[1-13] 縁で動くは田舎の役所

 灰色の街に日が差して、大通りからは雪が溶け消えて行く。その日は久しぶりの冬晴れだった。


 ブートキャンプ開始から数日。

 イリスルネはディアナと連れだって街へ出ていた。今日はあの拷問具的なコルセットも無く、久々に気楽なローブ姿だ。


「どうだい、お勉強の方は」

「すごく大変……」


 向かう先は、街にある冒険者ギルドの支部。

 伯爵からほとんど直接|依頼クエストが来ているような状態ではあるが、それでもギルドを通すのが冒険者としての礼儀だ。ギルドを無視した依頼クエスト発注も、それを請ける冒険者も、やりすぎると指導の対象になり、場合によってはブラックリストに載る。


 気晴らし&息抜きの名目でわざわざイリスルネが付いてきたのは、ルネとしては一度自分の目で冒険者ギルドというのを見てみたいと思ったからだ。

 冒険者は魔物が居る場所の探索と、対魔物戦闘の専門家。世間からはうさんくさく思われたりもするけれど、多くの冒険譚や歌に謳われる英雄たちでもある。

 ルネにとって目下の脅威はあの騎士団長だが、今後、強い冒険者と戦わないとも限らないのだ。冒険者については可能な限り理解しておかねばなるまい。


 ……とかなんとか理由は付けたが、イリスの記憶からサルベージするだけでは飽き足らず自分で見に来たのは、半分くらいは好奇心のためだった。


「ナイフとフォークの使い方。椅子の座り方と立ち方。優雅な言葉遣いと優雅な手振り。歩く時は一本の線の上を歩くように。

 おまけに……信じられる? 途中からは全部、頭に本を載せてやらされたの!」

「あらま。本を頭に載せるなんて、お偉いさんを笑った冗談だと思ってたのに、本当にやるんだね」

「本当にやるの」


 道中の話題はイリスルネがやらされている訓練についてだ。

 生まれた時から貴族として教育を受けていたキャサリンには、冒険者+その辺の女の子(血筋だけは王家)+過労死社畜という複雑キメラのイリスルネでも太刀打ちできない。それでも多少は取り繕えるようにと、文科省でなくてもゆとり教育を叫びたくなるレベルの詰め込み教育が施されていた。


「仕事に必要なお勉強だって言うなら、この時間のお給料も欲しいくらい大変」

「あはははは! そりゃ道理だ! でもイリス、きっとこいつは将来役に立つよ」

「そういうものかな?」

「そういうもんだよ。ナイフとフォークの使い方がしっかりしてるだけで、『こいつ冒険者なぞに身をやつしているが、もしかしたらやんごとなき家柄なのでは?』なーんて、お偉いさんからの見る目が変わったりするかもだよ。

 そういうのって意外とどこかで役に立ったりするんだ」


 なるほど、とイリスルネは思う。

 無給で研修させられると考えるとブラックだが、金を払ってでも受けたい授業を無料で受けられると考えると確かにお得かも知れない。

 実際、ルネとしてもこれはありがたい機会。

 これから先、また別の高貴な女の子に憑依して成り代わることがあるだろう。そんな時に戸惑わないためにも、それらしい動きは身につけておいて損は無いはずだ。


 ――まあ、それも……まずはこの国に片を付けてからだけどね。


 そのためにもまずはナイトパイソンとかいう連中を地獄に送り届けなければならないのだ。

 お嬢様の影武者として貴族暮らしをしているだけではちょっと足りない。上手いこと事態を裏から操って、ナイトパイソンが壊滅するよう仕向けなければならない。


 ――最終的には俺自身が動けばいいとして……伯爵と“竜の喉笛”をどこまで利用するか、だな。今のとこ、どこの誰を倒せばいいかも分かってないわけで……うーん、まずは生身の肉体があることを活かして情報収集かなあ。


 どうせならクーデター後のシエル=テイラの情勢についても情報を集めたい。霊体で人の話を盗み聞くにも限界があるのだ。


 そんなことを考えているうちに、ふたりはギルドの支部に辿り着いていた。


 * * *


「ほいよ、領主様からの依頼クエストね。分かってるよ」


 顔なじみの支部長マスターはもはや委細心得た様子で、イリスルネ達ふたりを見るなりそう言った。


 その冒険者ギルド支部は、一応、街で一番繁華な場所にあった。

 だが二階建ての建物自体はこぢんまりとしていて、雰囲気の良い酒場みたいな場所だ。別にここで食事は出していないのだが、近くの店で買ってきた食べ物や酒を持ち込んで飲食している冒険者の姿がある。カウンター周りには酒や飲み物のメニューの替わりに依頼クエストの張り紙が出されていた。


 小規模な支部なので、支部長マスター自ら立って冒険者の相手をする事もある。受付嬢のシフトの穴を支部長マスターが埋めているのだ。『変な事件が何も起こらなければ支部長マスターが一番ヒマだからな』とは本人の弁。まあ実際の所、本人の趣味という面が多分にあると思われる。


 横に大きく縦に短く、岩のような筋肉を持つ髭面の男。支部長マスターはこの国では人間に次いで多い種族、ドワーフだ。男のドワーフは若者でも髭もじゃなので、人間からは歳がよく分からないものだが、支部長マスターは既に老境にあるらしい。自慢の筋肉も衰えたが(どこが衰えているのか人間には分からない)、若い頃は冒険者としてブイブイ言わせていたそうで、今でもカウンターに立って現役冒険者の顔を見るのが一番の楽しみなのだそうだ。


「まったく、お前さんらは領主様に気に入られてるようで」

「気に入られてるったって良し悪しよ。今回の仕事はちょっと危ないわよ。内容聞いてるでしょ」

「まあな。状況次第かのう……敵さんが本気で全力で来るんなら、そりゃ危ないだろうがのう」

「何か考えが?」

「ああ、うむ……」


 支部長マスターはちらりと、近くで飲み食いしている冒険者の方を見た。

 この依頼クエストについては、事が事だから不特定多数に聞かれる場所で話をしない方が良いだろう。


「上で話すぞ。……おい! ウェイン! ちとカウンター代われ!」


 降りてきた若い事務職員と入れ替わるように支部長マスターは階段を上り、ふたりもそれに続いた。


 小さな学校の校長室みたいな支部長マスター室にふたりは通される。この部屋だけは一応、密談用の設備があるのだ。防音構造に加え、お守り程度の魔法的遮音および探知阻害。大きな支部ならもっと充実した設備の部屋がいくつもあったりするそうだが、この規模の支部では一室が精一杯だ。


「お前ら、今回のクーデターについてはどの程度把握してる?」


 開口一番の支部長マスターの言葉に、イリスルネは全身の血が逆流したかと思った。

 ナイトパイソンとの戦いはあくまでレベルアップのためのお使い。まさかここで話が繋がるとは思わなかったからだ。


 黒く冷たい怨みの炎が胸の内を焦がす。殺意と殺気が吹き上がらないよう、イリスルネは必死で心を鎮めた。うっかり変な(つまり邪悪な)気配を発しようものなら、僧侶プリーステスであるディアナがルネの存在に気付きかねない。


 幸いにも、ディアナが何かに気付いた様子は無かった。


「世間で流れてる噂程度だねえ」

「そうか。んなら俺の見立てを聞いとくといい」


 自ら茶を入れて、ふたりに出しながら支部長マスターが言う。

 ちなみに彼は自分が飲む分の茶には、何かの酒をたっぷりと注ぎ込んでいた。ドワーフはお茶にすらアルコールを入れないと気が済まないらしい。それはもはやお茶でなく、酒のお茶割りという気もするが。


「まず、ナイトパイソンの本拠地があると思われているのはジェラルド公爵領だ。件の公爵はナイトパイソンと関係があるんじゃないかって言われてる。まあ証拠は無ぇがな。

 で、その公爵が王弟派の中心なんだよ。うちの領主様がどう考えてるかは知らんが、その辺をクセえと思って、動けるうちに領内からナイトパイソンを追い出しとこうと考えたのかもっつう……」

「あの。キーリー伯爵様って、このクーデターではどんな立場だったんです?」

「傍観……と言うのはちと領主様に悪いな。心情的には反クーデター派だったろうよ。

 王弟が四大国の支援を受けて、大物領主を軒並み味方に付けた時点でもう勝負は決まってた。そっから王様に義理立てして戦ったところで領地が焼け野原になるだけだろ。だから仕方なく指くわえて見てたわけだ。

 それでさえ積極的にクーデターに協力しなかったことで、これからは外様扱いのはずだ。まさかそう簡単に領地没収は無ぇと思うが……」


 話を聞いているとイリスルネはなんとなく、クーデターなんてものが容易く成った理由が分かってきた。

 ヒルベルトは四大国の支援を取り付けることで大領主たちを自分になびかせた。

 大領主たちを自分になびかせたことで他の領主たちに『戦ってもムダ』と思わせた。

 王は……つまりルネの父は、気がつけば手足をもがれた状態にあったのだ。


 各領主が抱える騎士と農兵を全て集めたものが『シエル=テイラ王国』としての戦力。領主の戦力は当然、領地の大きさに比例する。大領主が反旗を翻せばその打撃は計り知れない。

 そして王家直属である、頼みの綱の騎士団は……トップがローレンスアレだ。


 とりあえずジェラルド公爵はイリスルネの中で、僭主ヒルベルトと騎士団長ローレンスに次ぐ抹殺目標にランクイン。キーリー伯爵は心の中で『必要が無い限り殺さない』フォルダに放り込んだ。


 とにかく、そんな王弟派領主の中で中心と目される公爵がナイトパイソンとグルかも知れないとなると穏やかではない。


「じゃ、王弟派が伯爵様を攻撃するためにナイトパイソンを使うかもってこと?」

「まさかそこまで露骨な真似はしねえと思うけどな。領主様が何を心配してるかは分かるだろ。……あくまで連中は犯罪組織、日陰の存在だった。それが歯止めを無くすかも知れねえ」


 支部長マスターは渋面を作っていた。


 今、この国にどんな狂気が渦巻いているのかイリスルネ知っている。新王に反する者は、ただそれだけで私刑の対象になるかも知れない。

 この状況を見て『反クーデター派であったらしいキーリー伯爵には何をしても官憲に追われたりしないだろう』とナイトパイソンが考えても不思議は無い。あるいは本当に王弟派の重鎮とグルなら、ジェラルド公爵を通じて官憲を黙らせやりたい放題モードになるとか。


「ヒューの懸念が当たったかも知れないね。お家騒動に巻き込まれるのはゴメンだよ?」


 いつの間にかタバコを吸っていたディアナが、溜息のような紫煙を吹き出す。

 『この国に居ること自体が危ないかも知れない』とはヒューの言葉。それどころか、下手すれば“竜の喉笛”はこのクーデター騒ぎに負けサイドから首を突っ込んでしまうかも知れないのだ。


 支部長マスターは難しい顔のまま、躊躇いがちに頷いた。


「ただ、俺はその上で“竜の喉笛”にこの依頼クエスト請けて欲しいと思ってる。領主様を守ってほしいしな」

支部長マスター。ギルドは政治から中立じゃあなかったかい?」

「分かってんよ。だからこいつぁ俺個人の考えだ」


 超国家機関である冒険者ギルドは、政治からは距離を置いている。『特定の国家や政治勢力に肩入れしない』という建前を守ることで、多くの国家から存在を認められているのだ。

 『犯罪組織に狙われた公爵令嬢を護衛する』というなら構わないだろうが、そこに国家を二分する大騒動が関わってくるとなるとグレーだ。

 本来ならそういうクサい依頼クエストを蹴るとか、依頼主と条件を詰めて政治的な話にならないよう環境を整えることも支部長マスターとしての仕事なのだが、こういう理念的な部分はやはり、末端の小さな支部ほどいい加減になるものらしい。


「それにナイトパイソンのことはまあ俺もそこそこ分かってるつもりだ。確かに連中は荒事担当のチンピラも、冒険者ならエース級ってぇ配下も抱えてる。だがそれを無節操に突っ込めるほど連中もヒマじゃない。

 この件、ナイトパイソンがあんたら4人をどうにかできるほどの人員をつぎ込むとは思えねんだ。連中がそこまで本腰入れて出てくる話じゃねえ」

「……伯爵領全体から追い出されるってもかい?」

「やっぱり鉱山のあるとこだよ、連中にとって旨味があるのは。それにナイトパイソンは正面切ってお上に戦争仕掛ける質じゃねえ。役人や貴族に鼻薬嗅がせてよろしくやるってのが常套手段だ。

 話の通じねえ堅物が治めてる少領ひとつから追い出されても、んな面倒くさくて旨味の無い場所へ未練を残すかってーと微妙だな」


 もし戦争中の国があったとして、ひとつの戦場にその全戦力を投入するだろうか?

 国家の存亡を懸けた本土防衛戦とかならともかく、普通はNOだ。

 つまり支部長マスターが言っているのはそういう話だった。


「それでも連中にもメンツがあるから、あんまり無防備じゃ『せっかくだから』てんで報復に走るかも知れねえ。あんたらにそれを止めて欲しいんだ」

「やりますよ。伯爵様とキャサリンちゃんのためです」


 ディアナが何か言う前にイリスルネは機先を制して言った。ここで断られたら目も当てられない。

 ナイトパイソンとの戦いは単なるお使いのつもりだったけれど、もしかしたら憎き仇に繋がるかもしれないのだ。邪悪な闘志が燃え上がっていた。


「……そうか」


 まさかイリスルネの事情など分からないだろう支部長マスターは、ちょっと済まなそうに笑った。

 ディアナは苦い顔をしていたが……それ以上何も言わなかった。

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