[1-14] 血薔薇の肖像

 カウンターで手続きをするディアナを待つ間、イリスルネはその辺に張り出されている依頼クエストを眺めていた。

 依頼書には報酬と内容、依頼主、そして依頼クエストの推定難易度が冒険者の等級ランクで書かれている。


 薬草摘み、下水に住み着いたジャイアントラットの退治、ゴブリンの集落の掃討、アーリーバードの羽根集め……どれもこれも下級冒険者向けだ。


 では、それより難しい依頼クエスト……例えば、滅多に無いことだがオーガの部族が近場に住み着いてしまったとか……はどうしているかと言うと、最初から、近隣にあるもっと大きな支部に回される事が多い。

 “竜の喉笛”メンバーが該当する第四等級ガードというと冒険者としては中堅どころだが、この規模の街ではそれすら貴重なのだ。推定難易度・第五等級アデプト以上の依頼クエストに対処できる態勢は無い。そして対処不可能な依頼クエストを抱えっぱなしにするのは依頼者のためにもならない。

 依頼クエストボードがしみったれているのはそういう理由だった。ただ、そもそもこの規模の支部では依頼クエストの数自体が少ないので、中位高位の冒険者に向けた依頼クエストが発生すること自体少ないのだが。


 特にイリスルネの興味を引くようなものは無かったが、貼られた依頼書を順々に眺めていると、途中からは依頼書ではないものが並んでいた。

 牙や爪を振りかざす凶悪な怪物たちのイラスト。そのと特徴が併記され、“血塗れ牙”とか“狂獣”とか、おどろおどろしい二つ名が書かれている。

 おそらくは魔法によって転写された印刷物。まるでそれらは賞金首の手配書だった。


 人族にも一般人から英雄までいろいろ居るように、魔物にも当然ながら個体差が存在する。

 そして並外れた武勇を誇る個体や、種族の平均から大きく外れた能力を持つ個体は、冒険者ギルドが二つ名を付けて注意喚起する。

 これが『ネームドモンスター』と言うシステムだ。


 ネームドモンスターは一般人のみならず、冒険者にとってすら恐怖の対象。しかし、ある意味では冒険のロマンのひとつでもあった。

 戦闘狂バトルジャンキーの冒険者でなくとも、ドラゴンとの決闘を思い浮かべれば心が躍るだろう。それと同じように、ネームドモンスターとの戦いにはヒロイックな憧憬がつきまとう。

 そして大抵のネームドモンスターには国や周辺住人から賞金が懸けられており、討伐した冒険者は富(と言えるほどの額かは場合に依るが)と名声を手にできるのだ。


 『村をひとつ潰した』とか、『第三等級エクスプローラーのパーティーを全滅させた』とか、脅威は脅威だがみみっちい強さのネームド達を眺めていると、一枚だけ、毛色の違うイラストをイリスルネは発見する。


 その手配書には、耽美な雰囲気を醸し出す美しい少女が描かれていた。

 切られた己の首を捧げ持つポーズ。目を閉じ、静かに祈りを捧げるような、ともすれば神々しくも見える姿。美しくフリフリのドレス。スカートの左前側の部分には、返り血で服が染められたような感じで薔薇が描かれている。

 とにかく凶悪に描かれている、いかにも手配書といった風情である周囲のネームドのイラストとは一線を画する雰囲気だ。

 絵画のタイトルみたいに書かれた文字は……


「“怨獄の薔薇姫”?」

「ああ、それかい。こないだ王都であった騒ぎのあれだよ、あれ」

「首切られたお姫様がデュラハンになったって話かい」


 思わず呟いたイリスルネに、支部長マスターとディアナが反応した。


 ――……ですよね! 俺だよね、これって!


 イリスルネは顔が引きつってしまいそうなのを必死でこらえていた。


「気合いの入った絵だこと」

「手配書の絵師も、いっつも化け物ばっか描かされてるからな。滅多に女の子なんて描けないから張り切っちまったんだろ。おまけにこいつは、おあつらえ向きに物語性がある。

 なんでも騎士団からは『あれを姫と呼ぶな』とギルドに抗議があったらしいけどね……知るかい。冒険者ギルドはメスのオークにだって姫って付けんだぜ。生前が王家の血筋とありゃ、姫と付けない理由が無い」

「ネームドモンスターの二つ名なんて安直なのが多いからねえ」


 ――へー。俺に似てないけど誰なんだろうなー。まさか俺の他にも、首切られてデュラハンになった姫君が居たなんて。


 とか現実逃避してみても何も変わらない。

 

 とっくに倒されたモンスターを後からネームド指定するなんて事は滅多に無い。ましてこんな風に手配書を貼り出したりはしない。

 これはつまり、ギルドが“怨獄の薔薇姫”を未だに討伐対象として見ていることを示すのだ。


「で、でもこの魔物、騎士団長に倒されたんじゃ」

「そういう話だとは聞いたけど、どうも違うらしいな。ネームド指定を国から依頼されたわけじゃないが、情報収集の協力願いが国から出てるらしいんだ。それでギルドも何かあると踏んで、ひとまず国内ネームド指定の通達が出た」


 ――じゃあ、少なくとも国はまだ俺が生きてると……いやアンデッドだから生きてはいないな。まだ倒されてないと思ってるのか!

   あっれー……あんなやられ方したら初見じゃ倒したと思うでしょ。なんで逃げたって分かったんだ?


 平静を装っていたが、イリスルネは内心かなり動揺していた。

 王都でのローレンスとの戦い。勝てないと悟ったイリスルネは肉体を捨て、本体だけで脱出した。あれで倒したと思って油断していてくれたら、しばらくは自由に動けると思っていたのだが……


 ――もしかして魔剣に血を付けてきたのがまずかった?


 思い当たる原因と言えばそれくらいだ。

 呪詛魔法≪恨みの返り血バッドブラッド≫。血液に呪いを宿し、それを浴びた敵や装備に呪いを掛ける魔法。最後っ屁のつもりで仕掛けておいたのだが、もしかしたら気配を逆探知されたとか何かがあったのかも知れない。


 ――俺がどこで動いてるか気取られないよう、気を付けて動いた方が良いな……


 ギルドに情報提供を依頼したりしているくらいだから、現在の居場所までは掴めていないようだが、おそらく王国はまだルネを倒したとは思っておらず、ルネを放っておいてくれる気も無いだろう。そうなるといっそう慎重にならねばなるまい。


 警戒すると同時に、この手配書を見てイリスルネはちょっと気をよくしていた。


 ネームドモンスター“怨獄の薔薇姫”。

 悪くない、とイリスルネは思った。世に悪名を轟かせ、魔王すら超えた恐怖の代名詞になるというのも悪くない。

 もし今、ヒルベルトが自分の存在に恐れをなして王城の奥で震えているのだとしたら……それは想像するだけでも愉快だった。


 ――ん……そういうのも復讐の形か。考えてみれば殺すのは一瞬の苦しみだもんな。悪名を高めて、散々にビビって怖がってもらってから最終的に攻め込んで殺すってのも良い。じわじわ絶望してから死んでもらうんだ。……この一件が無事終わったら自己ブランディングを中長期の方針として考えてみるか。


「しかし……年端もいかない女の子に、連中もまた酷いことしやがる」


 ディアナの苦り切った言葉に、イリスルネはまた別の意味でドキッとした。

 他ならぬ自分を哀れんでくれる者がいるというのは、既に粉々に壊れているはずの心がほんの少し温かくなるようだった。


「王弟派の連中は何も言わんけどな、そりゃあもう散々な目に遭わせてから殺したっちゅう話だぜ。処刑台に上がった時は、顔がボッコボコで男か女かも分からなかったって話もある。化けて出たくもなるだろうってもんさ」


 支部長マスターも嘆くように言った。

 それは流石に噂に尾ひれが付いているが、散々な目に遭わされたというのは事実だ。


 奪われた生活。奪われた母。何の意味も無い責め苦。元凶たる僭主ヒルベルト。王を裏切り、ルネが奪われた全てを貶めた騎士団長ローレンス……


 ――そうだ。俺はこの怨み、必ずや晴らしてくれる。


「……イリス?」


 ディアナに声を掛けられ、ほとんど睨むように手配書を見ていたイリスルネは我に返った。


「顔が怖いよ」

「あ、えと、酷いなって……」

「そうかい」


 ディアナは痛ましげにイリスルネを見ていた。


「あたしはね、政治の事はよく分かんないよ。でも、ちっちゃい子にそんな顔させる連中がマトモだとは、どうしても思えないね」


 イリスルネは無言だった。奴らがマトモじゃないのは身をもって知っている。今やイリスルネの方もマトモかどうかは分からないが。


「怒るのは体にも心にも毒だよ、イリス。ほどほどにしときな」

「別に……怒ったっていいでしょ。何があっても笑って許せばいいの?」


 ちょっと不自然に思われるかな、とも考えたが、それでもイリスルネは言い返さずにはいられなかった。あれを笑って許すだなんて到底できない。


 するとディアナは、そういう事じゃないとでも言うように首を振る。


「理不尽に対しては誰かが怒らなきゃなんないよ。でもね、怒ってると幸せになれないんだ。だからあたしは、あんたにも、他のどんな子ども達にもそんな顔してほしくない。笑っててほしい。汚れ仕事は大人に任しときゃいいのさ」

「笑って……」

「ああそうさ。特に女の子の笑顔ってのはそれだけで魔法みたいなもんだよ」

「わたし、そんな子どものつもり無いけど」

「こいつめ、そういう生意気な口はせめて下の毛生えてから利きな!」

「いてっ」


 ディアナがイリスルネの頭を軽く小突いた。


 イリスルネはディアナの感情を読み取る。

 言葉の通り、彼女の心は温かな慈愛で満ちていた。


 彼女は、もし本来の姿をしたルネを目の前にしても同じ事が言えるのだろうかと、イリスルネは疑問に思った。いずれにしても、彼女の言葉なんかで救われはしないだろう。もし人の心に『幸せになる機能』なんてものがあるとしたら、イリスルネのそれは既に壊れてしまっている。


 ――俺がすべきは、ニコニコ笑って幸せになることなんかじゃない。そう、例えば……


 イリスルネは何食わぬ顔で精神を集中し、霊体としての感覚を一気に周囲へ拡げた。

 先ほど、ディアナの感情を読んだ時に気になる反応を拾っていたのだ。


 冒険者ギルドの支部に居るイリスルネを中心として、知覚範囲が拡がっていく。

 喜怒哀楽に恐怖、戸惑いに欲望、聖職者たちの真摯な祈り……

 街で生活する人々の様々な感情が読み取れる。

 その中に『敵意』が存在した。怒りも怨みも混じらない、冷徹に研ぎ澄まされた敵意が。


 普通、人が誰かに敵意を抱くのは、怒りや怨みから発生した結果としてだ。

 その過程をすっ飛ばして敵意を抱くというのは……例えば、仕事で人を殺そうとする暗殺者なんかはこんな風になるのかも知れない。


 ――何かが、来る。


 その感情がどこへ向けられているのかは分からないし、ナイトパイソン絡みかどうかも分からない。だが、少なくともそれを確かめてみる価値はあるように思えた。


 ――あくまでも今の俺は護衛で影武者。受動的にならざるを得ないとこだ。

   もし向こうから飛び込んできてくれる機会があるなら、これを逃がすわけにはいかない。必ず捕らえる!


 そしてそれはディアナに見せたくない。これ以上心配事が増えたら、それこそ依頼クエストをキャンセルして引き上げるとか言い出すかも知れないから。


「ディアナ。やっぱりわたし、先に帰ってるね。途中で『みずどり』のドライフルーツ買っていくから、もしかしたらちょっと遅くなるかも」

「そうかい? 気を付けて戻りなよ」

「分かった」


 生憎、自分から危険に突っ込んでいくところなのだが、もちろんそれを口には出さなかった。

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