第四章

第四章

「悪いですねえ。わざわざ、来ていただいて。」

何も抵抗しないで引き受けてくれた杉三に、ジョチは改めて礼をいうのだった。

「いいってことよ。こういう時しか暇人は役に立たんよ。」

「杉ちゃんが、抵抗なく何でもやってくれる存在でよかったです。」

笑った顔で、そういう杉三に、ジョチはそうため息をついたが、できれば、こういうようなことができる人材も、買収することができたらなと思った。

「ま、いいってことさ。とにかく、その二人の子供らが、快適に過ごすことができりゃあ、それでいいのよ。」

杉ちゃんらしい、誰にも言えないその答え。

「はい、もう少し先です。その電柱の角を右に曲がっていただけるとあります。」

小園さんは、その通りに、セダンを走らせた。そこへ行くと、四階建ての鉄筋マンションが見えてきた。

「はい、ここです。そこの一〇七号室。つまり角部屋ですね。」

その前で車は止まった。杉三はジョチに連れられて、南側にある角部屋に行く。

「この部屋です。」

杉三は、何のためらいもなく、その部屋のドアをたたいた。中からはあいと、少し太い女性の声がして、がちゃんとドアが開いた。

「あ、どうも、曾我です。この型が今日そばにいてくださる影山杉三さんです。」

「あ、あ、ああ、どうも、、、。」

少し戸惑った顔を見せる母親、つまり西郷茉莉花だが、

「足の悪いやつとは思わなかったか?」

と、杉三に言われてしまった。

「へへん。足はよくとも、料理の腕はどうだろう?」

杉三にからかわれてさらに驚く茉莉花である。

「おじさん!来てくれたの!よかった、約束守ってくれたんだね!」

小さな曽良夫が、ジョチのほうへ駆け寄ってきた。そこだけは覚えていてくれたらしい。

「ハイハイ、曽良夫君ね、今日は君たちにご飯を食べさせてくれるオジサンを連れてきたんですよ。そうですね。杉ちゃん。」

ジョチが、そういって杉三を紹介すると、

「おう、影山杉三こと、杉ちゃんだよ。食いたいものがあったら何でも作ってあげるから、遠慮なくいいな。」

と、でかい声であいさつする杉三だった。

「本当にいいんですか、、、?」

母の、茉莉花はまだ信じられなくて、そういうことを言ってしまう。

「ええ、かまいません。杉ちゃんという人は、料理の天才なんです。ほかには何もできないけれど。」

ジョチはそう言いつつ、茉莉花に名刺を渡した。茉莉花は肩書をみてぎょっとし、二人を、中に通そうと、

「玄関先ではまずいですから、お二方お茶でも、、、。」

と言いかけたが、

「いえ、僕はこの後会議もありますのですぐに失礼いたしますが、杉ちゃんは、残ってもらいます。あとは彼に従ってくだされば、間違いはないでしょう。お母様も、早くお仕度なさらないと、お仕事に、遅刻されてしまうのではないですか?」

と、彼に言われて、余計に面食らう。

「あの、どういういきさつで、、、?」

と聞きかけたが、

「お母さん。早くしないと!」

と、由紀夫に言われて、

「う、うん、行ってくるね!」

と、まるで追い出されるように、部屋を出たのであった。

「それじゃあ僕も、すぐに出ますけど、杉ちゃん、後を頼みましたよ。何かありましたら、スマートフォンにいつでも電話かけてくださいませね。」

「おう、任せとけえ!やることならなんでもある。」

ジョチも、杉三の肩をたたいて、その場を出ていった。杉三は、玄関先に出てきた由紀夫に手伝ってもらって、部屋の中へはいった。

杉三は、中に入ると冷蔵庫に直行した。

「なんだ、君たち、碌なもんを食べてないじゃないか。出来合いと、インスタント食品ばっかりかい。それでは、正常にはなれんね。よし、スーパーが開店したら、すぐに買い物に行こうな。」

「すみません、母が毎日忙しいものですから、買い物に行っている暇もないし、ご飯を作っている暇もないんです。」

由紀夫が、理由をそういうと、

「そんなの理由にならん。ただの怠け心だ。おかあちゃんなら、そういうものに頼らないでうまいもの食わしてやる覚悟を持たなくちゃ。そういうもんだぜ。親ってのはよ。」

と、杉三は言った。

「本当は、お前さんたちも、食べたいんじゃないの?おかあちゃんの手作りの飯。」

「でも、お母さん忙しいので、それではまずいと思って言わないことにしています。それで別に体調が悪いわけでもないし、僕たち申し訳ないものですから。」

由紀夫は、お兄さんらしくそういうことを言った。

「まあ、兄ちゃんよ。素直にならないね。そういう、しっかりしたところは、割と褒められることは多いけどさあ、でも、自分にはものすごく負担になることくらい覚えておけ。」

そうからかう杉三だが、由紀夫はまだしっかりと、

「いえ、僕は、曽良夫もいますし、ただでさえ母が生活費を稼ぐために働いているのですから、食べるなんて後回しにしています。」

といった。

ちょうどその時、壁にぶら下げて会ある鳩時計が、九回なった。

「あ、そろそろ九時ですね。」

「ちょうど、スーパーマーケットが開店する時間だ。よし、行こう!」

「僕も行く!」

小さな曽良夫は、すぐに杉三の後についていく。由紀夫も、急いで財布と自宅のカギを持ってそれに就いていった。

「どうせなら、高級食材が売っているところにしような。そんなに遠いところじゃないよ。」

杉三は、いつもいっているところとは別の道をとって、富士市でも有名なショッピングモールに向かって移動し始めた。

「いつもそんなところにはいかないよ。」

小さな曽良夫はすぐに杉三の話に入る。

「もっと小さなお店で済ませるよ。お母さんはいつでもやっているからそこで十分だって。」

「あ、つまり、コンビニの弁当ばかりで済ませていて、、、。」

由紀夫は解説するようにその話に入ったが、

「言わなくてもわかるよ。冷蔵庫を見れば一目瞭然じゃないか。コンビニの弁当の容器ばっかり入ってた。僕は文字は読めないが、コンビニのロゴマークというものは知っている。」

と、杉三に言われてしまった。なるほど、子供の言葉を大人言葉に通訳する必要はないということか。

「わざわざ、訳さなくていいよ。それ、結構なストレスかもしれないだろ?そうじゃなくて、君は、自分をいたわってやることを考えな。」

杉三に何か見透かされてしまっているのだろうか。僕は何も、隠し事なんてしているつもりはないのだけどなあと、由紀夫は思いながら、そのあとをついていった。

「ほれ、ここだ。ここに輸入食品の専門店があってな。ここが結構おいしいものを売っているんだよ。今は、国産の食品は、よほど高級なものでなければ信用できんよ。」

確かにそうかもしれなかった。ずっと前、高級なうなぎ屋が、国産ウナギではなくて、海外産のウナギを、国産と偽造して販売していたことも、センセーショナルに報じられた。そこからだろうか、国産の食品を買う時には、本当にそうなのか、疑問視してしまうようになった。

杉三は、その輸入食品の店に入った。店の人は親切だった。すぐに、杉三が文字が読めないことを察してくれて、いちいち食品名などを読んでくれたので、すぐに買うことができた。コンビニの店員には絶対見られない態度だった。杉三が、何々をくれといえばすぐに持ってきてくれた。この輸入食品店では、ほとんどが海外産の食品ばかりで、日本産のものはほとんどなかったが、高級食品ブランドとして名高いものが数多く売られていた。それらは大昔から存在し、著名人も食べたことのあるものだった。杉三はそれらに該当する肉も野菜も買っていった。時に、インドからじかに輸入したというカレールーまで買っていった。おコメだけは、先日買ったばかりのものがまだあると、由紀夫が言ったので、買っていかなかった。

支払いは、いわゆるスイカのようなプリペイドカードで支払った。現金の計算ができない杉三は、必ずプリペイドカードを使用する。最近は、鉄道だけではなく、ショッピングモールでプリペイドカードを使えるので便利である。単に支払いの手間をなくすだけではなく、こういう障害のある人も買い物できるようになるので、ある意味では便利なのだ。

「よし材料も買ったし、帰ろうか。」

「杉ちゃん何作るの?」

曽良夫がすぐにそう聞くと、

「カレーだよ。」

杉三は即答した。この店では大量にかった人のために、台車を貸してくれるサービスもやっていた。その台車は、当然のごとく、由紀夫が引っ張ることになった。

荷台部分に大量の食品を乗せて、由紀夫は台車を引っ張り始めた。杉三が先頭を切り、曽良夫がその横に立って楽しそうにおしゃべりしながら、歩いているのを見れば、自然に自分も楽しくなる。お兄ちゃんというのはそういうもの。だから、周りなんか気にならない。のである。

はずだった。

本来ならばそうであるが、今は違っていた。別に富士高校の学ランを着ているわけではないのに、由紀夫の顔はすでにショッピングモールに来ているおばさんたちに知られてしまっているらしく、

「あれれ、今時の時間、富士高生が買い物に来ていていいのかしら?」

「まさか、富士高校を辞めちゃう気なのかしら?」

たまたますれ違った、二人のおばさんたちに、そんなことを言われた。いわれても気にするな、と杉三が言ってくれたのだが、どうしても気になってしまう。

「全く。ダメな子ねえ。お母さんが苦労して富士高校に入れてくれたんでしょうに。それを踏みにじるかのように、不登校になったとは、、、。」

「最近は、富士高校でさえも、ああして、不登校になっちゃう子がでるのねえ。時代のせいとはいっても、やっぱり富士高校といったら、この辺りでは超有名なんだから、それをよく考えて、通えばいいのにねえ。」

「もちろん、富士高校に行くんだから、ものすごく受験勉強したんでしょうしね。それで、強さというものは養われなかったのかしら?」

「今はあれなんじゃない?予備校が手取り足取りやってくれるから、そういうことは、あまり気にならないのかもよ。それで高校に入って、初めて、苦労というものを知って、不登校になったのよ!」

「うるさいね、あんたらは。好きで学校に行けなくなるわけではないぞ!ちゃんと理由があっていけなくなるやつもいるさ。そういうところを理解しないでただ、順位だけの噂話なんて、本人にとって一番苦痛だからな!」

杉三がでかい声でそういうと、おばさんたちはそのやくざの親分みたいな口調に驚いて、さっと散ってしまった。由紀夫は、ありがとうございました、と、杉三に言ったが、いいってことよ、しか返ってこなかった。

しかし、広いショッピングモールの中、その二人のおばさんだけではなく、何人か、由紀夫の事を非難のこもった目で見る大人はいた。中には、先ほどのおばさんたちとよく似た内容のことをしゃべりだす大人も少なくない。中には、富士高校も、いよいよわるい学校に代わってしまったかと嘆く人もいる。これでは、敵国の大軍に紛れ込んだ兵士のような気分だった。普通の人なら、パッと走って逃げていくことはできるのだが、小さい曽良夫もいるのでそれはできなかった。それに走って逃げたら、あはは、いい気味!と、さらにからかわれるかもしれなかった。そうなるとさらにみじめな気持ちになってしまうので、由紀夫はその気持ちをじっと隠して、ショッピングモールの中を歩いた。

そうしてやっと出口が見えてきたときは、ほっとして大きなため息まで出たくらいである。

「つらかっただろ?」

道路を歩きながら、杉三がふいにそう声をかけてきた。

「わかってるんだぜ。君も事情を抱えているってな。弟さんだけではなくてな。」

なんだか、全部のことを読み取られてしまったのだろうか。由紀夫はぎょっとした。

「ま、今は言わないでおくかな。全くよ。人ってバカだよなあ。余裕が出るやつって大体そうだけど、なんでそんなに他人のあら捜しをするのが好きになるんだろうね。それって面白いんかねえ。」

と、笑いながらそういう杉三。

「まあ、気にするなと言っても、できない年頃だよな。でもよ、ああいうことをいうやつらってのはよ、大体、若いころ、碌な扱い方をされていないから、それで、腹いせに若い奴に嫌味を言うんだ。それだったら、自分たちの若い頃に、もうちょっと努力するとか、そうするべきだったよな。そして、

教育者もバカだから、偉い高校に行けば、幸せがやってくるとかほざきやがって。真実は、それとはぜんぜん違うのにな!」

まるで、自分の思っていることを代弁してくれるような言い方だったので、由紀夫は思わず、

「ありがとうございます。」

と言ってしまった。

「なんで?本当のこといっただけだよ?そんな高校なんてところで、順位つけてどうすんの?そんな若いうちから、人間に順位を付けたら、碌な人間にならんよ。さっきのおばさんたちがいい例じゃないか。そうじゃなくて、頭のいい奴は悪い奴、体の強い奴は弱い奴に目を向けるようにしていかなくちゃ。そっちのほうがよほどだいじなのによ、教育者のやつはバカだもんで、いい奴と悪い奴で集団を作らせて互いに戦わせるようにさせているからまずい。」

読み書きできないのに、すごいことを言うなあと由紀夫は思った。でも、もしかしたら、そういう人だからそういう見方ができるのかもしれないとおもった。

「僕の小学校にもいたよ。読み書きできない子。」

ふいに曽良夫がそういうことを言った。ああそうか、近頃そういう子が急に増えたことが問題になっている。世間的には発達障害というようだが、読み書きができないとか、運動が極端にできないという子が増えているのだ。

「そうか。それで、その子はどうしていたんだ?先生の話もかけないわけだろ?隣の生徒に代わりにノートをとってもらっていたのか?」

「違う、学校をやめていった。」

杉三がそう聞くと、曽良夫は当然のように答えた。

「入学式から、長いお休みくらいまでしかいなかったよ。」

つまりゴールデンウイークまで学校にいて、やめてしまったということか。由紀夫は、あえて通訳はせず、代わりにこう聞いた。

「その子は、別の学校にでもいったの?」

よくあるシュタイナー教育とかそういうところに行かせた可能性もある。

だが、ここで弟の答えはとまった。

「わかんない。お母さんが、二度とこの子には近づかないでくださいって。」

「そうかあ。それが一番いかんなあ。どんなにバカであっても、部屋に閉じ込めることだけは絶対にしてはいかん。それよりも、そういう子こそ、頻繁に外へ出させて、人に慣れさせることをしなければだめなんだ。世の中にはな、偉い奴もいるけれど、バカなやつもいるって、教えてやらなくちゃ。そこさえつかんでおけばな、多少違っていても生きていけるようになるぞ。」

杉ちゃんは、次のように語り始めた。

「ただな、これを教え込むには一つ条件がある。その子の父ちゃんも母ちゃんも、安定していて、安定した食べ物と着るものと、住むところを供給できることさ。それができるのが親ってもんだぜ。どっちかが、不安定だったら、たちまち子供ってのはぶっ壊れちゃうからな。読めない子なら、なおさらだ。本当はそれが必要十分条件なのにさあ。日本の社会ってのは、変な風にできていて、それに幸せだと思えない親があまりにも多いからな。」

「そうかあ、、、。じゃあ、僕のお母さんもそうなのかな。僕のお母さんは、優しくしてくれるよ。」

曽良夫は、一生懸命母親を擁護した。このくらいの年では、まだ母親は絶対的な存在で、敵対するような年ではない。それをきいて、由紀夫は複雑な気持ちになる。

「そうか、じゃあ、君の母ちゃんを責めるのはやめような。さて、もうすぐ家だ。おじさんが、カレーを作ってあげるから、思いっきりカレーを食べよう!」

少し移動していくと、自宅マンションが見えてきた。マンションの部屋につくと、小さな食材は曽良夫が、大きなものは由紀夫が冷蔵庫に詰め込んだ。

「さて、カレーを作るかな!」

杉三は、すぐにニンジンを切り始めた。

「おじさん。僕も手伝っていい?」

曽良夫は、カレーの作り方に興味があるらしい。

「いいよ。よし、じゃあ、じゃがいもあらって。」

「杉ちゃん、僕はその間に台車をお店に返してきます。」

「おう、頼むぜえ。もし、悪質な奴になんか言われても、気にしないようにな。」

杉三がそう言ってくれたので、由紀夫は、勢いよく台車を押してショッピングモールにむかった。さすがに道中では人に会わなかったが、駐車場や台車置き場では多くの人に会った。その中には、前述したおばさんたちのようなセリフをいう人たちもすくなからずいた。でも、由紀夫は杉ちゃんに言われた言葉を思い出して、文字通り「気にしない」で台車を置いてくることができた。その帰り道も、人に多少声をかけられたが、何とか気にしないで帰ってくることができた。

部屋に帰ると、カレーの匂が充満していた。由紀夫は、とりあえず部屋に入って、通信教育の宿題をしたが、全く身に入らなかった。なんで富士高校に行くと、映画俳優みたいに、こうして声を掛けられるんだろう。そんなに偉いのか!由紀夫は怒りたくなる。そして、富士高校に入ってしまうと、家族に何か一大事があって、そのためにしばらく学校を休むということは、認められないのがはっきりわかった。

「兄ちゃん、カレーができた!」

ふいに、そんな声が聞こえてきて、由紀夫は、すぐに部屋を出た。

テーブルには、どこかのレストランで食事をしているかのように見えるカレーが並んでいる。それを見て、由紀夫は、また、特別扱いされているのかと一瞬思ってしまったが、

「ほら、食べろ、生き方に悩んでいる奴は、大体腹が減っているのよ。」

と、杉三に匙を渡されて、恐る恐るテーブルに座り、カレーを口にした。曽良夫はもうむしゃむしゃとカレーを食べ続けている。

「すごい、おいしい!」

その味は大昔に食べた、高級なカレーにそっくりだった。いつものレトルトカレーとはぜんぜん違っていた。



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