[1-9] 刑法252条違反

「はあ……みんな心配性なんだから」


 ぼやくようにそう言いながらイリスは夜道を独り歩いた。

 女の子が夜道を歩ける街なんてそうそうあったものではないが、それは普通の女の子ならばの話だ。その辺の悪漢・ゴロツキごときイリスにとっては歯牙にも掛けない相手。まあ魔法で吹っ飛ばすわけにもいかないので、もし面倒ごとになりそうなら目くらましをして逃げるわけだが。

 もしイリスが逃げることさえかなわないような相手が絡んでくるとしたら……そんなのが出てきた時点で異常事態だ。4人で居たって危ない。


 ……イリスはそう思っていたし、その自己評価はほぼ正しかった。

 しかし、その夜の襲撃者は彼女の理解を完全に超えた何かだった。


「ん……?」


 意識の片隅に何かが引っかかった。かすかな気配の動き。

 それとほぼ同時、一切の物音が途絶えた。

 風の音も、野良犬の遠吠えも、どこからか聞こえる酔っ払いの喧嘩も。


 ――≪消音サイレント≫?


 それは静音の結界を張る魔法だ。物音を遮断する魔法。外から聞こえないのと同時に、中の音も外に伝わらない。

 低級な魔法だが、いろいろろくでもない使い方ができる。鍵付きの扉をぶち破って侵入したり、女の子を襲ったり。


 イリスはすぐさま杖を振り呪文を唱える。


「≪解呪ディスペル≫」


 効果が持続するタイプの魔法を解除する魔法だ。杖から光が振りまかれ、≪消音サイレント≫の効果範囲がぼんやりと、辺り一帯を包むドーム状に浮かび上がる。


 しかしイリスの放った≪解呪ディスペル≫は虚しく散った。静音の結界に弾き返され、振りまかれた魔法弾は消えた。


 ――うそ……!?


 どっとイリスの背に冷や汗が溢れた。

 ≪解呪ディスペル≫が効かない。つまりイリスより高い魔力を持つ術者による≪消音サイレント≫だ。

 イリスはまだ年若い(『幼い』という評価は断固として拒否する)魔術師ウィザードだが、実力は既に一人前だ。イリスを超える力の持ち主となると、魔物にせよ人族にせよ、出てくるだけで穏やかではない事態だ。


「なに……? なんなの?」

『こんばんわ、お嬢さん』

「きゃっ!?」


 すぐ背後から自分より幼い少女の声がして、イリスは飛び上がらんばかりに驚いた。

 前方に飛び込むようにしながら距離を取って振り向く。


 夜空に輝くべき銀の月が地上に顕現していた。

 ほのかに光を放つように見えるそれは、銀髪銀目の少女の亡霊だった。


『……それともこのなりじゃ、『お嬢さん』より『おねえちゃん』って言った方が似つかわしいのかな?』

「何者!」

『怪しい者です』


 少女の亡霊は愉快げに笑う。

 イリスは肌がチリチリと焼けるような、産毛が逆立つような感覚を覚えていた。

 強力な魔法が近くで炸裂した時の感覚に似ている。この場合は、相手の放散する魔力に反応しているのだ。


「アンデッド……!」


 眼前の亡霊こそが≪静音サイレント≫の主だと思わざるを得なかった。

 

 霊体系のアンデッドは厄介だ。ダメージを通す手段が限られる。

 しかもこの少女は高い魔力と理性がある事からして、おそらく人為的に発生した上位のアンデッド。何故こんな場所に居るかは分からないが非常に危険な相手だった。


 杖を構えてイリスは後ずさる。

 心臓が痛いほど脈打っていた。


 ――私では倒せない……! 防御しつつディアナの所まで戻る!


 神聖魔法は回復・防御・対アンデッドに特化している。

 たとえ格上の魔物だろうが、神聖魔法の使い手が居れば撃退できるはずだ。

 防御に魔力を全て突っ込めばディアナと合流するくらいまでは耐えられる……と思いたい。


「……≪信号弾シグナルボム≫!」


 杖を掲げてイリスは魔法を放った。天高く打ち上がって音と光を発する魔法弾だ。

 これで3人が気付いてくれれば合流が早まる。

 同時にイリスは走り出した。謎の少女の脇をすり抜けるように跳ね魚亭へ取って返す。


 そんなイリスに向かって、少女の霊は手を伸ばしてきた。


 ――これは≪不浄の手ゴーストタッチ≫?


 便宜上、低級の呪詛魔法として分類されている攻撃だ。霊体系のアンデッドが使う技で、接触によって相手の生命力を奪いじわじわと緩慢に死に至らしめる。まあ常人でも死ぬまでに10分くらい掛かったりするものだが。


 高い魔力を持つ敵の攻撃としては、あまりにもヌルい。

 それだけにイリスは警戒した。何か射程が極端に短い別の魔法を掛けてくるかも知れないと。


 自分の身体に魔力を纏わせるイメージをする。

 意思を堅くし、魔法への抵抗力を高める。

 そして。


 ――え……!?


 するりと、少女の手がイリスの身体に潜り込む。

 何の魔法かは分からないがこれは魔法であり、まるで落ち葉でも踏んで割るみたいに抵抗があっけなく破られたという感覚はあった。

 『イリスより上』なんてレベルじゃない。このアンデッドの少女の魔力は『イリスと桁が違う』。


 ダメージは無い。だが少女の霊は、イリスの致命的な部分にまで手を伸ばしてくる。

 魂の核を鷲づかみにされたような、どうしようもない恐怖と、取り返しが付かない破滅の予感。

 イリスは転倒した。身体が上手く動かない。息が詰まる。腹の底が冷たい。


「な、なに……をする……気……!」

よ。ま、永遠に返さないけどね……!』

「あ……ああ、あ……!!」


 悪夢の中に滑り落ちていくように、イリスの意識は闇に塗りつぶされていった、


 * * *


「イリス、どうした!? ≪信号弾シグナルボム≫飛ばさなかったか!?」


 息を切らして走ってきたディアナが怒鳴るように言う。


「ううん、なにもしてないよ」

「その傷は……」

「ちょっと転んだだけ」


 照れたように笑ってイリスルネは、すりむいた手の平を隠した。


「そう……ならいいんだ。ったく、飲み過ぎちまったかね」

「まだ飲む?」

「んー、ここまでにしとくか。でも宿に戻る前にベネディクトとヒューに『何も無かった』って言ってこないと……ああダメだ、これ絶対飲み直すパターンだ」


 ダメだこりゃと言わんばかりにディアナは首を振る。

 酒場に戻って、飲まずに帰ってくるという選択肢は彼女の中に存在しないらしい。


「じゃあ先に帰ってるから、えっと……あんまり飲み過ぎないようにね」

「善処するよ」


 ひらひらと背中越しに手を振って、ディアナは千鳥足で去って行った。


 その背中を見送ったイリスルネは自分の身体の感覚を確かめる。

 骨と肉の重さ。風の冷たさ。大地を踏みしめる足。手を握った感触。


 ――生身の感触最高! 霊体ってやっぱりなんか、いろいろ手応えが無くてダメだね。


 うんと伸びをするイリスルネ

 イリスという少女の身体は、憑依したルネに乗っ取られていた。


 ルネにとってデュラハンとは所詮、仮の姿。あれは自らの死体にとりついてデュラハンの姿に作り替えただけのもの。

 ルネの本体は霊体なのだ。モンスターとして分類するなら、最高位の霊体系アンデッドであるアビススピリットの、さらに突然変異種という事になる。


 邪神の加護によってルネが手に入れた力は、まず膨大な魔力。現時点でも人族最高峰の魔術師と肩を並べるだろう。

 だがそれ以上の強みは、ルネが『成長するアンデッド』であるという事だ。

 恨みを抱えて死んだ魂と契約し、その恨みを晴らすことで魂を

 ただ生気を吸い取るのとはワケが違う。自分の魂を、存在を、力を大きくできるのだ。邪神が言っていた『理論上は最終的に魔王より強くなれる』とはこのことだった。

 魂を取り込んで強くなるというと、レギオンというアンデッドが有名だが、あれはあくまで悪霊の群体が規模を大きくしているだけ。自分自身を強大にできるというルネの特性は、アンデッドとしてほぼ唯一無二だった。


 ルネが目を付けたミリアムという女性。彼女が恨むのはナイトパイソンという、シエル=テイラの闇の世界を牛耳る組織だ。

 魂ひとつ食うための仕事としてはオーバーワークという気もするが、それでもルネはミリアムを逃したくなかった。

 大切なのは量より質だ。


 ちなみに人に憑依して意思を乗っ取るのは高位の霊体系アンデッドならだいたいできる事だが、ルネの場合はこれもさらにもうひとつ特別なオプションがあった。

 もっとも、その力を使うには同年代の少女に憑依しなければならないという縛りがあるのだが……


 ――ラッキーだな。うまいこと都合の良い身体を確保できた。さてさて、ここからどう駒を進めるか。


 ルネにとってイリスは理想的な憑依先だった。

 まず同年代の少女であること。目下のターゲットであるナイトパイソンに関わろうとしていること。そして何より冒険者、かつ魔術師ウィザードであり、ルネ自身の魔法を使っても誤魔化せること。


 あのローレンスに打ち勝てなければ、僭主ヒルベルトへの復讐を遂げることもできない。魂を食っての自己強化は必須だ。そのためにもこの身体イリスと、イリスの仲間たちにはせいぜい役に立ってもらうとしよう。


 ルネはイリスとして、滞在する宿への帰り道を急いだ。

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