりによって依頼主の馬車を守りながらディアナは堂々と言い放ち鼻を鳴らす。

 この点で譲る気は無いようだ。


「俺らも大概だと思うけどさ、やっぱディアナはイリスに甘いよな」

「そうとも、大甘さ」


 ヒューが苦笑交じりに言った。

 ディアナはそれを受けて、暴力的に張り出した胸をドンと叩く。


「もしこのまま順調に仕事続けてたら、何をどうしようがあたしの方がイリスより先に冒険者引退すんだし、あたしの方が先に死ぬよ。

 だからせめて一緒に冒険者してられるうちはあたしが守りたいし、残せるだけのもんを残してやりたいじゃないか。経験とか知識とか、そういうのをさ」

「参ったな、そりゃ確かだ」


 堂々と甘やかし宣言をしたディアナに、ヒューも皮肉ではなしに笑う。

 “竜の喉笛”は全員同じ第四等級ガードの冒険者ではあるのだが、キャリアでも年齢でも一番下のイリスはみんなの妹ないし娘のような扱いだった。

 それを『イリス』は、うっとうしくもありがたく思っていて、皆を慕っていた……


 ちくりと、イリスルネは胸が痛むような気がした。


「どしたんだい?」


 気遣わしげにディアナがイリスルネの顔を覗き込んでくる。

 顔に出したつもりは無かったのだが、浮かない表情をしていたらしい。


「もしわたしが……『“竜の喉笛”の仲間のイリス』じゃなくて、どこか知らない別の誰かだったとしても、ディアナは同じように言ってくれるのかな……って」


 何が言いたいのか自分でも分からなかったが、言葉にしてみると、その問いはひどく虫のいいものだった。


 戸惑った様子だったディアナは、やがて、歩きながらいきなりイリスルネの頭を思いっきり抱き込む。


「こいつめ! かーわいいこと言ってくれんじゃないか!」

「ひゃわあ!」


 そのままディアナはイリスルネを揉みくちゃにした。全身がくすぐったかった。


「どこの誰だろうが、あんたがあんたである以上、あたしと会ったら仲良しになってたさ。きっとね」

「じゃあ、わたし以外の誰かが『“竜の喉笛”の仲間のイリス』で、わたしがイリスじゃない別の誰かだとしたら?」


 抱きしめられながらイリスルネが吐いた言葉は、まるで駄々をこねる子どものようだった。


 ――何を聞いてるんだ、俺は……


 不安に突き動かされるようにイリスルネは問うていた。心臓が不快に弾んでいる。

 ……何が不安だというのだろう。


 ディアナは、それにはちょっと考えてから答える。


「そこまで現実離れした話だと、ちょっと想像付かないけどね……

 仮にその、イリスじゃないあんたがあたしに大事にして欲しいなら、きっとあたしはそうするだろうね」


 さらりと、当たり前のようにディアナは言う。

 それを聞いてふいに涙が溢れそうになり、イリスルネは深く呼吸して心を落ち着けた。


 ――もし別の形で出会っていれば……?


 イリスに対するのと同じように、ルネを慈しんでくれたのだろうか。

 ……それはIFでしかない。ルネはどうしようもなくディアナの敵だ。


「その辺にしとけよ。あんまりお喋りしてると敵に隙を突かれるかも知れんぞ」

「っと、そうだね」

「うん……」


 ベネディクトに言われてふたりはブレイク。

 もう少しディアナに抱きしめられていたかった気もしたけれど、ベネディクトに止められて助かったという気もした。あのままだったらイリスルネの中にある何かが壊れてしまいそうだった。


 別にこの会話をする間も警戒を怠っていたわけではない。

 イリスルネは感情察知の力で周囲を探り続けていた。


 他の3人も近衛たちも気付いていないであろう存在……無機質で冷たい敵意を抱えた何者かが近くに居ることも知覚していた。


 ――居るんだが……こっち来ないんだよな。なんなんだ、これ?


 あんまり離れた場所に居るのに気がついても不自然に思われそうなので黙っていたのだ。

 まるで、ただ単に観察するのが仕事とでも言うように、前方道脇の建物の上に潜んで様子をうかがっていると思しき何者か。


 ――……建物の上?


 これが地球であれば、テロ対策として真っ先に警戒されて然るべきであるポジションだ。


 その時だ。

 まだかなり距離が離れているはずなのに、屋根上に潜む何者かの敵意がガスを注入された風船みたいに膨れあがる。


「≪風鳴盾ウィンドシールド≫!!」


 状況を確かめる前にイリスルネは魔法を使う。


 直後。

 唸るように風を裂いて斜め前上方から何かが飛来する。


「なっ!」


 ようやく周りの者たちが反応する。

 だが、その時には飛翔物体は馬車へと迫っており……イリスルネが放った風の魔法に巻き取られ、馬車に当たって弾かれて、回転しながら近くの建物にぶち当たった。

 それは外見上はただの矢だった。しかし、あり得ない速度と威力だった。狙いは窓越し、馬車の中に居る伯爵。

 風の魔法で軌道を変えて堅い外装に当て、威力も多少殺いだたために矢は弾かれた。しかし馬車には深く抉られた傷跡が付いていた。これを見るに、窓を破って乗員の身体を貫くには充分だったはず。しかもその矢尻は不気味にぬめるような輝きを放っている。毒だ。


 ――どひいいいいい! 俺が居る時で助かった!! ほっといたら死んでるやつじゃん!!


 伯爵の生き死に自体はどうでも良いが今死なれるのは困る。


「狙撃!?」

「どこからだ!」


 周囲の者らが建物の上を見上げた時には、既に狙撃手は逃げようとし始めていた。

 敵意は消え失せ、僅かに戸惑い、酷くプライドを傷つけられた様子で屈辱感を吹き上がらせている。

 そんな感情の反応が屋上を駆けて離れようとする。


 ――逃がすか!


「≪足絡めスネア≫! ≪足絡めスネア≫! ≪足絡めスネア≫!!」


 イリスルネはカツカツと杖を地面に叩き付け、矢継ぎ早に魔法を放った。


「捕まえたのか!?」

「分かんない! 適当に撃っただけだから!」


 大嘘である。

 狙いが付けられないので乱射したというように見えたかも知れないが、実際は感情反応を追って狙いバッチリ。最初の二発で護符を焼き切り三発目で拘束した。暗殺者は屋上の床と足を貼り合わせられて無様に転倒している。

 ベネディクトが建物の壁の凹凸を掴み、力尽くで身体を引き上げて建物の上へよじ登っていく。

 既に敵は動きようがない。振り向かなければベネディクトを撃つこともできない状況なのだから、後は任せても問題ないだろう。


 ――しかし、本当にどいつもこいつも護符持ってんな。いくら一般的なアイテムったって、あれも安いもんじゃないのに。さすが犯罪組織、金持ってやがる。


 “竜の喉笛”も一応持っているが、どんなザコの魔法を食らったところで耐久度が削れてしまうので普段は非稼働状態にしている。常用するには高価すぎるので、必要そうな時にだけ装備しているのだ。


 馬車はその場で転回し、徒歩の護衛が付いてこれる範囲で速度を上げた。

 皆が周囲を警戒している様子だったが、イリスルネが辺りの感情をトレースしても、それ以上の襲撃者の反応は見つからなかった。

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